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05

 というわけで名古屋の滞在時間は僅か二時間程度。買い物をしておきたいぐらいだったが、もし買い物をしてしまって名古屋に向かっていることがばれたら咎められかねない。だから買い物は控えめにしておいて、さっさと東京行きのリニア新幹線に乗り込んだ。リニア新幹線の方が安く済むし早く到着するから便利な面を考えればこれが一番良いことなんだよな。

 東京駅に到着すると、手元のスマートフォンがぶるぶると震えていた。

 このBMI浸透時代に、着信とは珍しい。BMI―Lightningケーブルを接続し、もう片方の端子を自らのBMI端子に接続する。そしてもう一方は、スマートフォンの端子に接続。これで脳に直接電話が出来るというもの。ネットワークを介して、通話空間に自らの意識の一部を移動させる。一部なので、勿論行動することは可能だ。但し、会話に関しては出来なくなるという欠点はあるけれど、そもそも電話で会話をしているのだからそれについては致し方無いといったところだろうか。


「もしもし、どうかなさいましたか?」

「もしもし、ということは今外出中ということかしら、信楽マキ監査官」

「……休暇を取っていると、報告したはずですが」

「そうね。それは聞いているわ。けれど場所までは縛り付けて良いはずよ。あなたがやらなくてはならないこと。それは何であるか分かっているはず。だのにどうしてあなたは、休暇を取ったのかしら? もしかしてそのメロディについて何か情報を得たのではなくて?」

「……何処までご存知のつもりですか、拝下堂マリア議長」

「あなたが伝えてくれた情報以上のことは知り得ていない。だから困っているのよ」

「困っている? それはあなたらしくない。直ぐに修正せねばならないのではないですか」

「あなたが伝えている情報以上のことが何も出てこない。となった以上、そのメロディについて我々も解析を進めなくてはならない。しかしながら、メロディを解析出来たのはあなただけ。言ってしまえば、解析のデータもあなたしか所有していないということになるのよ」

「私を無理矢理にでも働かせますか。それは労働改革法第七条に違反しますが」


 労働改革法、第七条。人間を休ませた場合は、いかなる理由においても出社させることを認めない。

 数年前に発令されたその法案を有難く利用させてもらおうと思っていた訳だが。


「ええ、そうね。しかしながら、その法案には穴があるわ」

「穴?」

「第八条。『但し、国際的に危機的状況である場合は前条の項目を満たす必要は必ずしも存在しない』」

「……」


 私は、心の中で舌打ちを一つした。


「つまり、今の状態は国際的危機にある状態だということ。……とどのつまり、我々がやらなくてはならないことは不眠不休でも行わなくてはならない。その意味が分かるかしら」

「分かりますよ。分かりますとも。それで? どうなさるおつもりですか」

「ああ、ここにいらっしゃったんですね。信楽マキ監査官」



 ――声が聞こえて、私は振り返った。



「そちらに監査官を派遣しているはずだけれど。もう到着しているかしら? ちなみに、位置情報を把握しているのも分かっているので、そのつもりで」

「その様子だと、未だ議長から報告を受けていないようですが」


 ブロンドのロングヘアーに、赤いスーツを身に纏った、とても目立つ女性は、私に向かって笑みを浮かべた。

 そして、その女性が何者であるか、私は既に理解していた。


「遠藤ユリ監査官……。どうしてあなたがここに、とは言わない方が良いのだろうね」

「ええ。きっと今議長から話を聞いている最中でしょうから」


 首元を指さしながら、頷く遠藤ユリ監査官。

 それにしても。

 まさか彼女がやってくるとは思いもしなかった。彼女はずっとサポートとして裏手に回ると思っていたからだ。


「ミルクパズル症候群の大量発生、それについて特務を命じます。信楽マキ監査官」


 脳内には、直接議長である拝下堂マリアの声が響き渡っていた。


「特務、ですか?」

「今きっと目の前に、遠藤ユリ監査官が居るのでしょう。彼女とともに行動し、ミルクパズル症候群の大量発生、次なる発生を阻止しなさい。報告は彼女から適宜して貰いますので、あなたがする必要はありません。では、以上」


 そう言って。

 一方的に通話を切りやがった。いや、切られてしまった。


「よろしくお願いしますね、信楽マキさん?」

「こちらこそよろしくお願いします、遠藤ユリ監査官」


 BMI―Lightningケーブルを外しながら、私は事務的にそう答えた。



 ◇◇◇



「それで、今からどちらに向かうおつもりですか、信楽マキ監査官」

「狭苦しい名前はやめて。マキで良いわ。代わりにこちらもユリと呼ぶから」

「……では、マキさん。どちらへ向かうおつもりですか?」

「あなたに伝える必要性はない」

「とは言われましても、私は議長に報告しなければならない義務がありますので」

「……ペイタックス・ジャパンよ」

「ペイタックス・ジャパン? 薬剤メーカーのはずですが、一体どうしてそちらへ」

「メロディを解析した結果、十年前私の目の前で死んだクラスメイトの情報が出てきた」

「ほう」

「そしてその解析を進めた結果、たどり着いたのが、脳科学記憶定着組織ワーキンググループ」

「脳科学記憶定着組織ワーキンググループ……聞いたことがありますね。かつてそのようなワーキンググループが国際記憶機構の一員として存在した時期があったはずですよ」

「!? その情報一体何処で入手したの!!」


 私は立ち止まり、遠藤ユリ監査官の顔を見つめる。

 遠藤ユリ監査官は笑ってこちらを向いていた。


「取引と行きませんか。こちらが持っている情報を提供する。その代わり、マキさんが持っている情報を提供する。ギブアンドテイクってやつです。どうです?」

「ギブアンドテイク、ねえ。確かに悪くない提案だと思うけれど」

「でしょう? だったらさっsと――」

「だけれど、それはパスさせて貰うわ。あなたが知りたいのなら、あなたが情報を得なさい。どのような情報なのか、どのような深淵なのか。ほら、聞いたことがないかしら? 深淵を覗いているとき、深淵もまた覗いているのだ、って。ニーチェだったかな? 古い哲学者の言葉だったと記憶しているのだけれど」

「ああ、そんな言葉がありましたね。……って、それで逃れようとしても無駄ですよ! 私が知りたい情報をあなたが持っていて、あなたが知りたい情報を私が持っている。これってちょうど良いことのはずでしょう!? だったらさっさと、」

「だから、言ったよね。私」


 言っても気づいてくれないか。

 だったら、深層を突く発言をした方が良いのかもしれない。


「それで、解決するのかもしれない。けれど、これには私の知り合いが関わっているかもしれない。それについては、あなたも既に知っている情報だろうし、それを拝下堂マリア議長に伝えても問題はない。けれど、これはきっと私たちの問題のような気がするんだ。私と、その少女との」

「だとしても! 今、世界を脅かしているのはその少女……いいえ、十年前に少女なら今は立派な女性となっているはずですが! その女性を守ろうと思うつもりですか! あなたは、大量殺人鬼を守ろうとしているのですか!?」

「……大量殺人鬼。確かにそうかもしれない。ミルクパズル症候群は、意識をも消失させる不思議な病気。ならば、それから人間の脳を守るのが私たち」

「そうでしょう!? でしたら、」

「でも、そうじゃない。そうじゃないのよ、ユリ」


 そんなものではない。

 そんなもので解決できるほど、世の中は甘くない。


「私が言いたいのはね、あなたが考えていること以上に、これは大きな問題となりつつある、ということ。そして、それを知り得るために今動いているということ」


 そう言って、私は歩き出す。

 向かう先は、東京の高層ビルの一角に軒を連ねる、巨大薬剤メーカー、ペイタックス・ジャパン。



 ◇◇◇



 十年前のことについて、少しだけ触れた方が良いのかもしれない。


「……信楽マキさん。あなたは気づいている? 記憶がどれだけ私たちの中で重要であるか、ということに」

「どういうこと?」


 私たちが通っていた学校には、中庭があった。その中庭にはさまざまな植物が生えており、景色を楽しむことが出来る。ベンチも幾つか設置されているため、お昼になればベンチで弁当を広げている光景をよく目撃することが出来る。

 私たちも、そのベンチで弁当を広げている面々の一つだった。


「記憶は私たちの、いいや、私にとっての、大切なものなんだよ。それは誰にだって変わらない。その記憶を持ち続けるということが大切であって、忘れてしまうことも仕方ないことなんだ。それが『意識』という価値観そのものだから」

「…………どういうこと?」

「記憶は意識と同一である。誰かが言っていた言葉だね。それを聞いて、私は思うんだ。例えば空っぽの身体があったとして、偽りの記憶を植え付けられたら、意識はどうなってしまうんだろう、って」

「難しい話は分からないよ」


 言ったのは、秋葉めぐみだった。いつも彼女は、こうやって彼女の――瑞浪あずさの話を切っていた。普通ならそこで怒ってしまうのかもしれないけれど、彼女はそれが彼女の意識であると言って認めていた。宥めていた、というのが正しいのかもしれないけれど。いずれにせよ、彼女はいつもどこか中空を眺めていたような、訳の分からない考えを述べ続けるような、何処か他の人間と違うところがあった。

 私は、それに憧れていたのかもしれない。

 私は、それに思いを馳せていたのかもしれない。


「……意識は、記憶に結びつけられる。それはきっと、正しいことだと思うんだよ。例えば、私の記憶を全て消し去ってしまって、そこにあなたの記憶を全て植え付けてしまえば、それは、意識は、あなたのものとなってしまう。遠隔で操作することは出来ないかもしれないけれど」

「ううんと、つまり、意識と記憶は関係していると言いたい訳?」

「ずっとそう言っているんだよ、つまりそういうことだって」


 彼女はずっと笑っていた。

 彼女はずっと微笑んでいた。

 彼女はずっと笑みを浮かべていた。

 そのことについて。

 私たちは訳の分からない状態だったことは確かだったけれど、少なくとも私にとっては、少し『かっこいい』と思えるようになっていた。彼女の不思議な感覚が、私の心を麻痺させていたのかもしれない。そう思うと、何処かおかしな人間だったのかもしれないけれど。


「ねえ、信楽マキさん」


 瑞浪あずさは告げる。


「あなたの意識とあなたの記憶は、絶対に無くしてはいけないもの。絶対に」



 ◇◇◇



 ペイタックス・ジャパンへ向かうバスに乗りながら、私はずっと考えていた。

 もし、瑞浪あずさがミルクパズル・プログラムの開発に携わっているのなら、十年前に言った言葉はどうなってしまうのだろうか?

 彼女は嘘を吐いていたのだろうか?

 彼女は真実を告げていなかったのだろうか?

 どうして彼女は、そんなことを述べておきながら、今になってミルクパズル症候群を増長させるようなものを開発しているのだろうか?

 私は、真実が知りたかった。

 ただ、それだけのことだった。


「マキさん、着きますよ」


 遠藤ユリ監査官の言葉を聞いて、私は我に返る。

 ペイタックス・ジャパンが入っている高層ビルは、もう目の前に迫ってきていた。



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