6.幕開けはしなくていい
私は今、猛烈に混乱している。
普通王族は優遇されるので王子の席がないなんて事態にはならないのだが、この聖クリストフォード学園は王族から貧民全員が通うマンモス校。
貴族だけに金を割くわけにもいかないので、警備こそ万全で食事も高品質(でも安い)ではあるものの、“王族貴族だからと何でも思い通りになるわけではない”という教育を施すという目的もあり、たとえ王子王女だろうと身分で贔屓されることはない。
だから、どれ程上流階級の人間でもここでは数いる生徒の一人にすぎず、一般レベルの生活を余儀なくされる。
つまり、上流階級の人間でも「やだ、座れる席無いじゃ〜ん、どうしよ〜」という事が起こり得る訳だ。
私はヴァニラちゃんを観察するため、彼女が座る席の机2つ分後ろに向かい合って座っていた。私は友達がいないので机の隅に一人で座っていたし、そんな私の隣は座りづらいのか右隣は一人分空いていた。
そこに、王子が座ったのだ。
「すまない、隣に座ってもかまわないか?」「アッハイ、ドウゾ」「ありがとう」──なんともスムーズな流れだった。そこに断る選択肢も隙も暇も無かった。だって王族とその周りの人々を敵に回したくなかったんだもの。
いやまぁ実の所、ただ単にあまりの事態に脳内処理が追いつかなかっただけなのだが。
王子が食堂に来たのは、席がほとんど埋まった頃だった。王子だからと優遇されない以上、空いてる席に座るしかないというのは分かる。
しかしだ、二人分くらいなら隣同士だろうが向かい合っていようが空いてる席は他にもあった。もちろんヴァニラちゃんの隣もそうだ。
さらに言うと私よりヴァニラちゃんの方が食堂出入口に近い。カウンターもヴァニラちゃんの方が近い。
それで、なぜ、私の隣に来たのか。ちょっと訳が分かりませんね。
ちなみに、王子の従者兼近衛騎士のルイス──もう騎士様でいいや──は私の向かいに座って私を睨みつけている。めっちゃこっち見てる。おそらく私が王子に何か仕出かさないよう見張っているのだ。怖いから目を合わさないでおこう。
というか緊張しすぎて料理の味が全くしない。せっかくのオニオンソースハンバーグだが、重たくて吐きそうだ。
ああ、生きてる心地がしない。早いところ食べ終わってさっさと去ることにしよう。
そう決意して見苦しくない程度に料理を口に詰め込み咀嚼する。もちろん食器の音や啜る音、咀嚼音等立てないように細心の注意を払っている。
無音。ただひたすら無音だ。私達3人は誰も喋らないし、遠くの雑談などこれっぽっちも耳に入ってこない。
王子の右隣に座る女性が王子と話したそうにチラチラこちらを見ているようだが、私達の異様な雰囲気を察してか話しかけてはこない。
お願いだから話しかけて王子と騎士様の気を引きつけてくれないだろうか。そしたら少しは気が楽になるのに。
「あの、少しいいだろうか?」
「え゛っ、アッハイ、ナンデショウ」
しまった、話しかけられたことにビビりすぎて挙動不審になってしまった。めっちゃ肩揺れたしちょっと身を引いてしまった。騎士様が“なんだテメェ?”みたいな目で見てくるこわい。
というか、まさか話しかけられるとは。さっきからやたらモジモジしてるなーとは思っていたが、いったい何の用だろうか。いや、用が無ければ話しかけてはいけないという訳ではないのだけれども。
「その、あなたは確か、同じクラスのヒヨリ・ハターミさん……で、合っているだろうか?」
「え、ええ…」
「僕は、その、ライアン・カルヴァーニ、と言うのだが…」
「そうですね、知っています」
「知っているのか!」
「ええ…昨日自己紹介しましたよね?」
「そ、そういえばそう、だったな…」
王子は『知っている』と言った時には少し嬉しそうに顔をほころばせたが、『自己紹介をしたから』と言うと残念そうに下を向いてしまった。
私は何かまずいことを言ってしまったのだろうか…。しかし騎士様も不思議そうに王子を見ている。どうしようこの空気。
そう、私達のクラスは昨日の入学式後、一人ずつ簡素な自己紹介をした。
その時王子の一人称がクールな話し方に似合わず“僕”である事を知り、“ラブ・オブ・フェイト”の主要人物たちの自己紹介が全員分終わった瞬間この世界が乙女ゲームとそっくりである事に気づいたのだ。
しかし、今日の王子は少し様子がおかしい。昨日はクラスメイトの注目を浴びる中、堂々とどもることなく自己紹介をして見せていたのだが…どうしたというのだろう。
それより何より驚いたのは、王子が私の名前を覚えていたという事だ。私なんて主要人物以外のクラスメイトの名前を一切覚えていないというのに。
私自身、自分が何の特徴も無いモブ生徒の一人であることは自覚している。しかも自己紹介文も目立たないよう、当たり障りの無いどころか名前しか紹介していない。
本当、よく覚えていたものだ。
……しかし気まずい。実に気まずい。さっきの5倍くらい気まずい。あまりの気まずさに騎士様が“お前どうにかしろよ”みたいな目で見てくる。無茶言うな。と言うかさっきからどうして私は騎士様の思考を読み取れているんだろう。多分彼がわかりやすいからだな。自己完結。
騎士様が視線だけで人を殺せそうな形相で睨んでくる。そろそろ何とかしないと本格的に私の精神がヤバい。
とは言え話題も無いのだ。
話題、話題、話題……………
「…………………………殿下は、ハンバーグが好きなんですか?」
チラリと王子の手元に視線をやると、そこには私が食べているのと同じオニオンソースハンバーグがあった。
私の問いかけに王子は驚いた──そして嬉しそうな顔で「そうなんだ」と頷いた。
「奇遇ですね、私もハンバーグが好きなんです。特にオニオンソースの味が」
「そうか、それは確かに奇遇だな。僕もオニオンソースの味が一番好きなんだ」
それはそれは良い笑顔で「お揃いだな」と言うものだから、食べ物にお揃いという表現はどうなんだろうと思いつつ、でもまあ確かに同じだし別にいいかとも思い「そうですね」と答えた。
気のせいかな、喜ぶ王子の頭と腰元に犬の耳と尻尾が見える。めっちゃ尻尾振ってるように見えるし…私の頭大丈夫かな。
いや大丈夫じゃない、私は完全に疲れている。これは一刻も早くこの主従から離れた方が良い。ちょうど食べ終わった所だ、さっさと教室に戻ろう。
空になった食器の乗ったトレーを持って席を立つ。やっと、やっと解放される…!
「では殿下、ルイス様、私はこれで失礼しますね」
内心ガッツポーズを浮かべつつ、それを悟らせない程度の笑みを顔面に貼り付ける。
作り物の笑顔ですまんな、笑うのは苦手なんだ。
さすがに笑顔を作ってることはバレただろうが、そんなことがバレたところで問題はない。笑えないものは笑えないのだ。表情筋仕事しろ。
くるりと王子に背を向けたところで彼から待ったの声がかかった。何だ何だ、カツアゲか?絶対違うだろうけど。
「その、また話しかけてもかまわないだろうか…?」
「断る。」
───そう言えたら良かった。言える訳なかった。
カツアゲでは無かったけれど、それよりよっぽど性質が悪い。なんせカツアゲはやる方が悪いが、コレは誰も悪くない。せいぜい私終了のお知らせが流れるだけだふざけるな。
王子のファンに睨まれるのは嫌だが今ので目はつけられただろうし、断ろうが承諾しようがどちらにせよ嫌がらせなり何なりは受けるはず。
そもそもこれ断ったら普通に嫌な奴だ。付き合いたいならともかく、話しかけたいって言われただけだし。断って一般人にも嫌な奴判定されるのは避けたい。
なるほど、最初から退路など無かったか。
「…ええ、もちろんかまいません」
嘘、すごくかまう。でも言わないよ、波風立てたくないしね。
(あーあ、嫌な女だなぁ私。こんなことまで打算で動いちゃってさ)
ひっそりと自己嫌悪する。唾を吐き捨てる勢いだが、もちろん顔には出さない。そういうのは得意だ。
「そうか!ありがとう、教室でまた会おう」
「ええ、また教室で」
軽く手を振って、今度こそ食器返却口に向かって歩き出した。
悪いな王子、次からは話しかけられる前に逃げさせてもらうぞ。
こうして私による一方的な王子からの逃走劇は幕を上げたのだった。
───個人的には上がらないでほしかったし、早急に閉じてほしいのだが。