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罪眼消  作者: 織田
9/10

九ツ眼








 声は次第に大きくなる。廊下の足音も、近づいてくる。きしむ床の音が、もうすぐそこまで来ている。


 鳥肌が全身に立った。肩を縮み上がらせ、私はいま一度文机に身を隠そうかと思った。



 ――そこはもうダメ……



 はっきりと、そう聞こえた。まるでその声だけを切り取ったかのように、私の鼓膜を優しく震わせた。

 混乱のなか、私はすぐに我に返る。俊之が来る。こっちに向かってきている。


 声がする。優しい声ではない、謎の言葉を発して。


 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


 どうする?


 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


 どうすればいい?


 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


 ………………。



「……そういう、ことか」


 私は文机から眼を切り、扉から離れた場所、書斎の最奥に向かった。本棚が壁沿いに並んだ角に、少しの隙間があるのを見つけた。


 私は悟った。この声の主は、このことをさしている。彼女は、俊之の敵なのだと。


 その隙間の向こうには、よく見ると壁と同色の横引き扉があった。本棚にそのほとんどを隠され、まずわからない。しらりと見たところには、引くための取っ手があった。


 私は勢いに任せてそれを横に引いた。

 だが、動かない。随分開けなかったのか、それとも歪んでいるのか。開く気配がなかった。


 ――とん……とん……


 俊之が来ている。すぐ後ろの扉にいると、背中で感じる。


 首筋を冷たい空気が撫でた。振り返りそうになるが、私は努力してその誘惑を断ち切り、目の前の扉を見据えた。



 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


「わかってる!」


 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


「わかってるとも!」


 びくともしない扉。諦めで脱力しかけたとき、私は視界の端であるものを見つけた。


 扉を背にした本棚。その隙間から見えた、金具、蝶番。


 まさかこの扉は、


「私は間抜けか!」


 言いながら、扉を押した。するとさっきまでの抵抗が嘘のように扉が押し開かれた。

 横引き扉ではなく、真ん中にある蝶番から内側に折れるタイプの扉だったのだ。気が動転していたのと、これまでの和風的内装のせいで、固定概念を植え付けられていた。


 とにもかくにも、扉が開いた。瞬間、背後で俊之が書斎に入ったことを感じ取った私は、すぐさま中に身を滑り込ませ、迅速かつ音を殺しながら扉を閉めた。


 しん、と静まりかえる。薄い扉の向こうで、俊之はやはり徘徊している。

 扉に耳を当てながら、私は意識を音に集中させた。と、ここで、この部屋の内装にようやく眼がいった。


 意識は音に集中させながら、私はいま自分が身をひそめた部屋の四囲を見まわした。


 狭かった。奥行きが少しと、横幅は一メートルほど。部屋というより、箱に近かった。

 埃っぽく、空気がなんとなく汚いと感じる。壁は白く、物はない殺風景な場所。




 扉の向こうを徘徊していた俊之の足音が、聞こえなくなった。

 私は一気に気を抜いて、疲れた溜息を吐いた。


 しかしまだ、終わっていない。


 耳を澄ませる。聞こえない。私は少し前をなぞるように、あの言葉を口にした。


「アダイロエ、オグイ、アユ……」


 ややあって、私は確かに感じ取った。


 私のいる反対側、この部屋の奥から、視線を感じる。こちらをじっと見る視線。だが奥には誰もいない。


 私は扉から離れ、奥に向かった。軋む床は私の体重で少し沈み込み、けれど抜ける心配はなさそうだ。

 

 奥の壁に来た。両側の壁に手をあてがい、私は手のひらに冷たさを感じた。

 もう一度、私はあの言葉を囁いた。それから、私は見つけた。


 白い壁の一部分に、小さい正方形の紙が貼ってある。まるで壁に穴が開いたので、この紙で目立たなくしましたという、そんな応急処置の仕方だ。私もむかし、実家でこれと似たようなことをしたのでよく憶えている。


 正方形の紙は、風もないというのにひらひらと揺れていた。私はその紙の端を指先でつまむと、ゆっくりと持ち上げてみた。


 紙と同じ大きさの穴が開いていた。そこに透明の小瓶が納められている。蓋が血で汚れていた。



 瓶のなかから、二つの眼が私を見ていた。



「……本当だ。あったよ」


 私は、語りかけるように呟いた。すると、冷たい声が聞こえてきた。


 ――アダイロエ、オグイ、アユ……


 しかしその声も、次第に温もりを帯びてきて、ようやく聞き取りやすい言葉となった。


 愛らしい女の子の声で、こう言った。




 ――わたしの眼、奥に、ある……



 私は小瓶を手に取り、宝物のように抱きかかえた。


 ――わたしの眼、あいつに渡して……


 後ろから声がする。振り返ると、眼を失った女児が佇んでいた。けれどもそこに恐怖の念を、私は抱かなかった。


「どうして。この眼は、君のだろう」

――でも、取られたから。あいつのなの。あいつはそれを探してるの……――

「俊之は、どうして君の眼を?」

――隠した場所を、忘れたの。だからずっと探してる。わたしの眼を取った日を、繰り返してる――


 眼がない彼女に、私は眼を合わせて訊いてみた。


「君は、何を見たの?」


 彼女は悩む間をとり、言った。


――おしえない。おしえちゃうと、今度はあいつ、お兄さんの眼を取りに行くから――

「……そうか」

――前にもね、別のお兄さんが来たの。でもそのお兄さん、あいつに眼を取られちゃった――

「……そうか」


 友人のことだとすぐにわかった。


――眼を取られると、帰れない。お兄さんも帰りたいでしょ?

「ああ。どうすればいい?」

――だから、私の眼をあいつに渡して。ここから出るには、眼をあげないといけないの。でも自分の眼をあげちゃうと、帰れない。帰り道、見えなくなっちゃうから――

「そうか。わかった、ありがとう」

――ううん。お兄さんも、わたしの眼を見つけてくれて、ありがとう――


 彼女は、笑った。眼がないから、くちびるや頬の動きでしかわからなかったけれど、でも私には笑顔であることはわかった。


 不気味じゃないとは、言わない。

 けれど、その心を使い果たしたかのような笑みは、私の胸を締めつけた。



 私は彼女の眼の入った小瓶を手に、その部屋をあとにした。


 

 

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