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罪眼消  作者: 織田
2/10

二ツ眼








 暗然とした映像、屋内全体が薄暗いことはみてとれた。

 男の息遣いが聞こえる。ところどころ、波打つようにノイズが入る。


 三和土たたきの玄関はひび割れ、黒い染みができている。蜘蛛の巣が屋根に張られているが、その宿主はいなかった。ただ、痛んだ廊下に女郎蜘蛛が仰向けになって丸まっていた。


 廊下は踏みしめるたび、嫌な音がでる。軋みの音に加え、咽喉の奥で唸るような低い音。男の持つカメラは震えているようだった。


 廊下が朽ち果て落ちたのであろう床下に、白いカビのような斑点がぷつぷつと無数に集まっている。男が吐き気を催すような声を発した。


 廊下の左手は、居間のようだった。欅の机は埃とカビのような汚れにまみれ、角に置かれたテレビが無音で砂嵐を映している。畳はどこもボロボロで、壁も穴あきだらけだ。和箪笥があるが、無造作に横に倒されている。


 ――何だ、ここは。


 言いながら、男は進む。廊下突き当たりに、黒電話が置かれている。


 ――電話……、


 そのとき、黒電話が鳴った。男は短い悲鳴をあげ、早足に右に折れた。


 ――で、電話は出ない。つ、次にいく。


 いったい誰が電話をかけてきたのだろう。ここは明らかに廃屋だろうに。


 男の進んだ先に階段があった。ここもまた随分と痛んでおり、途中何段か欠けていた。手すりがあったが、男は触れた瞬間に悲鳴をあげる。濡れているそうだ。男がそう言いながらカメラに、手すりに触れた手を映した。確かに男の手は黒い液体で汚れて、雫が垂れていた。


 水、だろうか。黒い液体がなんなのか、よくわからない。


 二階は二部屋あったが、うち上ってきた階段側の襖が歪んでいたらしく、開かなかった。映像にノイズが入る。奥の部屋も廊下を襖で仕切られており、こちらの襖ははじめから全開だった。部屋には何もなかった。


 ……いや、あった。何かがあった。


 部屋は六畳ほどの大きさで、広くはないが殺風景な一室だ。畳は一階の風景と同様、腐敗が進んでおり、柱も抉れている。

 壁際にある床の間。黒い斑点で汚れボロボロになった掛け軸がある。文字も絵ももう読めないのであろう。撮影者の男は一瞥だけを寄越し、ここから離れた。


 まさにそのときだった。


 掛け軸の真下、床の間に横になるようにして、女児が小さく寝そべってこちらを凝視していた。


 男は気づかなかったようだ。この一室に何もなかったというように、味気ない溜息をついて廊下に戻った。先へ進み、左へ折れると階段があった。


 ――ん……? 何だ、いまの音……。


 階段を上る最中に男がそう呟いたが、音とやらはカメラのマイクには入っていなかった。


 しかし、


 ――まただ。やっぱり、何かいるのか……。


 映像にノイズが入る。男の声は不安げなものに変わり、カメラが廊下へと振り返った。


 さっき左に折れた突き当たりに、俯いた男性が佇んでいた。


 すると強いノイズが画面を揺らしはじめ、けれどすぐに治まった。佇んでいた男性の姿は消えた。


 ――誰も、いないよな。


 男は気づいていない。背後に生気を失った男性がいたことを、視認していないのだ。




 映像は佳境に入る。誰が観てもそう悟るほど、三階の空気は明らかに一変していた。

 映像のノイズがひどくなる。その一方で、何やら妙な音を拾っているのだ。


 ――アダ……エ……アユ……


 それは何故か、観ている者の胸を突く音で、


 ――アダ……ロエ……アユ……


 聞くに耐えがたいほど、不安と恐怖をあおる音、


 ――アダ……ロエ……オグ……アユ……


 ……いや、音じゃない。



 これは声だ。暗闇から悲痛を訴える、温度のない人の声だ。



 ――な、何だよ。この音……。


 男の声がいよいよ恐怖に震えはじめる。映像にノイズが入り、揺れる。ぐにゃつき、まるでわからなくなる。


 しばらくそんな無茶苦茶な映像が流れ続けた。だが依然として音だけ拾い続けているらしく、マイクに問題はないことは確認できた。けれど要領を得ないあの背筋を撫でる声は、やはり何と言っているのかわからない。


 ただ、よくないものだということはわかった。


 映像が復活する。良好となったそれが映していた場所は、おそらく三階最奥一室の内装部だった。


 床は他と違い、ここだけが板張りだった。本棚が壁沿いにところ狭しと並べられ、文机もある。本棚には目一杯本が敷き詰められ、文机にも山積みに資料が置かれていた。


 男は思い出したように実況する。


 ――本が、多い部屋だ。書斎かもしれない。俺には難解な本、だろう。よくわからない。


 この部屋がこの家の終着点でいいのだろうか。男もまた、そんな迷いのあるような雰囲気を画面内で出していた。立ち止まり、書斎をぐるりと見回しながら小さな声で「もう、帰ろうか」と呟いていた。


 そのとき。


 男の背後にある階段を上る、足音が聞こえてきた。


 ――え……? な、なんだ。誰だ?


 ぎしり、ぎしりと音が響く。男の息遣いが荒くなる。


 書斎は、扉付きだったらしい。男はすぐさま振り返り、その扉をそっと気配を殺しながら閉めた。この行動が良いのか悪いのかわからないが、反射的なものだったのは観ていてわかった。


 この足音の主。この部屋の外にいる者は、会ってはいけないと直感できた。


 ――どうする。どうすればいい……。


 足音が遠くなっているのは扉を閉めたせいだ。変わらず音がしているということは、この部屋の外に間違いなく何かがいる。


 カメラが激しくぶれはじめた。がさがさと耳元で衣擦れのような音が入る。男がひどく慌てている。息が荒くなる。そしてカメラは右往左往と揺れ動き、やがて一つのポイントに焦点を当てた。


 男はすぐさま文机の下に潜り込んだ。椅子を引き入ると、映像は闇だけを映し、しばらくして向きを変えたのか、密やかな光を捉えた。


 真ん中の影は椅子の足だろう。その向こうに、本棚の下部が並んでいる様がある。板張りの床が近くなって、男の息遣いも近くなった。


 出入り口であるあの扉は、潜った机の右手にある。カメラには収められない位置にある。

 何もわからない。けれど音声は拾い続けている。廊下を歩く不気味な足音が、近づいてきている。


 と、ここでもう一つ、奇妙な音が混じっているのに気がついた。ゆっくりとした足音の背景に、重いものを擦るような音。



 ――ずる……ずる……ずる……ずる……



 男がクッと、息を堪える音を発した。恐怖で叫びだしたくなっているのがわかった。カメラ下側に映る、男の足が震えているのが写っていた。



 とん、とん、という足音が近づいてくる。

 ずる、ずる、という引きずるような音が近づいてくる。



 やがて、それはピタリと止まった。


 この部屋の扉の前で、止まった。


 ――来るな来るな来るな来るな来るなっ……


 男がほとんど吐息のようにそう唱え始めて間もなく、扉のドアノブが回される音がした。


 金属の高い悲鳴が鳴く。


 何かが足音と引きずる音と共に部屋に入ってくる気配。


 まずい、と思ったときだった。


 カメラは黒い足を二本、捉えていた。それは静々と書斎の中を歩きはじめる。カメラを横切ると、今度は声がした。


 ――みるな……みるな……その眼で……


 男性だ。これは男性の声だ。


 男性が歩いている。その足元の後ろに、黒い物体が引っ付いている。


 ――ずる……ずる……ずる……ずる……


 何だ、あれは。男性は何を連れている……?


 男性が部屋を徘徊するたびに、黒い物体は付いていく。男性の足元を付いていく。


 あるときを境に、男性が文机のちょうど正面辺りで足を止めた。向こうをむいているのか、すっと伸びた二本の足も向こうをむいていて、黒い物体が上手くカメラに映った。


 瞬間、カメラが小刻みに震えだす。黒い物体の正体を映したのだ。


 女児だった。無造作に黒髪を伸ばした女児、床に這いつくばるように寝そべって、力なく男性に引きずられているのだ。仰向けなのかうつ伏せなのかわからない。顔は長い髪が隠して見えない。しかし床は、この二名がここに訪れる前よりも黒く汚れている。


 女児の髪ではない。女児から流れ出る黒い液体が、引きずられた跡を残しているのだ。


 ああ、これは血だ。そう悟ったとき、女児の足首を掴んで引きずる男性が動き出した。


 その拍子に、女児の顔を隠す髪が床に引っ付き、めくるようなかたちとなる。黒い髪の向こうにある女児の顔が覗いた。


 ぱっくりと穴のように口を開き、そのほとんどが血濡れに染まっていた。だが何よりも、


 ――め、眼が……。



 眼がなかった。



 真っ黒な窪みだけがそこにある、眼窩は確認できなかった。

 そんな暗闇の空洞が、カメラを見ていた。


 じっと、こちらをみていた。


 男は悲鳴を上げた。その瞬間、文机を横切ろうとした足が止まった。


 ――あっ……、


 男のそんな声の後、映像が暗転した。


 ノイズが何度か波打つと、ぶつんと切れた。




 音も映像も闇になった。


 何も映らない。

 何も聞こえない。


 しかし耳の奥では、微かにこんな声がした気がした。



 ――アダイロエ、オグイ、アユ……



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