その4 しょぶりお好み焼き
スーパーは商店街の裏通りにあるらしい。八犬に同伴してもらい、買い物袋片手に十二支屋を出た。
漆塗りの下駄をカラコロ鳴らし、風で小袖を揺らされながら歩くのは、風情があって気分が良い。すれ違う観光客の視線が、ちょっとだけ集まっているのは気になったが、慣れなくちゃいけない。今後、これが日常になるのだから。
「柊さん、足は痛くありませんか?」
厳島神社の裏まで来たところで、隣を行く八犬が、足元を見ながら言った。
正直なところ、下駄の鼻緒がキツくて歩きにくかった。それが足の運びに表れていたのだろう。これも乗り越えなきゃいけない。柊は気丈に首を横に振った。
「全然大丈夫。気を遣わず早く歩いてくれて構いませんよ」
「いえ。……実は私、今日は景色を眺めながら歩きたい気分です。ゆっくり行きましょう」
「えへへ……ありがと、八犬さん」
八犬に笑いかけてから、視線を海へと向ける。
太陽に照らされて翡翠のように輝く瀬戸内海は今日も美しく、その中で佇む大鳥居は、海の美を引き締めているように感じられた。
きっと、千年以上前から、同じように大鳥居に見入った人がいたんだろう。それが今日まで続いているのは、土地神である樹や、彼の眷属達のお陰でもあるんだろうか。
「そうそう、言い忘れていました。昨日は本当に助かりましたよ。ありがとうございます」
八犬は、歩きながら深く頭を下げた。
「いえいえ。喜んでもらえて良かったです。……そーいえば、あんな団体客、滅多に来ないって本当ですか? みんな言ってますけれど……」
「来ませんね。そもそも、お客様自体、あまりお見えになりません」
「……お宿、大丈夫なんですか、それ」
「実を言えば、彩巳さんの言われていたとおり、あまり経営状態は宜しくありません。気になるのでしたら、彼女が詳しく教えてくれますよ」
「そーかな」
彩巳から、また淡白な反応をされるのを想像して、柊は小さく首を傾げる。
「腰を据えて話せば、面白い人ですよ。……おや。鹿ですね」
八犬が、ノラ猫でも見つけたかのような、驚きのない口調で言った。いつの間にか、一匹の鹿が近づいてきて、餌でも求めるかのように頭を突きだしてきたのだ。
何も持っていないし、持っていても容易にあげるわけにはいかないけど、せめてもの気持ちで頭を撫でる。屋外で生活している割には、その肌触りは良く、柊は思わず頬を緩めてしまった。
「あー、いつ見てもかわいいなあ」
「動物はお好きですか?」
「ええ。宮島の鹿は撫でさせてくれるから、特別好きかも。……鹿の眷属っていないんですか?」
「樹様の眷属は、私達十二支だけですから、いませんよ」
「そうなんだ。でも、一般的には鹿って神様の遣いですよね。それが理由で、宮島にも鹿が連れて来られたんだと思っていました」
「鹿は厳島神社ができる前から生息していましたので、偶然ですね。加えて言えば、鹿が多いのには、宮島特有の理由があります」
八犬はそう話しながら歩きだした。柊も撫でるのを止めて後をついていく。
「柊さんは、ケガレの忌避という言葉に聞き覚えはありますか?」
「聞いた事あるような、ないような……」
「昔の人間は、この島全体を神域と考えており、人の移住でさえ控える時代もあったのですよ。鎌倉時代になってから人が暮らすようにはなりましたが、それでも、血を流すような行為は極力避けていました。毛利元就が、やむなく島で戦をした際も、戦後は血にまみれた土をえぐりとり、よそへ運んだほどです」
「血は、ケガレなんですか」
「ええ。死に繋がるものですからね。それほどまでに殺生を控えていた為、この島の鹿も人間に殺されれずに増殖したわけですね」
「へぇーっ、全然知らなかったなあ。人間と共存した理由が、ちゃんとあるんですね」
自分よりも少し年上の八犬から、思いがけない雑学を教えてもらい、素直に感嘆の声を漏らす。とはいえ、見た目はともかく、実際には『何百歳、何千歳』らしいのだから、博識で当然かもしれない。
「宮島以外でも、人間と動物が共存できれば良いのですがね」
「あー……クマが人里に降りてきて殺されちゃったりとか、よくニュースで見る気がします」
「そのようですね。話題にならない他の動物も、人間に住処を奪われつつありますし」
「八犬さん、社会派ですね」
「これは、大層な事を言ってしまいましたでしょうか。ただ、私の場合は懸念する理由が異なります。というのも、人間に迫害された動物があやかしになる事はよくあるんですよ」
「えっ? あやかしって動物から生まれるんですか?」
「少し違いますね。動物からというか……おや、売店が見えましたね」
興味深い話になりかけたところで、八犬が話題を変えるように奥を指差す。
そこにあったスーパー『八重』は、どちらかというと個人商店のような大きさだった。
「あやかしの話は、また今度にしましょうか」
「はい。食材は、いつもここで買っているんですか?」
「ええ。一般住民向けの食材を販売しているところですが、それでも品数共に良好ですよ。実は樹様や眷属、それからあやかしは、食事をせずとも活動できる生命体です。ですが、もちろん味は分かりますので、たまに買い物には来るのですよ」
「味覚、ですか……」
「何か、ありましたか?」
「あ、いえいえ!」
「それから、私達は人間を装って活動しています。その点、ご留意下さい」
「大丈夫。変な事は言わないわ」
力強く頷いてから中に入り、真っ先に生ものを見て回ると、確かに八犬の言うとおり、肉、魚、野菜、果物、いずれもひととおり揃っている。
その上、鮮度も申し分ない。冷蔵庫だけじゃなく、スーパーでも食材に見とれる癖のある柊は、思わず口の端を緩めてしまった。
「八犬ちゃん、いらっしゃい」
背後から女性の声が聞こえる。振り返ると、レジ前にいた小柄な老婆が、大木でも見上げるかのように顔を上げて、八犬に声を掛けていた。
「どうも、ご無沙汰しています」
「本当ねえ。浅野さんは、もう入院されたのかしら?」
「はい。しばらくは本土の病院です」
「そうなの。大変ねえ。戻ってきたら教えてね。そちらの方は?」
「あ、福間柊、と言います!」
柊は反射的に老婆に駆け寄り、元気よく名を名乗った。
「あら、そうなの。もしかして十二支屋さんで働いているのかしら」
「はい。新しく働く事になった板前です」
「ご丁寧にどうも。板前さんだったら、これから色々とお世話になるわね。ふふっ、なんだか嬉しいわ」
「お世話になるのはこっちですよ。よろしくお願いします」
「はい。ああ、お買い物の邪魔をしてごめんなさいね。何を買いに来たのかしら」
「それなんですが……ううん、ちょっと、商品を拝見しますね」
会釈しながらそう告げ、食材の山へと向き直る。
さあ、ここからが問題だ。
一つ目入道の希望はまったく分からないのだが、そもそも、店の品揃えも分かっていなかったので、何を作るかは商品から逆引きするつもりだったのだ。
それが、いざ来てみると品数は抜群である。好きな物が作れるのは当然嬉しいけれども、今回は、むしろ選択肢が少ない方が良かったかもしれない。
「うーん、私が確実に作れる料理で、一つ目……おっと。……あのお客さんが好きそうな物かあ……」
店内を何周も回りながら、うんうん唸って考え続ける。そうしても答えが出ないのは分かっていたが、少しでも喜んでもらえる可能性を模索したいのだ。
「決めきれないのだったら、味見でもしてみる?」
突然、思いがけない提案を受けてしまったが、柊は慌てて手を左右に振った。
「それは悪いです! お気になさらないで下さい」
「そう? 息子が漁師をやっている伝手で、旬の美味しい魚があるのよ。サワラのお刺身、いらないかしら?」
「大丈夫です! ちょうど今、決めましたから!」
早口でそう告げて、目を付けていた品を次々と買い物かごに入れる。味見を断った罪悪感からサワラの切り身も1パック放り込んだ。
「とりあえず、これだけお願いします!」
「はぁい。随分買い込んでくれるのね。たくさん食べるお客さんなのかしら」
「あ、それは……あはは……」
愛想笑いを浮かべながらも、その言葉にピンと来た。
確かに、一つ目入道は相当な大柄だ。食事はしないでも活動できるとは聞いているけれど、ガッツリと食べる事自体を幸福に感じる可能性は、あるかもしれない。
小さなヒントを得て、足早に店を出る。すると隣を行く八犬が、買い物袋をそっと取ってしまった。
「あ……八犬さん、ありがとう」
「さすがにこれは私の仕事ですから、お気になさらず」
それから、二人して帰路に着く。
少し歩いて、やっと気持ちが落ち着いてきたところで、八犬がそれを見計らったかのように、話を切りだしてきた。
「……料理、随分と考え込まれていましたね」
「ん。そーですね。美味しいご飯を作れる自信はないけれど、やれるだけの事はやりたいから」
「良いお考えです。樹様も喜んで下さるかと」
「どーかなあ……だってあの人、一つ目入道さんに満足してもらえなかったら、私を地底に連れていくとか言ってましたよ?」
「もしかしたら本気ではないのかもしれませんが、そうだとしても、理由あっての事だと思います。……見ようによっては、気まぐれに映りますが」
確かに、そんな印象はある。
神様相手に失礼な言い分だが、根は善人なのも分かっている。
だが、それにかまけて適当な仕事をするわけにはいかないのだ。
「……よっし、やるぞ!」
柊は自分を鼓舞するかのように、前向きな気持ちを口にした。
◇
台所には、柊の他に一名の眷属が助手として回されていたが、今回は自分だけで作る事にした。客は一人だから人手は足りているし、いきなり人を指揮できるとは思えなかったからである。
結局、一つ目入道の好みは分からずじまいなので、体格を参考にするしかない。食欲旺盛だとしたら、満腹感を感じられるものがいいだろう。それでいて、柊が無難に作れる料理となると、お好み焼きがベストだった。
薄く焼いた生地の上に、山盛りのキャベツ、もやし、揚げ玉、それから牛の中落ち肉を載せ、ひっくり返す。並行してソバをソースで炒め、それを生地と合わせたら、薄く焼いた卵の上に載せる。
最後に、卵の面に辛めのお好み焼きソースを塗って、青のり、かつお、マヨネーズを掛ければ完成する。これを一人前と半分、作った。
「お、ええ香りじゃー」
そこで、このあと給仕する予定の羊子が台所に現れた。
料理が仕上がったところなので、ちょうどいい。柊は半分の方の皿を、台所中央のテーブルへと置いた。
「羊子ちゃん、ちょっと味見してくれるかな」
「えっ、あたし食べてええんか?」
「もちろん! その代わり、ちゃんとできているか教えてね」
「はーい」
間延びした返事をして、椅子にちょこんと座った羊子が、さっそくお好み焼きを口にする。
そのおっとりとした言動とは対照的に、彼女は水を飲み干すかの如く、お好み焼きを瞬時に平らげてしまった。
「どう? ソバにはちゃんと味が付いてた?」
「うーん、ごめん。そこまで考えずに食べとったわ」
「ソースは辛すぎない? この方が中落ち肉には合うんだけど……」
「ホームラン級の味じゃ」
「……見た目は大丈夫そうだけど、卵は、ちゃんと半熟になってるよね?」
「ソースと絡まって、キラキラしとったね。食感もキラキラしとったよ」
……これは、人選を誤ったかもしれない。
とはいえ、多分、羊子は羊子なりに感想を考えてくれているのだろう。
柱の時計を見上げれば、時刻は午後六時で、ちょうど料理を出す頃合いだ。後は羊子に任せてしまえば良いのだけれど、今回は不安要素を抱えている。柊は羊子に同行して客室へと向かった。
「失礼します」
声がやや早口になる。緊張は分かっていても収まらず、身体を固くして客室に入る。
「おう、遅いぞ人間!」
一つ目入道は、テーブルの前で文鎮のように胡坐をかいていた。彼の傍に進みながら室内を観察するが、テレビは点いていないし、暇を潰せそうな私物の類も見当たらない。確か、骨休めに来たと言っていたはずだが、本当に体しか休めていないようである。
その観察も、一瞬の事だ。柊は羊子と一緒に正座し、テーブルに食事を差し出した。
「お待たせしました。こちらが本日の夕食になります」
「なんだこれは。言っただろう。ワシには人間の料理は分からんのだ」
「しょぶりのお好み焼きでございます。」
「しょぶり……?」
「牛の中落ち肉です。しょぶり、とはそぎ落とすという意味です。骨周りから取れる、食感と旨味を両立した貴重な食材で……」
「中落ちもなんの事か分からん! とりあえず食う!」
一つ目入道は話を遮ると、大きな指で箸を器用に操って食事を始めた。
羊子とは違い、彼は、一口一口を味わうようにゆっくりと噛み締めた。そしてお好み焼きが喉を通るたびに、彼の目が少しずつ見開かれていくのが、柊には分かった。
「うむ。これは、なかなか、なかなか」
「いかがでしょうか?」
「旨い、旨い。肉の旨味がソースに絡まって、口の中で弾けるようではないか。香ばしい香りもたまらん。しょぶり、良いではないか」
「はい。広島独特のトッピングなんですよ」
「ほほう」
一つ目入道は感心したような声を漏らし、食事を続けた。
厳島神社の大鳥居が眺められる畳部屋で、広島ならではのお好み焼きを腹いっぱいに食べる。これが観光客だったら、思い出の一ページになる事請け合いだろう。お好み焼きは、今後のお品書きに入れても良いかもしれない。
「ご馳走になった!」
そんな事を考えているうちに食事が終わる。柊は居住まいを改めた。
「……いかがでしたでしょうか」
「満腹じゃ。腹いっぱいじゃ。ワシの体格を見越して、腹に溜まるものを作ったな?」
「はい。味の方は、お気に召して頂けましたか?」
「ふむ、それじゃが……」
一つ目入道の声が、渋くなる。
気が付けば、額に浮かぶ一つ目が歪んでいた。怒っているというよりは、困っているように見受けられた。
「ちょっとソースを掛けすぎじゃのう。確かに旨かったが、途中からお好み焼きというより、ソースを食べているような気になってしまったわい」
「ああ、それは……」
しまった。
やはり、この手のミスを犯してしまった。
羊子が悪いわけでも、一つ目入道の味覚が悪いわけでもない。
すべては、自分が悪いのだ。
「……申し訳、ありません」
「加えて言えば、料理自体もワシ好みではない」
「お好み焼きじゃあ、駄目なんですか……?」
「駄目じゃ。最初に言うただろう。ワシの好物を出せと」
「だからそれは」
「ええい、うるさい!」
一つ目入道が箸をテーブルに叩きつけた。テーブルの上に乗った物どころか、柊まで体を揺らされるような勢いだった。
「む、無茶苦茶ですよ、そんなの!」
「ならば、もう一度機会を与えよう。ワシは明朝までの宿泊じゃ。明日の朝食にて、今度こそワシを唸らせてみよ」
「そういう問題じゃなくて!」
傍若無人にもほどがある。今回ばかりは食い下がるつもりだったが、その前にギロリと睨みつけられて、その気は瞬時に失せてしまう。
かくして、柊の苦悩は延長戦に突入したのであった。