7.それはフラグじゃなくて爆弾です
聖クリストフォード学園に入学してそろそろ二週間が経つが、なんてわかりやすくイジメを受けているんだろう。
私の話ではない、ヴァニラちゃんのことだ。
彼女は入学2日目にバベッジ兄弟の片割れ――厳密に言うとマイケルの方――と激突。謝罪の際にぶつかった相手の名前を口にした事で、“自分たちを見分けられるのか”とバベッジ兄弟の興味を買った。
3日目にはカイルが落としたハンカチを拾い、拾ったハンカチを渡そうとしたらお礼ついでにカイルに口説かれ、これを彼女は拒絶した。それが今まで女性に振られた事の無いカイルのプライドに火をつけたようで、後日何かと絡まれるように。
その日の放課後、忘れ物をしたヴァニラちゃんが教室に戻ると勉強をしているコナーを発見。流れで一緒に勉強することになり、それがきっかけでよく話をする仲になった。
そして4日目、道場で手合わせをしているライアンとルイスを発見。王子という身分に胡座をかくことなく地道に努力を重ねるライアンと、王子に負けるわけにはいかないと必死で己を鍛えるルイスの姿に胸を撃たれたらしい彼女はたまに差し入れを渡すことを決意、二人に約束し、少しずつ二人の信頼を得るようになった。
何と言うか、さすがは乙女ゲームの主人公と言ったところか。いくら同じクラスとは言えこの短期間で主要人物全員と接触し、仲良くなるなんて公爵家令嬢にだって簡単に出来ることではない。
生まれ持った強運と物怖じしない気概、純粋で広大な心と柔軟な思考を持つ彼女にしか成せない技である。
私の主観はさて置き、なぜ私がヴァニラちゃんと主要人物たちの馴れ初めを知っているのかというと、偶然である。
観察するとは言ったが、決してヴァニラちゃんをストーカーした訳ではない。行く先行く先に何故か主要人物たちが居て、後からヴァニラちゃんが来たのだ。私は存在感が薄くて気づかれなかったのである。
そんな短期間で学園でもトップクラスのイケメン達と仲良くなったヴァニラちゃんを妬ましく思う女がいないはずも無く、嫉妬に狂った女たちは些細な嫌がらせを繰り返していた。
すれ違いざまの嫌味や皮肉は日常茶飯事。ヴァニラちゃんの持ち物にカッターやら髪の毛(誰のだろう?)を仕込むこともある。
ヴァニラちゃんの席に画鋲をばら撒いているのを見てしまった時には、『なんて典型的な…』と思ってしまった。ちなみに画鋲は私が回収しておいたのでヴァニラちゃんに被害はない。
私も王子ファンによる虐めを覚悟していたのだが、二週間前の食堂での出来事以来まともに王子と話していないことと、私以上にヴァニラちゃんが目立ち過ぎて私の存在が薄れたことが要因なのか、私の方は特にこれといった虐めは受けていない。
と言うか多分存在を忘れられている。直接ではないけれど、この前とあるクラスメイトに「ウチのクラスにあんな方いらっしゃったかしら…」と言われたからな。ええ、いるんですよ。ちなみにあなたの前の席ですよ、私。
まあ、いじめっ子たちの気持ちも分からなくもない。いくら貴平平等とはいえ、パっと出の平民がクラスでトップの貴族(一部は平民だけど)と仲良くしている様は馴れ馴れしく感じるだろう。しかも、今まで自分たちはその貴族たちに相手にされなかったのに。だからといって虐めていいわけではないのだけど。
個人的には、ヴァニラちゃんを虐めている暇があったら自分磨きに精を出せばいいと思う。外見的な意味ではなく、内面的な意味で。いくら外見が良くても性格ブスは彼らだってお断りだろう。
(……またか)
通りがかりに先生に頼まれた用事を済ませた私の目の前を、パタパタと音を立てて3人の少女が通り過ぎて行く。この場には居ないが先生が見れば「はしたない!」と彼女たちを叱ることだろう。
3人の少女の名はリアリス・トルチエーネ、ラミアン・オルコット、スキューラ・マーベンス。
ゲームでも確かそうだったが、この3人はヴァニラちゃん虐めの主犯だ。ウチの教室から出てきた様だし、恐らくヴァニラちゃんの持ち物に細工でもしていたのだろう。
(…次の授業は11時40分から、場所は講堂。ここから教室まで数十秒で教室から講堂まで走っておよそ3分。今の時間は11時35分だから急げば充分間に合うハズ)
こんなの、他の子がそうしているように見なかったフリをすればいいのだ。だって私には関係がない。色恋沙汰に私が絡むとろくな事にならないのはイヤというほど身に染みている。けれど自然と体は教室に向かっていた。
そうだ、見過ごすなんてできない。看過するなど赦さない。他でもない私が、理不尽に犯されてきたこの私が!崖に追い詰められている者の手を、取らないなんてありえない。
ヴァニラちゃんの席の前でピタリと足が止まる。
手は彼女の机の中を荒らし、一冊の教科書を抜き出した。その教科書に貼り付けられたカッターの刃を外し、教科書を再び机の中に戻す。
これで通算三本目、彼女たちも懲りないものだ。今まで不発に終わっていた行為をなぜ繰り返すのだろう。
カッターの刃は貰っておこう。ヴァニラちゃんに渡すわけにも、いじめっ子3人組に返すわけにもいかないし。
「いてっ」
刃を持っていた左手の親指に痛みが走る。どうやら切ってしまったらしい。傷口からつぷりと血がにじみ出てきて小さな雫が作られた。
時刻は11時37分。手当をしている暇はない。
ハンカチで血を拭い取り、ティッシュで素早く刃を包んでポケットにしまう。
ろくな手当もしないまま、授業開始に間に合わせるべく講堂に向けて走り出した。
*****
「すまない、少し良いだろうか」
授業終了の鐘が鳴るとともに、王子が取り巻きを押し退けて私に話しかけてきた。
不覚、まさか授業終了直後に話しかけられるとは。ああ、周りの視線が痛い。
「いかがいたしましたか、殿下」
「ライアンで構わない」
「ではライアン様、と。それで、私めにどのようなご用件で?」
「ああ、左手の親指が切れているようだったので、何かあったのかと思ってな」
…待て、なぜ気づいた。
いや、別に隠していた訳でもないが、だからといってわかりやすい傷でもないし指先の切り傷なんて普通は誰も気づかない。しかも授業中、王子とは結構な距離が空いていたはずだが…本当、よく気づいたものである。
「お恥ずかしながら、いつの間にか切ってしまったようでして」
「そうか。手当はしたのか?」
「いいえ」
「それはいけない、今すぐ保健室に行こう」
「えっ」
王子は私の手を取り駆け出した。
この人は何故こんなことをする?消毒は大事だが、急いで保健室で手当をしてもらわねばいけないようなケガではない。傷口は小さいし、血だってとっくに止まっている。触れれば痛いがそれだけだ。
それなのに何だ、この状況は。怪我してるのをイケメンに見つかり保健室に連行されるとかそれ何て乙女ゲーム?いやごめん、これ乙女ゲームだったわ。
あーダメだ、混乱しているからか私には王子の思考が全く読み取れない。しかしこのまま保健室直行コースは避けたい。
「あのっライアン様!この程度のケガに消毒は必要ありません、ですのでどうかお止まりください!」
王子はピタリと足を止めた。おかげで引っ張られるままに足をもつれさせながら走っていた私は彼の背中に鼻をぶつけた。こんちくしょう、ごめんね王子。
「消毒が必要ないとは…?」
「そのままの意味ですよ。この程度傷に消毒液を使ったら逆に治りが遅くなります(多分)」
「ではどうすればいいんだ」
「水で綺麗に洗って軟膏でも塗っておけばそのうち治りますよ」
「そうか、そういうものなのか…」
まあ、王子様だもんね。怪我でもすれば、たとえそれがかすり傷だろうが大袈裟に騒がれてきたのだろう。しかし私は平民、この程度の切り傷、どうってことはない。
なんとも言えない微妙な表情ではあるが、なんとか王子は納得してくれたようだ。それならば一刻も早く手を放してほしい。そしてそのままどこかに行ってくれ。
「では水場へ急ごう」
「えっ」
いや別れないんかーい。
心のなかで静かに突っ込みを入れる。ねぇ、ここは解散する流れでしたよね?王子はいったい何がしたいん?
そのまま私達は近くの水道へ。昔はこの世界水道あるんかい…と思ったものだが今ではもう慣れてしまった。わざわざ井戸で水汲まなくていいの便利だよね(現実逃避)。
別れを切り出すタイミングが掴めぬまま水道に到着してしまう。
この人はいつ手を放してくれるのだろうかなどど思っていたら、王子は思わぬ行動に出た。
「………あの、ライアン様、いったい何を……」
「君の手を洗っている」
いやいやいや、『君の手を洗っている』じゃないよ見ればわかるそんな事。ホント何してんだこの人。厚意はありがたいけどこんなちっさい切り傷人に洗ってもらうまでもないんだよマジでどうした王子サマ。
鏡が無いから見えないが間違いない、私の瞳は一転の輝きもなく濁り曇っていることだろう。いくら学園内は貴平平等とはいえ隣国の王子様にこんなことさせちゃって私は今この瞬間から全クリスタリアとマルディニウムの国民にどんな顔して会えばいいの。
「どうした?何とも言えない顔をしているが、傷口が痛むのか?」
「いいえ、ちっとも。ですのでお気になさらずとも大丈夫ですよ」
嘘ではない。王子は傷口に沿って優しく指を撫ぜているのでこれっぽっちも痛くないのだ、心は痛いが。
傷口を洗い終えたらしい王子はハンカチを取り出し、私の手に付いた水滴をゆっくりと丁寧に拭き取っていった。私は何もできない姫か何かにでもなった気分だ。
「あの、ライアン様、お気持ちは大変嬉しいのですが、何も貴方様がそこまでなさらずとも…」
「それこそ気にしないでくれ。好きでやっていることだ」
気にしないわけないだろうが!!
絶対に顔には出さないけど、私の頭の中では盛大に頬が引きつった。絶対顔には出さないけどな!!!
「それに…こんなことでもしないと、あなたは捕まらないからな」
未だ掴んだままの手首。洗ったばかりの傷口に王子はそっと口付けをした。
捕まえる、とはこれまた物々しい単語が出たものだ。なんだ、避けているのがバレたか?
「もっとあなたと話したいのに休み時間は近寄る暇が無いし、昼休みにはあなたはすぐにどこかへ行ってしまう。食堂に居るのかと思えばそうでもないし…だから、あなたと二人きりになれるこのチャンスを逃したくなかった」
確かに騎士様がこの場に居ないおかげで私と王子は二人きりだ。
気づいた途端、すぐにでも逃げ出したくなった。こんな状況誰かに見つかりでもしたら、私は社会的に死ぬと思う。もしかしたら今日の夜眠りにつけるかも怪しい──いやむしろ永遠の眠りにつくかも。
「…すまない、僕はあなたに謝らねばならない事がある。ヒヨリ・ハターミ、あなたはライアン・カルヴァーニを知らないだろうが、僕はあなたを知っている。…ずっと昔から」
「──それは、いったい」
「僕は「殿下ぁーーーーー!!!どこにいるんですーーー!!!殿下ーーーーーあ!!!」──ルイスめ、タイミングが悪すぎる…」
「タイムアップか…」と呟いた王子は名残惜しげに私の手を放し、「すまない、話の続きはまた今度」とだけ言い残して騎士様の元へと去って行く。その間、私はずっと放心していた。
───おいおい、爆弾を投げ込むだけ投げ込んで回収せずに去って行くとか、そりゃないぜ王子…。