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03

 データの解析を進めろ。

 簡単に言ってしまったものだが、そんなこと出来るのだろうか?

 そんなことが、簡単に出来てしまうものなら、苦労しない。

 とにかく、今は彼女に会うことを優先した。

 病室に向かうと、ベッドに横になっていた。


「……ねえ、いつになったら解放されるの? さっきから、ずーっと診断やら治療やらし続けて頭がパンクしそうだよ」

「ごめんね。直ぐには解放出来そうにないよ。それは私の権限で出来ることじゃない」


 秋葉めぐみ。

 私と一緒にショッピングモールに向かい買い物を済ませた後食事を行い――そこでミルクパズル症候群を発症させた女性。

 今は一ヶ月前の記憶がインストールされており、その記憶は完全に消去されたものとなっているのだが。


「それにしても、久しぶりだね。マキ」


 上半身を起き上がらせると、笑みを浮かべて彼女は言った。

 違う。

 私はつい昨日も会っていた。あなたと一緒に、ショッピングモールに行っていた。

 けれど、その記憶は忘却されている。

 ミルクパズル症候群は、切なくも儚い人間の敵だ。

 そんなものはさっさと居なくなってしまえば良い。

 けれど、どうやって解決すれば良いのかは、今の技術でも分からなくて、バックアップを取ってそれから復旧させることがやっとのこととなっている。それ以上のことは、現段階の人類の技術では到底及ばない。


「……ねえ、マキ」

「どうしたの? めぐみ」

「この入院が終わったら、一緒にショッピングをしようよ! 何だか私にはその行動をしたという情報があるらしいんだけど、ミルクパズル症候群を発症させてしまったからか、記憶が飛んでしまっているんだよね。だから、今度こそまた二人で!」

「うん…………うん…………。分かったよ、めぐみ」


 ミルクパズル症候群は、一度発症させた場合再発する可能性はゼロとは言い切れない。

 いや、寧ろ。

 ミルクパズル症候群を発症した後に再発していない人間を探す方が難しいことだろう。

 それゆえにミルクパズル症候群は再発率が高く、治療が進まない病気なのだ。

 記憶を失えば失うたび、何度も何度もバックアップさせた記憶をインストールするほか道はない。

 しかしながら、人間の脳にも限界はある。実証実験を重ねた訳ではないが、マウスでの実証実験では三十五回程度のインストール後は、何度インストールさせても脳が記憶を定着させないのだ。

 とどのつまり、海馬にも限界があるということ。

 それは分かっているのだけれど、人間は何度もインストールさせようとしてしまう。

 そして、やがては人間の脳に記憶が定着しなくなり、死に至る。

 実際、そんな人間を私は何度も目の当たりにしてきた。

 悲しまないようにするつもりだった。

 涙を流さないようにするつもりだった。

 けれど、実際に知り合いがこうなってしまうと、悲しいものがあるのだ。そう、私は実感した。


「ねえ、聞いてるの? マキ」

「うん? 聞いているよ、めぐみ。どうかしたの?」

「さっきからぼうっとしているから、聞いていないのかな、と思って」

「ああ、そういうこと。大丈夫。ちょっと忙しいけれど、大丈夫だから」

「本当に? 本当に大丈夫なの? ちゃんと注意した方が良いよ。ま、私が言えることじゃないのかもしれないけれど」

「そうだね。……まあ、あなたが言えることかどうかは別として」

「余計な一言だよ、マキ」


 彼女を見て、私は立ち去っていく。彼女が元気なら、それで構わない。後は回復を待って、退院して貰えれば良いだけのこと。同じ病院にして貰えて大変有難いことだったけれど、今は私は休職中の身。あまり関わっていては困るのだ。

 そう。

 私がやらなくてはならないことは、他にある。




 データの解析を進めろ。

 簡単に言われてしまったが、そう簡単に出来る話ではない。

 とはいっても、それを無視する訳にもいかない。実際問題、犯行グループがどのようにミルクパズル症候群を発症させているか分からない状態で、被害者の脳を解析するということは唯一の希望となっているのだ。

 分かっては居る。分かっては居るのだが、そう簡単に進めることが出来ない。

 そう簡単に出来るなら、苦労しない。

 しかしながら、人間の脳が危機に瀕している今、これを難儀している必要姓は皆無だ。


「……データを解析しろ」


 自らに言い聞かせる。


「データを解析するんだ」


 後はデータを解析するだけ。

 解析する、と言ってもそれはコンピュータに任せるだけ。自分はただプログラムを起動させれば良いだけ。それ以上のことは行わなくて良い。だから、あまり気にすることはない。


「データの解析を進めろ」


 自らに言い聞かせる。

 何をすれば良いのか、何をするべきなのか、何をしなくてはならないのか。

 そして、私はプログラムを走らせる。

 プログラムを走らせると、同時に解析結果が画面上に表示される。図式を眺めていくのは面倒だから、私はUSB―BMI変換ケーブルを手に取り、コンピュータのUSB端子にそれを接続した。そして、もう一方の端子を私の首元に接続する。後は自動的にプログラムを走らせれば良いだけ。それで勝手に脳内に整理されたデータが蓄積されていく。蓄積、と言ってもデータの海からデータを抽出するだけに過ぎないので、別に記憶の書き替えを行うとかそういう訳ではない。それをしてしまったら、記憶の定着が出来なくなってしまうから。それを行えば、記憶バックアップ技術が適用されなくなってしまうから。


「……これは、メロディ?」


 やがて、一つの着地点に到達する。それはメロディだった。最初は幾何学的な何かだと思っていた。しかし、それが一つのメロディ、一つの音階、一つの楽曲を描いていることに気づいた私は、たまらずケーブルを抜去してしまうところだった。

 しかし、すんでの所でそれを止めて、さらに解析を進めていく。

 このメロディは聞き覚えがある。

 このメロディには、聞き覚えがある。


「このメロディは……!」


 思い出すのは、十年前の過去。

 私と、秋葉めぐみ、そして、瑞浪あずさの過去。



 ◇◇◇



 瑞浪あずさは歌を歌っていた。

 その歌は朧気で、儚げで、どこかもの悲しい感じがあった。


「……悲しい歌だね」


 私は、瑞浪あずさにそう告げていた。

 瑞浪あずさは笑う。


「これはバラードだよ。もの悲しくて同然の楽曲だ。寧ろ、私たちには聞く必要も無いくらい悲しい歌なのかもしれないけれどね」

「聞く必要も無いくらい?」

「私たちの親が聞くぐらいの楽曲しか、今は残されていないよ。明るい楽曲ばかりになってしまっているんだ。私たちの気持ちを暗くさせないために、わざとそれに触れさせないようにしているんだ」

「どうして?」

「それはね、記憶の定着に関係するから」

「記憶の定着に?」

「感情が豊かな人は、記憶力が良くなるらしいんだよ。けれど、大人は、子供にそれをさせようとしない。わざと記憶力を落とす形にしているんだ」

「どうして?」

「どうしてだろうね?」


 敢えてだろうか。

 敢えて、彼女は私に聞き返してきた。


「どうしてだろう。分からないよ」

「そうだね。いつかは分かる日が来るかもしれない。わざと記憶力を低下させていること、その理由について」


 そうして、彼女はまた歌い出した。

 その歌は、やはり悲しい歌だった。




「……メロディが残されている?」

「はい。そのメロディとの因果関係は、はっきりとしません。ですが、それが残されていたということ、それが唯一の証拠だということは確かです」


 私は、はっきりとそれを告げることにした。

 瑞浪あずさが絡んでいるかもしれないということ。それは出来れば隠しておきたかった。だから、それは言わなかった。言わずにしておいた。言いたくなかった。だから、私は敢えて恣意的に、『メロディが残っていたことだけ』を告げることにした。それ以上のことは言わずにしておいた。その方が、私にとって都合が良いと思ったからだ。


「……そのメロディというのが引っかかるわね。抽出は?」

「既に九割方終わっています。再生しますか?」

「いや、犯行グループの罠の可能性がある以上、むざむざそれに引っかかるつもりはないわ。そのメロディは、非公開にしておいて」

「……はあ。非公開、ですか? 会議に提出する訳でもなく?」

「会議に公開したら、物議を醸し出すのは当然でしょう。それに、その音を公開しろと宣う人間が出てかねない。それはテロ行為の増長に他ならない。それだけは避けなくてはならない。良いわね?」

「……分かりました。でも、一応転送だけしておきますよ。くれぐれも扱いにはお気を付けて」

「分かっているわよ、それぐらい」


 話を聞いて、そのままデータを転送した。嫌いな人間ではあるが、組織に所属している以上上司の命令には逆らうことは出来ない。そう思って私は、データを転送していくコンピュータの画面をただ眺めるのだった。




 私は私で調査を進める必要があった。

 理由は当然ながら、瑞浪あずさが関わっている可能性があるということだ。彼女は十年前、ミルクパズル症候群に自ら罹り、自死したはずだった。だから瑞浪あずさは今生きているはずがない。

 私は直ぐに瑞浪あずさの両親を尋ねることにした。理由は適当に、『友人と会話が弾んで懐かしくなったので』とだけ告げておいた。それ以上のことは言わないでおいた。


「……そうですか、あずさの古い友人と。それにしても、亡くなってから十年。まだあの子の話をしてくれているのは本当に有難いことです」


 線香を立てて、お鈴を鳴らした。

 正座のままテーブル脇に移動すると、瑞浪あずさの母親がお茶を出してくれた。


「ありがとうございます、お母さん」

「いえいえ、あの子のことを思って来てくれたんですもの。こちらもきちんとおもてなしをしないと」

「彼女のことなんですが……、あの、一つ気になることがありまして」

「何?」

「彼女は……あずささんは、死後遺体はどちらに運ばれましたか?」

「……それは」


 言い淀んだ。

 つまり、人には言えない何らかの事実があるということ。それだけは間違いなかった。


「お願いします。大変失礼なことだとは分かっています。ですが、今、あずささんの遺体が何処に運ばれたのか確認しておかねばならないのです」

「……『脳科学記憶定着組織ワーキンググループ』」

「何ですって?」


 聞いたことのない単語が出てきて、私は面食らった。


「そのグループに所属しているという科学者が、献体して欲しいと言ってきた。私たちは最初それを拒否しようとしたのだけれど、」

「拒否出来ないほどの事情があった……例えば金銭的な問題、ですか?」

「!」

「……大丈夫です。絶対にあなたたちの事情を漏らすつもりはありません。ですから、真実を伝えて欲しいのです。彼女の遺体は、そのワーキンググループに運ばれたのですね?」


 瑞浪あずさの母親はこくりと頷いた。

 ならばこれ以上の滞在は不要だ。私はお茶に一口飲み、そのまま立ち上がった。

 玄関で靴に履き替えようとした矢先に、瑞浪あずさの母親が名刺を持ってきた。


「……それは?」

「私が貰った、その、ワーキンググループとやらの、名刺です。役に立つなら、と思って」

「頂いて良いのですか?」

「構いません。もう私には必要のない代物ですから」


 ありがとうございます、と一礼して名刺を受け取る。名刺には『脳科学記憶定着組織ワーキンググループ』のほかにとある大学名が書かれていた。


「名古屋、か……」


 それは、次の目的地を示す手掛かりでもあった。


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