8.もう私には何が何だか
「ではみなさん、明日から各自準備を怠らぬよう頑張ってくださいね」
はい──と、四方八方から快活さと上品さが入り交じった声が挙がった。
返事の抑揚一つで平民と貴族の判別ができてしまうのだから身に染みた習慣(?)というものは恐ろしい。平民らしい垢抜けない返事をしようものなら、それだけで一週間は笑われるのだ。
まあ、笑うといっても「あらあらまあまあ、微笑ましいわねウフフフフ」みたいな軽い感じだけど。
さて、では何の準備を頑張るのかと言うと、学園祭である。聖クリストフォード学園は5月末に学園祭をし、その後6月初めに聖マリアベール学園が学園祭をするのだ。
生徒が互いの学園祭に行けるように学園側が配慮した結果、こうなったらしい。
そういえばゲームでもそんな展開あった気がする。6月始めにヴァニラちゃんと一番好感度高いキャラが一緒にマリアベールの学園祭に行くイベントもあった。さて、ヴァニラちゃんは誰と一緒に行くのやら。
こんな初夏の暑くなり始めた時期に学園祭なんてやってられっかと思わないでもないが、準備期間を通して生徒間の結束を早いうちから固めることが学園側の思想だそうだ。その結束とやらに最初からバッキバキにヒビが入っている場合はどうしたらいいんでしょうかね?
学園祭ならば我がクラスは何をするのかというと、演劇だ。演目は“グラシア姫”。
あらすじを説明すると、赤ん坊の頃に捨てられたグラシアが心優しい男に拾われる。男の妻はグラシアを虐めるが、男には愛情深く育てられたグラシアは素朴だが美しい娘に成長。ある日グラシアは、事故ったのか弱っている隣国の王子と遭遇、王子を助けたことで二人は恋に落ちる。しかし身分違いで結婚できないーとか思ってたら実はグラシアが王族であることが発覚し二人は無事結婚するというシンデレラ(?)ストーリーだ。
余談だが、これは我が国の歴史でもある。グラシアがクリスタリアの姫で、王子はマルディニウムの王子なのだ。もちろん昔から二国の仲は良かったが、この一件で更に仲を深めたという。
そういえば、前に両国の王子が互いの学園に入るのはなぜか、という問の説明を放置していたか。あれはこの物語が由来なのだ。
姫と王子が結ばれるなら当然、姫は王子の国へ嫁いでゆく。グラシア姫も例に漏れず、マルディニウムに住居を移した。
ではクリスタリアは誰が現王の跡を継ぐのかという話になるが、実は普通にクリスタリアにはグラシアの兄王子がいて、その兄王子が次期王となった。そしてマルディニウム王子には妹姫がおり、クリスタリアの王子となんやかんやあって結ばれ嫁入りを果たした。
二人の姫は夫を支えるため国を理解し、それによって故郷との繋がりを強固にしようと、なれない土地で必死で勉強をしていたのが始まりらしい。その二人の姫に習い、王家の子供は必ず隣国の学院に入り、学ぶのだという。
話を戻そう。
劇での配役は、王子役がライアン・カルヴァーニ──まんまやないかい!!!──で、グラシア役がヴァニラちゃんだ。まあ、ヴァニラちゃんは私が推したのだが。そして王子は一部を除く女子全員に推されていた。一部とはヴァニラちゃんともちろん私である。
ちなみに私は一番人気がなかった大道具係&衣装係だ。劇にすら出ない裏方である。まあ劇に出ても存在感薄すぎて観客の記憶に残らなさそうだから良いんだけど。
ついでに他の主要人物たちの配役は、騎士様が王子の従者役──この人もまんまだ──で、キザ男がグラシアの実兄──つまりクリスタリア王子──役、メガネくんは私と同じ裏方で、双子はグラシアの幼馴染役。
いじめっ子はグラシアの養母役、その取り巻きは意地悪な友人役となっている。
…攻略対象陣はともかく、いじめっ子たちの配役に悪意を感じる。いや、彼女らが陰口以外でもヴァニラちゃんをいじめていることなど当事者含めて誰も知らないだろうから偶然なのだろうけども。
いじめっ子3人組、とくにリアリス・トルチエーネは姫役になれなかったことがよほど悔しいらしく、親の仇でも見るかのような形相でヴァニラちゃんを睨んでいる。
一方のヴァニラちゃんはあまりの大役に畏縮してしまっているようだ。
頑張れヴァニラちゃん。
…しかし、これは何か起こりそうだ。今の状態からもわかるが、ヴァニラちゃんが姫役に決まったとき、リアリス・トルチエーネは無茶苦茶嫌そうだったし。…用心だけはしておこう。
*****
準備は意外にも何の事件も起こらず、スムーズに進んだ。良い事ではあるが、少し不気味だ。嵐の前の静けさと言うか……どうにも不安は拭えない。
しかし、私がどれだけ不安を抱えていようが時間は待ってはくれない。
刻一刻と着実に準備は進み、ついにこの日を迎えてしまった。
つまり、そう、学園祭が始まったのである。
「はあぁ〜…」
学園祭が始まったとはいえ、我がクラスが公演するのは学園祭開催期間3日間の内、2日目の午後のみ。それまで暇だし、公演が終わったら終わったで暇だ。
では何故そんなに深いため息をついているのかと言うと、逃げるのに疲れたからだ。誰からって、王子からである。ちなみに今は校舎側面にある茂みの裏に隠れている。涼しい。
私はこの間の“僕は君を知っている”発言から地味に王子を避け続けていた。いや、それ以前から避けていたけどそれはソレ、これはコレ。
だって怖いじゃないか。“こちらはライアン・カルヴァーニを知っているけど彼はこちらを知らない”ならわかるが、その逆なんだぞ?国でトップクラスの有名人が何の関わりもないはずの一般人を知っているとか、私でなくても怖いだろう。
王子ストーカーかよ。時期マルディニウム国王になるであろう人がストーカー(仮)とか倫理的に危なすぎるでしょ。
百歩譲って何らかの事情があって王子が私を昔から知っていたとして、理解できないのは現在の王子の言動だ。
知っているからってなぜ私に近づいてくる?なぜ私を気にかける?私と仲良くして彼に何の得がある?私に何を求めている?
考えてもこれっぽっちもわからない。
いっそ本人に聞いてしまった方が早いと思うが、いつどこでどう聞けばいいのかさっぱりだ。大衆の面前で聞いても二人きりになっても後々王子ファンや騎士様に攻撃をくらうであろうことはわかりきっているのに、そんな迂闊な行動がとれようか。
そもそも“なぜ私とお話ししてくださるのでしょう?”と聞くとか、正直イタい。別の聞き方もあるだろうが、言い方次第ではナルシストと取られる可能性も無くはないので、それだけは避けたいところだ。
(………うん、お腹すいた)
面倒くさくなって考えるのを止めた。お腹すいて頭も働かないし、今気にしなければならないのは王子の事ではないのだから。
模擬店で何か買おう。できれば焼きもろこしが食べたいな。確か正面玄関付近に焼きもろこし屋があったはずだから、混んでなかったらそこで買おうそうしよう。
腹を括り、茂みの裏から顔を出す。そうして私は人混みで戦場と化しているであろう校庭に向かって歩を進めた。
*****
春は曙、夏は夜。秋は夕暮れ冬はつとめて、とは誰の言葉だったか。まさしくその通りだな、とサンサンときらめく太陽の熱に焼かれながら思う。
暑い。焼きもろこし美味しい。おうち帰りたい。
まだギリギリ5月ではあるが暑いものは暑い。これからもっと暑くなるのかと思うと憂鬱だ。更に目前に問題が立ちふさがっているとなると、もう現実逃避するしかない。
「──ちょっと、きちんと聞いていらして!?」
聞いてますよという意志を込めて首を上下に振る。口に何か入ったまま喋るのはお行儀が悪いしね。焼きもろこし美味しい。
「…ならよろしいのです。では、念の為もう一度お話しさせていただきますわね。私としては──」
この目前に立ちふさがる問題こと、平民である私にも丁寧に話すお嬢様がかの(私の中で)有名なリアリス・トルチエーネである。
焼きもろこし屋を離れた直後に彼女らに捕まり、校舎裏に連行されたのだ。
ずいぶん前から私を探していたらしい。捕まった時、情感こもった声で「よおおおおやく!!見つけましたわよ!!!」と叫ばれた。
彼女の後ろにはラミアン・オルコットとスキューラ・マーベンスも控えている。はぁー、焼きもろこし美味しい。
3人ともやってる事はアレだが、顔面偏差値は高い。つまり美少女である。
やってる事はアレだが、それ以外はマナーも所作も声もどこをとっても100点満点花丸パーフェクト。いわゆる、黙っていれば美少女というやつだ。お顔の造形がたいへんよろしいがために、やってる事が非常に残念ではあるが。
いいか、彼女たちは残念な美少女なのではない、黙っていれば美少女なのだ。そして焼きもろこし美味しい。
「──本当に聞いてらして!?それに、いつまで焼きもろこしを頬張っておりますの!!」
聞いてます聞いてます。あれでしょ、“今からでも遅くはないからグラシア姫役をヴァニラ・アイスからリアリス・トルチエーネに変更しろ”って話でしょ。焼きもろこしは大きくて食べるのに手こずってるだけだよ。
「聞いていますよ。にしても、なぜそれを私に?アイスさんに直接仰ったらいかがですか?」
食べ終わった焼きもろこしの芯を、近くにあったゴミ箱に捨てる。
私の一番の疑問はそこだ。
そういうことは一大道具&衣装係の私に言うより、ヴァニラちゃんに直接言った方がいいと思う。グラシア姫役に決まったときとても畏縮していたし、直接言えば簡単に心が折れそうだが。
「言いましたわよ!彼女にも言ったうえであなたに言っているのです、察しなさい!」
「…さいですか」
なるほど言った後だったらしい。
察しろということはきっと彼女は折れなかったのだろう。強いなヴァニラちゃん。断られてもめげずに私に突撃してくるリアリス・トルチエーネもなかなかのものだが。
でも、だからといって私に言われてもなぁ。せめて監督役に言えば姫役になれたかもしれないのに。
「では率直に結論から申しますと、却下です。トルチエーネ様に変更する理由もございませんし。まぁ、貴女が姫役をせねばならぬ、のっぴきならない理由があると仰るならば話は別ですが」
「うっ…」
「そもそも私はただの大道具係ですので、いくら貴女が姫役をやりたいと仰られても私にはどうすることも出来ませんよ」
話すときは相手の目を見ろ、と高校や大学受験の時に先生に散々言われたことを思い出す。
今までは相手の鼻や首元を見ることで誤魔化していたが、今はダメだ。しっかり目を見据えて、自分の意志を伝えなければ。私は、絶対に、譲らんぞ。
私の鉄壁の如き意志を読み取ったのか、リアリス・トルチエーネは一歩下がったし、後ろの二人も逃げ腰だ。このままいけば勝つる。
気合を入れ直そうと、いったんリアリス・トルチエーネから視線を逸し目を閉じる。思考をまとめてから再びまぶたを開けばそこにいじめっ子たちの姿は無かった。
「……逃げたか」
別にそこまでさせるつもりはなかったのだが。ただちょっと“役の変更は諦める”と言って欲しかっただけである。
「………焼きもろこしもう一本食べよう」
日影じゃないからここ暑いし、さっさと移動をしたい。あまり長居しても王子に見つかりそうで怖いし。
焼きもろこし買うついでにヴァニラちゃんを探そう。彼女が誰と親睦を深めているのか気になる。
いじめっ子たちの動向が気にならない訳でもないが、せっかくの学園祭。楽しまねば損である。悪いことばかり気にしては良くない。
開演まであと24時間。どうか何も起こりませんように。
…24時間って意外と時間あるな。