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罪眼消  作者: 織田
5/10

五ツ眼






 二階は部屋が二つある。だが映像通り、一方は襖が歪んでいて開けることができなかった。私はそちらを諦めて、廊下を進んだ。左手にあるのは、襖がすでに開かれているもう一方の部屋、床の間のある部屋だ。


 異臭は埃っぽさを加え、痛んだ伊草のニオイが鼻につく。

 床の間に視線をやった。何を書かれていたのかわからない掛け軸が見えた。私は瞬間、身を硬くした。



 映像では、あそこに寝そべる女児がいた。こちらをじっと凝視する女児。



 私は何かに操られるように懐中電灯を向けた。しかし掛け軸の下には、女児などいなかった。

 やはりあれは、映像に映りこんでしまった影か何かがそう見えた・・・・・だけで、実際には何もいなかったのだろう。私はそう解釈し、この場をあとにしようとした。


 が、寸前で足を止める。掛け軸から眼を切った視界の端で、何かを捉えたのだ。


 掛け軸の下にもう一度眼をやる。懐中電灯を向ける。そこには、


「……あれは」


 ノートが開いたまま落ちていた。映像にこんなもの、あっただろうか。

 私は部屋に入り、そのノートを手に取った。持ち上げると、何やら濡れているらしい。紙が湿った感触が指の腹にじわりと滲み、不快だった。


 開かれたままのページに懐中電灯を向ける。そこには赤黒い色のした、子どもの書いた幼い文字で、文が記されていた。


 私は少し迷ってから、読んだ。




   しにたくないしにたくないしにたくないしにたくない。


   くる、あいつがくる。わたしをころしにくる。


   みてたから。わたしはみてたから、ぜんぶみてしまったから。


   しんだふりをしよう。わたしはもうしんだことにしよう。


   みてません、ごめんなさい。みてません、ごめんなさい。


   あ。


   あいつが、きた。




 血で書かれている。他にも文はあるが、ほとんど読めなくなってしまっている。


「ここで、一体何があったんだ」



 ――とん、とん、とん……



 肩が震えた。心臓がどくんと跳ねた。

 廊下を歩く音がする。私の背後に気配がする。


 振り返る。誰もいない。一階から階段を上ってきているようだ。


 まずい。そう思ったとき、


 ――スゥ………


 襖の引く音がした。そして、私は瞬時に理解した。


 二階の部屋は二部屋。一部屋は階段を上ってすぐ左手の襖の向こうにあり、それは歪んでいて開かなかった。が、いまの音は間違いなくそこを開けた音。私がいるこの部屋は、その一室目の奥、つまり襖で仕切ってあるだけの、連続した部屋なのだ。


 要するに。二部屋は繋がっており、この音の主とはもう襖一枚しか隔てるものがない。


「……っつ……」


 息が、詰まる。

 一瞬にして空気が重くなってきた。

 何か・・がもう目前にまで迫ってきている。私の身は固まり、動けなくなってしまっていた。


 どうする。もう間もなく、何か・・はここに入ってくる。隣の襖の向こうに、それはいる。


 脂汗が出てくる。心臓がおかしくなりそうだ。まばたきすらもできず、呼吸すらままならない。


 私の視界は隣の一室と隔てた襖と、ちらりと見える掛け軸のみ。あとは、手に持つ懐中電灯といま拾ったノートぐらい。


 すると、懐中電灯の光がふっと消えた。瞬間、真っ暗になる。ここに入ってずっとまとわりついてきた視線が、一気に増えた気がした。


 刹那、私は自分の右隣に強烈な気配を感じた。そこには、女児が床の間で寝そべって私を凝視していたのだ。


 暗闇なのによく見える。

 血走った眼、生気をなくした黒眼。口をぽっかりと空けて、髪を無造作にして顔の横を隠していた。服装は、黒いワンピース一枚。青白く細い脚と腕が力なく床に放り出されている。


 私を見ている。じっと、見ている。何かを訴えかけるように――。




 私は、彼女と同じ体勢を取った。その場で横になり、眼を瞑った。


 背中の方で、襖が開く音がした。


 心臓の鼓動が激しくなる。

 服の中で汗が噴き出す。

 手が小刻みに震えている。

 気がどうにかなりそうだった。


 ――とん、とん、とん…………。


 足音が近づいてくる。私の方に近づいてくる。

 私は眼を瞑っている。暗闇のなかで、何か・・の息遣いが聞こえてくる。


 水滴の落ちる音がする。何か・・はやがて、私のすぐ後ろで足を止めた。


 瞼の向こうで、動きがある気がする。しかし私は恐怖で身が縮み、固まり、息もできなかった。瞼一つ、あけられなかった。


 しばらく、無音が続く。耳に痛いほどの無音。

 わからない。何が起きているのか、何も起きていないのか。


 何か・・は私の寝顔を覗き込んでいるのだろうか。じっと、私が気を抜いて眼を開ける瞬間を、待っているのだろうか。


 顔に、冷たく生臭い空気の流れが当たる。瞼の向こうに、ある・・



 私の顔を覗きこんでいる顔があると、わかる。



 向こうにいけ。向こうにいけ。向こうにいけ。向こうにいけ……!


 私は胸中でそう念じていた。しかし瞼の向こうにある顔は、私をじっと見ている。思い違いではない、眠っている私を、見ている。



 やがて、その気配がふっと消えたとき、私は暗闇である音を四つ、耳にした。



 一つは男の声だった。「見るな」という低い声。

 その声と共にした、もう一つの声。女の子の短い声だった。言葉になっていない、短い悲鳴だった。


 そのあとの音が、私の背筋を凍らせた。


 一つは、水の音。しかしそれは清流のような美しいものとは真逆の、醜くくどい音。果物を乱暴に潰したときにする、果汁の吹き出た音に似ている。でもそれ以上にどこか、音に生温なまぬるさがあった。


 とにかく、気持ちの悪い音がしばらく続いた。


 その後、四つ目の音は、何かを引きずる音だった。

 それは映像で見たあの音と、同じものだと私は思った。それに派生して、書斎で男性に引きずられた女児を思い出した。


 眼窩が闇に染まった、女児の顔。


 私は何か・・の気配が消えてからも、もうしばらくその場で眠ったふりをしていた。腹の底は冷え、心臓はまだうるさかった。全身が痙攣しているかのように震えていた。


 恐怖で動けなかったのだ。


 辺りには、血のニオイが充満していた。




 眼を開ける。

 何もない。誰もいない。寝返りを打つように後ろを確認する。掛け軸の下にいた女児はいなかった。


 と、確認したときだった。

 ぱさっと乾いた音を立て、掛け軸がすとんと床の間に落下したのだ。その音が張りつめた私の神経を過剰に反応させ、私は短い悲鳴をあげた。


 沈黙が保たれている。誰も来ない。落ちた掛け軸は裏向きになっている。

 ややあって、私は何気なしにその掛け軸に手を伸ばした。


 ゆっくりと手を伸ばす。端をつまむと、あの何が書かれているかわからない表面を向けた。


 そこには文字が書かれていた。さっき拾ったノートと同じ幼い文字で、こう書かれていた。





   しんだふりしてたら、しんだ。




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