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押しかけ女房でございます

「ようやく起きたか、貴様」


 ゆるりと目を開け、最初に見えたのは無精ひげの生えた男の顔だった。

 慌てて起き上がると、男――虻川はぼりぼりと頭を掻いて丸椅子に腰を下ろす。


「図書館で倒れていたぞ。泡も吹いてた」


 至極面倒くさそうに経緯を話す虻川の姿に、翔は今まで起きたことを頭の中で整理してみる。

 天上高校が誇る図書館に興味が湧いて一人向かったのは覚えている。

 想像を超えるような光景に歓喜したことも。 

 それから――


「先生、俺だけでした? その場にいたの」


 あの場には翔以外にもう一人いたのだ。

 学士帽を被った、純白の羽をもつ少女。

 ラジエル――彼女はそう名乗っていたが、いったい何者なのだろう。

 いや、もしかしたらあの少女もすべて翔の妄想だったのかもしれないが。


「……? 貴様だけだったが」

「そう、ですか。いや、すいません、ご迷惑かけて」


 当然と言わんばかりに返された言葉に、翔はそれ以上何も言わなかった。

 慣れない高校生活初日の緊張が、あんな幻覚を見せたに違いない。

 ぎっと音を鳴らした寝心地の悪いパイプベッドを降り、丁寧にサイドテーブルに畳まれていたブレザーを着る。

 今日はもう帰って寝てしまおう。

 読みかけの文庫本の続きが気になるが、明日の通学時にでも読めばいい。


「帰ります、先生。さようなら」

「まっすぐ帰れよ、最近物騒だからな」


 ごそごそと白衣のポケットを弄り取り出した棒付きキャンディを翔に握らせると、虻川はさっさと保健室から姿を消した。

 第一印象はよくなかったが、性格が根っから悪いというわけでもないらしい。

 虻川の背中を見送った後、翔は忘れ物がないかを確認してから保健室の扉を開けた。

 外はすっかり暗く、街灯がちかちかと光っている。

 携帯で電車の時間を確認し、急いで玄関へと向かう。

 途中図書館の前を通ったが、あんな幻覚を見た後でじっくりと中を覗くなんてことが出来ず小走りで通り過ぎていく。

 ほんのりと淡い光が図書館の中で起こったことにも気づかずに。



-----------------------




 自宅に戻り、ばたばたと二階にある自室へと駆けこむ。

 一階のリビングから母親の怒鳴り声が聞こえてきたが、構ってなどいられない。

 くしゃくしゃになっているベッドに飛び込んで、深く深呼吸をしてみた。

 幻覚にしてはあまりにも鮮明だったような気がする。

 羽の美しさも、

 少女の可憐な声も、

 何もかもがはっきりと思い出すことが出来るからだ。


「ラジエル、ねえ……」

「はい! 呼びましたか、本の蟲さん!」

「ぎゃあ!!」


 突然聞こえてきた声に、蛙がつぶれたような声を上げる。

 ついでにベッドの上にあった鞄が床に落ち、中身が飛び出てしまった。

 しかし、今は鞄より己の命が大事だ。

 翔は手元に転がっていた枕を持ち上げいつでも迎撃態勢に入れるように構えた。

 

「あらあら、ラジエルさんですよ! 怖くないですよー」

「こここ、怖くないっての!」

「震えていらっしゃいますけど?」


 少女が指さした手は確かに震えていた。

 こんな子供相手になんて情けない。

 翔は枕を下ろし、しかし警戒は解かないまま少女を見据えた。

 学校の図書館で見た少女で間違いない。

 翔が見つけた、あのハードカバーの本を抱きかかえ、ちょこんと正座をしてこちらを見上げている。

 

「どこから入ってきたんだよ」

「どこって、本から入ってきましたけど」


 それです、と示した先にあるのは、翔の読みかけの文庫本だった。

 おそるおそる文庫本を手に取り中を確認してみたが、特に破れていたり汚れていたりといった様子はない。

 よく目にする文庫本そのものである。


「ラジエルさんは、本がある場所ならどこにでも行けるんですよ」


 突拍子のないことを言う少女だが、もし本当にそうならば、翔の部屋であれば四方八方から入り込むことが出来るということである。

 これは流石に頭痛がする。

 はあ、と深いため息を吐いてから、改めて目の前で正座をする少女の姿を視界に映した。

 敵意などさらさらないのか、少女――ラジエルはにこにこと笑みを浮かべて翔の部屋を見渡していた。


 

 図書館天使ラジエル。

 まるでラノベのようなタイトルだ。

 翔はそっとラジエルから距離を取りつつ、机上のパソコンを立ち上げた。

 いや、まさかそんな、とインターネットの検索ワードにラジエルと打ち込み、検索を開始する。


「……嘘だろ、まじか」


 ラジエル、伝説の書物の著者。

 エデンの園から追放されたアダムとイヴに『天使ラジエルの書』を与えた知識の天使。

 この『天使ラジエルの書』からノアが方舟の製法を学び、さまざまな予言者の手に渡ったとされている。

 まさか、こんな少女がノアの方舟のきっかけだなんて。

 翔はそろりと背後を見遣る。

 すっかり翔の部屋が気に入ったのか、ラジエルは本棚を漁り目を輝かせていた。

 その姿は、失礼かもしれないが天使や神にありがちな威厳というものが、ない。


「きみは、本当に天使ラジエル?」

「はい! ラジエルさんです!」

「ああそう……」


 清々しいほどの肯定。

 図書館で純白の羽も見たし、こうやってどこからともなく現れたラジエルを、本物の天使であることは認めざるを得ない。


 問題は、どうしてここにいるか、である。


 翔の部屋は天界のように美しい場所(あくまで想像だが)ではないし、本やゲームばかりで面白いものなど特にない。

 

「あのさ、ラジエル? どうしてきみはここに?」

「えっ、あ、えっと……それは……」


 刹那、ぽっと頬を赤く染めるラジエル。

 もじもじとフローリングを見つめ、肩から掛けているローブの裾を弄る。

 ああ、なるほど、分かった、トイレでも借りたいんだな。

 でも恥ずかしくて言いづらいってことだろう。

 ここはひとつ、男として優しく教えてやるか。


「トイレなら一階の――」

「お、お、押しかけ女房というやつです!」

「……はあ?」


 押しかけ女房。

 押しかけ女房。

 ――……押しかけ女房!?


 驚きでひっくり返る。

 それってつまり、ラジエルが翔に恋慕しているということになる。

 嘘だろ? と問いかけてみたが、小さな天使様は首を横に振った。


「図書館でお見掛けしてから、このラジエルの胸が高鳴って仕方ないのです。どうぞ末永くお傍においてくださいませ、マスター」

「ちょっと待って! 俺はきみのマスターじゃないし、誰が押しかけ女房を許した! なし! なし!」

「お許しは得てますよ? 失楽園の英雄様から」

「身内だけで話進めないでくれる?」


 なんだ、失楽園の英雄って。

 ちょっとかっこいいとか思ったじゃん。

  

 翔は再び痛み出した頭部に手を当てて、深いため息を吐いた。

 ラジエル側では、彼女が翔の傍に控えることは既に許されているらしいが、当の本人である翔には一切その話は来ていない。

 いや、天使から話が来ても驚きで再び泡を吹いて倒れてしまいそうだが。

 うんうんと今後について悩んでいると、正座したまま周りを見ていたラジエルが口を開いた。

 

「それにしても、マスターは本が本当に好きなんですね」

「え? ああ、うん。本は自分を主人公にしてくれるから好き」


 どんな魔法も、

 剣技も、

 冒険も、

 恋愛も、

 体験することが出来て、尚且つ楽しめる。

 辛いときや泣きたいときはがむしゃらに本を読んだ。

 そうすれば登場人物たちが励ましてくれるし、涙を拭ってくれるような気がしたからだ。


 翔の言葉に笑みを濃くしたラジエルは、本棚から一冊の文庫本を取り出す。

 その文庫本は翔が本の蟲になるきっかけとなった本だ。

 主人公とヒロインの切なくも優しい恋愛模様が描かれた話は、今でも一番のお気に入りである。


「本も、マスターのことが大好きだって言ってます」

「本が?」


 日焼けしないように気を使い、ブックカバーをひとつひとつかけ、破れたものは修復する。

 そして何より、どんな作品でも読み直して楽しんでくれる。

 そんな翔に、本が感謝しているとラジエルは言った。

 

 正直、嬉しい。

 たとえラジエルの嘘だとしても、本がそんな風に思っているのならここまで大事にした甲斐があるというものだ。

 本の背表紙をひとつひとつ指の腹で撫でていく。

 それで翔の想いが伝わるのかは分からないが。


「むっ、ラジエルさんのことも構ってください、マスター!」


 本に嫉妬したのかぎゅ、と腹にラジエルが抱き着いてきた。

 意外と力が強いらしく、なかなか離れない。

 

「だから! 俺はきみのマスターじゃないって!」

「大好きですマスター! 本と同じようにラジエルさんも大事にしてくださいー!」


 これは本気で自分のところに押しかけ女房をしに来たらしい。

 先の見えない未来に、翔は本日何度目とも分からないため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 


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