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宮島あやかしお宿飯 ―神様のお宿で料理人やってます―  作者: 加藤泰幸
第二話『サトリとアヤカシオタク』
11/25

その5 がめ煮

 八犬が十二支屋に帰ってきたのは、午後七時を回った頃だった。


 下足場に姿を見せた八犬は、捕り物劇の時とは打って変わって、いつもどおりの穏やかな雰囲気を携えている。

 受付前で帰りを待っていた柊は、その姿に安堵しつつ、すぐさま八犬へと駆け寄った。



「八犬さん、おかえりなさい!」

「ただいま戻りました。……お客様へのお料理は、どうなりましたか? 満足して頂けましたか?」

「いきなりお客様の心配ですか。ふふっ、八犬さんらしいです」

「はあ」

 八犬が気のない声で返事をする。自分が苦労性という自覚がないのかもしれない。


「夕食は、まだこれからです。まずサトリさんに召しあがって頂き、その後で山代さんです」

「分かりました。何か不満を告げられたら、私が対応しますので呼んでください」

「いーえ、それには及びません。そもそも不満が出るはずないですよ。がめ煮、毛利さんのお墨付きなんですから」

「そうでしたね。警察がくるまでの短時間で味を見てくださるなんて、良い方です。……では、私は樹様に報告しなくてはいけませんので、これで」

「あ。もうちょっと、お話ししたいんです。歩きながらいいですか?」

「もちろん」


 彼の許可を得て、二人並んで離れへ向かう。

 柊は前を見ず、八犬の顔を除き込みながら話を切りだした。



「万引き騒動の方は、無事収まりそうなんですか?」

「ええ。監視カメラが決め手になったようです。なので、私の調書もすぐ終わりました。流石に毛利さんの方は、まだ時間が掛かっているようですが」

「そか。味見のお礼、ちゃんと言いたかったんですけど、また今度ですね」

「……彼からは、逆に頭を下げられましたよ」

「そーですよね。それくらいしてもらわないと。警戒していたとおり、万引き犯は本当にいたんですし」

「警戒しすぎて迷惑をかけたのも事実ですから」


「樹さんのせいで、ですけどね。でも、冤罪じゃなくて良かったです」

「それで、受付前で私の帰りを待っていてくれたのですか?」

「あ……はい」

「ありがとうございます。良い人ですね、柊さんは」


 八犬がにこりと笑いかけてくる。

 そんな顔を真正面から覗き続けられる程、柊のメンタルは強くはない。

 頬を微かに赤らめながら前を向き、少しだけ歩調を速めながら、声を絞り出す。



「……良い人なのは、八犬さんの方だと思います」

「なにが、でしょうか?」

「毛利さんに謝った時の話ですよ。朝の件は非があったとはいえ、頭を下げるのって、やっぱり気分が良くないですよ」

「今回の件は仕事ですよ。十二支屋の為でもありますから」

「十二支屋の為ってのは、言い換えれば樹さんの為ですよね」

「それは……」

「そこが、良い人だと思うんです。私はそこまで、誰かの為に頑張れないですよ」

「ありがとうございます……ただ、今回は樹様の為だけではありませんよ」

 八犬は、少しだけ照れくさそうにこめかみを掻いた。


「じゃあ、お客様の為?」

「それもあります。ですが、それ以上に、柊さんの為です」

「ふえっ?」

 酷い声が出た。


「広島の料理人を目指す……素敵な夢だと思いますよ。それを追いかける柊さんも、素敵な人です。だから力になりたいと思い、協力したのです」

「……ん」

「一つ目入道さんの心も救えたじゃありませんか。大丈夫、きっとうまくいきます」

「……あれ、みんな、お陰……」

「これからも、困った事があれば申しでてください。私で良ければ力になりますので」

「……はえ」


 恥ずかしさのあまり、声らしい声が出てこない。

 いや、嬉しい言葉ではある。だからこそ恥ずかしい。

 この人は、タラシの才能があるんじゃないだろうか、とさえ思う。

 とりあえず、また話を変えよう。そう考えた柊の脳裏に過ったのは、樹の顔だった。




「あ、ありがとうございます。そ、それより、樹さん起きてるかな。ちょっと前に、寝るって言ってたんですよ」

「……おや。樹様はお休みされると長いですから、まだ目覚めていないかもしれませんね。いずれにしても、様子は見てきます」

「八犬さんは、樹さんの事、なんでも知っているんですね」

「一応、十二支眷属の中では最初に生み出されましたし、一番付き合いも長いですから。少々気難しい方ではありますが、心中ではしっかりとしたお考えをお持ちですよ」

「うーん、本当は良い人ってのは分かってますけど、今朝の件なんかは無茶ぶりにしか思えないなあ」

「いえいえ、今回の件は、本当に周囲の治安を思っての命令でしたから」


 八犬は、目を細めながら言った。


「樹様は、何も私に面倒事を押し付けたわけではありません。昨日、警察から話を聞くや否や、変わった事はないかと近隣の方々の様子を見に行き、町内会会長とも対応を協議されていました。その結果、命令がくだったのです。そんな方だから、私もお仕えしているのですよ」


 そこまで手を回していたとは知らなかった。

 ちょっとだけ、樹を見直しはする。

 ちょっとだけである。


「それならそうと言えばいいのに……」

「自分の手柄のように聞こえそうで、恥ずかしいのですよ。私も直接聞いたわけではありません。毛利さんの父も警察に来ていまして、そこで事情を知りました。……そんなところだろう、という気はしていましたが」

「私、まったくそんな気はしてませんでした」

「大丈夫、柊さんにもいつか分かりますよ」

「こんな時、サトリだったら苦労はしないで済むんです……けど……」


 そう呟きながら、柊は足を止めた。

 突然、ひらめきが降ってきたのだ。


 確かに、樹の心をサトる事ができれば、八犬くらい信頼を寄せられるかもしれない。

 サトリは、そうしたいんじゃないだろうか。

 もっと相手を知りたい気持ち、相手との繋がりを求める気持ちがある為に、サトっているんじゃないだろうか。




「柊さん、どうかしましたか?」

 同じく足を止めた八犬が、心配そうに尋ねてくる。

「……ありがとーございます、八犬さん! 私、分かりました!」

「樹様の事が、ですか?」

「あ、いえ、そっちじゃなくて、サトリさんへの接客方法です」

「そういえば、このあと夕食でしたね。サトリにとっては山代さんをサトる絶好の機会ですから、山代さんの食事の時間になっても居座る可能性があります。大丈夫ですか?」

「ええ。なんとかなりますよ」


 ぐっ、と握り拳を作りながら答える。

 不安も多少は残っているけれど、それよりも、やってやろう、という気持ちの方が強かった。






 ◇






 柊と羊子が新明座に入ると、サトリは客席の隅で、膝を抱えてちょこんと座っていた。

 前を行く羊子は、サトリの卓上に膳を出しはしたものの、すぐさま柊の後ろに回り込んで隠れてしまう。つまみ食い願望をサトられたのが、よっぽど堪えたのだろう。

 柊は口の中で小さく笑いつつ、サトリの真正面に正座した。



「夕食でございます。御飯、味噌汁、焼き魚、漬物、それから、がめ煮をご用意させて頂きました」

「本当に郷土料理を作ったのか」

「はい。サトリさんの助言、信じる事にしましたので」

「本気で信じてるのか?」

「本気かどうかは、サトリさんが一番良くご存知のはずですよ」

 ひと膝前に身を乗りだし、サトリの瞳を見つめながら言う。

 サトリは、鏡映しになったかのように、同じく柊の瞳を見つめながら、ぼそりと呟いた。



「……おい、お前、俺に頼みがあるんだな」

「はい。お食事の前に、お時間頂いても良いでしょうか?」

「構わんが」

「実は、お願いがあります。この後、人間客の山代さんという方も食事をされるのですが……その方をサトらないで頂きたいのです」

「断る」

「そこを、なんとかお願いできませんでしょうか。……とにかくサトりたいというのなら、私を好きなだけサトって頂いて結構です。でも、山代さんの心をサトられたら、ここが神様とあやかしのお宿だと世間に知られるかもしれないんです」



 言いながら、それを避けたいと心から願っている自分に気が付いた。

 十二支屋が潰れても、自分はよそで働けば良いだけなのに、なぜこうも十二支屋を守りたいのだろうか。

 答えは、すぐに分かった。なにせ、ついさっき、自分が八犬にかけた言葉なのだ。


 十二支屋の為というよりは、樹や眷属達の為に、秘密を守りたい。

 胸中にあるのは、ただそれだけだった。



「おい、お前、店の奴らの力になりたいのか」

「はい。サトリさんなら言わなくても分かるでしょうけれど、私、まだ十二支屋で働き始めて日が浅いんです」

「うむ」

「それでも、樹さんも、八犬さんも、羊子ちゃんも、他のみんなも良い人だと分かっています。だから、力になりたい。店を守りたいんです」

「……そうか」


 サトリは、それで話が終わったかのように箸を掴み、がめ煮のたけのこを口へと運んだ。

 ぽり、ぽり、と小気味良い音を立てて噛み砕き、次は箸いっぱいに盛った白米を食べる。美味しそうに食べてくれているので、それはそれで良いのだが、サトるかどうかの件はどうなったのだろうか。




「鶏肉の旨味と野菜の甘味が絡み合って、うまいな」

「あ、ありがとうございます。それで、さっきのお話ですが、どうでしょうか?」

「そんなに心配するな。……残念ながら、俺はサトりたくて仕方がない。その為に生まれてきた。だからお前もサトるし、人間の客もサトる。……だが、お前には飯の借りができた。サトりはするが、あやかしだとは気づかれないよう、注意しよう」

「ほ、本当ですか!?」

「サトってみたら、本当かどうか分かるぞ」

 サトリはそう冗談を言うと、味噌汁をずず、と吸い込んだ。

 それから、また柊を覗き込むように見つめつつ、続きを口にする。


「……おい、お前」

「はいっ、今度は何をサトりましたか!?」

「違う。……俺に正面から向き合ってくれたのは、お前が初めてだ」






 ◇






 山代の夕食時刻になった。


 膳を手にした柊が、もう一度新明座へ行くと、既に着席していた山代とサトリが賑やかに話し込んでいる。特に山代の声は、新明座の外にまで響いていた。彼がそれほど興奮する話題となれば、あやかし絡みだろう。

 不安ではあったが、サトリは約束してくれたはずだ。柊は知らぬ顔をして、山代の傍に正座した。




「こんばんは。随分盛りあがられているようですね」

「おや、柊さん! こちらの男性……サトル殿、と名乗りましたかな? 実に面白い方です」

「そ、そうなんですか。へぇ……」

「サトル殿もあやかしに興味があるそうで、あやかし談議で盛りあがっていたのですが、さっきから私が話そうとする事を次々先回りされて。いやぁ、分かる人は同じ事を考えるものですな。話し甲斐があります!」


 そう語る山代の奥で、サトリは目配せを送ってきた。

 どうやら、危ない橋を渡りつつも、約束は守ってくれているようである。



「夕食が、その盛りあがりに水を差さなければ良いのですが」

「そうそう、夕食。一体なにを作って頂いたのですかな?」

「こちらになります」

 おずおずと膳を卓上に差し出し、山代の顔を覗き込むと、みるみるうちに困惑の色が浮かんできた。

 いよいよ、賽は投げられたのだ。


「柊さん、これは……」

「がめ煮、です。ご存知かとは思いますが、山代さんの出身地である佐賀の郷土料理です」

「要望を聞いていなかったのですかな? 郷土料理は苦手、と告げたはずですが」

「その件ですが……山代さん、郷土料理を食べたいんじゃないかと思いまして」

「む、無茶苦茶ですぞ! なにを根拠にそんな事を……」

「ある方が、そう教えてくれたんです。私はそれを信じて料理を作りました。……やっぱりお気に召さないというのであれば、すぐにでも膳はさげて、代わりの料理をお作り致します。お代金は頂きませんし、できる限りの謝罪はさせて頂きます。……いかがでしょうか……」


 自分でも、理屈が弱いのは分かっている。

 サトリの話を知っていても、そう感じるのだから、事情を知らない山代からしてみれば、不可解極まりない提案だろう。散々に怒られても仕方がない。

 その覚悟をもって、山代から目を逸らさずに返事を待つと、彼はなぜか寂しそうに顔を伏せ、箸を手に取った。




「仕方ありませんね。がめ煮で結構です」

「あ、ありがとうございます!」

「いえ。……では、頂きます」

 山代は軽く会釈をして、膳の上の物をつつき始めた。

 大根の漬物を、焼き魚を、白米を、味噌汁を、次々と喉へととおす。

 そうして、流麗な絵付けの唐津焼に盛ったがめ煮だけが取り残されるが、山代は確かに『頂きます』と言った。それを信じて待ち続けると、やがて、山代はゆっくりと口を開いた。



「……私の母は、優しい人です。昼間も話しましたっけか。虐められた私を心配して、しかし子供の世界には介入せずに励まし続けてくれた、強い人でもありました」

「良いお母様なのですね」

「母は今年で七十歳だから……私が大学院を卒業した時は、五十歳ですか。身体があちこち悪くなり、老後への不安も感じるようになる年齢です。……私は、そんな母に親不孝をしましてな」


 そこまで話したところで、サトリが切なそうに眼を閉じたのが、視界の端に映った。

 だが、彼は口を挟まない。

 新明座には、静かに語る山代の声だけが流れている。


「私が地元で堅実な職に就くのを、母は望みました。……ですが私は、私を救ってくれたあやかしを追求したかった。不安定な仕事だろうと、親元から離れようと、安芸大学で学びたかった。……はは。あとはよくある話です。それで大いに喧嘩しましてな。母に心無い言葉を浴びせてしまい、実家の敷居を跨ぐ事を禁じられました。あの日から二十年間、一度も実家に帰っていません」


 山代の箸が、がめ煮に伸びた。

 皿の上で何を摘まむか躊躇した後、選ばれたごぼうが口へと放り込まれ、何度も何度も咀嚼される。

 初めは、味を噛み締めているのだろうかと思ったが、山代の苦虫を噛み潰したような表情が、そうではない事を物語っていた。




「ああ、マズい。本当にマズいですなあ」

「お口に、合いませんでしたか……?」


「合いませんぞ。言ったでしょう。子供舌ですから郷土料理の類は本当に苦手なのですよ。特にがめ煮は嫌ですな。普通の家庭では正月に出る事が多いのですが、母は『栄養が付くから』と、しょっちゅう作っていましてな」

「はい……」

「昔から、がめ煮の日は憂鬱でした。甘すぎるのが気持ち悪いし、さといものぬめり気も嫌だ。しかも、しっかりと煮込んであるから、口の中で具が簡単に裂けて、苦手な食感がすぐ口の中に広がる……」


「や、山代さん、ごめんなさい……」

「ですが」

 動揺した柊の声を、山代が遮る。

 気が付けば、彼の目じりからは涙が止めどなく流れていた。


「ですが、食べたかった……この味を、食べたくて仕方なかった……」

「山代さん……」

「母ちゃん……母ちゃん、ごめん……」



 そうだったのか。

 山代も、サトリも、嘘はついていなかったのか。

 合点がいくのと同時に、彼の悲しみが伝播してきて、慟哭が漏れそうになる。

 それでも客前で泣くわけにはと必死に堪えていると、ずっと様子を見守っていたサトリが、静かに口を開いた。





「……おい、お前」

「はい、なんでしょう、サトル殿……」

「お前……実家に帰って、仲直りするつもりだな」

「は、はは……サトル殿には、隠し事できませんな……まるでサトリの化け物だ……」



 山代は涙を流したままで、歯を見せて笑った。

 涙が収まったのは、がめ煮が皿からなくなった頃だった。

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