七ツ眼
出入り口が一つしかない書斎でやり過ごすとなると、文机の下しかなかった。
私はあの映像を撮影した友人のように、机の下に潜り込むことしかできなかった。息を殺し、震えるなかでも聞こえてくる足音と、あのずる、ずるという引きずる音は、私の胸にある空白を黒く染め、不安と恐怖を駆り立てた。
怖い……。
怖い怖い怖い怖い怖い……。
私の脳裏には、あの眼のない女児の顔が浮かんでいた。
ぽっかりと空いた黒い眼、空洞の眼窩。それが私を見ている。見ることができないのに、私の方を見ている。
息が漏れそうになる。悲鳴が私の身体の内部で、叫び始めていた。気を抜けば、駄目だ。緊張の糸が切れる。あとどれぐらい耐えればいいのか。
――キィ…………
文机の包む闇のなか、その向こうで扉が開く音がした。足音が侵入してくると、私はただ正面を向いていた。視線も動かせず、まばたきもできない。耳の奥で心拍がうるさくなっていた。
椅子の向こうに、二本の足が見えた――引きずる音。足はうろうろと徘徊し、左の方へ横切っていく――引きずる音。そうしてやがて、足は戻ってくる――引きずる音。つま先がこちらを向くも、すぐに反転し、向かいの本棚へ向かった――引きずる音。
長く黒い髪が床に広がっている。赤黒く染まった顔が、上を向いている。そのほとんどが髪の毛で隠れてしまっている。
映像で観たときと、遜色ない。
女児が引きずられている。
眼のない女児が、引きずられているんだ……。
私は、口許に手をやった。悲鳴が漏れそうだった。見たら、そうなる。あの引きずられている女児の顔を、、眼をみたら、そうなる。
そうなれば、私はおそらく友人のようにここで……。
そのとき。
足が少しだけ横に歩いた。その拍子に引きずられている女児の頭がごろりと動き、顔を覆っていた髪の毛がふっと、避けられた。
あ、と思った。
顔が、見える。見えてしまう。
私は、咄嗟に眼を閉じた。悲鳴をあげないための、せめてもの防衛本能だった。
暗闇になる。私の視界には、一切の視覚情報が遮断された。けれど音は聞こえる。
足音は、書斎を歩き回っている。女児を引きずりながら、いまだに歩き回っている。
声が聞こえる。しきりに「ない……ない……」と男性の声で、呟いている。
何かを、探しているのだろうか。
私は、ほんのわずかな身じろぎをして、体勢を整えた。文机の下に隠れるなど、だいの大人には苦しかった。いや、それ以上にこの重く寒い空間が耐え難い。死が、近くにあると悟っていたから。
そんな動きをしたときだった。
私が板張りの床に手を置いたとき、何かに触れた。固い紙……表紙のような感触。
私は反射的に眼を開け、それを見た。ノートだった。さっきまでこんなもの、なかったのに。
手に取るとわかる。この書斎の本は全て古く痛んでいたのに、このノートだけ、痛んでいなかった。少しからついたというか、濡れた紙が乾いた後、といったような紙の感じだが、一部文字が読めた。
暗闇に慣れた眼でその汚くなっている文字を読むのは至難だったが、その少しの内容を私は黙読した。
罪を見られた場合、その罪を罪として認めないためには、見た者を殺めるしかない。
現代風に言えば、これを『口封じ』という。
しかしながら、真に封じるべきは『口』ではない。
口を封じただけでは、罪を犯した者は遅かれ早かれ、罪の意識に苛まれる。
何故か?
それは『見られたから』だ。罪を見られたという事実が、罪人を苦しめる。
罪人がこの苦しみに耐え切れず、自死するケースがあることは言うまでもない。
見られた苦しみは想像を絶する。罪を犯したその時以上に、罪人を苦しませ、殺す。
これから逃れる方法は、見た者を殺めるだけでは足りない。
方法は、もう一段階先をいかなくてはならない。
『眼』だ。眼を封じるのだ。
ある地方の歴史では、これを『罪眼消』と呼んでいる。
見た者の眼をくり抜き、罪人にしかわからない場所に隠し、消す。
眼が消されたとなると、見た者は何を見たのか、わからない。
その眼に映ったものは、語られない。
……俊之くん。
君にその勇気があるのなら、わたしは止めはしない。
だが、教えておきながらこう言うのもなんだが、推奨はしない。
私も『罪眼消』をした者だ。だから、わかる。
見られているんだ。あの日からずっと。
レイは、私を見ている。じっと、見ているんだ。
眼のない眼で、私は見られている。
だから私は、身を隠すことにしたんだ。