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その5 現れたイチキシマヒメ

 柊は、イチキと暫く見つめ合っていた。


 吸い込まれるように艶やかな黒髪と、天女のそれを思わせるような帯、そしてタゴリやタギツと同じく、ぬくもりを感じさせる微笑みからは、確かに神秘的な印象が伝わってくる。典型的な女神の姿なのだ。しかしながら、どうしてタゴリやタギツとは年齢がかけ離れているのだろうか。自分と大差ない、二十代そこそこにしか見えないのである。




「あの……本当にイチキ、様……?」

「様付なんていりません。イチキちゃん、でも構いませんよ」

「あ。タゴリ様もそんな事言ってた……」

「ええ。姉さんの真似をしてみました」


 イチキはそう言うと、袖を口元にあててクスクスと笑ってみせた。

 他の女神同様に親しみやすい行動に、柊も少しだけ頬を緩めてしまう。



「もしかして、姉さん達よりも若く見えるので、驚きましたか?」

「は、はい……シワクチャのお婆ちゃんが出てくるのかな、と思っていましたから」

「神や眷属は、外見年齢はいくらでも変えられます。樹ちゃんや眷属達も老齢になったら、姿を若く変えて、別人のフリをして十二支屋に改めて来るのですよ」

「そーいえば、そんな話を聞いたような……」


「それよりも『お婆ちゃんが出てくるのかな』と言いましたね。柊さんは、私が餓鬼であると知っていたのですか?」

「……確信は持てませんでしたけれど、ね」



 そう言いながら、彼女の横を通って舞台前に行く。

 相変わらず差し込む月光の先では、琵琶が寝かせられていた。餓鬼の夕食までは樹が練習していたらしいし、その時に置きっぱなしにしたのだろう。





「接点は二つありました。まずは、この琵琶です。……タゴリ様が言っていたのを思いだしたんですよ。イチキ様は琵琶がお好きだって」

「つまり、餓鬼が琵琶を弾いていたのを見て、私かもしれないと思ったのですか」


「確かに、神秘的な音色だとは思いました。でも、それだけでイチキ様と結びつけるのは無理ですよ。もう一つの関連性が、子供です」

「私が子供好きと知っていたの?」

「樹さんの部屋で読んだ人外草子で知りました。イチキ様の逸話がたくさん書かれていたんですよ。子供を連れ歩いて庇護を求めた話とか、福岡の地名かな……筑後(ちくご)から安芸に移る時に二歳児を背負って歩いたとか。かわいい子に苦労をさせてしまったイチキ様の二の轍を踏まないように、宮島では二歳児を連れての参拝を控える人もいるとか。子供、大好きなんですよね」


「そうですね。特に、戦のせいで悲しい最期を遂げてしまった子には手を差し伸べたくなります。本来は人間個人への介入は好ましくないのですけれどね」

「やっぱり……」




 どうやら、自分の推測は本当に当たっていたらしい。

 柊は、まるで犯人の自白を待つ刑事のようにイチキを見つめ、彼女の言葉を待った。責めるつもりは欠片もないが、腑に落ちない点はあるのだ。



「しかし、その二つで、よく気付いてくれましたね」

「気付いたと言っても、関連性が強まったくらいです。餓鬼さんを満足させたら、何かイチキ様に関する情報が分かるんじゃないかな……くらいでしたので、イチキ様と餓鬼さんが同一人物とまでは思っていませんでした」

「そういえば先程、私が餓鬼である、と言いましたか。あれは少し違います」


 イチキの声が、少し沈んだ気がする。表情の変化までは読み取れない。




「……話は八十年ほど昔まで遡ります。この土地が焦土になるほどの戦が終結した際に、どれほど悲惨な出来事だったのかを目に焼き付けるべく、私は一人で広島を訪れたのです」

「第二次世界大戦の後……ですね」

「ええ。……私はそこでで、一人の戦争孤児と出会いました。彼は飢餓によって命の灯が消える寸前でしたが、食べ物以上に、母の愛を求めていました。戦で亡くした母に一目会いたい、母が作ってくれたアナゴ飯をもう一度食べたい……と」

「アナゴ、飯……」

 その言葉に、柊は強く唇を噛み締める。


「母の得意料理だったそうですよ」

「それは、辛かったでしょうね。私なんかより、ずっと重いや……」

「あなたにも、何かあるのですか?」

「あー……私のお母さんは事故死したんですが、その時に教えてもらい損ねたアナゴ飯がトラウマで、作ろうとすると最期を思いだしちゃうんです」

「だから、一度目は出来合いの物を用意したのですね。……よく頑張りましたね、本当に……」

 イチキはそう言って、柊の肩を軽く抱いてくれた。

 ぐっと込みあげてくるものはあったが、涙は流さない。もっと辛い者がいるのだ。



「それで、その少年はどうなったのですか?」

「先程も話したとおり、個人への介入は控えています。広島では他にも幾つもの死を目撃しましたが、個人に介入してしまえば、その全てに手を差し伸べなくてはなりませんから。……結局少年は命を落とし、その場で餓鬼と化しました。放っておけば、餓鬼憑きになって人に害を成すかもしれない。それに、魂は永遠にこの地に縛られてしまう。それがあまりにも哀れで……私は、餓鬼と一体化し、行動を制御したのです」

「介入、しちゃってませんか?」

「人間はダメですけれど、あやかしならよし、です」


 イチキは、茶目っ気の籠った口調でそう言った。

 やっぱり、緩い人なのだろうか。あるいは、張り詰めつつある空気を和らげてくれているのかもしれない。




「餓鬼と一体化する事で衝動を抑え、人間への悪影響だけは回避できました。かといって、私の自由に行動したり、口をきく事はできない。主導権はあくまでも餓鬼本人です。……それでも、私と餓鬼の哀しみが一致したからでしょうか。時々、餓鬼は琵琶を弾いてくれました。さっきもそうですね」

「そーいう事でしたか。同一人物だったら、なんでそうだと言ってくれなかったのかが、引っかかってたんです」

「私も、ずっともどかしく思っていました。……でも、それもようやくおしまいです」


 イチキはしみじみとそう言い、壁際に寄って窓を開けた。

 柊も近くに寄ると、外から吹く涼しい風が、微かに頬を撫でる。いつの間にか、額にはぐっしょりと汗をかいていた。相当緊張していたのだろう。





「柊さん、ありがとう」

 イチキは、月を見あげながら呟いた。

 彼女の頬には、一筋の涙が伝っていた。


「貴方のアナゴ飯のお陰で、あの子は餓鬼と化した原因を払拭でき、黄泉路へと旅立ちました」

「それで、イチキ様が表に出てこれたのですね。……餓鬼さんは、黄泉の国で、お母さんと会えるんでしょうか」

「ええ、きっと」


 イチキは静かにそう言うと、涙を拭って柊の方を見た。


「ところで、樹ちゃん達はどこにいるのかしら? 最初にアナゴ飯を出したあとは、見ていないのだけれど」

「あ、そう! 大事なお願いがあるんです。樹さんを復活させてくださいっ!」

「復活……?」

「樹さん、長く地上にいたせいで、倒れちゃったんです。その影響で眷属のみんなも気を失って、大変なんですよ!」

「……立ち仕事のし過ぎで、貧血でも起こしたのかしら?」

 イチキは真剣な表情で首を捻った。

 どうやら、さっきの茶目っ気は演技ではなく、素のようである。








 ◇








 樹の傍まで来ると、イチキは柊にニコリと笑ってみせてから、樹に向き直って胸元に手を当てた。医者の触診のように何度か手の位置が変わったが、その間、イチキの表情が曇るような事はない。これが柊のかかりつけの医者だったら、ただの風邪でも顔をしかめて「あー……」とか言いだすところだった。そんなどうでも良い事を考えている辺り、自分はもう安心しているのだろうな、と柊は思う。


「イチキ様、どうですか。助かりそうですか?」

「確かに衰弱しているみたいですね。でも、大丈夫。少し私の力を分ければ目が覚めるでしょう」

「本当ですか! 良かったぁ……」

「でも、明日にでも地底の住処に戻す事。それと、今後も定期的な休息が必要です。そうしないと同じ事の繰り返しです。八犬さんは強く言えないでしょうから、私から進言しておきましょう」

「あ、大丈夫です! 私も叱りますので!」

「十二支屋には、随分しっかりしたお嬢さんが入ったみたいですね」


 イチキはそう言って笑いながら、当てていた手を更に強く押し付けた。その手元からは、ほんのわずかに光が漏れているように見える。受付にある行灯の明かりに埋もれてしまいそうな、小さな輝きだった。



「どーです、どーです?」

「そう焦らなくても、すぐに目を醒ましますよ」

「なら、いいんですが。地底の住処では、どれくらい休息して貰えばいいんですか?」

「一日で十分でしょう」

「でしたら安心です。管弦祭に間に合わなかったら、どーしようかな、って思ってたんです」

「管弦祭、もうすぐでしたね。私もいい時に覚醒したみたい。……さあ、そろそろかしら」


 イチキは手を離して一歩下がり、その手を誘導するように柊の方へと向けた。入れ替わるようにして、柊が樹をのぞき込むと、すぐに彼の眉間にしわが寄り、眩しがるように瞼がゆっくりと開かれた。



「ん……んんっ……」

「樹さん! 私、分かりますか? 樹さんっ!」

「んん、うるせえな……なんでお前の声で起こされなきゃ……」


 樹はふらふらと上半身を起こし、頭を掻きむしった。それからキツい視線を柊へと向けたが、その奥にいるイチキを捉えると、彼はピタリと動きを止めた。


「あれ、イチキ様?」

「はい、私です」

「え、ええ……?」

「長らく苦労を掛けましたね。ずっと、餓鬼の中から、貴方達が持て成してくれていたのを見ていましたよ。ありがとう」

「ちょ、ちょっと……よく飲み込めないのですが……」


 珍しく焦った様子の樹は、長椅子の上で正座をして腕を組んだ。

 彼からしてみれば、説教の後に突然気絶し、目が覚めればイチキがいたのだから、すぐには飲み込めないのも無理はない、と思う。





「餓鬼は、私が同一化した生命体だったのですよ。戦争孤児でアナゴ飯を食べられないまま死んでしまった少年が、餓鬼憑きにならないように対処していたのです。ですが、柊さんが心の籠ったアナゴ飯を作ってくれたお陰で、餓鬼は餓鬼とかした思い残しを払拭できました。なので、私も表に出てくる事ができたのです」

「はあ」

「はあ、ではありませんよ? 樹ちゃん、あなた無理して地上に残り続けたせいで昏睡していたのですよ」


「な、なんでイチキ様がその事を……」

「柊さんから聞きました。しかも、今回は眷属のみんなにも影響が出たらしいですよ。少しは反省なさいな」

「あいつらにも? いつもはちょっと眠る時間が長いだけで済んだのに……」

「今回の症状は初めてだった、という言い訳ですか?」

「あ、いや、そんなつもりは……。失礼しました、反省します……。イチキ様もお勤めご苦労様でした」

 ようやく事態が呑み込めてきたのか、樹は両手を膝の横について頭を下げ、まるでやくざの出所祝いのような言動を見せた。




「私は然程苦労していません。それよりも、柊さんに労いの言葉を掛けてあげなさい」

 イチキはそう言いながら、柊の方を見て微笑んでみせた。

 樹の目が、その笑顔に引っ張られるようにして自分に向けられ、たじろいだ柊は一歩下がってしまう。それでも、樹の視線は変わらなかった。倒れている間の出来事が自分の顔に書いてあるのだろうか、と思わせるほどに、まじまじと見つめてきた。


「アナゴ料理、作ったんだったな……」

「あ。は、はあ……トラウマは蘇りましたけれど、餓鬼さんの事を考えたら、消えちゃいました」

 他にも乗りきる材料がありました、なんて言えはしない。



「そうか。やったか……。じゃあ、味覚も治ったのか?」

「それが、味覚は治ってないんですよね……克服できたのはアナゴ飯だけなんです。私、まだお母さんの死を乗り越えていないのかな……」

「いや、そんな事はないだろう」

 樹は明るい声でそう言った。気を遣っているのではなく、本音だろう。彼が気を遣う時は、もっと遠回しなのだ。



「トラウマは消えたんだろ? 普通に乗り越えてるじゃないかよ」

「でも、味覚は……」

「そっちは知らん。が、一つ乗り越えられたんだから、時間の問題じゃないのか? 或いは、母親の死に起因するって医者の診断が違っているのかもな」

 言われてみれば、誤診の可能性は否定できない。なにか、自分でも気が付かないようなストレスを抱えているのだろうか。あるいは、自分の体の中で何が起こっているのだろうか。それはそれで不安に駆られてしまい、下を向いて考え込んでしまう。




「おい、辛気臭い顔すんなよ。それでも広島の料理人かよ」

「だって、不安に……えっ?」

「それでも広島の料理人か、って言ったんだ」

 樹は、なぜかむくれ顔をしながら話を続けた。


「お前は、これまでにもあやかし達の心を救ってきたが、それらは店の奴らの協力あってこそだった。……でも、今回は一人で餓鬼の心を救えたじゃねえか。飢えた心を持つあやかしを満たしてやれたじゃねえか。それって、お前が目指している広島の料理人以外の何者でもないだろうがよ。違うか?」

「アナゴ飯を作っている時は、餓鬼さんの事に必死で、考えてませんでした……。私……広島の料理人に、なれたんですか……」

「だから、そー言ってるだろうがよ! 物分かりの悪い奴だな!」

「う……うえへへ、ごめんなさい……」

「気持ち悪い顔しながら謝るな、バカ!」


 おそらく純粋な罵声が飛んできたが、あまり気にせずに、柊はにやけ続けた。

 そうだ。

 そのとおりだ。

 確かに、広島の料理人そのものじゃないか。

 諦めていた夢が、目標になり、そして叶ったのだ。

 自分の料理人としての人生が本格的に始まるのだ。

 祖母、そして母の二代が立っていた舞台に、自分もあがる事ができたのだ……!




「ったく。勘違いするなよ、柊。料理の事は詳しくねーけど、まだまだお前はヒヨッコには違いないんだからな」

「ちょっと樹ちゃん。労いなさいと言いましたよね?」

「うへへ……大丈夫です、イチキ様。こんなに嬉しい誉め言葉はないですよ」

 イチキのフォローにそう口を挟んだが、言い終える頃には、ようやく顔を引き締める。本当に労われるべきは、自分ではないのだ。




「そうだ。樹さんこそ、これまでありがとうございます」

「んだよ、急に」

「手の事、体調の事……みんなに心配かけないようにずっと頑張ってたんですよね。八犬さんから聞きました」

「……やっぱり、あいつから漏れたのか。他に知ってる奴いねえしな」

「ええ、バレちゃいました。だから、これからはもっと休んでください。そして、みんなを頼ってください。八犬さんも、浅野さんも、他の十二支のみんなも……あと、私も。神様だからって、一人でなんでもしょいこんじゃダメですよ」



 柊の言葉を受けて、樹は神妙な表情になった。返事はしないし、頷きもしない。この強情な神様が『自分で背負う』というワガママをすぐに改めないのは、柊も分かっている。だから、返事はなくても良い。頼ってもらえるまで、自分達からフォローしていけばいいのだ。

 ……もっとも、彼が抱えていた問題のなかには、もうフォローしなくて良い要素もある。

 柊は、パン、と両手を鳴らして話を区切ると、イチキの方を向いた。





「さてと。イチキ様!」

「あら、私にも何か?」

「……実は、もう一つ折り入ってお願いがあるのです。いえ、イチキ様だけじゃなく、三女神の皆様へのお願いなのですが……」

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