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千の夜を越えて  作者: 皐月
番外編
7/10

恋水 前編

 勢いに乗せられたと言われれば否定できない。

 弥栄に急かされたせいもある。本当は千夜はただの気まぐれであの時手を伸ばしたのかもしれない。

 ……けれど不思議と嫌がっていない自分がいる。


「よう人さらい」

「……共犯者が何を言うか」


 予告もなく急に押しかけるような男。それが弥栄だ。

 その男の発した人さらいという言葉を否定しようとしたが否定できない自分に気付き、取り敢えずそう返した蒼藍は、はあと短いため息をついた。


 弥栄がこうして自分を訪れる時は決まって厄介事を押しつけられる。

 分かっていながらも悪友の頼みを断りきれない蒼藍は、何か用かと尋ねた。

「少しばかり京が不穏なものでな。お前に手を貸して欲しい」

 いともあっさりとんでもないことを言ってくれる。やはり彼は彼らしい。

「里の者では手が足りない、と」

「まあそういう事だ。芳影達では無理だ。わたしか……それともお前か。恐らくまた真羅(しんら)の者だろうな」


 弥栄の里と肩を並べる真羅の里の者は、こちらほど気性が穏やかではない。

 弥栄達はあくまで影の存在として京から不穏分子を排除していくのだが、彼らは違う。

 おおっぴらに昼間に仕事をするものだから目立って仕方ない。ましてそれが目的なのだから、手に負えない。肩を並べると言ってもこちらの方が能力的に上をいっているのが気に入らないのだろう。互いに守る存在である筈の二つの里は、たびたびこうした衝突を起こしていた。それを喧嘩と言って良いのかどうか分からないほど荒いものではあったが。


「……弱い犬ほどよく吼える」

「で、行くのか行かないのか」

 争いごとは好まぬよなどと日頃公言している弥栄は実はそう気が長い方ではない。

 特に蒼藍に対してはそうだった。障子を開けて入ってきたにもかかわらず座ろうとしないのが立派な証拠だ。親友だからだろうか、弥栄は自分の荒い部分を全く隠そうともしない。

 ほんのりと部屋を照らしていた灯りをふっと消し、蒼藍は立ち上がった。


「行かなければ拗ねるだろうが」


 冗談めかして言うと、弥栄は笑った。

 どうやら否定する気はないらしい。



「蒼……?」


 かたんという小さな音と共に、弥栄が入ってきた方とは別にあった襖が開く。

 余程眠たいのかごしごしと目をこすっていた千夜は、目をぱちりと開け、顔見知りの男がいることに驚き、慌てて頭を下げた。

「や、弥栄様こんばんは……」

「こんばんは」

 柔らかく笑う弥栄は猫かぶりだと蒼藍は思う。

 こういうところがあなどれない所だ。鋭い目をすれば蒼藍よりも幾分か恐ろしいものを感じさせるような男なのに、笑っていればそんなものを一切感じさせない。

 人当たりが良いとはこのことだろう。

「蒼……どこか行くのか……?」

 まだぼんやりとしていた彼女が自分を見上げているのを見て、蒼藍はその頭をぽんぽんと撫でてやった。

「ちょっとな」

 ふうんと、聞いているのか聞いていないのかよく分からないような生返事を返した千夜は、そのままお休みなさいと言って元へ戻って行った。


 深く事情を聞こうとしない所が良いところだなと弥栄がそのやりとりを聞いていて思う。

 彼女は自分や蒼藍の『仕事』についついて文句も言わなければ詮索するようなこともしない。打ってつけだ。弥栄も蒼藍も名前を千夜に知られてしまっている。

 だから初めのうち弥栄は千夜のことをそれとなく見張っていたのだが彼女はあまりにも普通の娘だった。由葉とお喋りに興じてみたり芳影に里を案内してもらったりと、思いきり馴染んでいる。

 冗談めかして『元の場所に戻るか』と聞いてみればきっぱりはっきり嫌ですと答える。これなら心配はないだろう。


 念のため暫くは様子を見させてもらうが、と面倒くさい(とは思っても口には出さない)ことを(嫌々)引き受ける里長だった。





 暗闇の中、緊張感を感じさせないような会話をかわし、仕事をするために辺りを見回す。

 いつになく鋭い表情を蒼藍が浮かべていると、軽く袖を引っ張られる。

 振り向くと弥栄が彼をからかう時に浮かべる笑みを浮かべていた。

「……ふざけた話なら断る」

「言う前から何だその態度は」

 言葉上は不機嫌だが、その目は笑っている。蒼藍という男は基本的に無口で冷静なため、からかうのが楽しいのだ。

 落ち着きを失った所を見てみたいと思うのだが今のところまだそれは見ていない。

「お前、あれはもうしたのか」

「してない」

 第三者が聞けばさっぱり意味の分からないような会話でも彼らの間では沈黙の了解とばかりに伝わる。弥栄の言う『あれ』とは里の者に伝わっている血を混ぜる儀式のことだ。

 強く血を引く彼らは普通の人間の五倍長く命を永らえる。そして伴侶と認めた相手にだけその血を互いにほんの少量混ぜるだけで、同じ長さを生きることのできるというものだった。後戻りはできない。一度混ざってしまった血はもう元のものには戻ることができない。


「……怖いのか?」


 珍しく真剣な顔をした弥栄のその言葉を暫く頭の中で反芻してみてから、蒼藍は小さく笑った。


「──かもしれない」


 怖い。もし彼女が血を混ぜてしまった後で拒絶したら。その命の長さに怯えてしまったら。

 普通の人は時を追うごとに老い、人として朽ちていく。それを彼女に見せるのがどれだけ酷か、それを体験してきた蒼藍は知り尽くしていた。


 弥栄の許嫁という立場である由葉は笑っていた。

 『それでも弥栄さまのお側にいたいです』と。たとえ血を分けた兄弟や産んでくれた両親の死を目の前で見たとしても後悔しないと。人との時間の流れが違っても構わないと。

 彼女は里の血が少量なりとも流れているからまだそう思うことができるのだろう。

 だが千夜は?

 彼女は……血のことなど何も知らない、ただの良家の娘だ。塀に囲まれた屋敷で育ってきた彼女。ただあの屋敷を出たいがために蒼藍のことを好きだと思いこんだのかもしれない。

 血のことなど関係なくどこか穏やかな村で過ごすのが彼女にとって一番良い。

「自分の血が恐ろしい。この血は人を人でなくさせる。たった一滴だけで。千夜が後悔するようなことになったとしても……俺は、何もしてやることができない」

 あの屋敷の中で平穏に暮らしていれば掴めたかもしれない人としての幸せ。

 それをつみ取ってしまう力を持つ自分の血。

 蒼藍は、それが恐ろしくてたまらなかった。



 普段から無表情な悪友の更に静かな表情をじっと見ていた弥栄は視線を逸らし、ふっと笑った。

 蒼藍と千夜はそんな簡単に壊れてしまうような仲には見えない。初めて会った時から数えるともう七年を超しているのだ。

 千夜の言うように表現するなら二千の夜を越したというところか。それだけの夜を越しておいて尚自身の血を恐れる蒼藍の気持ちは分からないでもない。

 弥栄だって由葉を相手に悩んだものだ。時間を狂わせてしまう血なら最初からなければ良かったと思ったこともある。

 それでも……。

「放っておけば大人になる」

 そう。千夜はただの人間だ。

 彼らのように長い寿命を有している訳ではない。蒼藍が血を分けないままなら、彼女はやがて老いていくだろう。

「分かっているさ」

 分かっているからこそ悩んでいるのだ。

 初めて千夜に会った時からもう随分と月日が流れているが、蒼藍や弥栄は一年くらいでは外見も中身も全く変わらない。それでも千夜は季節を追うごとに背が伸び、女らしさを増し、大人へと向かいつつある。このままではあと数年もすれば外見上の年齢が入れ替わってしまうだろう。蒼藍は気にしないが、千夜はそれをどう思っているのだろうか。

「まあせいぜい悩むことだな」

 年長者のようなそぶりを見せて笑う弥栄に一睨みをくれておいて、蒼藍は無駄口を叩くのをやめた。



 ――風が、変わった。


「これまた随分と大勢でお越しだな」


 ふっと一笑した弥栄にちらりと蒼藍が視線を向けると、彼の目は笑ってはいなかった。

 里長としての弥栄は、蒼藍が思うにかなりたちの悪い人間だ。

 人好きのする性格をしているくせに、こういう時となると容赦というものが全くない。いや、彼の辞書には最初から容赦とか慈悲とかいう言葉はないのだろう。

 真羅の里の者が足音を殺して二人に近づく。二十人かそこらかというところだ。

「半々だな」

「……前はそう言ってほとんど俺に押しつけただろうが」

 そんな昔のことは忘れたと弥栄は自信満々に言ってのけ、視線を前にやった。これはもう話はここまでという合図だ。全くこいつというやつはと内心で呟いた蒼藍も、視線を変えた。


 闇に隠れるようにして間合いを縮めてくる相手は、以前千夜の屋敷で囲んできた男達よりも遥かに身体能力が高い。

 弥栄の里の者と肩を並べることができるほどの里なのだから当然といえば当然か。

「派閥争いは面倒だなあ……」

 ぼんやりと呑気にも呟いていた弥栄は、ふっと消えるように移動したかと思うとその直後には刀を抜いていた男を地面に引き倒していた。

 やはり、容赦はない。

 どこが争い嫌いだかと愚痴のように口にした蒼藍も、襲いかかってくる相手の攻撃をすっと避け、攻撃を開始することにした。



 風を切る音と、微かな草の揺れる音。

 刀を結び合う音がその間に響き、それがまた周りの音と相まって不思議な旋律を造り出していた。



 刀を扱うのは嫌いではない。

 研ぎ澄まされるような感覚。鋭敏になる。

「蒼……っ!」

 名前を最後まで呼ばず、弥栄はそう蒼藍に呼びかけて視線をやった。

 真羅の者の中でも精鋭なのだろう。さすがに一斉に襲いかかられると少しばかりきつい。

 弥栄の里は刀を造ることを生業としている者が多い。世間で忍びと称される部族のそれは、一般の刀よりは随分と洗練されたものだった。その刀すらも刃こぼれしそうなほど、辛い。

「援護はっ?」

 相手の着物の袷をぐいっと引っ張り、峰打ちで昏倒させておいてから蒼藍は弥栄に声をかけた。どうやら里長である弥栄の方が自分よりも狙われやすいようだ。半々だと弥栄は笑っていたが、それどころではなさそうだった。

「出来れば!」

 こういう時弥栄は遠慮しない。遠慮して死んだら笑い者だ。

 取り敢えず刀を振り上げてきた相手の腕を切りつけておいて、一歩後ろへと後退した。

「話しながらとは、余裕だな」

 薄ら笑いを浮かべた、真羅の里の者が距離を詰めてくる。短い呼吸をしていた弥栄に刀が真っ直ぐに突き刺され……る、直前。

 がき、と蒼藍の刀がうちかかってきた刀を受けた。


「余裕を持つぐらいの腕だ、ということだ」


 ふっと笑みを浮かべ蒼藍は刀を薙ぎ、相手の刀をたたき折った。

「な……っ!?」

「その刀では勝てるまい」

 地面に落ちた刃先。蒼藍が相手をしていた男は、驚愕に目を見開き、折れた自分の刀を呆然と見つめていた。

「鍛えなおして出直してくるか?」

 嘲笑してやると、彼は頭に血が上ったまま折れた刀を振り上げた。

 隣でそれを見ていた弥栄が自分も刀を動かしながら、呟いた。


「容赦ないなあ……」


 どこがだ。そういう台詞は自分の行動を省みてから言って欲しいものである。

 拳骨でも落としてやりたい気分だったが、そうする余裕もなさそうなので蒼藍は何も言わなかった。




 短く途切れる息を吐いて、蒼藍と弥栄は同時に刀を収めた。

「……死者は?」

「相手に二十一人」

「負傷者は」

「相手に二人。こちらも二人」

 そう答えてから蒼藍が膝をつく。

 弥栄は暫く耐えるように立っていたが、安全だと確認すると自分も膝を折った。

 荒い息を吐く音が断続的に響く。汗で濡れて額に張り付く髪を鬱陶しげに手で払って、弥栄は最後の質問を投げかけた。

「では歩いて里へ帰れそうな者は」

 ぐいっと顎の下を流れていく汗を拭った蒼藍は、ちらりと弥栄に視線をやって答えた。


「どちらにもいない、な」

「……そのようだな」


 ここから里までどれほどの距離があるのだろう。

 かなりの深手だ。特に狙われ続けていた弥栄の方は傷がひどかった。お互い傷には手慣れたもので、てきぱきと自分の着物で応急処置をしていく。だが足に力は入らなかった。血を流しすぎたか。

 ひとまずあの場から離れたところまで来たが、ここまで来る間の血の跡も消さなければならない。里の場所を暴かれるのは大問題なのだ。

 つまり、たとえ歩けていたとしても二人とも里へ戻ることはできない。血の跡を残したままでは、その血を辿られてしまう。あいにくと相手の全ての息の根を止められた訳ではない。

 残ったあの二人が回復した後、追って来られるのはご免だ。

 まあいつも通り何とかなるだろうと考えた気楽な里長は、手頃な木を探し、そこにもたれかかって目を閉じた。

 蒼藍も張りつめていた緊張を解き、ふうとため息をつく。

 いつものことだった。里の者は互いに助け合いながら生きている。そして、里から仕事で出ていった者が時間を過ぎても返ってこなかった場合は、迎えがくる手はずになっているのだ。



 蒼藍と弥栄の想像通り、里からの迎えがまとまってやってきた。


「里長! 蒼藍様!」


 血の跡をたどってきたのだろう。

 見慣れたいかつい顔をした男に、弥栄は目を開けて頷いた。

「血の跡を頼む」

「既に後の者が消している筈です」

「……そうか」

 里長である弥栄はそう呟いたきり口を噤んだ。

 その顔はわずかに青白い。

黒羽(くろは)、先にそいつを連れていってやってくれ。俺より傷がひどい」

 蒼藍がそう言い、黒羽と呼ばれた大男は一つ頷くと大柄に属する弥栄の腕を肩にかけ、立ち上がらせた。

 あと何人来ているのだろうか。できれば早く自分もきちんとした止血処置を受けたい。

 血で濡れた着物は乾いて所々ばりばりとしてきているし、嫌な汗をかいている。

 これほどに傷を負うなら、里を出る前にもう少し長く千夜を見ていれば良かったな、と考えても仕方ないことを考え、蒼藍は目を閉じた。


「おい、くたばってる場合じゃないだろ!」


 霞がかる意識の中で黒羽にしては高めの声を聞いた気がして、蒼藍は薄く目を開いた。

 黒羽のような大男ではなく、小柄な影だった。

「……芳影……?」

「そうだ! 弥栄様は父さんがちゃんと連れていった!」

 どうして芳影がここにいるのだろうとぼんやりと考える。

 芳影は里の者の中ではまだ大人達に認められるような力ではない。実際に弥栄は認めていないし、蒼藍もまたまだこの子供には早いと考えていた。

 弥栄の里では、大人とみなされない者はこのような仕事にはかり出されない。いくら黒羽が芳影の父親と言えども、ついてきてはいけないことになっているのだ。

 それなのに何故。

「芳影、どうしてお前が……ここに……いる……?」

 はっきりしない視界の中で。芳影はむすっとした顔のまま、手を伸ばしてある方向を指差した。

 のろのろと蒼藍がその方向へと視線をやる。

「俺は! 父さんの手伝いをするためじゃなくて由葉の護衛として来たんだ!」

 ざっくりと切った髪が見え、蒼藍は自分の額へと手を運んだ。

 ……確か、由葉もまだ子供ではなかっただろうか。

 日頃もう大人だと豪語しているが、彼女もまた里に認められた者ではない。弥栄に寄り添うようにして歩いているのはこの場には似合わないような娘だった。

 無理矢理引っ張ろうとする芳影にされるがままになったままで、蒼藍は芳影を見下ろす。

 すると芳影は鋭い蒼藍の視線から逃れるようについと顔を逸らすと、まるで自分は悪くないと言い訳をするように呟いた。


「あと、千夜の護衛」

「っ!」


 あ、と。芳影は息を呑んだ。

 ぞっとする程恐ろしいと思っていた蒼藍が、千夜の名前を聞いた瞬間に取り乱した。

 こんなものは芳影は見たことがなかった。蒼藍の幼なじみである弥栄はたびたび目にしてはいるが、芳影にとっては初めてのものであり、また信じられないものでもある。

「芳影、千夜を連れてきたのか……」

 呟かれた言葉に力はない筈なのに、静かな怒りが含まれている気がして芳影はその場から逃げ出したくなった。

 けれど自分の肩には重い蒼藍の腕が乗っている。

「お、俺が連れてきたんじゃないからな。千夜が行きたいって言い出したんだからな!!」

 それを聞いた蒼藍は手に力を込めると、芳影の肩からそれを下ろし、小さな少年の背をおしやる。

 荒い息をつきながらも厳しい声でぴしゃりと言いつけた。

「芳影、千夜を今すぐ里へ連れて帰れ」

「……え、何で?」

「千夜には……俺の血も、弥栄の血も、触らせるな」

 低い位置から睨みあげられるのはなかなかの迫力ものだった。

 ひやりとした汗を流しながら、芳影は視線を再び彷徨わせる。

「そんなこと言っても……」

 手を伸ばし、弥栄達の向かっていった方向指差す。これも二回目だった。


「千夜、蒼藍様達の血の跡消し、手伝おうとしてたぞ」


 ざっと。

 今まで動くのさえ辛そうにしていた蒼藍が身を起こした。けれど流血のせいで力が入らず、膝をつく。情けないとは芳影は思わなかった。里長である弥栄でさえあの状態なのだ。生きていることだけでも大したものなのだ。

「……肩、かす」

 以前ほど蒼藍が怖くはない。

 芳影はぶっきらぼうにそう言うと、蒼藍の手をぐいっと引っ張って自分の肩へとかけた。大男である黒羽が弥栄にするようには上手くいかず、ずしりと重い腕を抱えなければいけない芳影は何度もふらついた。

 けれどやめるとは口にせず、千夜がいるのであろう方向へ足を向ける。

 蒼藍は芳影に掠れた声で礼を言うと、遠慮なく支えになってもらうことにした。




「千夜!」


 びくりと千夜は身を竦ませ、ついで弾かれたように後ろへと振り返った。

 そこにはどす黒くなった血を身にまとったままの蒼藍。


「蒼っ!? その血……っ!」


 黒羽とは別の男が血を流した蒼藍に近づく千夜を止めようとしたが、千夜の方が動きが早かった。

 汗を流す蒼藍に駆け寄ろうとする。

 けれど。


「千夜、こちらに来るんじゃない」


 蒼藍のその言葉によって、ぴたりと足を止めた。以前にも似たようなことがあったことを思い出す。あの時も、流血していた蒼藍は千夜が触ろうとするのを拒んだのだ。

「あ……」

 どうすればいいのかと千夜が固まっている横を、何か彼女と同じぐらいの大きさのものが通り抜けて行った。

 ぼんやりとしていた千夜はそれを確認するのに時間がかかってしまった。

「蒼藍様っ!」

 ぱたぱたと真っ直ぐに蒼藍の方へと駆けていく由葉。

 ……蒼藍は彼女を拒まなかった。

「蒼藍様、由葉が分かりますね? ああもう弥栄様も蒼藍様も無茶ばかり……っ!」

 ざっくりと切った髪のままの由葉は、けれど千夜にはどこか大人に見えて仕方がなかった。

 蒼藍が拒まなかった理由は分かる。由葉は弥栄と同じ永さを生きることを選び、そして実際にそうなった人だ。けれど千夜は蒼藍の五倍の速さで成長していくまま。

 触ってはいけない理由はそれだ。蒼藍はこんな時でも千夜を気遣ってくれる。


 分かっていた。

 分かってはいたけれど。

 自分だけ拒まれて、由葉や芳影や、弥栄の里の者達は蒼藍には拒まれない。

 そのことがひどく理不尽で、自分だけのけ者にされたような気分になるのだ。


 ぱたりと。

 由葉が止血を施された布の上から添え木をして、更に固定していくのを眺めていた千夜の頬から、涙が一滴落ちて、地面に消えた。

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