十四話
家に帰って来たとき、もうすでに筋肉痛が始まっていた。畑仕事にクエストにと普段そこそこ動き回っていると思っていたが結構なまっていたようだ。
ピルもスピカも母さんも早々に眠りについてしまった。海なんてなかなか行かれないもんだからはしゃいでたしそれも仕方がない。
そういえばまだコインをもらっていないなと思いながら家を出た。案の定、ベンチにはじじいが座っていた。
「ここはお前の定位置じゃないんだが?」
「まあまあそう言うな。ほれ、お前も呑まんか?」
じじいが手に持ったグラスを少し持ち上げた。
「気持ちよくなる水か」
「そうそれ」
「少しならいいか。新しいグラスくれ」
「そうこなくちゃ」
新しいグラスを手に取ると、じじいは問答無用でなみなみ注いでくれた。
ぐいっと煽ると喉の奥から胸の奥、そして胃の中までカーっと熱くなってきた。この感覚はかなり久しぶりだ。
「たまにはいいもんだ」
どうやらアルファルドとしては「気持ちよくなる水」に対しての適正が高いらしい。
「でもなんで急に呑みだした? 今までそういう描写なかったよね?」
「昼間の水着姿を思い出してな」
「そういうのマジでやめて欲しい」
「冗談じゃ」
「冗談に聞こえないから困る」
じじいのグラスが空になれば俺が注ぎ、俺のグラスが空になればじじいが注ぐ。コイツとの付き合いも長いし、お互いになにも言わなくてもこういうことができる仲になったということか。
正直勘弁してもらいたいが。
「そういうやコインくれよ。二枚もらってないぞ」
「もう用意してある。ほれ」
コインを二枚手渡された。これでシアの魔王から開放するまでコイン四枚になった。クエストは成功ばかりじゃないからあと四回のクエストで目標に到達するのはほぼ不可能だろうな。
「で、次のクエストは?」
「気が早いのう」
「さっさとシアを開放してやりたいんだ」
「はー、偽善者」
「急にキツく当たるのやめな? よくないぞ」
「だってそんな素振り見せたことないじゃろ。誰だって怖いと思うわい」
「普通に考えておかしいだろ。まだ十代の女の子なのに魔王だのなんだのって。十代なんてのは友達と一緒にバカやってる時期だぞ。魔王の特性なんて早く消して、十代っつー短い時間を楽しんで欲しいわけよ」
「まともな意見、言えたんじゃな」
「人のことなんだと思っているのか」
「クソ野郎」
「当たらずとも遠からずだな」
「百発百中じゃろ。外れることがまずないじゃろ」
「うるさいうるさい。とにかく次のクエストをだな――」
その時、人の気配が近づいてきた。急いで横を見ればじじいはすでに消えていた。逃げ足だけは早いんだよな。
「またお前か」
ミュレスとか言ったか。先日俺に「軍部に入れ」とか言った女だ。
「ええ、アナタが頷いてくれるまでは何度でも足を運びますよ」
「何度来ても結果は同じだぞ」
「そう言うと思ったので今日はこんなものを用意しました」
ミュレスがバッグから取り出したのはなにかの紙の束だった。
この大きさ、この厚さ、もしかしたら写真でも撮られていたのだろうか。しかし俺がこう思っている時点できっと写真ではない。世の中とはそういうものなのだ。
その紙には「特待券」と書かれていた。それが何十枚とあるのだ。
「デカデカと特待券って書かれてるだけでこれがなんなのかさっぱりわからんのだが」
「これはヒルヘルム王国軍部に入ることで得られる特待券なのです。しかも上層部にしか配られません」
「で、これでなにができるの?」
「まずは食事。毎日高級レストラン並の食事が食べられます」
「食事には苦労してないんだよなあ」
フレンチとかよりもチャーハンとか食ってた方がいい。そういう舌なんだからどうしようもない。
「洋服だって選びたい放題」
「麻のシャツとズボンでも生きてく分には問題なくない?」
おしゃれとかには興味がない。みんな似たような格好なわけだし、そもそも服くらいならそのへんの服職人よりも早く自分で作れる。
「大きな家に住めます」
「大きくなればそれだけ掃除が大変だろ」
掃除あんまり好きな方じゃないから、掃除の範囲が広がるのは勘弁して欲しい。
「当然メイドもつきます」
「それは素晴らしい!」
しまった、つい食いついてしまった。
「そうでしょうそうでしょう。では軍部に入るということでよろしいですか?」
「話が早すぎる。しかも入らないから。軍部に入って上司がどうのとか部下の教育がとかも面倒だし。俺はこのままでいい」
「そういうのも一切ないです。アナタは特別な立場ということで扱います。ある程度命令されて動くことはあるでしょうが、上司の顔色を窺ったりする必要はありません」
めちゃくちゃホワイトじゃん。これが元々の現実世界だったら最高だったんだが……。
「それでも俺は入らないぞ」
俺がこの生活を気に入っているのは、ただの一般人として暮らしていかれるからだ。なんの特典もいらないのだ。少々強引ではあるが嫁候補もいるわけだし、仕事だって俺の能力があれば今後もなんとかなるだろう。身体を壊すことも基本的にはない。親父のように腰痛に悩まされることもないのだ。




