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宮島あやかしお宿飯 ―神様のお宿で料理人やってます―  作者: 加藤泰幸
第二話『サトリとアヤカシオタク』
10/25

その4 広島の料理人

 自宅から持参していたレシピ本には『がめ煮』なる料理が書かれていた。


 九州北部の郷土料理で、ようは煮物らしい。たけのこ、さといも、ごぼう、干ししいたけ、にんじん、こんにゃく、鶏肉を纏めて炒め、調味料を混ぜて煮るだけなのだが、分量を確認した柊は、それほど簡単な料理ではないと感じ取った。砂糖やみりんが、一般的な煮物と比較するとやや多いのだ。それに「具材を適切に煮る事で滲む旨味が大切」との備考もある。単なる煮物であれば問題なく作れるが、味覚がない柊にとっては、ハードルが高い料理だった。


 それでも、がめ煮を作ってみよう、と思う。

 サトリがサトりたがる理由なんて、まったく見当はつかないが、樹が「嘘つきじゃない」というのなら、今はそれを信じて、郷土料理を作るしかない。




「さて、どーしようかなあ、これ……」

 ほのかに甘い香りを漂わせて煮立っている鍋を見つめながら、考え込む。


 一緒に出す味噌汁や焼き魚は何の問題もない。作り慣れているし、試食してくれた従業員も味を知っているからだ。

 がめ煮も一応「うまい」との感想は得ている。でも、がめ煮を食べた経験がある者がいない為、その「うまい」は、煮物としてのうまさなのか、がめ煮としてのうまさなのか、判別できないのだ。

 念の為に、自分でも食べてはみたが、具材の食感を感じるだけで、やはり味は判別できない。分かってはいたのだが、やはり味覚がない状態で料理を作るのは、簡単な事ではないのだ。




「調子はどうですか、柊さん」

 そこへ、八犬が様子を見に来てくれた。

 柊はがめ煮とのにらめっこを止めて、難しい顔をそのまま八犬へと向けた。


「うーん、どうしようもないです」

「正しい味になっているのか、分からないのでしたよね」

「そーなんですよ。あーあ、味覚があるうちに、もっといろんな料理を勉強しておけば良かったなあ」

「まあまあ。いつか味覚も戻りますよ。それまでの苦労です」

 彼の穏やかな声を聞いていると、柊の顔も少しだけ和らいだ。


「ですね。ありがとうございます。とりあえず今は味覚が無い状態で、がめ煮をなんとかしてみせます」

「……ふむ」

 そこで、八犬が顔をまじまじと見つめてきた。

 突然の凝視に、目を逸らす機会を逃した柊は、彼の視線を正面から受け止める事しかできない。

 いきなり、どうしたというのだろうか。

 微かに胸が高鳴るのを自覚したところで、ようやく八犬は話を続けた。




「……柊さん、支障がなければお伺いしたいのですが」

「あ、は、はいっ!?」

「柊さんは、なぜ料理人を続けるのですか?」

「なぜって……私の料理があれば、十二支屋にもっとお客様を呼び込めるかもしれないんですよね? でしたら頑張りますよ」

「もちろん、それは嬉しく思っています。……しかし、味覚がなくて苦悩されている様子なのに、それでも料理で頑張って頂くのも、少々心苦しいものがありまして。なんでしたら、他のお仕事に変えてもらうよう樹様に頼んでみましょうか?」


「あー、そっか、そーいう意味ですね。……ありがとうございます、八犬さん。でも大丈夫です」

「しかし」

「実は私、料理の道を諦められない理由があるんですよ。……良かったら、聞いてもらえますか?」


 この話を他人にするのは、多分、初めてだ。

 これまでは、多少の恥ずかしさがあって、誰にも言った事がないのだ。

 けれど、今は違う。味覚を失った今は、自分の立ち位置を明確にする為にも、誰かに聞いてもらうべきだろう。





「私で良ければ」

「ええ、是非。樹さんや他のみなさんに話して頂いても構いません。その方が私としても助かります」

 ちょっとだけ、込み入った話になる。

 八犬が椅子に座ったのを確認すると、煎茶を用意二人分して卓上に置き、自分も八犬の隣に座った。


「これはどうも」

「どーいたしまして」

 そう告げて、少しだけ深呼吸をする。それから、ゆっくりと話を切りだした。



「……実は、私のお婆ちゃんも、お母さんも、料理人だったんです。お婆ちゃんは戦後の広島でお好み焼き屋を、お母さんは広島市内で小さなレストランを開いていました。私が物心つく前に父が病死している事もあって、小さい頃はお母さんのレストランでウェイトレスの手伝いをしていたんですけれど……実は、あまり好きな仕事じゃなかんたんですよね」

「今の姿からは想像し難いですね」


「あはは、そーですかね? ……私を育てる為とはいえ、お母さんが寝てもさめても料理料理料理、だったのが気に入らなかったんだと思います。でも、転機があったんですよ。小学校五年生の頃だったかな」


 語りながら、柊は無意識のうちに瞼を閉じていた。

 そうしていると、母がまだ傍にいてくれるような気持ちになったからだ。

 でも、母はもういない。分かっているのだ、それは。

 そっと瞼を開けて、話を続けた。




「……毎週末、一番安いポークカレーを食べにくる父子二人のお客様がいたんです。二人とも、使い古しの靴で、ボロボロになった服を着てて……裕福じゃないのは、目に見えて分かりました。それでも食べに来てくれるのを、お母さんは心から喜んでいました」

「料理人冥利につきるのでしょうね」

 八犬は相槌を打ちながら、湯呑を煽った。


「でしょうね。……けれど、ある日その親子が、お店の看板メニューのアナゴ丼を注文をしたんですよ。私は大して気に留めなかったけれど、お母さんは、羽振りが良い割に表情が暗いのを感じたらしくて、清算の時に厨房から出てきて『お代はいりません。それより、何かお困りじゃないんですか?』って尋ねたんです。……そしたら、そのお父さん、泣きながら事情を話してくれて……なんでも、借金の取り立てを苦に心中するつもりだったそうです」


 当時の記憶が柊の中に蘇る。

 涙をぽろぽろと零し、自分の判断を恥じて、息子を抱きしめる父親の姿は印象的だった。それから数年後、母が亡くなった時にも、二人は葬儀に駆け付け、肉親が亡くなったかのように嘆いてくれた。

 それだけ、母の行動は、彼らの胸に響いたのだろう。



「……そんな事情を見抜いたお母さんにビックリして、後になって、なんで気づいたのか聞いてみたんですよ。そしたら……」

「そしたら?」

「それが広島の料理人だ、ってお母さんは言いました。実は、お婆ちゃんの代までさかのぼる話なんですが……終戦直後の物がない時代、広島のお好み焼きは安価で命を繋ぐ料理として重宝されたんですが、お婆ちゃんはお金がない人や孤児には、無料で振舞っていたそうです」

「つまり、お婆様も、お母様も、単に人の腹を満たすだけではなく、生きる希望を与えるべく料理人になった。それが広島の料理人……と」

「ええ。私もその考えに胸を打たれて『広島の料理人になる!』って宣言しちゃいました。それからは料理が好きになった……ってわけで……あはは、なんだか恥ずかしくなっちゃったな」

「恥ずかしがる事なんてありませんよ」

「ありがとうございます。……でも、無理なんじゃないかな、結局はただの夢なんじゃないかな、とも思っています」


 そう言いながら、少しだけ冷たくなった湯呑を手に取る。

 だが、中には口を付けず、手の中で転がしてから卓上に戻した。



「おや、無理とはどうしてまた」

「だって、お母さんがいないんですから。お母さんは、お婆ちゃんから料理と心意気を教わって一人前になったと聞いてます。……でも、私にはお母さんがもういません」


「柊、さん……」


「お婆ちゃんも、今は老人ホームで暮らしているから、甘えるわけにはいきませんし。……十二支屋のお陰で、料理人の道に戻る事はできました。頑張ろうとも思っています。……でも、お母さんとの約束が叶う確証は持てないんです」


 そう言いながら、自分の表情が曇っているのに気が付く。

 八犬が話しやすくて、ちょっと甘えてしまった。



 広島の料理人は難しくても、それを愚痴にするなんて、相手に失礼だ。そう考えて八犬に謝ろうとした瞬間、彼の両手が自分の肩に置かれ、柊はびくり、と体を震わせた。

「は、八犬さんっ……?」

「諦めてはいけません。……私に協力させて下さい。がめ煮だけなら、考えがあります」






 ◇






 外に出ても、まだ陽は完全に落ちていなかった。

 まだ夕食まで時間に余裕はあるが、多分、あのまま一人で考え込んでも、がめ煮問題は解決しなかっただろう。

 それよりは、タッパー片手に前を行く八犬の言うように『あの人』が、がめ煮の味を知っている可能性に賭けるしかない。


 もっとも、知っていたとしても、協力してくれるかどうかは別問題なので、不安がないわけではない。それは八犬も分かっているはずだが、どうするつもりなのだろうか……そんな事を考えているうちに、二人は表通りの土産物屋の前へ辿り着いた。



「八犬さん、大丈夫ですかね……」

「ご安心を。きっと味を見てもらえますよ。私にお任せください」

「でも、八犬さんは、今朝トラブルがあったじゃないですか。ここは私が頼みますよ」

「いえ。ここは私が」


 八犬はキッパリそう告げると、土産物屋の中を見回した。

 彼の背後から店内を覗き込むと、二、三名の客が、陳列されている菓子や雑貨を眺めている。普段は歩くのが困難なほどに客で詰まっているので、今は客足が落ち着いている方だろう。その証拠に、目的の男……毛利は、レジの前で頬杖をついて眠そうな顔をしていた。




「こんにちは、毛利さん」

 そこへ、八犬がツカツカと歩み寄りながら声を掛ける。

 一瞬、客かと思ったのか、毛利は慌てて背筋を伸ばしたが、相手が八犬だと分かると露骨に嫌そうな表情を浮かべた。


「なんだアンタ。また見張りにでも来たのか」

「違います。今朝は大変失礼致しました」

「まったくだよ。じゃあ、何の用事だ?」

「お仕事中、大変申し訳ありません。実は一つお願いがありまして。ものの数十秒で終わりますので、どうか……」

 そう告げながらタッパーを差し出し、八犬は深々と頭を下げた。


「……これは?」

「がめ煮、という料理です。ご存知でしょうか?」

「ああ。大学の頃、現地の友達の家に遊びに行った時に、友達のお母さんに食わせてもらった事があるよ」


 きた。

 毛利は、本当にがめ煮を知っていた。

 わあ、と歓喜の声を上げそうになった柊だが、それは押し留める。

 肝心なのは、この後だ。八犬もそれを分かっているようで、まだ緊張感を保ったままで頭を起こした。



「実は、この料理の味を見て頂きたいのです。お客様にお出ししたいのですが、本当の味を知っている者がいない次第でして」

「なるほど。そーいうわけか」

「何卒、宜しくお願いします」

「……悪いが、他を当たってくれ」

 毛利は、ぶっきらぼうな口調で八犬を突っぱねた。

 店内に客がいるという事もあって、今朝のような怒声ではないものの、否定の言葉に変わりはない。


「しかし、そこをなんとか」

「断るって言ってるだろ。……はっきり言うぞ。あんたが気に入らないんだよ。親父は十二支屋さんと仲良くやってるようだけど、それとは別問題だ」

「……なんとか」


 八犬が、再び頭を下げる。

 最初よりも深く、身体が九十度に折れ曲がりそうな勢いで頼み込む。

 声色にも切羽詰まったような緊張感が篭っていて、どこか悲壮な印象さえ漂わせる頼みっぷりだった。

 柊は、それ以上八犬を見ていられなくなった。協力してくれるのは嬉しいけれど、ここまでさせたくはないのだ。



「は、八犬さん……もう、いいですよ」

 彼の背中に触れながら言うが、八犬は体を起こそうとしない。

 どうしたものかと毛利の方を見れば、彼の表情にも動揺の色が浮かんでいた。

「あ……あんた、そこまで頼み込まなくても……」

「……今朝の件も、改めて謝罪致します。ご迷惑をお掛けしたうえに、図々しい頼み事であると承知しています。……ですが……」

 八犬が重苦しい声で言う。


 この人は、どうしてそこまで協力してくれるのだろうか。

 もちろん、それだけ今日の客、ひいては十二支屋が大切なのだろうとは思う。

 それは、十二支屋の主である樹に対する忠誠心の表れでもあるのだろう。

 とはいえ、人に謝り、そして頼み込む行為には、それなりのストレスが生じる。今朝、やりあった相手なら尚更だ。


 なのに、なぜ……、




「――っ! 柊さん、失礼!」




 その時だった。

 突然八犬が体を起こし、傍にいた柊を迂回して、猟犬の如く店外へと駆けだしたのだ。

 何事かと尋ねる間もなく、八犬は外を歩いていた中年男性の背中に飛びかかり、男を抑え込んでしまった。


「ど、どうしました……!?」

「菓子を盗んだな、貴様! 匂いで分かった!」

 八犬の鋭い声が路上に響き渡る。それに共鳴するかのように、周囲の歩行者もざわつきはじめた。


 そう言われれば、八犬が抑え込んでいる男は、さっきまで店内にいたような気がする。とはいえ、盗んだかどうかまでは、柊には分からない。答えを求めるように毛利の方を見れば、彼は神妙な様子で頷いた。二人で八犬へと歩み寄ると、傍には男性の物と思わしきショルダーバッグが落ちていた。




「ぐえ、えっ……離せよ、なにするんだ!」

「樹様の仰るとおりだったな。……毛利さん、そこのバッグの中を改めてください」

「あ、ああ」

 言われるがままに毛利がバッグを開き、柊も中を覗き込む。

 そこには、店の商品と思わしきもみじ饅頭、それから、せんべいやクッキーの類がぎっしりと詰まっていた。


 全て袋に詰められているのだが、八犬は微かに漏れる香りに気が付いたのだろうか。本物の犬でも不可能な芸当のようにも思われたが……それが成せるのが眷属、人ならざる存在というわけなんだろう。




「……全部、店で扱っている品だな」

 毛利が苦々しい声で呟く。

「よ、よそで買ったんだよ! 冤罪だ、冤罪!」

「そうかもな。俺だって、八犬を無条件で信じているわけじゃない。監視カメラを確認すりゃ、分かる事だがな」

 取り押さえられた男の肩が、ビクンと跳ねる。

 それを目にした毛利は、深く溜息を付くと、柊の方へと向き直った。



「どうやら、確認する必要はなさそうだな。柊さん、だっけか。悪いが110番してくれないか?」

「は、はいっ!」

「あと、な」

「はあ」

「……あんた達に、辛辣に当たって悪かった」


 そう言われても、自分は毛利から怒られたわけじゃない。

 不思議に思いはしたが、毛利の視線が露骨に八犬から外れているのに気が付いて、合点がいった。

 どうやら、自分は謝罪のダシに使われたようである。




「ふふっ、素直じゃないんですね」

「い、いいから連絡急いでくれ! じゃないと、がめ煮、味見しないからな!」

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