01
嫌な夢を見た。気がした。
夢というのは記憶されているかされていないかで考えると、記憶されているそうなのだが、それを思い出すのは難しいと言われている。もし記憶しているならば、日記につけないほうがいい。精神が狂ってしまうから、と言われている。いわゆる夢日記というやつだが、それは、記憶の整理が常となっている夢の世界を現実の世界と混同することで起きるものであり、とどのつまり、そういうことが起こるから、夢日記をつけないほうがいいと言われているのだ。
「……今日も、捜査に入らないとね」
シャワーを浴びながら、今日の予定を立てる。今日もフクシマに居る予定だ。フクシマという場所をいたく気に入ったからだとかそういう訳ではなく、フクシマにもっと何か手がかりがあると踏んでいる為である。たとえそれが国際記憶機構の意思に反する行為だとしても、私はそれに従わなくてはならない。
それは、何の意思によるものなのだろうか?
答えは、紛れもなく、自分の意思によるものだ、と宣言出来る。
私は、私のために、私が生きていくために、行動する。その意思は誰にも囚われるものではない。
「さあ、行動を開始しましょうか」
そう言って、私は自らの気持ちを奮い立たせた。
今日こそ何か良い情報が見つかれば良いのだが。
◇◇◇
とは言った物の。
フクシマの道並みは何も変わらない。数十年前に地震が起きたなんてことを忘れさせてしまう程だ。
「とはいえ、歩いただけで何かが見つかるなら苦労はしないのよね……」
だから、彼女は少しでも瑞浪あずさの情報を掴みたかった。可能であるならば、彼女の背後に存在する脳科学記憶定着組織ワーキンググループについても調査を進めておきたい、そう考えていた。
しかしながら、そう簡単にアイデアが浮かぶ訳もなければ情報が出てくる訳でもない。「このまま闇雲に突き進んでいっただけじゃ何の意味も無い、か……」
しかし、ヒントが0に近い状態で、どうすれば良いのか――。
「こうして、また、私を訪ねに来たという訳ですか」
「住良木アリスさん。こうしてまた時間を設けて貰えて、我々にとって大変有難いことです」
「……何を目的としているのでしょう? 私も時間が有り余っている訳ではない。ですから、簡潔に物事を述べて貰わないと困るのですよ」
「あなたは知っているはず。瑞浪あずさが今、どこに居るのかを。それをあなたの口から教えて貰いたい。ただそれだけで済む話なのです。ねえ、簡単でしょう?」
「ノー、と答えたら?」
「あなたと脳科学記憶定着組織ワーキンググループの関係性を洗い出し、逮捕します。そしてそこで何が何でも瑞浪あずさの情報を引き出す。警察の常套手段ですよ」
「亡霊」
「え?」
「瑞浪あずさの亡霊に取り憑かれているのは、きっと私たちだと思っていた。けれど、その様子だとそれは違う。あなたこそ、瑞浪あずさの亡霊に取り憑かれている存在なのかもしれない」
「瑞浪あずさは生きているはずよ。それこそ、名古屋大学の教授が語っていた事実なのだから」
「……言わせて貰うと、私たちも彼女が存命かどうかはっきりと見えてこない、というのが現状なのよ」
「…………何ですって?」
「瑞浪あずさの代行者からの発言が、我々脳科学記憶定着組織ワーキンググループに提供される。そしてワーキンググループで得た情報も代行者に提供することになっている。ここでおかしなことに気づかないかしら? 瑞浪あずささえ生きているならば、その代行者の存在など必要ないということに」
「瑞浪あずさは、極端に人との交流を嫌っていた節がある。もしかしたらそれが原因かもしれない……!」
「だとしても、それは異常だとは思わないかしら?」
「……異常。確かにそれは間違っていないと思う。けれど、瑞浪あずさの今までの動きを見ていれば、それは最早通常なことのように思えてくる。決して外に出ようとせず、駒とした人間によって行動を促進させていく。それは決して珍しいものじゃない。瑞浪あずさはそれを目指そうとしたのではないかしら?」
そもそも。
脳科学記憶定着組織ワーキンググループにとって、瑞浪あずさはどういう立ち位置に経っているのだろうか? 指導者? 責任者? それともただの人間?
後者は有り得ないだろう。ミルクパズル・プログラムを主導しているのが彼女であるとするならば、彼女はそれ相応の地位に立っていると言うことは間違い無いだろう。
では。
瑞浪あずさはやはり一人でそれを作り上げているのだろうか?
或いは、何人かの人間によって作られているのだろうか?
答えははっきりと見えてこない。見えてこないからこそ、見えてこないから故に、謎が深まっていく。彼女はいったい何をしたいのか。彼女はいったい何がしたくて、それを実行しようとしているのか。
単純に、人間の意識を消失させたい為?
それともそれ以外の『何か』が理由として存在しているのか?
「瑞浪あずさを確保することは私も考えている事象であります。そして、瑞浪あずさがやろうとしていることも認めざるを得ない。それを絶対にしでかしてはならないのです。……きっと、あなたもそれには気づいていると思うのでしょうが」
「……今、あなた、BMIに接続していますか?」
「いえ? 接続した方が宜しいですか?」
「その方がホログラムが表示されるので、便利かと思います」
拝下堂マリアに言われたとおりに、私はBMI―Lightningケーブルを接続する。
拝下堂マリアのホログラムが、脳内に表示される。
「あなたは理解していない。やるべきことを考えていない。それを理解しているかどうかはまた別として」
「……何を考えているのですか? 拝下堂マリア議長。わざわざBMIを接続させてまでするべき話の内容だったのですか?」
「これは今、秘匿回線で接続しています。その言葉の意味が分かりますね?」
「……私とあなた以外で話してはいけないことを、これから話すと?」
「その通り。そしてこれは、知られてはならない事実です」
拝下堂マリアは立ち上がると、私の前に立った(ちなみに私も椅子に腰掛けており、立ち上がろうとしたが、拝下堂マリアに制された)。
「脳科学記憶定着組織ワーキンググループ、それはかつて私が所属していた組織であり、瑞浪あずさの『計画』も知っていました。つまり、私は最初からあの大量殺戮を知っていたのです」
「……! そんなこと、信じられるはずが」
「無い、と言いたいのでしょう? ですが、残念なことに、間違い無いことに、これは事実です。脳科学記憶定着組織ワーキンググループとして所属していたということは、消えることのない事実です。隠し通していたことですが、もうこれ以上は隠し通しようがありません。いつかあなたにはバレてしまうことなのだということは、分かっていたのですから。ですから、あなたには、あなたには伝えておかなければならないと思っていたのです」
「……でも、そうすると、瑞浪あずさの計画には敢えて承認していた、ということになりますよ! 瑞浪あずさの、ミルクパズル・プログラムを認めていたということですか!」
「あの頃には、脳科学記憶定着組織ワーキンググループは瑞浪あずさの手足と化していました。瑞浪あずさの考えたプログラムを、我々が構成していく。それが今までの流れと化していたのです。ですが、それはおかしいことだと気づいていました。何人かは、メンバーから脱退しました。私もその一人です」
「なら、今瑞浪あずさの計画には関係ないということですね?」
こくり、と拝下堂マリアは頷いた。
このとき、きっと彼女は嘘を吐いていないのだろう。確信をついた訳ではないが、恐らくそうだろうという疑心でしかないが、いずれにせよそこまで考えないと話が先に進まない。
拝下堂マリアの話は続く。
「私たちは、脳科学記憶定着組織ワーキンググループから離れ、新たなワーキンググループを発足することはしませんでした。そもそも、私自体が記憶科学ワーキンググループに所属している以上、複数のワーキンググループに所属することは難しいことだと判断した為です。別に珍しい問題ではないでしょう?」
「あなたぐらいの人間ならワーキンググループの掛け持ちなど容易に出来たはずでしょう。何故、それをどうして」
「瑞浪あずさの研究を表沙汰にする訳にはいかなかった、というのが一つでしょうか」
「?」
「瑞浪あずさの研究を、表にコンバートしていく。それが私たちの役割でした。つまり、私たちがずっとそのワーキンググループに所属していれば、もっと早くあの作戦は実行されるはずだった。けれど、作戦は実行されなかった。その意味が分かりますか?」
「実行部隊が誰一人として存在しなかったから、そもそもやることが出来なかった……?」
こくり。再び拝下堂マリアは頷いた。
拝下堂マリアの表情が徐々に歪んでいく。そもそもこの表示されているのが、生身の映像ではなくてホログラムという形で表示されているため、僅かにホログラムでは表示しきれない限界というものが存在する。それが、今現れているとでも言えば良いだろうか。
「瑞浪あずさは困ったのでしょうね。実行部隊が誰一人消えてしまったのですから。忽然、とね。けれど、同時に私たちはそれを発言出来ないことに気づきました。発言したくても、仮に発言したところで馬鹿馬鹿しいと思われるに過ぎないと至ってしまったのですよ」
「貴方ほどの地位があれば、一言宣言すれば気づいてしまうのでは?」
「BMIは完璧だった、と発言した私の口から、BMIの欠陥について述べろ、と?」
「それは……」
「出来ないでしょう。出来るはずがない。それを狙っていたのですよ、瑞浪あずさは。だから私たちがワーキンググループから脱出しても、意味が無いと判断した。別に問題無いと判断した。それ以上のことは片付けなくても良いと判断した。だって、誰もそのことについて語るメリットがないのだから」
「そんなことって……」
私は絶句していた。
だってそれってつまり組織がらみの隠蔽と変わりない。
そんなことをしでかしていたなんてことを、私の組織でやっていたことを、気づけなかったということについて。
私は、絶句せざるを得なかった。
「……あなたは、きっとそう思っているのでしょうね。何故そんなことをせざるを得なかったのか、と? 答えは単純明快です。皆、自分の地位が奪われることを嫌っていたのですよ。自分の地位が奪われてしまうことを、嫌っていた。だから何も言わなかった。目の前にあるパンデミックを見捨てた。パンデミックが起きる可能性を見ないふりをした。それがいくら罪に問われることであっても仕方ない。だって、それを信用してくれる人がどれだけ居たというのですか。私が言ったとしても、ほかの議員が言ったとしても、きっと誰も信用してくれはしなかったでしょう。瑞浪あずさはそれを狙ったのですよ」




