01
結局、振り出しに戻ってしまった。ペイタックス・ジャパンが脳科学記憶定着組織ワーキンググループと提携していたのは昔の話で、今は関係を解消しているらしく、何も情報を仕入れていない、というのだ。
仕方がないので、ペイタックス・ジャパン側の処理は遠藤ユリ監査官に任せることにした。だからといって立ち止まる訳には行かない。私は私の考えで行動を進めるのだ。ペイタックス・ジャパンが駄目なら、他の薬剤メーカーに情報を提供している可能性はないか?
そんなことを考えていたら、着信が入った。BMI―Lightningケーブルを接続し、応答する。
「もしもし、どちら様ですか」
「ユリです。ペイタックス・ジャパンの幹部が吐きました」
「何を?」
「瑞浪あずさが居る場所です。場所はアメリカ、シリコンバレーだそうです。シリコンバレーに研究施設を設置しており、そこで開発を進めているのが最後だった、とのこと。現在は一方的に関係を解消されてしまったため、その施設が何に使われているのかは分からないそうです」
「そう。情報ありがとう。早速向かってみることにするね」
「ああ、そうだった! それと、私のお付きが出来なくなりますので、代わりの者を呼び出しました。何でもかんでも好きに使ってください!」
そう言って、一方的に通話は切られた。
「信楽マキさんですね?」
そう言ってきたのは、黒いスーツに身を包んだ男だった。白髪は後ろで纏められていて、清潔な風貌だと感じられる。
しかし、私はこの人間が何者かはっきりとしない。いったい何者だというのか。
「自己紹介から始めましょうか。私は国際連合のアムス・リーデッドと言います」
「国連? いったい国連がどうして」
「国際記憶機構は国連の配下にあることはあなたもご存知でしょう。上がもうこれ以上、国際記憶機構の横暴には耐えられないと判断したのでしょうね」
「横暴、って……。こちらがやっていることは立派な捜査よ!?」
「重々承知しております。けれど、やはり、『面目』は立てておく必要がありますから」
「面目、ねえ。ただ手柄を奪い取られたくないだけではなくて」
「そうおっしゃられても仕方ないと思っています。ですが、事は一刻を争います。急いでミルクパズル症候群の大量発生を食い止めなくてはなりません」
「第二波が来ると、お考えなんですね?」
「そうでなければ、何が来るというのでしょうか? 敵グループは、ミルクパズル症候群の大量発生は自らが行ったことであると認めている。それだけではない。ミルクパズル症候群の罹患者が、記憶の定着に失敗して次々と死んでいる。秋葉めぐみさん……あなたの良く知る人物もです」
「めぐみが……死んだ、ですって?」
それは予想していなかった。
いや、予想できていたことじゃないか。
少なくともペイタックス・ジャパンの幹部と会話していたときから、そのときが訪れるのではないか、ということについて。
「それにより、国連は危険レベルを引き上げました。バックアップを取っていないBMI所有者には速やかにBMIを経由してバックアップを取らせること。それ以外の人間には、対策のしようがありませんからどうしようもないのですが、相手がBMI接続者を狙っているなら、これが最善策としか言い様がありません」
そう。
BMIの浸透率は未だ百パーセントになっていない。主に高齢者や子供を中心にBMIの埋め込みが進んでおらず、それでも九十五パーセントの人間がBMI埋め込みに成功している。
とどのつまり、七十六億人が被害者になる恐れがあるということだ。
そこまですれば、もはや国家転覆どころの問題じゃない。世界のシステムそのものが変わってしまう、重大な事故となりかねない。
「でも、第二波は未だ出ていないんですよね?」
「ええ。出ていません。だから困っているんです。これから我々はどうすれば良いのか、」
「今ちょうど情報を掴みました。何処に向かうべきか、ということについて」
「何処へ向かうのですか。私も着いていきます。場所を教えてください」
「シリコンバレー」
「は?」
「シリコンバレーに彼女たちは研究施設を所有していた。つまり、シリコンバレーに行けば何か残っているかもしれない。だから、私は今からそこへ向かう。着いていくというのなら、あなたもシリコンバレーに向かう準備をなさい。私は待つのが嫌いな人間だから、そのつもりで」
◇◇◇
「記憶は、いつまで経っても脳の中に残っている記憶と、いつかは忘れてしまう記憶があるの」
「へえ」
十年前。
瑞浪あずさ、秋葉めぐみ――そして、私。
三人が仲良く会話をしているシーンだ。
「長期記憶と短期記憶というのだけれどね。いつしかBMIの開発によってそれもどうでもよくなっちゃった。だって、BMIを使えば脳の記憶なんて関係なくなってしまっているんだもの」
「あ、そうか。BMIを使えば、どんな記憶だって外部に放出することが出来るもんね」
「そう。BMIさえあれば人間は記憶を長期的に覚えておく必要が無い。それって、人間の衰退に近いことなんだよ」
「衰退? どうして?」
「だって記憶が失われても、それがほんとうに失われたものなのか、はたまた外部へ流し込んだものなのか、区別が付かないから。人間の脳って、そういうところはいい加減なんだ」
「そうなんだ……」
「私たちのこの記憶は、永遠のものにしておきたいね? 信楽マキさん」
「ええっ? 何、急に」
「ふふ。言ってみただけだよ」
瑞浪あずさは笑っていた。
瑞浪あずさは微笑んでいた。
瑞浪あずさは――まるでこれから何をするのかを分かっていたかのように。
瑞浪あずさは私たちにとって、神に近しい存在だった。
とはいえ、崇敬しているとかそういう訳ではない。何でも知っているから、めぐみが『神様みたいだね』と言ったことから、そのようになってしまったと言えば説明が付くだろうか。
そんな私たちは、いつしか『同志』としての関係が結ばれていた。
どんなことがあっても、何があっても、私たちは一緒だ。
彼女はいつもそんなことを言っていた。
◇◇◇
シリコンバレーの焼き付いた日射しを浴びながら、私は歩いていた。
日傘とか日焼け止めとか塗るのがマナーみたいなところがあるかもしれないが、私はあの香り嫌いなのよね。日傘を差すというのもどこか鬱陶しいし。だから気づけばサングラスだけかけてシリコンバレーの研究所地域を歩いていた、という訳になる。
「日傘を差した方が良いですよ、女性の肌はこういうのに敏感だ」
アムス・リーデッドの言葉に、やんわりと答える。
「それで私の肌がどうなろうとどうだって良い。鬱陶しいのよ、日傘を差すのが」
そして。
私は一つの研究施設で足を止めた。
「オレンジ社、記憶開発センター……」
スマートフォンを開発している、オレンジ社の記憶開発センターだ。
文字通り取ってしまえば、怪しい名前であることは間違い無い。
しかしながら、こういうのは大抵ただの研究施設であることが多く、実際、今回もそうだろうと思っていたのだが――。
「まさか、ペイタックス・ジャパンがオレンジ社と繋がっていたとはね……」
あの、幹部が吐いたのだ。
ペイタックス・ジャパンはあくまでも薬となる『題材』を作り出したに過ぎない。
コンソールとなる物体は、オレンジ社で開発が進められていたのだ、と。
はっきり言って自分の刑を軽くして欲しいが為の内ゲバなのだろうが、そんなことは国際記憶機構には関係ない。しっかりと罰は受けてもらうのが当然の義務である。
「入るわよ、アムス」
そう言って。
私はオレンジ社の記憶開発センターへと足を踏み入れるのだった。
◇◇◇
オレンジ社、記憶開発センター。
担当者との会話は英語だが、流暢な英語の会話でも問題無く進むのが、国際記憶機構に務めていて良かったと言える事象だった。
「脳科学記憶定着組織ワーキンググループ……? 確かに開発協力していた頃があったよ。だが、それがどうかしたかね?」
「どんなものを開発しましたか? 分かりますか?」
「……どんなもの、か。確かコンソールを開発したね。スマートフォン型のコンソール。通信も出来るし、インターネットへの接続も出来る。だから、普通のスマートフォンと言えばそれまでだけれど、そういうものを開発していたね」
「規模は? 大体どれくらい?」
「かなりの規模……とは言いがたいものだったと思うよ。五十台ぐらいだったかな。開発の規模は小さめだったよ」
「スマートフォンの開発をした、だけ?」
「しただけ、だね。ソフトウェアは元々用意されていたものを組み込んだだけだったけれど」
「プログラムを組み込んだ……それはペイタックス・ジャパンから用意されたもの?」
「良く知っているね。確かにその通りだよ。ペイタックス・ジャパンから提供されたデータをそのまま組み込んだ。だから僕はそれがどのようなプログラムかは把握していないよ。残念なことではあるけれどね」
「どうして中身を見ようとしなかったの?」
「見たら契約違反になってしまうからね。見てしまわないようにすることで必死だよ。僕だって知りたい情報は多いに越したことはないけれど」
◇◇◇
あまり話している意味は無いようだった。
オレンジ社の情報統制は完璧であり、つまり、情報を流出させることが難しいということだ。
ペイタックス・ジャパンとオレンジ社の繋がりは見えてきたが、それ以上の、その先の繋がりが見えてこない。
その先に何かあるかが見えてこない。
思い出せ、思い出せ。
瑞浪あずさは、いったい何を隠していた――?
そんなときだった。私のスマートフォンが震動したのは。
「こんな時に誰から電話?」
発信元を確認すると、非通知だった。
この時代に非通知とは珍しい。公衆電話からかけてきている、ということか?
本来なら無視してしまう電話だったが、何故かこのときは私の本心が出ろと言っていた。
「……もしもし」
BMI―Lightningケーブルを接続して、電話に出る。
「久しぶりね、信楽マキさん」
無表情のようで抑揚のないその声に、私は聞き覚えがあった。
「……瑞浪あずさ……!」
「どうしたの、私のことを探していたんじゃなくて?」
「あなた、いったい何をしでかしているのか分かっているの!?」
「知っているよ。大量の人が死んでしまったね。悲しいことだね。分かっているよ、それぐらいのことは」
「悲しいこと、ですって……! あなたがやっているということは分かっているの! 今、何処に居るの! 国際記憶機構の調査を受けなさい!!」
「国際記憶機構……。そうか、今あなたはそこに所属しているんだね。一番鬱陶しい名前の機関だよ。私にとっては、一番潰さなくてはならない名前の機関であることは間違い無い」
「潰さなくてはならない……! あなたはいったい何を考えて」
「東京大学の三橋ケイタ教授を訪ねなさい」
「な……、」
「そこに次のプロセスが残っている。大丈夫、『瑞浪あずさが言っていた』と言えば直ぐに話を通してくれるはずだから」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
通話は、一方的に切られた。
名古屋、東京、シリコンバレー、そして東京。
瑞浪あずさの幻影は、私たちを何処へ誘うつもりなのだろうか。
今のところ、その真実は、まったく私には見えてこなかった。