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その2 十二支屋の秘密

 冷蔵庫を開けた柊は、思わず目を細めてしまった。


 料理を扱っていないという割には、多少の食材が揃っている。生ものや野菜類はほとんど無く、あっても日持ちがするものばかりだ。八犬から聞いた話では、一部の従業員が賄いくらいは作るそうなので、それ用の材料だろう。


 それはそれで、良い。

 柊を感心させたのは、食材の配置だった。種類別で奇麗に整頓されているので、料理をする時に食材を探して冷蔵庫をひっくり返すような真似はしないで済むだろう。



「ああ……いいなあ。いい……」

 しばしの間、冷蔵庫内の構成に見惚れてしまう。


 高校の頃、料理部の友人から「そんなの見てて、なにが面白いの」と言われた事があったが、冷蔵庫が織りなすストーリーが分からないとは無粋なものだ、と思う。

 ここからは利用者の性格も伺える。おそらく、折り目正しく大らかな性格なのだろう……と、十二支屋の賄いを取り巻く物語を妄想しかけたところで、今はそれどころではなかったと思い直す。吊戸棚も開けてみると、小麦粉や調味料の備蓄が目に入った。これなら、うどんを作れるだろう。料亭で作った経験はないけれど、個人的にならある。



 ボールに小麦粉と食塩水を入れて掻き混ぜ、こなれていく度に食塩水を追加する。ダマができないように小麦粉を潰しているうちに、食塩水となじんだ生地が黄色くなっていく。団体客は十人と聞いているので、生地もたくさん必要になる。


 生地が綺麗に混ざり合ったら、ここからが本番だ。こねて寝かせてを二度繰り返すのだが、麺にコシを出す為に重要な工程なので、絶対に手は抜けない。


 手のひらで生地を押し潰すたびに生地のひび割れが減っていく。それを三度ほど繰り返せば、生地一つ分がこね終わる。そのまま二つ、三つ、四つとこなしていくうちに、腕が重くなってきた。


 こうも力のいる仕事だとは思わなかった。考えてみれば、自分でうどんを作った時は、自分一人分で済んでいたのだ。力の伝え方にコツがあるのかもしれないが、それを掴みきれず、生地と長時間格闘せざるを得ない。



 ……そんな柊の手の甲が抑えられたのは、額に汗が浮かび始めた頃だった。



「あ……」

「よう、やってんな」

 和服の袖をまくった樹が、そう声を掛けながら、手にかける力を強めてくる。

 ちょっとだけ痛かったが、不思議と、安心感を覚えるような痛みだった。


「……樹さん、なにしてるんですか?」

「こねるの手伝ってるに決まってるだろ。手は洗ったぞ」

「そうじゃなくて! どうして来たのか聞いてるんです」

「手伝いが必要だったんだろ? 八犬からそう聞いたぜ」

 確かに八犬にはそう伝えていたが、樹が来るとは思わなかった。

 受付での一件は、もう怒っていないけれど、ちょっとだけバツが悪い。一方の樹は、まったく気にしていないようだった。



「手伝いは、最後の味見だけで良いんですが」

「ま、強がんなって」

 樹はそう告げると、生地との間に割り込んできた。完全に取り上げられてしまった生地は、さっそく、彼の手によって潰されはじめる。

「ここにある生地、全部潰せいいんだよな」

「はい。……寝かせた後で、もう一度潰してもらいますが」

「おっし。後は全部任せとけ。ところでなに作ってんだ?」

「うどんです。食材が少なくても美味しく作れますよ」

「なるほどね。十人分ちょうどなのか?」

「失敗した場合を考えて、少し多めに用意しています」

「んじゃ、余ったら八犬にでも食わせてやってくれよ。あいつにゃ苦労かけてるからな」

「それは、構いませんが……」

 頷きながら、近くにあった椅子に腰かけ、樹の作業を眺める。

 力加減が下手なのか、生地は必要以上に潰されていたが、それでも力弱いよりはよっぽどいい。



「あの……ありがとうございます、樹さん」

「馬鹿。礼を言うのはこっちだよ。八犬を助けてくれて、ありがとうな」

「出しゃばっちゃったんじゃないかと、ちょっと心配でしたけど……」

「んな事ねーよ。八犬は感謝してたぜ。それだけにお前を手伝いたがってたが、今日は数年ぶりの団体客宿泊日だから、あいつにゃ従業員の指揮を執ってもらわねえとな」

「それで、代わりに樹さんが来てくれたと」

「どーせ、俺は琵琶以外にやる事ねーからなー」

 柊の方を向いた樹が、わざと口をとがらせながら言う。

 どうやら、悪い人ではないらしい。


「あははっ、そう拗ねないでもいいじゃないですか」

「それも、どっかの配慮に欠ける女に、下手って言われる程度の腕だしなー」

 どうやら、口の方は、相変わらず悪いらしい。




「……そんな事より、ちゃっちゃとこねてください!」

「おまけに人使いも荒いときたか」

「樹さん!」

「へいへい、分かってますよ」

 樹は投げやりな口調でそう言ったが、嬉々とした表情で作業に戻った。

 さて、こうなると自分も休んでばかりはいられない。

 柊は苦笑しながら立ち上がり、次の工程の準備へと取り掛かるのであった。






 ◇






 宴会場は、思いもよらない造りをしていた。


 庭の奥にモダンな二階建て劇場が建っていて、そこが宴会場だったのである。壁はコンクリートのようで、木枠の窓が多数備え付けられている。二階外壁には『新明(しんみょう)座』の文字が彫られているらしいのだが、今は夜が更けている為、そこまで読みとる事はできなかった。


「宮島には、昔は芝居小屋がいくつもあったのですよ」

 新明座へと続く石畳を歩きながら、八犬がしみじみと語る。

「歌舞伎、人形浄瑠璃、軽業、からくりの見世物小屋もありました。四季それぞれに市が立ち、その際には大いに賑わったとされています」

「宮島にそんな伝統文化があったんだ。私、全然知らなかったな」

「そうですね。厳島神社の能舞台は有名ですが、神社の外でも芝居をしていた事は、あまり知られていないかもしれません」

「現存している小屋は、他にはないんですか?」

「ここだけですね。新明座は宮島歌舞伎が廃れるのに抗うかのよう、明治初期に建ちましたが、改装はしていますので、当時の造りそのままとはいきません。さあ、こちらへ」



 八犬に先導されて中に入り、小さな受付を抜けると、畳敷きでテーブルが置かれた客席に辿り着いた。中には、八犬・羊子と同じ法被や和服を着た男女が、十名以上はいるだろうか。二階には桟敷席もあったが、そっちは無人になっている。舞台の上には、琵琶を抱えた樹が座っていて、柊がやってきた事に気が付くと、彼は片手を上げて挨拶を送ってきた。


「よーう、来たな。柊!」

「こんばんは。お客さん、喜んでくれたそうですね」

 客席に座る者達に目礼しつつ、樹に近づいて返事をする。

「おう。あいつらの態度、お前にも見せてやりたかったぜ」

「そんなに喜んでたんですか」

「まーな。特に社長とやらが絶賛したんだが、幹事が自分の手柄だと口を滑らせてよ。そこから無理な注文だったのが露見して、社長が幹事と一緒にペコペコ謝るおまけつきだ」

「あはは……まあ、そっちも溜飲が下がったのは良かったですね」

 確かにスカッとする話だが、柊はうどんの味で頭がいっぱいだった。

 うどんの味は樹に見てもらっただけなので、どうしても不安が拭えず『夕食に協力してくれたお礼に、ささやかな宴会を開く』と言われても、まだ半信半疑だったのだ。

 機嫌の良さそうな樹の声といい、集まっている従業員達の笑顔といい、本当に上手くいったようである。

 その従業員の中に、羊子の姿を見つけた柊は、彼女の隣にちょこんと正座した。



「こんばんは、羊子ちゃん」

「柊ちゃん、こんばんは~。八犬さんを助けてくれたみたいで、あんがとね」

「大した事はしてないよ」

「ううん。大しとる大しとる。ほら、柊ちゃんも好きなものをどーぞ」

 従業員達は、いくつかの菓子袋やジュースを取り囲んでいた。断るのも悪いので、言われるがままに紙コップのジュースを手に取る。


「よし、みんな飲み物は持ったな」

 樹が、待ち構えていたかのようにそう言う。飲み物を持たずに琵琶を持っているのは、彼だけだ。

「今日は数年に一度の団体客だが、そこにいる客……あいや、いらっしゃるお客様の……」

「無理に敬語使わないでいいですよ。今更です」

「う、うるせえな! ……えー、そこにいる柊という奴のお陰で窮地をのりきる事ができた! そーいうわけで、彼女に感謝の意を示すべく、これより宴を開くぞ。よし、みんな騒げ! 乾杯だ!」


 従業員達は綺麗に呼応し、宴会が始まった。樹の相変わらずな琵琶がバックミュージックになり、従業員達の賑やかな会話が、小さな劇場に響き渡る。飲食物は学生の打ち上げレベルだけど、むしろ親近感が沸いて、柊の気分も高揚した。雑談を持ち掛けてくる者も多く、彼らと話し込んでいるところへ、羊子が腕を取りながらまた話しかけてきた。



「ねーねー、柊ちゃんは、なしてうどんを作れたん?」

「料理は、小さい頃から好きだったからかなあ」

「ほうなん」

「うん。……高校を卒業したあとは、一応、料亭でも二年近く働いていたんだ」

「料亭! ぶり凄いねえ」

「といっても、下働きだよ。……それに、色々あってクビになったんだけどね」

「なら、うちで働いてくれんかなあ。ねえ、樹様、それにみんな」

 羊子は両手をぽんと打ち鳴らし、彼女にしては珍しく口早に言った。

 八犬だけじゃなく、羊子まで樹に『様』を付けているのは気になるが、それよりも突然の申し出の方が、柊にとっては衝撃的だった。



 まさか、また包丁を握れるのだろうか。

 ……いや、うぬぼれちゃダメだ。

 今日はたまたま。料理したのもたまたまだし、上手くいったのもたまたま。

 そう自分を戒めて唇を噛み、舞台上の樹を見上げる。彼は琵琶を弾く手を止めて、難しそうな顔を作ってみせた。



「うーん、確かに料理人はいないんだがなあ。お前らはどう思う?」

「妙案かと存じます」

 そう発言したのは、離れた所に正座している、大人びた雰囲気の女性従業員だ。

「ほーう。妙案とまで言うのか」

「樹様も、十二支屋が経営的危機にある事はご存知ですね?」

「そりゃ、そうだがよ。今日の収入でなんとかならねえのか?」

「御冗談を。それに、入院中の浅野(あさの)様の治療費もあるのですよ。諸経費や固定資産税等も考慮すると、いっそ店を畳んだ方が良いほどの窮地です」


 浅野、とは誰なのだろうか。

 今は部外者が口を挟むタイミングではなさそうなので、その疑問は口にしない。



「店を畳むって、お前……」

「ご安心を。対策はございます」

 女性はそう言うと、そこに答えがあるとでもいうように柊を見た。

「あ……あの、私が、なにか?」

「……いえ」

 女性は柊の問いにろくに答えず、また樹の方に向き直る。


「十二支屋は広告を出さず、立地も他の店舗に隠れるような、目立たない宿です。それでも少数でも客が来るのは、宮島という観光名所の恩恵に他なりません。集客自体はさほど気にする必要はないのです。大切なのは、客を固定させる為の工夫かと」

「つまり、そこで柊に頑張ってもらうわけか」

「御明察。料理の有無は大きいかと」

 どんどん、話が大きくなっている。

 自分は、期待に応えられるような状態じゃない。それだけは話さなくてはと顔を上げた柊だったが、その前に、樹がパチリと指を鳴らした。

「……ま、考えておくか。確かに妙案だ」

「何卒ご検討を。……良かったですね、羊子」

「まったくじゃ。やったー!」

 間に入ろうとする柊を流して、みんな勝手に盛り上がる。

 だが、その中の一人である樹が、突然大声を張り上げた。



「おい馬鹿! しまえ、羊子!」



 何事だろうと、隣の羊子の方を向いて……柊の視線は、一点で止まる。

 彼女の頭部には、ぴょっこりと小さな角が二本生えていたのだ。

 被り物をしているわけではないし、そもそも作り物には見えない。正真正銘、動物の角のようだ。それも、彼女の名のとおり、まるで羊の角のような……

「よ、羊子ちゃん……頭のそれ、なに?」

「んあ? ……あ。あー……」

 羊子は寝起きのような声を出して、自身の頭部に触れた。だが、目の前にある光景は夢じゃない。角に気が付いた彼女は、なおも声の調子を変えずに言葉を続けた。



「……興奮し過ぎて、妖体(ようたい)になったようじゃ」

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