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その1 福間柊の宣言

挿絵(By みてみん)


 空と海の挟間に、大小さまざまな島が浮いている。


 この多島美は瀬戸内海(せとないかい)ならではの景色だけれど、それだけじゃない。海上に敷かれたカキの養殖場や、ピストン運航ですれ違う白い汽船も、内海ならではの光景だ。

 汽船三階の室外席で海を眺めていた福間柊(ふくまひいらぎ)は、宮島(みやじま)に到着したアナウンスを耳にしても、すぐには立ち上がらなかった。


 汽船の最大乗員数は450人で、ちょっとした小学校並みの数になる。実際、賑やかな会話を交わしながら下船する乗客達は、昼休みに校庭へ出る子供みたいだ。ただ、ぶつかって転ぶのも面白くないので、柊は一番後ろからゆっくりと上陸した。



 ――宮島に来た回数は、片手では数えられない。

 小学校、中学校、高校の行事で少なくとも一回ずつ。あとは母親に連れられて数回。広島県人なら、みんなそんなものだろう。ただ、島に泊まるとなると、二十年の人生で今回が初めてだ。それも平日に一人で来るなんて、昨年は考えもしなかった。

 五月のあたたかな風に吹かれて桟橋を降り、港前広場を見渡すと、その中に『歓迎 福間柊様』の看板を掲げている、着物姿の少女を見つけた。


「あー、もしかして柊ちゃん?」

 目が合うと、少女は友人のように声を掛けてきた。『十歳くらいの少女が迎えに来る』と事前に聞いていたので、間違いなく民宿の人だろう。赤を基調にした着物と、二つ作ったお団子の髪型がかわいらしい子だった。


「そーだよ。福間柊です」

「ようこそ宮島へ。あたし、十二支屋(じゅうにしや)の仲居の羊子(ようこ)って言うんよ」

「羊子ちゃんだね。今日はお世話になります」

 羊子の広島弁に対し、標準語で返事をする。

 標準語は、二年前に就職した時に癖になってしまった。仕事をクビになった今でも、それは変わらない。


「来てくれるの楽しみにしとったんよー。柊ちゃん、ゆっくりしていってね」

「そうさせてもらうね。羊子ちゃんは、おうちのお手伝いで来てくれたの?」

「まあ、おうちじゃの。オンボロじゃけぇ、ガッカリせんとってね……?」

「ううん、むしろ楽しみ!」

「ほうなん?」

「雰囲気があって、気になってたんだ。そんな所で働いてる羊子ちゃんが羨ましいよ」

 そう言いながら、羊子の背中を軽く叩いてみせる。

「えへへ。あんがと。布団だけはフカフカじゃけえ、期待していいよ」

「ふ、布団か……布団をセールスポイントにする民宿も珍しいね」

「……ほうじゃろか?」

 やや間があって。

「……ほうかもしれんわ」

 羊子は、にへら、と締まりのない笑顔を振りまきながらそう言った。





 独特のペースで喋る羊子の先導を受けて、古い家屋の残る裏道の方へと足を進める。厳島(いつくしま)神社に行く時はあまり使わない道だった。

「柊ちゃんは、やっぱり観光?」

 途中で、そんな質問を投げかけられる。

「どう……かなあ。広島県人だから、宮島は何度も来た事があるの。一応、神社に参拝したりはする予定だけどね」

「ほいじゃったら、食道楽?」

「残念ながら、それは絶対にないかな」

「絶対……?」

 羊子が小首を傾げる。

「うーん……あ。ご飯と言ったら、十二支屋さんって食事は出してないんだよね」

「板前さん、おらんけえね」

「珍しいね。そういう宿もあるらしいけれど、観光地だと痛手じゃない?」

「そうなんよ。ほいじゃけ、お客さん少ないんよね。でも、今日は平日なのに、柊ちゃんの他にも団体客がおって、ぶり珍しいんよ」


 観光客が少ないのは、他にも理由があるのかもしれない、と思う。

 十二支屋の存在は、昨年末に母の遺品を整理している時に、たまたま見つけた古いチラシで知った。あの頃は気に留める余裕もなかったが、時間が空いたので気分転換に出かけようと宿の存在を思いだし、インターネットで情報を探したのだ。だが、ホームページはおろか、旅行サイトにも登録はない。チラシに書かれた電話番号を知らなければ連絡の取りようもなかった。ネット慣れしていない人が、細々と運営しているのだろうか。




「さて、お宿はこの先になりまーす」

 厳島神社の裏手に位置する通りまで来ると、羊子は楽しそうな口調でそう言った。

 大型旅館や土産物屋が目立つ場所だったが、それらの間で隠れるように伸びている石段を上る。目的地は、その奥にあった。



『民宿・十二支屋』



 玄関上部には看板が掛かっていて、流麗な筆跡で店名が彫り込まれている。

 二階建ての木造店舗の外観は、時代劇に出てくる旅籠のようで、チラシで見たものよりも貫禄があるように思えた。


「おぉー、渋い!」

「あんがと、あんがと。受付に八犬(はっけん)さんって番頭さんがおるから、あとはその人に案内してもらってええかな。あたし、ちょっと買い物があるんよ」

「分かった。ありがとうね、羊子ちゃん」

「えへー。ほいじゃ、またあとでね」

 手を振り合って別れ、さっそく玄関を潜って下足場に足を踏み入れる。



 外はまだ日暮れ前なのに、屋内は全体的に薄暗かった。多分、窓が少ないせいだろう。漆喰の壁と木製の柱、それから廊下に引かれた緋毛氈は、外観と同じく渋い雰囲気を生みだしている。奥行きもありそうな建物で、民宿というよりは旅館並みの規模だった。


 ただ、渋いのはあくまでも見た目だけ。状況としてはむしろ騒がしい宿である。

 それというのも、受付近くの長椅子に腰掛けて、酷い音で琵琶を弾いている和装の男がいたからだ。

 切れ長の目で顔立ちは良く、年齢は自分よりも少し上、二十代前半だろうか。髪は黒のミディアムで、白の長着に合っている。絵になる人だったが、それだけに琵琶が下手なのが惜しかった。余計な弦まで弾いているのか、無駄にエコーが掛ったような演奏で、和楽器に詳しくない柊でも不協和音だと分かる。これじゃあ、店の雰囲気が台無しだ。



「あのぉ……」

 備品のスリッパに履き替えて男に近づき、音の切れ目を見計らって声を掛ける。

 傍で見る男は、実に楽しげな表情で演奏していたのが、そこに割って入られたのが不満なのか、眉をひそめながら柊を一瞥した。

「あん? なんだアンタ」

「ここに泊まりに来た者ですが……。あなたも宿泊者さんですか?」

「いいや、店の者だ。ま、適当にくつろいでくれ」

「じゃあ、もしかして番頭の八犬さん?」

「俺はここの支配人の(いつき)だ。八犬なら、その辺にいるんじゃねーかな」

「支配人さん? 支配人さんが、なんで受付で琵琶の練習なんか……」

「そりゃ、もちろん琵琶が好きだからだよ。……あ、そーだ! 俺の演奏どうだった? 聞いてたんだろ!?」

 琵琶、の単語を聞くなり、樹は嬉々として尋ねてきた。


「いやー、あはは……言っていいのかなあ」

「おう、是非聞かせてくれよ!」

「んと、じゃあ……なんか、変な音が混じってたような気がします」

「へ、変な音……?」

「で、でも! それを洗いだす為の稽古なんですよね? 頑張って下さい!」

「……うるせーよ。お前に言われんでも、そのつもりだ」

 樹は仏頂面でそう言うと、琵琶を抱え込んで、そっぽを向いた。

 ちょっとばかり、感想がキツかっただろうか。でも、今更取り繕っても遅い。柊は小さく溜息を零しながらも、樹の正面に回り込んだ。


「それはそうとして、八犬さんの代わりに受付して頂けると助かるんですが」

「駄目だ。俺はまだ稽古があるからな」

「でも、お店の人でしょう? 私、困っているんですけれど」

「じゃあ八犬を探せよ。大声で呼びゃあ反応するだろ」

 樹はぶっきらぼうな口調でそう言った。

 これは、あまり面白い態度じゃない。こっちはお客様だ、といばるつもりはないけれど、もう少し丁寧に対応してくれてもよくはないだろうか。



「ちょっと! 樹さん、と言いましたね。真面目に相手して頂けませんか」

「相手したろうがよ。稽古の邪魔だぞ、お前」

「あれのどこが! 大体、受付の前でお稽古する必要がありますか!?」

「なんだよ、うるせーな。母ちゃんかよ、お前は!」

「か、母ちゃんって……全然違いますーっ! あなたみたいな子供、お断りです!」

 言葉を交わすたびに、互いの声量が上がり、もう怒鳴り声も同然になる。

 すると、それを聞きつけたのか、廊下の奥から紺色の法被を纏った長身の男が駆けてきた。



「樹様、何事ですか」

「おう、八犬。お前からもコイツにガツンと言ってやれ!」

 樹は琵琶のバチを振りながら、長身の男にそう告げた。

 この人がそうなのかと、八犬と呼ばれた男をまじまじと見つめる。年齢は樹と大差ないだろうか。精悍で知性を感じさせる顔つきで、番頭さんというよりは、敏腕の経理さんといった印象を受ける。やや長めの黒髪がキッチリとセットされていて、前髪の間から覗く瞳が、申し訳なさそうに目礼を送ってきた。

「……もしかすると、福間柊様でしょうか」

「そうですけど……」

「お待ちしておりました。……樹様、あとは私が案内させて頂きますので」



 八犬は、柊と樹に交互に頭を下げると、受付傍にある階段の方を指し示してから、歩きだした。

 柊は、最後まで樹と睨み合いながらも八犬に続いた。そして、二階に上がりきったところで、八犬は立ち止って再び頭を下げてきた。

「福間様。なにかご無礼があったようで、大変失礼致しました」

「あ、い、いいんです。番頭さんは悪くありませんから。……ちょっと、琵琶絡みで喧嘩をしたんです

「大方の事情は察しが付きます。申し訳ありません」

「いえいえ。あの樹さんって人、いつもああなんですか?」

 床が透けて見えるかのように、階下を睨みながら尋ねる。

「ええ。琵琶は樹様の生き甲斐ですので」

「生き甲斐……ねえ」

「とはいえ、お客様にご不快な思いをさせた事、改めてお詫び申し上げます。樹様とのイザコザとはいえ、責任は現場を預かっている私にございます」

 直立不動の態勢で、八犬はなおも自分の責任を主張した。

 その姿は、まるで主を守る番犬のようである。身長は180cmほどありそうだが、随分大きな番犬がいたものだ。そう思うと、柊は小さく噴きだしてしまった。


「……柊様、なにか?」

「ふふふっ、いーえ。なんでもありません。番頭さんも大変ですね」

「実際、私の責任……」

「ううん。本当に番頭さんのせいじゃないし、もう支配人さんの事も怒っていません」

「であれば、良いのですが」

「うん。それより受付しなくていいんですか?」

「下はまだ……そうですね、あとにしましょう。先にお部屋へご案内させて頂きます」



 八犬はそう言うと、二階突き当りの部屋へと足を踏み入れた。続いて中に入ると、中は和室で広さは十畳あった。千歳盆の乗ったテーブルと座椅子に、梅の掛け軸を飾る床の間。受付への電話機やテレビ、エアコンもきちんと備わっている。有体にいえば普通の作りだったけれど、不満はない。部屋奥の窓から宮島神社の鳥居を眺められるので、むしろ当たり部屋だ。



「うわぁ、いい雰囲気……!」

「ありがとうございます。気に入って頂けてなによりです」

「ええ、最高です。そーいえば、このお宿っていつ頃にできたんですか?」

「母屋は江戸時代後期に造られました」

「百年以上昔なんだ。貫禄があるわけですね」

「もちろん、中の設備は近代化しておりますのでご安心を。受付は、本日中ならいつでも問題ございませんので、落ち着かれたら宿の者にお声掛け下さい」

「分かりました。色々とありがとうございます」

「いえ。それから、お電話でご予約頂いた際も説明させて頂きましたが、当館では夕食を提供しておりません」

「あ……そうでしたね」

「ご希望でしたら仕出し弁当をご注文頂けますし、近所には食事処も多数ございますので、そちらで済まされるお客様もおられます」

「考えてみます。ご丁寧にありがとうございました」

「それでは失礼致します」

 八犬はキビキビと頭を下げて退室した。


 それを見届けてから、柊は体を畳に投げだした。固い畳だったけど、骨まで埋まるような気がして心地良い。体よりも、心が休まっているのだろう。自宅で日常生活を過ごしていると、その日常から欠け落ちたものを、嫌でも思いだしてしまうのだ。




 ――昨年末、母のさつきを亡くしたショックは、どの程度残っているんだろう。


 交通事故に遭った母は、意識を取り戻す事なく担ぎ込まれた病院で亡くなった。あの頃は相当取り乱してしまい、唯一残った肉親の祖母には迷惑をかけたものだ。

 今では立ち直ったつもりではいるけれど、実際にはそうでもないのだろう。なにせ、母と一緒に失ってしまった『大事なもの』は、まだ自分の体に戻ってこない。仕事をクビになったのも、そのせいなのだ。



「……あー、もう。全部ふっきる為に旅行に来たのに、思いだしちゃうな」

 苦笑しながら上半身を起こす。

 せっかく泊りがけで宮島に来たのだから、島の遠くまで足を運んでみよう。医者からも『気分転換が大事』と言われているし、童心に帰って探検気分で散歩でもするのだ。


 そう決めて部屋を出たところで、階下からわめくような声が聞こえてきた。また樹かとも思ったが、下に降りてみると、宿泊客と思わしき中年男性が八犬に詰め寄っているのが見えた。



「おい、飯が出ないってどういう事だよ」

「本当に申し訳ございません。仕出し弁当で宜しければ……」

「弁当は弁当だろ? 格落ち感があって嫌だ、って社長が言ってるんだよ」

「しかし、料理ができる者は……」

「いないわけないだろ。それに、なにも豪勢な料理を希望しているわけじゃないんだ。家庭料理レベルでいいからさ!」



 その会話だけで、大方の事情は伝わってきた。社員旅行の団体客が、何かしらの行き違いがあって、料理が出るものだと思い込んで宿に来てしまったのだろう。


「……それが、家庭料理でも、なかなか」

「おい、中小企業の社員旅行だからって、ナメているわけじゃないよな?」

「滅相もございません。しかし……」

 おそらくは八犬も、同じ理由を何度も説明しているのだろう。

(いるのよねー、ああいうお客さん)

 柊は眉をひそめ、邪魔にならないように、二人の背後をゆっくりと通り過ぎた。



 ……しかし。

 自分なら、彼らの問題を解決できるんじゃないだろうか。

 男性は、なにも会席料理を求めているわけじゃない。

 家庭料理レベルで良いのだ。

 数週間前まで、下働きとはいえ料亭で働いていた自分なら、力になれるのだ。



(……やだ、なに考えてるんだろ、私)

 浮かび上がった考えから逃げだすように、歩調を速める。

 しゃしゃり出た結果、食中毒でも起こしてしまえば、旅館に大迷惑をかけてしまう。

 今の自分は、その危険性を秘めているのだ。

 やっぱり、関わらない方がいい。

 知らぬ顔をして、外に出てしまうのだ。

 自分は、もう料理人では……、




『広島の料理人とは、そういうものよ』




 ……母の言葉が、脚を止める。

 柊は踵を返し、ツカツカと二人へ歩み寄った。

 足音が大きかったのか、二人ともすぐに振り返った。それを待ち構えて、柊はひと際元気な声を張り上げた。



「あの……私で良かったら、ご飯、作りますっ!」

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