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宮島あやかしお宿飯 ―神様のお宿で料理人やってます―  作者: 加藤泰幸
第二話『サトリとアヤカシオタク』
12/25

その6 靭猿

 柊が母屋へ足を踏み入れるのと同時に、遠くから弦の不協和音が聞こえてきた。

 誰の仕業なのかは、もちろん分かる。眉をひそめて音を辿っていくと、樹は受付傍の長椅子に腰かけて琵琶を弾いていた。


 受付の照明は行灯だけで薄暗く、その中で響く琵琶の音色は不気味である。

 あやかしでも出そうな雰囲気だな、と思った柊は、既に出ていたのを思いだし、一人で苦笑しかけた。

 だが、すぐにその表情を引き締めて、樹に歩み寄る。



「樹さん、起きたんですね」

「お……柊か。八犬に起こされちまったよ」

「あまり寝すぎると、夜眠れなくなりますよ」

「人間の尺度で言うなよ。俺の睡眠は独特なんだ。変な時間に眠くなったり、数日眠りっぱなしだったり、夜中に起きてたりな」

「だからって、夜中に琵琶は迷惑ですよ」

「ま、固い事言うなよ。ご近所までは届かない音量だし、客は二人とも新明座だろ?」

「非常識です。ダメ!」

「ちぇっ。お前は本当に口うるさいよなあ」


 樹は悪態を付きながらも、琵琶を長椅子へと置いた。

 柊はそれを見届けて立ち去ろうとしたが、樹が手招きして長椅子の端を指差してくる。

 受付の置時計を一瞥すれば、まだ朝食の仕込みまでには余裕があるので、柊は黙って着席した。



「……がめ煮の件、どーなった?」

「気にしてたんですか」

「そりゃ、客だからな。当たり前だ」

「お陰様で、なんとかなりましたよ。山代さんにとっては、苦手だけれど思い出の料理だったみたいです。やっぱりサトリさんは嘘付いていませんでした」

「ほう。それじゃ、サトリがサトる理由も分かったのか」

「人ともっと分かり合いたい、というところまでは分かりました。でも、何故そんな気持ちを持つようになったかまでは……。樹さんが眠る前に話しかけていたのですよね」


「そうだ。……万事上手くいったのなら、無理に話す必要もなくなったが、せっかくだから教えておこうと思ってな。お前にはもう少しあやかしってものを学んでもらった方がいいし」

「じゃあ、お願いします」

「よし」

 樹は左の袖から本のようなものを取り出した。薄暗さで、書名までは読み取れない。



「新明座の物置には、昔使っていた芝居の台本がいくつか残っててな。これはそのうちの一つ、歌舞伎『靭猿(うつぼざる)』って台本だ。知ってるか?」

「それが、歌舞伎自体、全然知らなくて……。それと、サトリさんがサトりたがる理由に繋がりがあるんですか?」

「まーな。まずは内容をかいつまんで教えてやる」

 そう告げると、樹は台本を無造作に開き、小さく息を吸った。



「江戸時代の話だ。ある大名が狩りの最中に、猿回しに出会ってな。猿回しはたいそう猿を大事にしていたようで毛並みが抜群に良かったんだ。そこで、大名は猿の皮をはいで、矢を入れる筒……靭に貼り付けようと考えた。が、当然、猿回しとしては、そんな無茶を素直に聞けるわきゃねえ」


 樹の声が、だんだんと厳かなものに変わっていった。

 薄暗く不気味な受付が、ぴんと張りつめたような緊張感で満たされていく。

 柊は、いつの間にか背筋を伸ばしながら、話を聞いていた。



「猿回しは大名に散々抗議したが、結局、お偉いさんにゃ勝てねえ。『これ以上断るなら、お前も殺して猿を頂く』と言われてな。猿回しはやむなく、自分の猿を処分する事にした。まずは打ち据えて気絶させようと、杖を振り上げたんだが、猿はその杖を奪って、舟を漕ぐマネを始めたんだ。……普段、猿がやっている芸の合図だと思ったんだな」

「いじらしいんですね、お猿さん……」

「そうなると、猿回しはもう猿を手に掛けられねえ。ぼろぼろと泣き出して、大名も貰い泣きだ。結局、命は助かった。最後にゃあ、猿回しと猿が舞を披露し、大名はそれに機嫌を良くして、持ち物を下賜した、って話だ」


「大体は分かりました。そのお猿さんが、サトリさんなんですね」

「ま、そーいうこった」

「でも、それがなぜ、サトりたがる事に繋がるのかが、よく分からないんですが」


「……その先は、俺が話そう」

 廊下から、ボソリと声が聞こえる。

 顔を上げれば、暗闇の中に二つの光が見えて、柊は思わず肩を震わせた。

 声の主が行灯に近づき、それが当のサトリだと分かるまで、約三秒。生きた心地のしない時間だった。



「サトリ、さん」

「構わんかね、樹様」

「言わなくても分かるだろうがよ。俺も本人を前に語るのは気が引ける」

「ならば」

 サトリは、行灯の傍で立ち止まった。

 それから、呆然と天井を見上げる。顔が影になってしまって、表情は確認できなかった。



「……樹様の話は、あくまでも、歌舞伎『靭猿』だ。実は、これに似た出来事が存在してな」

「靭猿を考案した人は、実話を参考にしたって事ですか?」

「その事情までは詳しくは知らんが、かもしれんな。俺が知っているのは、今から語る、実際に起こった話だけだ。……確かに、俺は猿回しの杖を取った。あの頃の俺は人間の言葉は分からなかったが、芸をすると猿回しが喜んでくれるのだけは分かった。だから今回もそうだろうと思った。芸をして猿回しを喜ばせようと思った」


 サトリは、ようやく顔を降ろして柊の方を見る。

 先ほど、怪しく見えた二つの光は、今では酷く儚げに見えた。


「……だが大名は、芸だとは考えず、人間に襲いかかるつもりだ、と判断したのだろうな。俺に斬りかかったんだ。……次第に視界がボヤける中、俺が最期に見たのは、同じく斬り殺される猿回しだったよ……」

「つまり、それが……」

「ああ、俺はそこから生まれた。もっと、人間の考えが分かっていれば、俺も猿回しも死なずに済んだ。……その気持ちから、死後、サトリとして生まれ変わったわけだ」



 柊は、すぐに言葉が出てこなかった。

 あまりにも、哀れすぎる。安易に同情の言葉を投げかけるのも、なにか違う気がした。

 サトリとしても、話は終わったようで、それ以上は口を開かない。

 短い静寂を破ったのは、樹の声だった。




「これで分かったろ。あやかしは負の感情から生まれるが、それは必ずしも悪いものじゃない。美味しいものを食べたい、他人から愛されたい、穏やかな日々を過ごしたい……尊重すべき負の感情は、他にもいくらでもある。そんなささやかな願いから生まれた存在なんだよ、こいつらは」

「ま、害を成すあやかしもおりますがな」

 サトリはそう言葉を付け足すと、樹に深々と頭を下げた。


「……樹様。今回は、そこの人間のお陰で大いに寛げました。ありがとうございます」

「おー。こいつの手柄は俺の手柄だからな。存分に感謝せよ」

 樹がおどけた口調で胸を張る。

 それで、空気が和らいだような気がして、柊もやっと口を開ける事ができた。


「樹さん、確かに助言はもらいましたけど、今回はどっちかというと、八犬さんのお陰ですよ」

「ほぉ。八犬が何かしたのか?」

「ええ、実は……」


 そこまで口にしたところで、ぎし、と床が踏み鳴らされる音が聞こえた。

 反射的にサトリを見るが、違う。さっきまでいた場所から動いていない。

 嫌な予感がした柊は、話を中断して廊下を覗き込んだが、人影は一切見当たらなかった。


「……樹さん」

「いたな。誰か」






 ◇






 翌朝、サトリは早い時間に朝食を済ませると、すぐに帰り支度に取り掛かった。

 朝食の洗い物を放り出した柊が、慌てて後を追いかけると、樹と八犬に見送られたサトリが、ちょうど玄関を潜ろうとしているところだった。


「サトリさん、ま、待って下さいー!」

 大急ぎで下駄を履こうとしたが、鼻緒が足指に掛からずにつんのめってしまう。

 転びはしなかったけれど、既に外にいた三人は、皆似たような苦笑を零した。



「ドジだなあ、お前は」

「お、お客様の前で、そんな事言わないで下さいよ!」

「んじゃあ、そのお客様をちゃんとお見送りしろよ」

 樹に言われずとも、そのつもりである。

 ふん、と彼から顔を背けてサトリに向き直ると、猿顔の彼は初めて会った時のように、無表情で柊を見つめた。



「……おい、お前、面倒な客が帰ると思ってるな?」

「ええ。よく分かりましたね」

 とぼけた顔で言ってのける。

「……おい、お前、寂しいからまた来て欲しいとも思ってるな?」

「ええ。今度は人間のお客様がいない時にご案内します」

 また、とぼけた顔で言ってのける。


「面白い奴だ」

「そう、でしょうかね。あまり自覚はありませんが」

「また、そのうち来る」

「ありがとうございます。サトリさんもお元気で」


「そうそう、お体を壊しちゃいけませんよ! 私が長年探し求めたあやかしなのですからな」

 ハイテンションな声が、背後から乱入してくる。

 皆が反射的に振り向くと、そこには山代の姿があった。

 大きく見開かれた目はらんらんと輝いていて、目を鋭く細めた十二支屋の面々とは、対照的であった。




「や、山代さん……え、えっと、なんの話を……」

「トボけてはいけませんな、柊さん。先ほどの会話は途中からしか聞こえていませんでしたが、同じく昨晩、僅かに聞いてしまった話と照らし合わせれば、答えは明白ですぞ」


 マズい。

 これはもう、バレていると考えて間違いない。

 確かに昨晩、山代が盗み聞きした可能性は考えた。だが証拠もないのに客を問い詰めるわけにもいかず、結局は保留扱いになっていたのだが……案の定であった。



「そちらのサトルさん、実はサトリ! サトリの化け物ですな!」

「あ、あー……いや、も、猛烈に勘が鋭いだけの人じゃないですかねえ」

「まぁたまた。隠す必要などありませんぞ。この事を学会で発表すればあやかしの存在が世に……その為にはまず、なにか証拠を残さなくてはなりませんな。さてさて……」


 山代のテンションが更にあがっていく。

 こうなると、もう自分の判断でどうこうはできない。樹はどうするつもりなのだろうと、横目でチラと彼を見れば、表情は極めて厳しかった。だが、彼が動きだす前に、視界の更に奥に映っているサトリが前進するのが見えた。




「おい、お前」

「おおっ、サトル……いやサトリ殿! なにかサトるのですな」

「……お前、今、芝居を打ってるだろう」


 えっ。


 その言葉を零したのは、柊だけでなく、樹や八犬も同様だった。

 三人は顔を見合わせあったが、樹がすぐに眉をひそめ、山代の方を向いた。



「おい、あんた、どーいうつもりなんだ?」

「ナハハ……ご指摘を受けたとおり、芝居です。公表する気など一切ありません。ちょっと脅かしてみただけですが、みなさま本気で動揺されていたようで、失礼しました」

「サトリ。こいつの言ってる事、本当なのか?」

「本当だ」

「……ったく、紛らわしい客だぜ」

「で、でも、なんで公表しないんですか? 自分を助けてくれたあやかしの存在を知ってもらう為に、これまで頑張ってきたんじゃないんですか?」


 悪態を付いた樹と入れ替わりに、柊が問いを投げかける。

 すると山代は、恥ずかしそうにこめかみを掻きながら、首を横に振った。




「いやあ……そういうわけにはいきません。確かにあやかしを知ってもらう為に活動していますし、それは今後も変わりません。……ですが、十二支屋での出来事は、私の胸の内にしまうのですよ。なにせ、十二支屋にはあなたがいますからな」

「わ、私が、いるから……?」


「ええ。……柊さんのがめ煮に、私の心は救われた。だというのに、あやかしの存在を隠したがっているあなたの意向を無視するほど、私は非常識ではありません。それが理由です」


 山代はしみじみと語った。

 その言葉に安堵を覚えるのと共に、柊の胸の中は熱くなっていった。


 人の心を、救えたのだ。広島の料理人らしき事ができたのだ。

 もちろん、みんなの協力があってこその結果という事は分かっている。だから『広島の料理人』は相変わらず夢でしかない。でも、今はその考えを隅に置いて、山代の言葉を素直に喜びたい。





「……そう言って頂けると、嬉しいです」

「随分と小声ですな。自信を持って良い料理でしたぞ。お礼と言ってはなんですが、また今度泊まりに来ますから、その時は公表しても良いあやかしを紹介してほしいものですな」

「残念ですけど、人間とあやかしのWブッキングは、普段はやってないんですよ」

「な、なんとぉ……」


 山代は目に見えてガックリと肩を落とした。

 その様子が面白くて、まず柊が吹き出し、次にサトリが小さく笑う。

 笑い声は樹と八犬にも伝わり、張り詰めた雰囲気は消え去ってしまった。




「ふふっ。どーせなら、実家に帰った時に河童さんを探したらどうですか?」

「……そうですな。かなうならば、それが一番いい」

「お母さんと仲直りできるよう、祈ってます。頑張って下さいね」

「うむ。ありがとう、柊さん」


 不思議と、仲直りはうまくいくような気がする。

 当事者ではないから、彼と母親が、具体的にどんな喧嘩を繰り広げたのかは分からない。それでも、山代の済みきった表情を見ていると、分かり合えるような気がしてならなかった。

 サトリも、土産物屋の毛利も同じだろう。警戒したり、喧嘩する事があっても、相手を理解しようと内面を見つめれば、うまくいくものなのだ。



「……おい、お前」

 話が落ち着いたところへ、サトリから声を掛けられた。

 喋り方からして、また何かサトったのだろうかと思ったが、サトリはまじまじと見つめてくるだけで、やがて首を左右に振った。

「……達者でな」

「ああ、私も失礼しましょう。ではでは」

「……俺も失礼する」

 二人の客は、連れ立って十二支屋を出た。

 彼らの背中が見えなくなるまで、柊達はずっと頭を下げ続け……そして最初に直った樹が、きっ、と八犬を睨みつけた。





「おい、八犬!」

「……いかがされましたか、樹様」

 遅れて顔を上げた八犬が、樹に正対する。

 樹は、わざとらしい動きで腕を組むと、口をあからさまに曲げて話を続けた。


「客も帰ったし、お前に忠告がある!」

「なにか不手際でもありましたでしょうか」

「大ありだよ。柊から聞いたぞ、お前!」

 一体、なんの話をするつもりなのだろうか。

 当の柊にも、すぐには答えが分からず、少しさがって二人のやりとりを見つめる。



「昨日、隣の土産物屋に頭を下げに行ったそうだな」

「確かに、がめ煮の味見を頼みに行きました。問題ありましたでしょうか?」

「味見を頼みに行くのは問題ねえ。客の事を思えば当然だ。俺が怒ってるのは、頭を下げた事だよ!」

 樹は呆れたような口調でそう告げると、ぷい、とそっぽを向いてしまった。

「はあ……?」


「頭下げなきゃなんねえんなら、俺を起こせ。そーいうのは俺の仕事だ」

「樹様にそのような真似をさせるわけにはいきません。番頭の仕事です」

「おう。客には頭を下げろ。だが今回の件は隣人だぞ」

「しかし」

「なんだよ、俺の命令に逆らう気か?」

「……いえ。承知しました」


 八犬は、再び深々と頭を下げた。

 すると、それに押されたかのように、樹は腕を組んだままで完全に八犬に背を見せてしまう。

 微笑ましい光景を邪魔しないよう、柊は口の端を緩めながら、先に下足場へと戻っていった。





「……ありがとうございます、樹様」

「それより、俺も飯食ったら琵琶の稽古するから、お前聞いとけよ」

 背中越しに聞こえる二人の声は、どこか楽しそうな気がした。

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