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その3 客、来たる

 ――土地神(とちかみ)とは、なにか。


 地主神(じぬしかみ)とも呼ばれ、太古の頃より鎮座しては、その地に芽吹く生命を見守る存在である。

 その多くは神社にて祀られており、厳島神社でも例外ではない。平安時代に纏められた『日本後紀(にほんこうき)』には、伊都伎嶋神(いつきしまかみ)……厳島(いつくしま)と同じ名の神が名神として記されており、()の神の名は大鳥居の額でも確認する事ができる。今日でこそ、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた宗像三女神(むなかたさんじょしん)が祭神であるが、それ以前に島を守護していたのは、伊都伎嶋神であった――




「……えっと。樹さんが、この厳島……つまり、宮島の神様って事ですか?」

「そーいうこったな」

 舞台にあぐらをかいた樹が、到底神とは思えない人間臭い仕草で、頭を掻きむしりながら頷く。八犬が伊都伎嶋神の件を語ってくれた最中も、樹はずっと難しそうな表情をして「あー」「むー」などと声を漏らしては、考え事をしているようだった。


「神様って本当にいたんだ。私と同じくらいの見た目なのに……」

「……ん? ああ。こう見えても、この島ができた頃から生きてるんだぜ。月が厳島神社の長廊に落ちるのを幾年(いくとせ)眺め、幾万の灯篭の明かりが瀬戸内に照らされるのを百歳(ももとせ)見つめ、島に鎮座してきた。……そういう存在だよ。俺は」

「あ、なんか神様っぽい……」

「今のは大分盗作だけどな」

 これである。

 思わず半眼になって睨みつけてしまったが、気を取り直して居住まいを正す。


「……とりあえず、樹様と呼んだ方が良いんでしょうか?」

「様、はいらねえよ。今更なのはお前も同じだ」

「でも、羊子ちゃんだって様付けじゃないですか」

 そう言って隣を一瞥すると、羊子はこっくりと首を縦に振った。

 この子に超自然現象が起こっているのを目の当たりにすると、樹が神様だ、なんて話もホラではないような気がする。

 信じ難い話ではあるのだが……手品だとも思えないのだ。


「そりゃ、羊子は眷属だからな」

「眷属って……どーいう意味でしたっけ」

「有体に言えば、俺の部下って事だな」

「もしかして、八犬さんや他の皆さんも?」

「そうだ。みんな眷属。俺が作りだした、十二支を基本にした、人ならざる存在だ。若く見えるが、実年齢は何百歳、何千歳だぞ」

「人間じゃないから、さっきみたいに変身できるってわけですか」

「あれは妖体という。……お前、さっきから俺達の話を鵜呑みにしてるな。驚いてないのか?」

「突然、本物の角を見せられたら、信じる他ないですよ」


「ほうなん? 他の人間も信じてくれるなら、もしかしてあたし達、受け入れてもらえるんじゃろうか」

 羊子が、ぽけっと虚空を見つめながら呟く。

 その表情が次第に緩んでいく辺り、彼女の頭の中では、妄想の類が繰り広げられているようだった。

「……羊子ちゃん、何を考えてるの?」

「うん? 人間と仲良うなって、本土にお出かけして、安佐(あさ)動物園で羊に会いたいなー、って思っとったんよ」

「ひ、羊が羊に会うの?」

「あたし、妖体でも角が生えるだけで、モコモコにはならんのよ。ほいじゃけ、モコモコを抱っこして、ごはんあげたいんよ」

「あー、そんなコーナーがあったね。でも、ごはんはあげられなかったかも」

「……がっかりじゃ」

 羊子が大いにしょげる。

 もう少しフォローしようかとも思ったが、舞台からの視線に気が付いて樹の方に向き直ると、彼は忌々しそうに着物の襟を緩めて、上半身を乗り出した。




「さて……ちょっと難しい判断を下さなきゃならん。お前を開放すると、困った事になる」

「困った事……?」

「ああ。俺達は、基本的には正体を隠して生きている。大っぴらになっちゃ、民宿の経営なんて到底やれねーからな」

「そういえば、何故神様が民宿をやってるんですか?」

「言えねえな。なんたって、俺は今、お前の口を不安視してるんだ。俺達の正体だけじゃなく、他にも余計な事を暴露されちゃ、目も当てられねえ」

「私、誰にも話したりしません! 大丈夫ですよ。思った事をホイホイ言ったりしませんから」

「俺の演奏に『変な音が混じってる』とズバズバ言ってきたのは、どこのどいつだ?」

「あう……それは……」

 言葉に窮したところで、樹が舞台を飛び降りて近づいてくる。

 手にしたバチで、頭に軽く触れながら、彼は話を続けた。




「んなわけで、一番安心できる方法としては、お前を人間社会から隔離するこった」

「隔離……?」

「おうよ。俺達が人間社会に進出して民宿を始めたのは、江戸時代後期だ。つまりは、それ以前に住んでいた場所も、当然ながら存在する」

「神社とか、ですか」

「神社に顔を出す事もあるが、普段は違う。この世と根の国の挟間にある地中空間を住処にしていたんだ。ま、そんな所でも住めば都なんだが……基本的には外界と隔離されて、刺激には欠ける場所だったな」

 なぜ、そんな話をするのか、大体の見当が付いてしまう。

 いざとなったら逃げだそう。



「あ、あの、樹さん……いえ、樹様。……わ、私、まず本土のおばあちゃんに挨拶を……あははー……」

「焦るな焦るな。確かに、そこにお前をぶち込んでおくのが一番無難だ。だがな。もっといい解決策を思いついたんだよ」

「ほ、本当ですか?」

「だがその為には、お前が役に立つと証明しなくちゃならねえ」

 樹が差し指を突き立てながら告げる。

「分かりました。どう証明すればいいんでしょうか」

「うむ。お前さ」

「はい……」


 緊張で、それ以上の言葉が出ない。

 生唾を飲み込む音が口内に響く。

 一体、何を……、



「羊子が言うとおり、この民宿で働いてみるか?」

 樹は口の端を上げ、ようやく笑いながら、そう言った。






 ◇






 十二支屋には、木造の従業員用離れがあった。

 そこの六畳間を宛がわれた柊は、しっかり熟睡して朝を迎える事ができた。

 我ながら図太いものだと呆れているところへ、羊子が着替えを手伝いに来る。初めて着る和服は、ちょっとばかり帯が苦しく感じられたけれど、そういうものらしい。



「まずは、みんなと挨拶するけえ」

 着替えが終わると、羊子はそう告げて母屋へと向かった。

 彼女の後に続いて歩くうちに、これは仕事なのだと自覚できた。頑張らなきゃいけない。樹の提案を受けて……というよりは、他に選択肢はなく、十二支屋の住み込み板前として臨時採用されたのだから、気を抜いた仕事をするわけにはいかない。


「……頑張らなきゃな」

「そう身構えんでも大丈夫よぉ」

 羊子が振り返らずに言う。

「今日は予約が一組あるけど、料理は出さんでええんよ。まだお品書きもできとらんけえ、準備に一週間くらいかけるって樹様が言うとったよ」

「結構、じっくりと取り組めるんだ」

「暇じゃけえね。普段は、あやかしのお客さんと人間のお客さん、週に一組ずつくらいしか来ないんよ」

「あ、あやかし……?」

 聞きなれない言葉をオウム返しにする。


「妖怪って言うと分かりやすいじゃろか。この宿のお客さんの半分は、あやかしなんよ。知らんかったん?」

「……昨日は、聞いてなかった。確かに神様がいるんだから、あやかしだっていてもおかしくないけど……。河童とか、鬼とか、ああいうのが本当に来るの?」

「ほうじゃの。あやかしも眷属と同じように、妖体にも人間体(にんげんたい)にもなれるけえ、宿に来る時は人間の恰好じゃけどね」

「そか。じゃないと、大騒動になっちゃうもんね」

「宿に入ったら、妖体に戻るもんもおるけど、その方が嬉しいかな。それが十二支屋の目的じゃけえ」

「それって、昨日樹さんが教えてくれなかった、宿をやってる理由?」

「あ……」


 羊子が不意に足を止めた。

 それから、気まずそうな表情で柊の顔を見つめてくる。

「ふふっ。今のは聞かなかった事にした方が良いみたいね」

「柊ちゃん、あんがと」

「いーえ。それだけじゃ、まだよく分からないし、気にしないで。それより、顔合わせ、顔合わせ!」

 二人でにこにこ笑い合ってから、事務室へと向かう。中では、昨日、柊を推した女性が、やはり和服姿でノートに向き合っていた。




彩巳(あやみ)ちゃん、おはよーう」

「おはようございます。……おや」

 振り返った女性は、羊子の奥にいる柊に気が付くと、目を鋭くさせた。

「おはようございます。ええと……彩巳、さん?」

「ええ、彩巳です。事務経理の補佐をしています。よろしく」

 彩巳は淡々と語った。羊子の声を聞いたあとだと、かなりの早口に感じられた。


「確か、眷属のモチーフになっているのは十二支でしたよね。彩巳って事は、み……み……ああ、蛇ですか?」

「そうです」

「彩巳さんも、羊子ちゃんみたいに、妖体になれるんですよね」

「できます」

「妖体になったら、どんな見た目になるんですか?」

「蛇です」

 にべもない。



「彩巳ちゃんは、興味がない話だと、いつもこうなんよ」

 そこへ、羊子がのほほんとフォローを入れてくれた。

「それから、蛇以外にも変身できるんよ。凄いねえ」

「変身?」

「狸とか狐がドロン、って化けるやろ。あんな感じ。十二支眷属はみんな、そーいう特技を持ってとるんよ」

「へぇー、凄い! 見てみたいなあ」

 そう感嘆の声を漏らしながら、ちら、と彩巳を見る。


「仕事で必要になれば、お見せします。少なくとも事務経理の仕事で化ける事はなさそうですが」

「ま、真面目な人なんですね……そーいえば、補佐って事は、事務経理担当が他にいるんですか」

「浅野様がおられます」

「あ、その名前、昨日も聞いたかも。浅野……浅野……なんの動物だろ」

「浅野様は人間です。柊さん以外では唯一の存在ですね。今は体を悪くして本土の病院に入院していますが。事務経理は、人間社会で相応の知識を身に付けなければ困難な仕事なので、浅野様しか務まりません」

 なるほど、言われてみれば、そうかもしれない。


「加えて言えば、戸籍を持つ者がいなければ、人間社会で民宿経営等不可能です。十二支屋は創業当時から、表向きは代々の浅野氏が経営しています。我々の協力者一族、と考えて頂ければ良いかと」

「ご丁寧にありがとうございます。他にも人間がいたなんて心強いなあ」

 どんな人なのだろう、と考えているところへ、他の従業員は次々とやってきた。目まぐるしい挨拶の連続になったが、みんな好意的に接してくれるのは幸いだった。

 そうして、全従業員との顔合わせを終えたところで、それを見計らったかのように、樹が姿を見せた。




「やってるな、柊」

「樹さん、おはようございます」

「おう。真面目に働くつもりのようで何よりだ」

「……そう言われれば、私、逃げようと思えば逃げだせたんだ」

「そん時ゃあ、結界を張って、お前だけ島から出られないようにしたよ。面倒だからやりたくねーけどな」

「逃げたりしませんよ。板場に立てるのは、私としてもありがたい話ですから」

 口をとがらせながら主張する。

 だが、このまま働くからには、話しておかなきゃいけない事もある。

 柊は居住まいを正し、樹を見つめながら話を続けた。



「ところで……お話があるんですが、料理の質は保証できませんよ?」

「料亭じゃないんだから、構わねえよ。できる限りの仕事をしてくれりゃあ、それでいいさ」

「あ、そういうわけじゃなく……」

 昨晩は、話の流れに飲まれて切りだせなかったが、言わなくちゃいけない。

 今の自分は、大きな欠陥を抱えているのだ。

 唾を飲み込んで、続く言葉を口にしかけた柊だったが、その前に樹が手招きをして言葉を制してしまった。



「んな事より、ちょっと来い。客が来るからお前も出迎えろよ」

「あ……はあ。まだお昼にもなっていないのに来るんですか?」

「あやかし客だからな。人間と同じようにはいかねえぞ」

「わ、分かりました。でも、私の話もあとで……」

「おー、夜にでもゆっくり聞いてやるよ。その前に仕事、仕事!」

 そう言うのなら、仕方ない。今日はまだ料理を出さないらしいし、なんとかなるだろう。

 今はあやかしとのご対面だ。どんなあやかしなのか教えてもらって、心の準備をしておきたかったがけれども、そんな暇はなく、樹に着いて受付へ戻る。

 そこでは八犬が既に待機していて、背筋を伸ばして下足場の方を見ていた。



「八犬。まだか?」

「ええ。ですが間もなくかと」

「おし。丁重にもてなしてやろうぜ」

「そのつもりです。ですが、樹様はお部屋で休まれていても……」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。出迎えくらいはやらなきゃな。……お、来たか」

 樹がそう言った直後だった。

 玄関の引き戸がガタガタと音を立ててスライドし、法衣のような服を纏った中年の坊主がヌッと現れたのだ。その身長、2メートルは超えているかもしれない。

 男は樹の姿を認めると、うやうやしく頭を下げ……そして上体が起きた時には、その姿に異変が起こっていた。

 つい先程まで二つあった目玉が、鼻の真上に一つしかないのだ。

 わっ、と息を飲むような声が漏れそうになったが、なんとか押し留める。




「よう、一つ目入道。よく遊びに来たな!」

 樹が、まるで友にでも語りかけるような挨拶をする。

 一方、客である一つ目入道の方は、肩ひじをピンと張っていた。

「樹様、これはこれはご無沙汰しております」

「かたっ苦しい挨拶なんかいらねえよ。元気にしてたか?」

「いやぁ、最近は調子が悪くて悪くて。それで骨休めに来ましたわい」

「なんだ、それじゃあ今回も部屋に篭りっきりか。つまんねえなあ。俺が島を案内してやろうと思ったのによ」

「樹様に案内して頂く等、恐れ多い多い。それにワシは人間体でも大男。変に目立ってしまえば、人間に不審がられますからな」

 時折、変な喋り方をするのは、癖かなにかだろうか。

 普通に会話が成り立っているのを見て、過度に恐れなくても良いと分かった柊が一つ目入道を見つめていると、その視線に気づいた彼は、睨みつけるような視線を返してきた。



「樹様、こいつは? 一体こいつは?」

「人間の新入りだ。客の飯作らせようと思ってな」

「ほう。そりゃあ良い! 良い! 一つワシにも作ってもらおうかの」

「だってさ。柊、頼んだぞ」

「ち、ちょっと待って下さい、出せる体制は整っていませんよ!」

 突然の無茶ぶりに、声が裏返りかける。

 メニューも、材料も、器も、まだ何も用意できていないのだ。



「ま、なんとかなんだろ?」

「準備に時間をかけていいって、樹さんが言ったらしいじゃないですか!」

「悪りぃな。気が変わった」

 まったく悪びれた様子もなく言ってのける。

 むしろ、彼の表情には子供っぽい笑みさえ浮かんでいた。



「いやな、お前が役に立つかどうか、早めに試しといた方がいいと思ったんだよ。忘れんじゃないぞ。お前は地底に閉じ込める代わりに働いてるんだ。ってわけで、一つ目を満足させられなかったら、地底行きだ」

「お、横暴! ブラック企業!」

「横暴結構! 支配人命令だ。いいな?」

 どうやら、彼への抗議は無意味のようだ。

 仕方なく、八犬の方に同情を請う視線を送るが、彼は心苦しそうに顔を左右に振った。

「柊さん、申し訳ありませんが」

「そんな、八犬さんまで……」

「八犬殿にとって、樹様の命令は絶対だからの。どうやら話は決まったな」

 一つ目入道が、両腕を組んでしたり顔で言う。


 ……それなら、仕方がない。

 作るなら作るで、思いっきりやるだけだ。柊はそう覚悟を決めると、一つ目入道を見上げながら口を開いた。

「……分かりました。ただ、お品書きはまだないんです。食べたい物をお作りしますので、希望を教えて頂けますか?」

「人間の料理は詳しくない。詳しくない。俺が好きそうなものを作ってくれ」

「それは、さすがに分かりませんよ……」

「ワシとて分からんのだから、どうしようもない」


 一体、どうしろというのだ。

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