02
瑞浪あずさの呪縛。
それはずっと続いていた。あの出来事が起きるまで、ずっと隠匿され続けていた。
瑞浪あずさはつまり、それ程のカリスマを持ったリーダーであったということ。
彼女の呪縛から解き放つこと。それが私に課せられた新たな任務だった。
「瑞浪あずさは、常日頃から『フクシマ』という場所を好んでいた。もしかしたら、フクシマに彼女の原点があるのかもしれない」
拝下堂マリアとの会話をリフレインする。
「フクシマに、瑞浪あずさの痕跡が? でも、彼女の情報に沿って進んできた『住良木アリス』という人間は何も情報を持ち合わせてはいませんでした」
「彼女は何も情報を流出させなかった。しかし、フクシマで研究をし続けていたというのは事実よ。ということは、そこに執着させる何かがあるはず」
同時に思い出すのは、十年前の瑞浪あずさの行動だ。
彼女はいつも図書館で昔の日本の写真を眺めていた。昔、と言っても私たちが生まれる数年前の歴史。日本が大きな震災で被害を受ける前の話だ。その地図をずっと眺めながら、彼女はずっと笑みを浮かべていた。
「ねえ、その地図の何処が面白いの?」
私は質問をしたことがある。
しかし、瑞浪あずさは具体的な答えを私に提示してはくれなかった。
「世界は日々変わっていく。人間の行動によって大きく変化を遂げてしまうことだってある。それっておかしな話だと思わない……? 信楽マキさん」
「言っている意味が分からないよ、あずさ。あなたはいったい何がしたいの?」
「神様は、人間に罪を負わせたんだ。何故だか知ってる?」
宗教学の授業で学んだことがあるから、それくらい覚えている。
ええと、確か蛇に唆されて知恵の木の実を食べてしまったからだった――はずだ。
「そう。知恵の木の実。人間はそれを食べてしまったから、神様に罪を押しつけられたんだ。いわゆる『原罪』という奴。それをどうにかしないと。人間は永遠にこの世界に留まったまま」
「……どういうこと?」
「私はね、信楽マキさん、人間を別の世界に運ぶ役割を担いたいと考えているんだよ」
「別の世界に?」
「原罪を洗い流せば、人間は別の世界に遷移することが出来る。とどのつまり、神の空間に移動することが出来る。神の空間は、どんな空間なのでしょうね? 想像するだけでワクワクしてきちゃう」
「そんなこと、宗教学の増田先生に聞かれたら、たまったものじゃないと思うよ」
「どうして? 言論の統制なんて行っていないんだから、別に何を話したって私の問題。別に悪い話でも何でもないじゃない。寧ろ、それを楽観視しなくちゃ」
「楽観……視?」
「良い? 信楽マキさん。神から与えられた罪はたった一つ。それは肉体に紐付いているから、肉体を排除しなくてはならない。精神だけの世界に向かわないといけないの。ずっとそれは不可能だと思われていた。けれど、それを可能とする装置が生み出された。何だと思う?」
「ええと…………BMI?」
「そう。BMI。あれを使えば人間の意識を電子化して一つにまとめ上げることが出来る。精神の世界の誕生だよ。素晴らしいことだとは思わない? 信楽マキさん」
◇◇◇
「思い出した……!」
瑞浪あずさは、確かに言っていた。
十年前に、この事件の全てを。
そして、どうしてそれを行うのかと言うことについて。
となれば、向かう場所はたった一つだ。
私は目的地へと急いだ。
最終目的地になるであろう、その場所へと。
◇◇◇
フクシマ・アシッド・パーク。
旧福島第一原子力発電所跡地に建てられた公園だ。
技術が進んだとはいえ、まだまだ土地の中心に入るには許可が要る。私は国際記憶機構の力をフルに利用して、どうにか中に入ることが出来た。狭苦しい防護服を身に纏いながら、私は中へと足を踏み入れる。
汚染水が溜まるタンク、原子力による突然変異したは虫類の数々。
そんなものを見ながら、やがて中庭に出た。
その瞬間、拍手が起きた。
いったい何が起きたのかと思い、携行していた銃を構える。
「銃を構える必要なんて無いんだよ、信楽マキさん」
あの声だ。
あの声がするということは、近くに居るのは――。
「瑞浪あずさ……!」
中庭の向こうに、瑞浪あずさの姿があった。
白いドレスに身を包んだ彼女は、防護服を着てはいなかった。ならばどうやってこの空間に入り込むことが出来たのだろうか。常に監視されている、この旧福島第一原子力発電所跡地に。
「どうやって入り込んだのか、みたいな表情を浮かべているね?」
瑞浪あずさの言葉に、私は何も答えられなかった。
それを無視して、彼女はさらに話を続ける。
「簡単なことだよ。監視カメラの画像を『だまし続けている』んだ。だから今、監視カメラにはあなたしか写っていない。安心して良いんだよ、信楽マキさん」
「どうして、秋葉めぐみを殺したの」
「あれは残念だったね。偶然だったから、私たちにも操作しようがない。言ってしまえば……お気の毒様、と言うしか言い様がないね」
ドン! と銃を撃つ音が響き渡る。放たれた銃弾は彼女の顔を少し掠め、コンクリートの壁に跳弾する。
「お気の毒様、ですって?」
一息。
「私にとっては、いいや、あなたにとっても! 大事な友達だったはず! それを、あなたが行った計画によって死んでしまった彼女を『仕方ない』と済ませることが出来る訳がないでしょう!? それは、あなたが一番良く理解しているはずだと思っていたのに……」
「絶対と、安全は、共存しないんだよ」
「何を……?」
「数十年前、ここに原子力発電所が設置された。そのとき、多くの人間が反対した。しかしながら、国家は安全神話を念頭に置いて交渉をし続けた。それにより、ここに設置されることになった。……けれど、その安全神話は僅か数十年で砕かれることになった」
「あれは、十メートル以上の高波がやってきたことにより安全装置がすべて壊れてしまったものだと、そういう公式の見解も出ていたはず! それはまったく関係の……」
「でも、それによって多くの人間が土地を失い、多くの人々が亡くなった」
瑞浪あずさの話は続く。
冷たく、それでいて、長く。
「多くの人間が土地を奪われ、土地を失い、人を失い、家族を失い、学校へ行けなくなり、様々な被害を生んだ。それは神が与えたもうた試練そのものだという考えが正しいと思わない?」
「……何ですって? つまりあなたはあの震災も、あの被害も、すべて神様が与えたものだと言いたい訳!?」
「そう。これは全て、神様の理論によって起こされていることに過ぎない。神様の双六場の上で私たちは回されているだけに過ぎない。それもこれも全て、」
「原罪を背負っているから?」
こくり、と瑞浪あずさは頷いた。
「人間の原罪を洗い流すことは出来ない。それは肉体という器を持っている人間が、その肉体に染みついているものだから。では、その肉体を捨て去れば? 神から与えられた原罪を消し去ることが出来るのではないかしら」
「だからミルクパズル・プログラムを実行しようとしている訳!? 副作用の、精神が一つに集中されるという重大な副作用を敢えて利用する為に!!」
「ええ、そうよ」
はっきりと言い放った。
瑞浪あずさは私の疑問を、そんなことどうだっていいと言わんばかりに。
はっきりと答えたのだ。
「私が考えたプランに、BMIが上手く乗っかってきてくれた! それは私だけではなく、プログラムのチームが皆考えていたことよ! その先に生まれる物は人間の原罪が洗い流された状態! とどのつまり、人間が人間としての真の価値を生み出した瞬間! BMIを埋め込んでいない人間については、申し訳ないことだけれど、それは『選択』によるものだから致し方無し。いずれにせよ、私たちにとって救われる人間が一人でも居るならばそのプログラムを起動することは間違っていないとはっきりと言えるわ」
「そんなことさせない」
私は銃を構える。
かつての十年前の友人に。
かつて志を共にした友人に。
瑞浪あずさに。
「今更私を撃っても無駄よ。だってプログラムは既に実行されているもの」
「……何ですって?」
「私は、プログラムを実行させた。三十分もすればBMIを接続している人間は全員メロディを耳にして、意識を肉体から分離させることが出来るはず。その言葉の意味を、きっとあなたも理解できていると思うのだけれど。私たちにとっての悲願を、そう簡単に諦めてたまるものですか」
「あら、そう」
しかし、私は銃を構えるのを辞めない。
「だから、私を撃つのは見当違い。強いて言えば、プログラムを走らせているサーバを撃てば済む話かしら。それとも、もう諦めたのかしら? 私と一緒の意識に眠ることを嫌っているつもり? だとしても駄目だよ。三十分もすれば、意識は統一され、やがてBMIを埋め込まれている人間は全員が――」
「そういうことじゃない」
「え?」
「そういうことじゃないんだ」
私は、照準を合わせる。
瑞浪あずさの心臓に。
そして、私は瑞浪あずさの心臓を貫くように、銃弾を撃ち放った。




