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04

 次の日、私は早速新幹線に乗り込んで、名古屋へと向かっていた。リニア新幹線が出来ているのでそちらを使えば良いのではないか、という声もあると思うが風景を楽しみたいのだ。そう考えてやはり利便性と風景を考慮すると、新幹線がベストな選択であることは火を見るよりも明らかだ。

 拝下堂マリアを先頭とした記憶科学ワーキンググループの面々には休暇であると堂々と伝えておいた。本来ならばその状況で許されるべきではない休暇ではあるのだが、私は目の前でミルクパズル症候群の発症を目の当たりにした人物として少しでもトラウマを克服してもらう必要があるとのことで、意外にもあっさり承認されてしまった。承認されるだろうな、とは思っていたがここまであっさり承認されると逆に興ざめしてしまうものだ。

 名古屋駅に到着すると、高い建造物がたくさん目の前に出てきた。名古屋は田舎、というイメージを払拭してくれたものである。まあ、リニアが通ったから、という理由があるのかもしれないけれど。

 改札を出て、出口で適当にタクシーを拾う。目的地である大学までは、車で三十分ほどかかるという。何というか、遠いところに置いてくれたものだと思う。もっと近い場所に大学を作ろうとは思わなかったのだろうか。まあ、車社会である名古屋にはそんなこと関係ないのだろう。車社会など、排気ガス問題が浮上しつつある現状、世界の状況から逆行している状態であるというのに。

 大学に到着して、総務部と呼ばれる場所へと向かった。事前にアポイントメントは取っていたため、すんなり進行した。逆にすんなり進行してくれないと困るものがあったが、そこはあっさりと進んでくれたので良かった。

 研究室へ案内され、ドアをノックする。

 しばし待機して、どうぞ、と嗄れた声が聞こえる。

 私は一息吐いて、失礼します、と言って中に入っていく。

 中に入って先ず目の当たりにしたのは、本の積み上がった塔だった。文字通り、塔と呼ぶのが相応しいだろう。研究者は良く本を積み上げると噂には聞いたことがあるが、実際に見ると何だか迫力があるというものである。


「汚い部屋で済まないね。片付けるのが面倒なもので、致し方無い。許してくれ給え」

「いえ、こちらこそ、急にアポイントメントを取ったのに許可して貰ってすいません」

「国際記憶機構の人間が、急に何の用かね?」


 やはり、そこに引っかかってくるか。


「……単刀直入にお聞きします。先生は、『脳科学記憶定着組織ワーキンググループ』についてご存知ですか」

「懐かしい名前だ。もう十年も昔のことだよ。そのワーキンググループに関わったのは。まあ、先ずは座り給え。インスタントだがコーヒーを出してやろう」


 そう言われて、私はソファに腰掛ける。荷物を横に置いていると、目の前のテーブルにコーヒーカップが置かれた。インスタントコーヒー独特の香りが広がった。

 私の向かいに座った教授は、話を続ける。


「さて。そのワーキンググループがどうかしたのかね?」

「あなたは十年前、ある少女の遺体を受け取った。そうですね?」

「遺体。はて、何のことかな」


 ここまで来て、しらばっくれるつもりか……?

 そう訝しんでいると、ほっほっほと笑みを浮かべた。


「そこまで調べられているなら、しらばっくれる必要もあるまい。そうですよ、確かに私は、十年前ある少女の遺体を家族から受け取った。その名前は――」

「――瑞浪あずさ」

「何だ。名前までとっくに判明していることだったか。ならば、どうしてここへ?」

「何故彼女の遺体を献体されたか、ということです」

「何故、ですか。…………その前に、彼女のことについて一つ否定しておかねばならないことから始めましょうか」

「何ですか」

「瑞浪あずさは死んでなど居ませんよ。十年前、あの時点では未だ生きていた」

「なっ……」


 いや、自分。分かっていたことじゃないか、瑞浪あずさが生きている可能性があるということは、あのメロディを解析出来た時点でなんとなく察しがついていたはずだ。

 しかしながら、その事実をいざ突きつけられると驚いてしまうものだ。

 教授の話は続く。


「彼女は上手く科学を騙した。十八歳未満はBMIを使った高度な記憶照合を行わない。それを狙ったのです。『疑似的に記憶を消す』薬を開発していた。そして彼女はそれを飲み干した。それによって、記憶を失ったと思い込ませたのです。遺体には遺書が残されていた」

「遺書?」


 それは初耳だ。十年前、彼女が『死んだ』時には遺書の存在など明らかにならなかったはずだ。


「ええ。それこそ、脳科学記憶定着組織ワーキンググループへ献体するということだった。彼女は最初からワーキンググループを利用するつもりだったのですよ。そして、疑似的に記憶を操作する薬の存在を私たちに公表してある『プログラム』を発表した」

「プログラム?」

「ミルクパズル・プログラムと名付けられたそれは、直ぐに我々ワーキンググループの開発対象となった。ミルクパズル症候群に打ち勝つのではなく、敢えてそれを利用するのだ、と。彼女はそう言っていました」

「ミルクパズル症候群を利用する、ですって……?」


 十年前の彼女は、なんと言っていただろうか。

 確か、BMIによる記憶バックアップを否定していたような。

 ならば、彼女がしたかったことは――。


「人間の記憶、そのものをリセットしてしまおうと考えた……?」

「どうでしょうか。もしかしたら、そんなことを考えていたのかもしれませんね。少なくとも、末端の私にはあまり事実が明らかにならなかった訳ですが」

「明らかにならなかった? それは一体どういうことですか」

「ワーキンググループには組織そのものとしての平坦としたものから、きっちりとピラミッド型に決められているものまで、数多く存在しています。あなたが存在しているワーキンググループは恐らく、前者になるのでしょう。情報を分け隔てなく提供する。まあ、あなたは今違った行動を取っている訳ですが。しかしながら、脳科学記憶定着組織ワーキンググループは違った。彼らは、後者だった。ピラミッド型に組織が設立されていて、構成員はそれぞれ『階位』を持ち合わせていた。私の場合は、十階。一番下っ端ということです」


 つまり段階は十段階存在していた、ということ。

 そして、瑞浪あずさの考えていた理論は十階の人間には知らされなかったということ。

 しかし、それで物事が上手く進むものなのだろうか?


「瑞浪あずさの考えた計画は完璧であると常日頃から上階の人間が言っていました。成功すれば我々が世界の上位に立つことが出来る。『世界の全員の脳を弄くることが出来る』そのハーモニーを見つけるまで、時間はかかろうとも、お金はかかろうとも、彼らはそれを躍起になって探していました」


 いわゆる、ブレイン・コードだ。

 ブレイン・コードを見つけることは、全人類の課題となっており、それを見つけてしまえば人間の脳を掌握することに等しい。それを見つけていち早く庇護対象に置かねばならない――それが我々、正確には私が所属している記憶科学ワーキンググループだ。

 しかし、それを私欲のために使おうとしたのが、脳科学記憶定着組織ワーキンググループだということだ。はっきり言って、おぞましい。そんなことが実際に行われようとしていたなんて、出来ることなら、あまり考えたくないことだった。


「しかし、そのハーモニーを見つけるのは、そう簡単なことではなかった。一人、また一人、研究員が病んでいき、辞めていった。私もその一人ですよ。自分の仕事をしながら、それを探すことの難しいことといったら。上階の人間は理解しようとはしませんでしたがね」


 理解しようとはしなかっただろう。

 理解しようとは思わなかっただろう。


「私が知っているのはそれだけです。それ以上のことは知りません。知ろうと思っても、ロックがかかっていて、何も知り得ることが出来なかったのです。ですが、彼らは未だ研究を続けていると思われます。何処で研究しているかどうかは……そうですね。確か最後に言っていたのは、」

「言っていたのは?」

「東京にある、ペイタックス・ジャパンという薬剤メーカーをご存知ですか?」


 ペイタックス・ジャパンと言えば、脳科学における薬剤を提供している世界的メーカーの日本支部だったはずだ。ジャパンとついているが、資本関係は殆どなく、フランチャイズみたいな関係になっていたと聞いたことがあるが。


「ペイタックス・ジャパンと脳科学記憶定着組織ワーキンググループは組んでいます。ペイタックス・ジャパンの技術と、脳科学記憶定着組織ワーキンググループの技術を重ね合わせて、我々は新たなプログラムを生み出そうとしていた。人間の脳から記憶を消去するプログラム、ミルクパズル・プログラムを」



 ◇◇◇



 大学を後にして、私は近くのカツ丼店に入った。

 味噌カツが有名だというので、味噌カツ丼を注文する。カウンターの椅子に腰掛けると、気前の良さそうな店主が声をかけてきた。


「女性一人で入るなんて珍しいね。観光かい?」

「まあ、そんなところです」


 仕事です、と言っても良かったのだが今の状況が仕事かどうか微妙なところがある。


「名古屋は車が多くて大変だろう。バスも多いしな。人が住む街かどうかは分からないが、車が必要な街であることには変わりない。なにせあのトヨタがある街だからな!」

「そうですね……。確かに車が多くて。タクシーを使って利用しているのですが、車の多さに圧巻しています。東京じゃあ、殆ど車は見なくなりましたからね」


 東京を支配しているのは、車ではなく、ライトレール――つまり路面電車である。路面電車の方が排気ガスも出さなくて良いし、時間に正確であるからそちらの方が良いとオリンピック前後あたりから整備が進み、今や大半の道路がライトレール化している。あれほどモータリゼーションに押されたのに、今や日本の首都がライトレールによって支配されているというのだから珍しいものだ。

 しかしながら、ライトレールにするにもお金がかかる。幾ら排気ガス問題を解決するといっても、お金がなければライトレールを設置するのも出来ない。だから地方都市はなかなかそこまで発展出来ないのが現状なのだ。


「そうだよなあ。俺もこの前東京行ったんだけれどよ、殆ど車が走っていないからびっくりしちまったぜ、まったくよう。日本っていつからああなっちまったんだろうな? あ、お客さん、味噌カツ丼お待ちどう。味噌汁もこちらね!」


 早っ。

 会話に集中しているからもう少し時間がかかると思っていたのだが。

 まあ、いいや。出来たなら早く食べてしまおう。暖かいものは暖かいうちに食べてしまうのがマナーというものだ。


「いただきます」


 両手を合わせて、先ずはいただきますの挨拶から。

 それを終えた私は割り箸を割って(木材の問題がああだこうだ言っているけれど、未だ洗える箸に転換出来ている企業は少ない。これも地方都市と東京の差だろう)、ご飯が見えないぐらい埋め尽くされた味噌カツの一切れを口に運んだ。

 美味しい。サクサクとした衣に味噌だれが絡んで、それでいてジューシーな味わい。これはご飯が進むというものだ。よく見ると、ご飯と味噌カツの間にはキャベツが敷かれている。油が直接ご飯に染み込まないように考えられているのだろう。キャベツはちょうどしんなりしていてちょうど良い箸休めになる。味噌汁も豆腐の味噌汁というスタンダードなものでこれまた美味。赤だしってこんな味付けなのか。意外と濃い味付けなんだな。いや、赤だしに何を期待していたんだ、という話になる訳なのだが。

 そんな食レポじみたことをしていたら、あっという間に完食してしまった。ふう、ボリュームがあった。なかなかの味わいだった。


「ご馳走様でした」


 両手を合わせてこれまた挨拶。

 食事に対する感謝みたいなものだ。何でも海外の人にとっては珍しいらしく、日本人は礼儀正しいと言われるのはこういうものがあるから、だという声も少なくない。

 外に出て、私は考える。

 脳科学記憶定着組織ワーキンググループのことを、記憶科学ワーキンググループに伝えるべきだろうか。

 瑞浪あずさのことを、伝えるべきだろうか。

 食べている間もずっと脳内でぐるぐる回っていたそのことを、私は決めかねていた。

 話すならはっきりと話してしまった方が良い。しかしながら、話してしまったら私が自由に動けなくなる。きっとワーキンググループの面々は力を利用して警察などフル稼働させるに決まっている。そうすれば、瑞浪あずさに会える可能性は限りなくゼロに近くなる。

 私は、瑞浪あずさに会いたかった。

 会って、直接話を聞きたかった。

 どうしてそんなことをしたのか。どうして十年前、私たちを『裏切った』のか。

 そのことについて、どうしても解決させたかった。

 ならば、行うことはただ一つ。最初からとっくに決まっていたことだった。


「私だけで、もう少し調査を進めてみよう」


 そう思って、私は名古屋駅に向かうタクシーを確保するために道路を見始めるのだった。



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