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その3 柊一人

「なんなんですか、あの態度!!」

 自分の部屋に戻るや否や、柊は大声を張り上げて足を踏み鳴らした。

 離れに向かううちに、樹への怒りが加速度的に高まり、一緒に来てくれた八犬に気を遣えないほどには激しているのである。


 心構えが甘かったのは否定できないが、一方的にクビを宣言する樹のやり方だって間違っている。いいだろう。クビだと言うのなら、出て行くだけだ。浅野が勧めてくれたとおり、完全な人間社会に戻った方が、先々の為でもある。今後の身の振り方を一択にしてくれたのだから、その意味では樹に感謝しても良い。


 早速、荷物の整理でもしよう……そう思ったところで、背後からの視線に気が付いて振り返る。部屋の入口に立っている八犬が、いつになく真剣な表情で見つめていたのだ。




「ごめんなさい、八犬さん。でも、あんな扱いされちゃ、私……」

「お怒り、ごもっともだと思います。あそこで話を切られては、良い気分はしないでしょう。樹様の態度も考え物です」

「……あ、はあ。それは、確かにそうですが」


 空気の抜けたような返事を漏らし、八犬を見つめる。

 彼は、何があろうと樹の味方だと思っていたのだが、違うのだろうか。


「私も、樹様と柊さんを剥がすのは、少し心苦しくありました。ですが、ああする他ありませんでした。ご容赦ください」

「八犬さんは、複雑な立場ですからね」

「そういう意味ではなく……」


 八犬は肩を落として俯いた。視線の先に答えが書かれているかの如く、なかなか顔を起こそうとはしないが、前髪の隙間から見える目には、愁いの色があった。





「……実は、樹様に口止めされていた話があります。浅野様も、他の眷属達も知らないのですが、これ以上、私だけが知っておくのは好ましくないでしょう」

「重大な話、みたいですね」

「ええ。……樹様は体調が極めて宜しくないのです」


 どう悪いのか、という疑問がまず浮かびあがる。

 だが、そこもすぐに話してくれるだろうし、何よりも八犬の沈痛な様子が、不調の程度を物語っている気がして、柊は頷いて先を促した。


「おそらくは先程も、それを隠す為に、柊さんを追い払われたのだと思います」

「確かにさっきは、つらそうでしたね……」

「ええ。もっとも、体調不良は昔からなのですが」

「私も、他に思い当たる節はあります。十二支屋を運営している理由を教えてくれた時なんか、凄く顔色悪かったですよ」

「そのお話は聞かされていたのですね。であれば、話は早い。そもそも、樹様は地上に出ている状態が好ましくないのです」

「……それ、私が聞いても良いお話ですか?」

「先程も申し上げましたが、聞いて頂くべきだと思います。それほど重要な問題ですし、樹様と柊さんの間にも、不毛な仲違いが生まれてしまう。樹様が口止めしている理由も、みんなを心配させたくないだけですからね」


 八犬はそう言いながら、スリッパを脱いで室内に上がり、畳に正座する。

 柊も同じようにして向き合うと、八犬は小さく深呼吸をして話を再開した。




「あやかしは、人間の認知と恐怖心を糧に活動しますが、実は樹様ら神様も似たようなもので……こちらは信心を糧に、活動する事ができるのです」

「あ、そんな話、前にちょっとだけ聞いた気がします」


「人は、神社や祠で神に祈願しますよね。悪い言い方をすれば自身の欲求を晒しているわけですが、それだけに想いは強く、信仰心が非常に高まる瞬間でもあります。それが、地中の住処におわす神様に届く事で、糧となります。樹様もその例には漏れません。現在は厳島神社の祭神ではありませんが、ご存知のとおり、大鳥居にはその名が刻まれており、宗像三女神ほどではありませんが、信仰もされていたのです」


 話を聞いていくうちに、部屋に緊張感が満ちてくるのが分かる。


「それじゃあ、その住処を出て十二支屋で働いている樹さんは……」

「長らく、信心を得ていません」

「今だって大鳥居の近くにいるじゃないですか。信心は届かないんですか?」


「近いとはいえ、神社の敷地外ですからね。神域、という言葉があるでしょう? 厳島神社に関わらず、神社の境内には妙に段差が設けられていたり、注連縄や柵が用いられているかと存じます。あれは、いわゆる境界線なのです。そこを越えている以上は得られません」

「じゃあ、樹さんの方から神社に向かえば……」

「まったく得られないとは言いませんが、気休め程度の微弱なものです。その効力で数百年地上に滞在したわけですが、もう限界ですね」

「そんな……」


 ふと、樹が教えてくれた、あやかしの生態を思いだす。

 確か彼は、人から忘れられたあやかしは、無に帰すと言っていた。

 同じ法則が、神様にも当てはまるのだとしたら……、


「……このままだと、樹さん、どうなるんですか?」

「そこまでは私も分かりません。ただ、あまり好ましい状態にはならないでしょう。既にその予兆が見えています」

「もしかして、変則的な睡眠がそうなんですか」

「そうですね。ですが、もう一つ。手にも影響が出ています」

「手……?」


「……これも口止めされていた事ですが、樹様は手が麻痺しています。どの程度の症状かは私も分かりませんが、以前はそのような事はなかった。おそらく麻痺も、信心が不足した影響かと」

「ま、麻痺って……別に、そんな風には見えませんでしたよ? 初めて十二支屋に来た日だって、うどんこねてくれたし、琵琶だって……」


 ……いや。

 そんな風に見えていただけで、気が付かなかったのだ。

 よくよく思い返せば、うどんをこねる彼の手つきは随分と荒々しかったし、琵琶だって上手く弦を弾けていなかった。


 彼は、ずっと、人知れず苦しんでいたのだ。

 自分を削り、心配させないようにそれを隠して、あやかし達の為に奮闘していたのだ。


『自分を削る覚悟もねえじゃんかよ』


 聞いたばかりの言葉が、頭に響き渡る。

 だというのに、自分は無理だ無理だと言うばかりだった。自分の状況ばかり考えて、あやかしの事は二の次、三の次になっていた……。





「そんな……樹さん……」

 唇が、震える。

 それを強く噛み締めても、心の震えは止まらない。

「琵琶も、昔は普通に下手だったのかもしれませんが、近年の腕前は確実に麻痺によるものでしょう。境目は分かりませんが、今はもう、それは重要ではありません」

「そう、ですね。樹さんの体が心配です」

「さすがにこれ以上無理はさせられません。改めて、しばらく地中で休むよう進言します。柊さんが本当にお店を辞められるのであれば、私には止められません。ですが、希望を述べさせて頂ければ、樹様に安心して休息して頂く為にも、その日までは残って頂けませんでしょうか」

「はい……」


「ああ、良かった……ご無理を言いまして申し訳ありません」

「無理なんかじゃ、ありません。……私も、十二支屋の一員です。眷属じゃないけれど、みんなの仲間です。……先の事はまだ分からないけれど、主人の樹さんが休むのでしたら、それだけは見届けないと……」

「柊さん……」


 柊の宣言を、八犬は穏やかな表情で受け入れてくれた。

 その顔付きのままで深く頷き、ゆっくりと腰を上げ……、

 ……そして、彼は、その場に崩れ落ちた。



「えっ……?」

 何が起こったのか理解できず、身体が硬直する。

 だが、何度瞼を瞬かせても、目の前で八犬が倒れている事実は変わらない。

 やや間があって、柊は弾きだされたように八犬に寄り、上体を抱え起こした。



「ち、ちょっとっ! どうしました、八犬さんっ!?」

「い、樹……様……」

 八犬の唇が、辛うじて音を漏らす。

 間近で見る彼の瞳は、まるで死んだ魚のように濁っていて、生命というものが感じられなかった。


「八犬さん、八犬さんっ!」

「樹様に……何か、起こりました……だから……眷属達に、影響が……」

「じゃあ、今頃、みんなも同じように……?」

「おそらく……。樹様を、樹様を助ければ、みんな……」

 八犬の言葉が途切れ、同時に瞼が閉じられた。シャッターが落ちるかのように、ピシャリと閉じられて、再び開く事はないような予感のする動きだった。


 慌てて体を揺するが、反応はない。あまり刺激しない方が良いかと考え、畳に寝かせて立ち上がり、自身の震える肩を落ち着かせようと、自分の手で抱いた。


 一体、どうしたものだろうか。

 このまま、八犬を寝かせておくのは気が引けるが、彼の言葉を信じるならば、他のみんなも同じように倒れているんだろう。それはそれで放っておくわけにはいかない。餓鬼の事もちらと、思いだしたが、今は彼に料理を出し直している場合じゃない。今回は軽んじているわけじゃないけれど、人命が懸かっているのだ。




「まずは、みんなを助けないと……その為には、樹さんを……!」

 いつまでも、ここにいるわけにはいかない。

 柊は意識のない八犬に深く頭を下げると、両手を強く握りしめながら部屋を飛び出した。








 ◇








 受付に駆け付けると、樹は長椅子に仰向けで倒れていた。

 手足が長椅子に収まらず、だらりと垂れているのを見ると、猛烈な不安に苛まれる。


「樹さん! 起きてください、樹さん!!」

 必死に声を掛け、彼の頬に手を当てて覗き込むと、柊の全身に強烈な悪寒が走った。樹の頬は赤味が差さずに白っぽくて冷たく、閉じられた瞼も動く気配がないのだ。


 ……これは、半年前と同じだ。

 病院で対面した、母の遺体と同じだ。

 いや、落ち着け、福間柊。彼の活動の源が信心ならば、信心で稼働する体の作りも、人間のそれとは違うはずだ。母の状態を、そのまま照らし合わせるのは間違っている。




「樹様はそちらですか!」

 慌ただしい声が柊の耳に届くが、眼前の樹のものではない。振り返ると、荒い息をした浅野がこちらに向かっていた。

「浅野さん! 良かった、無事で……」

「柊さんもご無事でしたか。突然、みんなが倒れたので驚きましたが、これは一体……」


 浅野は、信心不足の状況を知らないのだろう。

 少し躊躇したが、話しておくべきだ、と判断した。




「……八犬さんが倒れる前に聞きました。樹さんへの信心不足が原因だそうです。樹さんが活動するには人間の信心が必要なのに、地上で活動しているから、それが得られないって……」

「では、他のみんなも倒れていたのは……」

「ええ、樹さんの影響らしいです」

「なるほど」


 浅野は短く頷くと、樹の傍で腰を落とし、顔を覗き込んだ。

 だが、特に何かする事もなく、すぐに柊へと向き直る。


「おそらく、柊さんが聞いた話に間違いはないのでしょう」

「じゃあ、やっぱり樹さんを助けないと。どうしたらいいんでしょうか?」

「……申し訳ない。それは、柊さんで考えてください」

 浅野は苦渋の表情でそう告げながら立ち上がった。


「あ、浅野さんは……?」

「私は、至急行かねばならない所があります」

「この緊急事態に、どこに!」

「羊子ちゃんを、おつかいに出しているのですよ……」

「あっ……!」


 これは、ゆゆしき自体かもしれない。外にいる彼女が倒れているとすれば、大ごとになっているはずだ。突然の気絶に驚いた周囲の人が救急車を呼ぶような状態なら、まだマシだろう。最悪、車に轢かれている可能性だってある。




「……分かりました。浅野さんは、羊子ちゃんの安否確認を。お店のみんなは、私に任せてください」

「お願いします」


 浅野はそう告げると、余計な言葉は何も加えずに十二支屋を出て行った。

 それを見届けてから、柊はもう一度樹に向き直る。

 信心が不足しているというのなら、直接信じてみてはどうだろうか。

 柊は長椅子の脇に膝をつき、彼の片手を、両手でしっかりと包み込んで、頭を垂れた。


(樹さん……ううん、伊都伎嶋神様……)


 握り潰してしまうのではないだろうか、と思えるほどの力を加えながら、心中で彼の名を呼ぶ。

 どうすれば信心が伝わるのかは分からなかったが、ひたすらに彼の復活を願い続けた。


 目を覚まして。

 目を覚ましてください、伊都伎嶋神様。

 あなたを、信じます。

 神様を、信じます。

 夢中になり、ただただ祈り続ける。どれだけの間、そうしていただろうか。樹からはまったく反応がなく、その代わりに一つの推論が浮上して……柊はようやく手を離した。


「……私にとって、樹さんは、神様じゃない……」


 そうなのだ。

 彼は、出会った頃から樹なのだ。正体を知ったあとも、樹という一個人なのだ。その証拠に、ついさっき八犬に対して『主人の樹』と言ったばかりだ。八犬が言っていた『樹が直接厳島神社に行っても効果が薄い』という話も、今は樹だからなのかもしれない。


「ダメだ、このままじゃ……!」

 震えそうな体を、のろのろと起こす。


 他に解決策は何も思い当たらない。柊は見つからない答えを探して、十二支屋の母屋を歩き回り始めた。浅野から聞いていたとおり、館内の至る所で眷属達が倒れている。無駄とは分かりながら三人ほどに声を掛けてみたが、返事も答えも返ってこなかった。




「……どうしよう。分からないよ、助けられないよ、私ひとりじゃ……」

 次第に、責任の重さが恐怖心に変わり、心を押し潰していく。


 みんな、死んでしまう。

 また、大事な人を亡くしてしまう。

 よろけるような足取りで、柊は中庭に出た。時刻は、多分午後九時を過ぎた頃だろう。虫があちこちで鳴いている。気持ちのせいだろうか、夜風は涼しいどころか、死霊の冷気のようにさえ感じられた。



「誰か、答えを教えて……」

 悲痛な声が漏れるが、当然、どこからも返事はない。

 神様の事なんて、人間の自分には何も分からないのに、相談できる眷属がいないのは致命的だ。では、他には誰か頼れる人がいるだろうか。十二支屋の日々で出会ってきた者達の顔を一つ一つ思い浮かべ……その途中で、柊はハッと目を見開いた。


「そうだ、宗像三女神……神様の事なんだから、神様なら助けてくれるかも……!」


 宗像三女神なら、眷属達よりも有力な助っ人と言って良いだろう。だが、彼女達は福岡にある自分の神社へと帰っている。管弦祭の日には来てくれるそうだが、それまで樹らが無事でいられる保証もない。

 空を見上げれば、月が強く輝いていた。それをじっと見つめながら、今すぐ助けに来てください、と神頼みをする。望み薄だとは分かっていても必死に呼びかけ続ける。


 すると……その祈りには、返事があった。




「あれ……今……」

 柊は月を見上げるのを止め、辺りを見回した。

 虫の音に交じって、琵琶の弦のような音が聞こえた気がしたのだ。


 耳を澄ますと、それが新明座の方から聞こえてきたのだと分かる。現在柊が立っているのは、母屋から中庭に繋がる出入口付近だ。母屋にいる樹の意識が戻り、何か理由があって新明座で琵琶を弾いている可能性はないだろう。加えて言えば、聞こえてくる音はちゃんとした音程を成しているのだ。……しかし、そうなると、一体誰の仕業なのだろうか。


 考えていても仕方がない。柊は、なおも聞こえる音色に誘われて、新明座へと向かった。

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