その4 神様探し
その日の晩、八犬が音頭を取って、新明座で緊急会議が開かれる事になった。
とはいっても、それほど緊迫した会合ではない。適当に飲み食いしながら、雑談ついでに管弦祭で客を呼び込む方法を考えよう、という程度のものらしい。
飲み物や菓子、漬物等を盆に乗せた柊と猿田が新明座に入ると、浅野と他の十二支眷属は全員揃っていた。樹がいないのは、まだ眠っている為だろうが、二晩目ともなれは少々気になる。だが、神様の睡眠はそういうものらしいし、柊に何かできるでもなかった。
「これで、全員ですね」
全員が着席し、飲み物が行き渡ったところで、八犬が口を開く。
自分への言葉でなくとも、柊はこくりと頷いて肯定の意思を表すと、それに応えるかのように八犬は話を続けた。
「各々知ってのとおり、十二支屋は少々窮地にあります。来月末までに再興の見通しが立たなければ、店の権利はおさん狐さんに移る事になります」
「そんなにお金がないの? 最近、お客さんが増えてるみたいだけど」
眷属達の中から、そんな声が上がる。金銭事情を知らない者にとってはもっともな疑問だろう。
「確かに収益は増加していますが、浅野様の入院代の支払いもありますので。契約書に書かれている『経営が破綻』の定義次第にもなりますが、いずれにしても、管弦祭で状況を好転させたい事に変わりはありません」
八犬がそう答えると、彩巳が小さく手を挙げた。
「彩巳さん、どうぞ」
「先程の説明に補足させて頂きます。柊さんが働くようになった際に、私からも提案した事ですが、樹様としては料理で客を固定させたい考えをお持ちです。管弦祭は、その好機というわけです」
彩巳の説明に一同が頷き、認識が統一された雰囲気になる。
次は、自分が話す番だろう、と柊は思った。今は十二支屋の危機なのだ。すべて曝け出して、みんなで解決方法を考えなくちゃいけないのだ。
「私からも、いいですか?」
「はい、柊さん」
「えっと……もう一つ話しておきますと、みなさんご存知のとおり、私は味覚がありません。あと、ちょっとトラウマがあってアナゴ料理も難しいんです。その上で、なんとか集客できる意見があれば、と思うんですが」
「はい、はいはい!」
神妙な空気になってしまうだろうか、という危惧はあったが、そうなる前に猿田が勢いよく挙手をした。多分、素でやっているのだろうが、非常にありがたい行動だった。
「猿田さん、なんでしょう」
「おう。別にアナゴ飯にこだわる必要はないと思うんだよな。と言うのも、今日留守番しながら考えてたんだけどよ。なんでもやるってのはどうだろう」
「なんでも……と言いますと?」
「なんでもは、なんでもだよ! もみじ饅頭も、カキも、しゃもじも。もちろんその他の土産物も、宮島っぽい食べ物も、ぜーんぶ売るし、ぜーんぶ作るんだ。そしたらアナゴ飯の分ぐらい補えるだろ?」
「面白い考えだと思います! ……ただ、準備期間が一ヵ月しかないのが、難しいところなんですよね……」
「ダメかな。全部扱うようになったら、俺も買い食いせずに済むんだけどな」
「ちょっと、猿田さーん!」
やっぱり猿田は、良くも悪くも猿田である。それに、苦言として口にはしづらいが、あれこれ手を出して迷走する軽食屋のようで、成功する光景が想像しづらい。
柊が難しそうな顔をしていると、今度は羊子が手を挙げた。
「はーい。あたしも考えたよ」
「お。市場調査の甲斐があったかな」
「うちも揚げもみじ売るんよ。八犬さんがまっしぐらになるくらいじゃけえ、きっと売れると思うんよ」
「な、何を!」
八犬が両手を掲げて、それ以上の発言を遮るような仕草を見せる。しかし、それが呼び水になったかのように、話を聞いていた他の面々が次々と私案を口にし始めた。
雑然とした会話が繰り広げられる中、柊はそれらの意見になるべく耳を傾けはした。頭ごなしに批判せずに、極力前向きに考えるようにはしたが、残念ながら、どれも現実的ではない案だった。
でも、各々なりに考えられた意見ばかりで、その点については感心できる。それだけ十二支屋や樹が好きなんだろう。
「……あの、良いでしょうか?」
不意に、浅野がゆっくりと口を開いた。
すると、音量スイッチを切ったかのように、みんな喋るのを止めて浅野に視線を集める。その行為に驚いたのか、浅野は苦笑しながら後頭部を掻いた。
「……そう清聴されると、緊張しますね。私の意見は、直接的な料理案ではないのですが、構いませんでしょうかね」
「是非、お願いします」
「それでは……私、柊さんの状態はほぼ伝聞でしか聞いておりませんので、もしかしたら見当違いな話をするかもしれませんが……味覚の件、回復の見込みはないのでしょうか?」
「それが、ないんです。お母さんが亡くなったのは、受け入れているつもりなんですが……」
その問いには、柊が答える。
十二支屋の生活に慣れるのに頭がいっぱいで、あまり味覚問題と向き合ってはこなかったのだが、母の死は受け入れているつもりである。だが、まだ何か前を向けていない部分があるのも、否定はできない。
「なるほど。ですが、イチキ様の件はどうなっていますか」
「イチキ様の件って……宗像三女神が揃えば味覚を直してくれる、あの話? そーいえば、私はまだ探していないかも……」
「そうでしたか。八犬さん、過去にはどの程度探しましたかな?」
浅野が八犬にそう尋ねる。
「もちろん、イチキ様が失踪されて間もない頃は、厳島神社近辺等を何度か探した事はあります。ですが、近年は浅野様もご存知のとおり、あまり……」
八犬が回答すると、浅野は我が意を得たりと言わんばかりに頷き、みんなを見回した。
「でしたら、どうでしょうか。明日、イチキ様を探してみませんか? アナゴ飯が作れずとも、味覚が戻れば、他の料理でお客様を引き込めます」
「それに、柊さんの状態も改善する、と。得られるものは大きいですね」
八犬がニコニコとしながら相槌を打った。
「柊ちゃん、味分かるようになるん? ええの、ええの!」
「妙案かと」
「おお、いいねえ! そしたらみんなで飯食いに行こうぜ!」
八犬の言葉に同調し、他の眷属達も盛りあがりはじめる。
味覚回復は副次的な要因のはずなのに、まるで十二支屋の復興と同じくらい大切と言わんばかりに、喜んでくれているのである。
その高まりにはグッとくるものがあった。
まだ働き始めて一ヵ月なのに、そこまで気にかけてくれるのが、心から嬉しかった。……ただ、その前に聞いておかなくちゃいけない事がある。
「ち、ちょっと待ってください。もちろんありがたい提案なんですけれど……神様探しなんて、どーすればいいんですか?」
両手を掲げて、みんなをなだめるような仕草を見せながら言う。
なにせ、相手は日本中を巡回している神様だ。どこにいるのかも分からない。そもそも、樹が以前地中で暮らしていたように、人間の目が届かない場所にいる可能性もある。
これから何をすれば良いのかまったく想像できず、どうしても不安げな表情を浮かべてしまいながら、浅野と八犬を交互に見る。
その感情に応えてくれたのは……浅野の物静かな笑みだった。
「それですが、私に少々、考えがありまして」
◇
弥山には、中学の頃に遠足で登った経験があった。
標高は500メートルそこそこだっただろうか。特別高い山というわけじゃないけれど、山頂から眺める本土と瀬戸内海は一大パノラマと化していて、ちょっと感動したのを覚えている。
浅野の考えは、その弥山に登る案であった。
もっといえば、弥山の中には寺や神社がいくつも建っているのだが、そのうちの御山神社が目的地である。山の中腹にあるので、頂上まで登るよりも、幾分かは楽と言えるだろう。登山ではなく、ハイキングと言っても差し支えなさそうな距離だった。
まずは、弥山に通じている住宅街の坂道を一列になって登る。参加者は前列から順に浅野、羊子、柊、八犬である。なるべく大勢で行きたかったのだが、一応、おさん狐が宿泊中という事もあって、十二支屋をカラにするわけにもいかない。当事者の柊、弥山の事情に詳しい八犬、発案者の浅野の他、あと一名を昨日同様にくじ引きで決め、またもや羊子がグーで強運を見せつけた。
「みんなで登山って、なんだかワクワクするのう」
前を行く羊子は、そう言いながら楽しげに肩を揺らしている。
今日の彼女は、Tシャツにハーフパンツ、それから防護用のタイツに運動靴、背中にはリュックサックといった、初めて見るラフな井出達だ。
それはもちろん、柊も他の参加者も変わらない。柊も少なからず気分が高揚していたのだが、恰好からくる非日常感が理由かもしれない。
――御山神社を目的地とした理由は、こうである。
居場所の手掛かりがない以上、少しでも縁のある場所を当たっていくしかなく、宮島で言えば厳島神社が何よりも縁深い場所になる。だが、そこは確認済みとの事なので、次点である御山神社を当たってはどうだろうか、というわけだ。
「それにしても、浅野様。御山神社も宗像三女神を祭神として崇めていると、よくご存じでしたね」
最後尾を歩く八犬が、感心の声を漏らす。
「どうも。それどころか、厳島神社の奥宮でもありましたね」
「そのとおりです。我々眷属も知ってはいましたが、完全に失念しておりました」
「子供の頃は、度胸試しでよく登ったものですからね。自然と神社にも詳しくなりました」
浅野は首だけで振り返って、穏やかに笑いながら言った。
「おや、そんな事がありましたでしょうか?」
「覚えてないませんでしょうかね。私が十歳を過ぎた頃の話だから、あの時は昭和四十五年頃かな」
「ああ……そういえば、天狗を探しに付き合わされる、と嘆いておられましたね」
「そうそう。あやかしの類は十二支屋でいくらでも見ていたから、天狗に特別興味が沸く事はなかったんだけれども、当然、学友達はそんな事を知りませんからね。まあ、今となっては良い思い出です」
「あの……弥山って、天狗が出るんですか?」
二人の中間にいる柊が、文字どおり会話に割り込む。
すると、浅野が完全に振り返り、後ろ向きで歩きながら返事をしてくれた。
「ええ。実は弥山には七不思議があるのですよ。ご存知ですか?」
「あー……昔、遠足に来た時にそんな話を聞いたよーな……でもうろ覚えです」
「平和記念公園にある平和の灯の元火にもなった806年に空海が炊いたとされる『きえずの火』を始めとして、錫杖の梅、曼荼羅岩、干満岩、しぐれ桜、竜灯の杉……そして最後に、拍子木の音、という話があります」
「拍子木って、火の用心の時に鳴らす、あれですか?」
「そうです。弥山では、周囲に人がいないのに、突然拍子木の音が聞こえる事があるそうで、これは天狗の仕業とされています。音が鳴っている間は家にいないと天狗に祟られる……なんて逸話があるもので、逆に学友と、天狗を探しに出かけたのですよ」
「なるほどー。私は浅野さんほどあやかしを見ていないから、天狗も見てみたいかな……」
「いや……それはあまりお勧めしませんね。七不思議のとおり、天狗には人間に害を成す者が多いのです」
浅野の動きが鈍くなる。
その代わりに、彼の声には重い緊張感がみなぎっていた。
「私が度胸試しに行った時は、学友との間でも『浅野んちの若いあんちゃん』でとおっていた樹様が同行したので手出しはされませんでしたが、弥山は霊峰です。そこで天狗を試すような行動を取るのですから、何が起こってもおかしくありませんでした。天狗の多くは人を騙し、祟り、そして襲います。近年こそ活動を控えているようですが、彼らは今も弥山の原始林の中で身を潜めています」
まるで、怪談でも語るかのような口調で浅野が言う。
その言葉を、柊は唇を噛みながら真剣に聞いた。
十二支屋に来てから、善良なあやかしばかり見てきたけれども、やっぱり昔話に出てくるようなあやかしも存在するのだろう。半端に慣れている今の自分なんかは、特に注意しなくてはいけない。
「……き、今日は樹さんがいませんよね。大丈夫かな……」
「私が居ますのでご安心を。我々は妖体となる事で、通常の比ではない身体能力を有する事が可能となります」
柊の不安には、背後の八犬が答えてくれた。
そう言われれば、万引き男を捕まえた時の身のこなしは尋常ではなかった。外見の変化はなかったけれど、あれも妖体とやらなのかもしれない。
「そうそう。天狗の一匹や二匹、どうって事ないけえの!」
「随分と自信がありますね、羊子。あなたは妖体になっても、角が生える他は、睡眠時間と食欲が増すだけでしょう?」
「ほうじゃったわ。八犬さん、よろしゅう頼むわ」
羊子の発言に緊迫した空気が和らぎ、小さな笑いが沸き起こる。
「ふふっ、分かりました。天狗程度でしたら、私一人でも遅れを取る事はありません。……さて、浅野様。まだ登るのですよね?」
「ええ。先にある紅葉谷公園を抜けたらロープウェー駅がありますが、お金がかかるので、脇にある登山道を進みましょう。なにせ、今の私達は金欠です」
八犬の問いに浅野が答え、いよいよ本格的に登山が始まった。住宅街を抜けると、舗装された道路の代わりに土を踏み歩く事になり、周囲を囲むのも民家から木々へと変化し始めたのだ。
昨日同様に空には雲一つなく、零れ落ちる木漏れ日からは、梅雨の終わりが感じられた。実際、じわりとした暑さも感じられる。時刻は午後三時を過ぎたところだった。
「この調子だと、汗、結構かきそうですね」
「辛くなったら休憩しますので言ってください。体を壊したら本末転倒です」
背後から八犬がそう言う。
「そですね。でも私、これくらいなら全然へっちゃらですよ! 体を動かすのも嫌いじゃないです」
「であれば良いのですが……柊さんは人間であり、女性です。本当に大丈夫なのか、私では測りにくいものでして」
「ありがとうございます。でも私より……本人には直接言いにくいんですが、浅野さんは大丈夫なんでしょうか? 退院したばかりだし、それに、その……」
柊は歩調を緩め、八犬と並びながら小声でそう尋ねた。
年寄扱いしおって、などと怒るような人ではないと思うのだが、どうにも気兼ねしてしまう。
だが、八犬はゆるりと目を細めながら頷いた。
「もちろん心配ですよ。ですが、あの方は意外にも頑固なところがありまして、休息を勧めれば、むしろ前にグイグイ出ようとすると思います。なので、そこを補佐しますよ」
「頑固、ですか。温和そうなんだけどな」
「二十代の頃は相当ヤンチャをしていましたよ」
「ええー? 想像しにくいですね」
「詳しい話は、いつか本人から聞いてください。……ですが、一本筋は通っていました。今も昔も、家族を大事にするという筋をお持ちの方です」
そう言われれば、十二支屋のみんなは家族、みたいな事を言っていた気がする。
「私達眷属が民宿で働いているのは、樹様の為であって、本来、給料の類は不要なのです。だというのに浅野様の代になると『それではつまらないだろうから』との意向で、お給金を頂ける事になりました」
「まるで、家族経営の民宿ですね」
「ええ。なので浅野様にとっては、十二支屋は自分達家族の家という事でもあります。なので、頑固なまでに頑張る方ですし、我々もあの背中に引っ張られますよ」
「……家族」
柊は、それだけぽつりと呟いて、視線を先頭の浅野に移した。
そこにあるのは、なんの変哲もない、初老の男の背中。
だが、なぜだろうか。今はそれがとても広く見える。
柊にはそれがとても頼もしく……
……そして、羨ましく見えた。