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モンブランと謎の美女

 人間ってみんな単純。

 ちょっと声を掛けただけでその気になる。

 ちょっと蹴落としただけで嫉妬に歪む。

 どうかそのままお馬鹿さんでいてね。

 でも弱い者いじめは駄目よ、萎えちゃうから。

 私に愛されたいのなら、

 私が欲しいのなら、

 もっともっと強い者を蹴落として強くなってくれないと。

 でも可哀想、そんなの叶わないのに。

 ああ、愚かで可愛いお馬鹿さんたち。



 そんなあなたたちが――


狂いそうな(Je t’aime )ほど好きよ(à la folie)



 ---------------------



 一日の授業が終わり、翔はひとり図書館へ向かった。

 理由は一つ。ラジエルを説得するためだ。

 ここでガツンと言わなければラジエルはまた家まできてしまうだろう。

 流石にそれは困る、非常に。

 図書館の扉の前に着くと、翔は二、三度深呼吸を繰り返してから扉を開けた。


「ラジエル……いる?」


 翔の問いかけに、返事はない。 

 もう一度声を掛けてみたが、小さな天使は姿を現さなかった。

 図書館の中へ足を踏み入れ探すが、彼女も、あの広辞苑並みの大きさの本も見当たらなかった。

 誰かが持って行ったのだろうか。

 いないのなら仕方ない、と翔は来たばかりの図書館を後にすると玄関へと向かった。

 翔と同じ学年の生徒が部活の見学で目を輝かせている中、ひとり帰路へと着く。

 何か運動部にでも入った方がいいのかもしれないが、生憎運動はそこまで好きではない。


「そうだ、帰りに駅前の本屋にでも寄ろう」


 勇者アルスと七人の賢者の新刊が出ているはずだ。

 鞄から財布を取り出して残金を確認すると、文庫本一冊購入しても問題のない金額が入っている。

 ついでに何か面白そうな本も追加で買ってしまおうかと考えながら、人通りの多い通りを歩いた。

 学校から少し離れれば、そこはちょっとした商店街になっている。

 その商店街がずっと駅まで続いているのだから、自宅への帰路も楽しくて仕方ない。

 特に駅前の本屋は翔にとってはすっかり馴染みの店で、店主も長年通っている翔のことを知っているからなのか、翔の好きそうな本をこっそり取っておいてくれるのだ。


 あの店主が進める本はほぼ外れがない。

 勇者アルスと七人の賢者も店主が薦めてくれた一冊である。

 早く物語の続きが読みたいという一心で駅前の本屋を目指していると、

 細い路地から出てきた男とぶつかってしまった。


「す、すみません、大丈夫で……す、か」

「あー、痛い。これは折れちゃったかもなあ」


 腹が立つほどのリアクションをしながら、男はぶつかった左腕を擦る。

 その後ろにはぶつかった男と同じような柄の悪い男たちがニタニタと笑っていた。


「治療費、払ってよ僕ちゃん」

「治療費って……ちょっとぶつかっただけで折れるわけが」

「なんだテメェ、ぶつかっておきながら生意気なこと言ってんなよ」


 非常に面倒くさい。

 まさか自分がカツアゲ、というよりは恐喝を受ける羽目になるとは。

 ちらりと周りの人間に助けを乞うように視線を送ってみるが、皆我関せずを通すらしい。

 誰とも目が合うことがない。


「治療費で五万円払え。金持ってんだろ?」

「五万なんか持ってないし……」

「いいからとっとと財布だせクソガキ!」


 鞄を取り上げられ乱暴に中を漁られる。

 教科書やペンケース、そして読みかけの文庫本がごみのように道に捨てられた。

 落ちたものを必死にかき集めていると、男のうちの一人が財布を見つけたのか上機嫌になる。


「なんだ、あるじゃねえか……ちっ、しけてんな」

「おい、どっか飲みに行くか」

「飲み代になるほど金入ってないけどな!」


 げらげらと笑いながら取り上げた財布の中身を抜き取り、

 文庫本と同じように道端に捨てられる。

 悔しい。悔しい。

 こんな時、物語の主人公なら真っ先に助けに来てくれるのに。

 いや、自分が主人公だったらこんな奴ら一瞬でねじ伏せられるのに。


 鞄や制服に付いた土埃を払い、すっからかんになった財布を拾い上げる。

 新刊はまた今度買うしかない。


そこの(Vous )あなた(les gars )たち!( là-bas)


 重い足取りでその場を去ろうとしたその時、日本語ではない言葉が飛んだ。

 英語でも、中国語でもない。

 あまり聞き馴染みのない国の言葉だ。

 もの凄い形相で後ろを振り返った男たちと翔の間に、一人の女性が颯爽と割り込む。

 褐色の肌に紅い髪。

 そして背中越しからでもわかるスタイルの良さ。

 細い腰に手を当て仁王立ちをした女性は、今度は流暢な日本語で話した。


「奪うなら強いものから奪いなさい。

 弱い者いじめは悪魔だってしないわ! 恥を知れ!」

「なんだと、このアマ!」

おだまり(Ta gueule)! この子からとったもの返しなさい!」


 女性の態度にとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、

 男のうちの一人が女性に向かって拳を突きだした。

 危ない、と翔が鞄を振り上げたと同時に、紅髪の女性が向かってきた男の腹に一発膝蹴りを見舞う。

 ばた、と蹴りが入った部分を押さえて倒れこんだ男の後頭部をピンヒールで踏み、

 女性は残りの男たちを挑発する。


怖いの?(Peur de ) 子犬ちゃんたち」


 いかつい顔を子犬ちゃん呼ばわりされてしまえば、男たちも黙っていられなくなったのだろう。

 半分やけくそ状態で女性に拳を振りかざした。

 女性は二人の拳を軽やかに避けると長い足で二人を蹴りとばす。

 それでもなお向かってくる一人に感心したように口笛を吹くと、

 流れのまま投げ飛ばした。

 そして仰向けに倒れた男の上に跨ると、その綺麗な顔をにたりと歪める。


「ちょっとは見直したわ、子犬ちゃん」


 そしてトドメで強烈な頭突きをかます。

 あっという間の出来事に開いた口が塞がらないでいると、

 女性は一番最初に蹴り飛ばした男から翔が盗られた金を毟り取る。

 髪と同じマニキュアが塗られた手でお札の数を確認すると、今度は翔の方へと歩み寄る。


「盗られたお金はこれで全部かしら?」

「あ、はい、間違いないです」

よか(C’était )った(bon)! もう盗られちゃ駄目よ?」


 にっこりと微笑んで盗られた金を返してくれた女性は、

 目がくらんでしまうほど美しい。

 彼女がラノベの登場人物だとしたら、

 妖艶な異国の踊り子辺りが最も合う役割だろう。


 ともあれ、この女性のおかげで新刊を手に入れることが出来る。

 しかし、このまま女性にお礼をしないのも癪だと思った。

 翔は手を振ってその場から離れようとする女性の手を掴むと、

 声を絞り出すように口を開いた。


「あの、お礼させてください! 食事とか!」

「え? いいのかしら、そんな……」

「もちろん。何がいいですか?」


 この近くには美味しいと評判の店がたくさんある。

 そのうちの一つくらいは彼女の好みに合う店だってあるに違いない。

 翔の提案に何やら考え込んだ女性は、

 先程男に見せたような笑みを浮かべるとゆっくりと翔の耳元に唇を寄せた。


「じゃあ……とびっきり甘くて美味しいものがいいわ」


 どう、出来るかしら。


 そう囁いてからじっと見つめる女性に、翔はうんと考える。

 やはり女性は甘いものが好みらしい。

 自分はそんなに好んで食べないのでこの辺りの菅宮の情報には詳しくない。

 以前クラスメイトの女子が言っていたパフェの美味しいカフェで大丈夫だろうか。


「あ、じゃあ、パフェでどうです? 

 クラスの女子がそこのティラミスパフェが美味しいって言ってたし」

「……ぱ、パフェ?」

「そう、パフェ」


 もしかして、外国にはパフェという文化がないのだろうか。

 女性の反応に首を傾げていると、彼女は一つ咳払いをしてもう一度じっと見つめてきた。


「それもいいけど……もっと甘くて美味しいものがいいわ」

「もっと……?」


 これは困った。

 もっと甘いものの情報を集めておくべきだった。

 今後、いい仲に進展したいと考えている林檎をデートに誘う時、

 ああでもないこうでもないとならないためにも。

 翔は一言女性に断りを入れると、鞄から携帯を取り出した。

 どこか美味しい場所はないのかと探りを入れると、もう少し進んだ先に有名なパティスリーがあるらしい。

 芸能人も御用達と書いてあるし、味の保証は間違いないだろう。


「見つけました! すぐそこにケーキ屋があるっぽいです。

 おすすめは……モンブランらしいっすよ」

「……そ、そう。じゃあモンブラン食べに行きましょう」


 若干引き攣った笑みを浮かべている女性を引き連れて、翔は駅近くの商店街を歩き始めた。

 春の季節を迎えた商店街は、一面淡い紅色に包まれている。

 夏になるとどんな色に変わるのだろう、と考えていると、

 途中すれ違ったサラリーマン風の男が急に頬を薔薇色に染めスキップをして通り過ぎて行った。

 何かいいことでもあったのか。


効いている(Être )わよね……(efficace)


 後ろをついてきている女性がぽつりと異国語で何かを言っているようだが、

 残念ながら翔には言葉の意味が分からなかった。



 しばらく歩いていくと、ようやく目的地であるパティスリーに到着した。

 おしゃれな内装の店内には宝石のようなケーキがショーウィンドウに陳列されている。

 からんからん、とドアベルを鳴らし店内へと入ると、芳醇なバターの香りが鼻腔を擽る。

 これは甘いものが苦手な翔でも何か一つ頼んでしまいたくなってしまう。


「モンブランだけじゃなくて、他に好きなもの頼んでいいですよ」

いいえ(non)、モンブランだけでいいわ」

「そうですか? ――すいません、モンブランと珈琲お願いします」


 商品を頼んでからイートイン席に二人そろって腰かける。

 そして、改めて向かいの席に座る女性の様子を窺った。

 この美しさならば、どんな男もすぐに堕ちてしまうだろう。

 ぽて、とした唇には真っ赤なルージュがひかれさらに妖艶さに磨きをかけていた。

 あまり見ないようにはしていたが、

 豊満な胸を惜しげもなく際立たせるような服を着て、

 パッと見はハリウッドスターである。


「えっと、改めてありがとうございました

 ……えっと、俺は天原翔といいます」

明日若紅子(あすもべにこ)よ」

「うわ、予想に反して超純日本人名……」


 キャロラインとかジョセフィーヌとか、シャロンとか。

 そんな名前だと思っていたのに、まさかの「明日若紅子」である。

 両親のどちらかが日本人なのかと問えば、

 彼女は運ばれてきた珈琲に口をつけつつ「そうよ」と答えた。


「フランスからこっちに来たばかりなの」

「あ、じゃああの言葉ってフランス語?」

そうよ(Oui)、なかなかお国言葉が抜けなくて」


 日本語は難しいから困っちゃうわ、と笑う紅子に、

 翔は微妙に笑うしかない。

 自国の言葉ですらいまだに難解なものがあるというのに、

 紅子は流暢にフランス語も日本語も話せている。

 若干の悔しさを胸に抱いていると、店員がメインのモンブランを紅子の前へ運んだ。

 その名の通り、山の形に成形された栗のペースト生地の上から

 真っ白な粉糖が丁寧に降りかけられている。

 洒落たフォークでモンブランを突いた紅子は、そのまま柔らかなクリームを口へと運ぶ。

 するとすぐに口元が綻び、柔らかな笑みを浮かべた。


美味しいわ!(Délicieux) 丁度いい甘さね」


 どうやらお気に召したらしく、紅子は一口、また一口と食べ進めていく。

 そしてあっという間に皿を空にすると、行儀よく口元を布巾で拭いた。


ありがとう(Merci)、翔。ごちそうになっちゃって」

「いえ、助けていただきましたから。当然ですって」

「ふふ、あなたって面白い子ね……本当に、――不思議だわ」


 ぞわり。

 背中に何か冷たいものが這ったような気がした。

 空調に当てられてしまっただろうかと辺りを見渡していると、

 紅子がゆるりと立ち上がる。


「感動しちゃったわ、私! あなたに興味が湧いちゃった!」

「き、興味?」

「一緒に来て、見せたいものがあるの」


 腰かけていた翔の腕をとる紅子はどうしても翔に来てもらいたいらしい。

 ケーキと珈琲の代金を払って、翔は紅子に連れられるがままパティスリーを飛び出すのだった。



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