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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス[王都編]3 猛る火竜を眠らせろ

作者: シベリウスP

起章 不確かな噂


「お~い、ハシリウス~。朝ですよ~」

「ぐー……すぴぴー……」

ここは、白魔術師の国であるヘルヴェティア王国の首都・シュビーツにある、王立ギムナジウムの学生寮。その一室で、ぐっすりこんと眠り込んでいる生徒を、同室の生徒が起こそうと努力していた。

「今日から学校だぞ~。はやいとこ目覚めんか~い」

「ぐー……すぴぴー……すぴぴのぴー……すぴぴのぴったらすぴぴのぴー……」

ハシリウスと呼ばれたその生徒は、栗色の髪をぼさぼさにしたまま、枕を抱いてぐっすりと眠っている。起こそうとしている生徒は、ハシリウスの寝息を聞いて笑って言った。

「はっはっはっ♪ 人を馬鹿にしたような寝息だなあ――じゃ、遠慮なく起こさせてもらうぜ。風の精霊エアよ、今朝もよろしく頼んます♪ フライ!」

同室の生徒――アマデウス・シューバートがそう言うと、ハシリウスの身体がふわりと浮きあがり、ベッドの外に出た。そして、

ドッシ――――――――――――――――ン!!!

素晴らしい地響きを立てて、ハシリウスの身体はお尻から床に叩きつけられる。

「マダガスカルっ!」

ハシリウスは、わけのわからない叫び声をあげる。

「グッモーニン♪」

お尻を押さえているハシリウスに、アマデウスはそう、声をかける。

「ぐっ、ぐっも~にん……はいたたた……」

ようやく立ち上がったハシリウスに、アマデウスはさわやかに笑いかけた。

「お前って、ホントに寝覚めが悪いよなあ。俺より早く寝るくせに、どうしていつも俺より寝起きが悪いんだ? 不思議でならないよ」

「僕はロングスリーパーなんだ。お前とは違うよ」

「……にしても、お前の寝起きの悪さは一級品だ。ま、ちゃんと起こしたからな、遅刻しないように学校に来いよ」

アマデウスはそう言うと、風のように部屋から出て行った。

ハシリウスは時計を見て、

「いけねぇ! もうこんな時間か……」

そう言うと、慌てて着替えを始めた。


「ふう、何とか間に合ったあ!」

ハシリウスがそう言って教室に駆け込んできたとき、

「あっ! ネボスケ大魔神のハシリウスが来た!」

そう言いながら、ハシリウスのところに二人の少女がやって来た。

「やあ、ハシリウス。今日もキミはバカ全開だね! 新年初日から遅刻しないかとハラハラしてたよ」

「むぅ~、ジョゼ、言うに事欠いて『ネボスケ大魔神』かよ」

ハシリウスに話しかけた赤毛のショートヘアで、くりっとしたブルネットの瞳の少女は、ジョゼフィン・シャインといい、ハシリウスの幼なじみだ。といっても、ただの幼なじみではない。彼女は6歳の時、モンスターに両親を殺され、ハシリウスの家に引き取られた。それ以来、ハシリウスと一つ屋根の下に暮らしていた、まるで姉のような女の子だ。

「だってほかに言いようがないじゃん! 悔しかったらボクたちと同じころに登校してみなさい」

「く……くそう……本当のことだけに言い返せない自分が悔しい……」

「ふっふ~ん❤ キミも少しは自分のことが分かっているようだねぇ」

してやったり、と得意げにハシリウスを見下すジョゼに、もう一人の美少女が話しかける。

「ジョゼ、あんまりハシリウスをいじめないで……」

「いじめるって……やだなあソフィアったら。それじゃボクが悪いみたいじゃないか。ホントにソフィアはハシリウスには甘いんだから」

ジョゼに話しかけた美少女は、本名をソフィア・ヘルヴェティカといい、このヘルヴェティア王国の王女様で、王位継承権1位の“未来の女王様”だ。彼女も6歳の時、乳母一家の都合でハシリウスたちが住んでいた谷に引っ越してきた。そのとき、ハシリウスが彼女にとって生涯最初の“友だち”になったこともあり、ハシリウス、ジョゼ、ソフィアの三人は“仲良し幼なじみトリオ”として一緒に過ごしてきたのである。

「あ、甘いって、それは確かにネボスケさんのハシリウスには困ったものですけど、『ネボスケ大魔神』とか『バカ全開』とか『遅刻寸前大魔王』とか『ニブチン小僧』とか言わなくても……」

ソフィアは、そう、金髪のロングヘアを揺らしながら言う。その銀色の瞳は、とても優しそうだ――だが、ハシリウスは机にパタリ、と突っ伏して言う。

「ソフィア……きつっ」

ジョゼもソフィアをじと~っと見つめて、おもむろに言った。

「……ソフィア、ボク、あとの二つは言ってないからね……」

「え! そ、そうでしたか?」

ソフィアは両こぶしを口元に持って行って、目を丸くしている。

「ま、いいけど……君たちは結局そう言うキャラだから……ところで何か用かい?」

やっと立ち直ったハシリウスがジョゼに訊く。

「あ! そうそう、ボクたち、ちょっとハシリウスに聞いてほしいことがあったんだ」

ジョゼがそう言った時、カランカラン……カランカラン……と始業のベルが鳴った。

「いけない、もう授業が始まる。ハシリウス、昼休みにご飯食べながら話そう」

「じゃ、ごきげんよう」

そう言って席に着くジョゼとソフィアを、ハシリウスは

「あ、ああ」

そう言って見送った。


カランカラン……カランカラン……。午前の授業が終わった。アクア先生が教室から出て行くや否や、ハシリウスのもとにジョゼが来て言う。

「さ、ハシリウス、行くよ」

「へ? ジョゼと二人きりかい?」

ハシリウスが言うと、ジョゼはむすっとして小声で言い返す。

「何? ボクと二人きりじゃ嫌かい?……じゃ、キミがボクのこの麗しいくちびるを奪ったこと、みんなに話してもいいんだ?」

「ちょっ! ちょっと待てい! あれは……」

慌てるハシリウスに、ジョゼはにこにこしながら言う。

「男らしくないなあ、ハシリウスは。ボクみたいにしとやかでおとなしい乙女が、自分からキスするわけないだろう? 男なら乙女のそう言う立場を考えて、自分の責任として振る舞うものじゃないのかな?」

「……ジョゼくん、君の部屋には鏡はあるのかな? 『しとやか』? 『おとなしい』? そう言う言葉はソフィアみたいな子のためにあるのであって、決して君みたいにオトコノコを脅すようなまねができる子のためにあるんじゃないんだよ。そこんとこ、よろしく」

ハシリウスがそう言って席を立とうとした時、ジョゼはにこ~っとそれはそれは可愛い微笑みを浮かべ、おもむろにみんなの方を向いて叫んだ。

「みんな聞いて~、ハシリウスはね~、ボクの~、く……」

「わわっ! なんてこと言うんだ! 今行こうと思って立ったところじゃないか!」

ハシリウスはあわててジョゼの口を手でふさぐ。ジョゼは自分の肩越しにハシリウスを振り返り、その青い瞳をくりっとさせて訊いた。

「ホント?」

「ホント、嘘は言わないよ」

「じゃあ早く行こう。ソフィアが待ってるから」

「え! ソフィアもいるの?」

ハシリウスが訊くのに、ジョゼは笑って言った。

「当たり前でしょ! ボク、一度も『二人きりで食べよう』なんて言ってないし~♪」


「……で、どこまで話しましたっけ?」

ソフィアが食後のミルクティーをすすりながらそう言う。

「……『……で、どこまで話しましたっけ?』ってとこしか聞いてない」

ハシリウスがやや呆れ気味に言う。それに合わせてジョゼが補足する。

「つまり、ソフィアはまだ何にも話してないの。やだなソフィアったら、また妄想が大暴走してんの?」

「え? そ、そうでしたか? 私はてっきりご飯の途中で少しは話したかと思っていました」

ソフィアがそういうと、ジョゼがハシリウスをにらみながら言う。

「ご飯の途中は、誰かさんがソフィアが可愛いとか、今度の試験は何が出そうとか、そんなことしか話していないよ。まったく、せっかくの昼休みが終わっちゃうじゃないか」

「すまん、面目ない……」

「まあったく、これで『大君主』だなんて、聞いて呆れるよ」

「それは、自分自身そう思う」

ハシリウスが言うのに、ソフィアが慌てて、

「ま、まあ、それは置いといて……実は、ハシリウスに頼みがあるのです」

そう、真剣な表情になった。ハシリウスも真剣な表情になる。

「何だろう?」

ハシリウスが、言いにくそうにしているソフィアを促す。ソフィアは、意を決したように言う。

「これは、シュビーツの市民、いえ、ヘルヴェティア王国の国民には全然知らされていないことですので、そのつもりでお聞きください」

「つまり、秘密は守れよってことだね。うん、分かったよ。ハシリウスも分かってるよね?」

ジョゼが言うのに、ハシリウスもうなずく。

「ありがとうございます。……実は、ここ何日か、このシュビーツで、女の子が連続して失踪しているのです。闇の月の2日に最初の子が失踪し、昨日――6日までの5日間で10人の女の子が、突然姿を消しているのです」

ソフィアが言うことには、闇の月の2日、最初の子が王宮の門の前で消え、次の子がそれから東に500メートルほど離れた王立博物館の門の前で消えた。それから昨日の夜まで、約500メートルおきに、王宮から東に延びた道路――通称“アナスタシア通り”に面した門の前で女の子たちが突然、かき消すようにいなくなっているということである。

「大賢人様も、魔術寮の皆さん方も、いなくなった女の子たちの行方を必死で探していますし、その理由も探索されています。しかし、手がかりすらつかめない状態なのです」

ソフィアが言うのに、ジョゼがハシリウスの顔をのぞきこんで聞く。

「ね、ハシリウス。これって、やっぱり『闇の使徒』たちの仕業だよね?」

「さあ……その可能性は否定しないけど、とにかくデータが足りないね」

ハシリウスは考え込みながら言う。

「データ?」

ジョゼが聞く。ハシリウスはうなずいて

「そう。例えば女の子たちの年齢とか、どんな女の子なのかとか、いなくなった時間とか、誰か消える瞬間を見た人はいないのかとか、そう言うことさ」

そう言うと、ソフィアは答えた。

「女の子たちの年齢は、13歳から19歳までです。ちなみに、その……皆さん純潔な乙女だったそうです。いなくなった時間は、だいたい午後6時から午後10時までの間で、一人だけ午後2時という人もいました。消える瞬間を見た人はいないようです……詳しくは、今月の首都防衛隊の隊長であるマスター・アキレウスに訊いてみてください」

「と、言うことは、僕にこの事件を調べてみろって言うわけだね?」

ハシリウスが苦笑しながら言う。まったく、ソフィアにはかなわないな……。

「はい、お願いできますか? ハシリウス・ペンドラゴン様」

「……やってもいいけど、ソフィアとジョゼに頼みがある」

「何でしょう?」「へ? ボクにも?」

ソフィアとジョゼが同時に言う。ハシリウスは二人を真剣な目で見つめて言う。

「この、女の子たちが消えている“アナスタシア通り”には、午後5時以降は絶対に行かないでくれないか? たぶん気づいているだろうけど、500メートルおきに一日二人ってことは、10日にはこのギムナジウムの門の前までやってくることになる。それまでには何とか目星をつけたいが、君たちがいなくなったりしたら、余計な心配が増えるから、やりづらくなるんだ。特にジョゼは好奇心が旺盛だし、ソフィアは責任感が強いから心配だ」

「ハシリウス……それは私たちを心配して言ってくれているのですね?」

「もちろんだ。ソフィアもジョゼも、大事な幼なじみだからな。とにかく、今日から調べてみる」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「おい、ハシリウス。そろそろ寮に帰ろうぜ」

アマデウスがそう言う。

ハシリウスとアマデウスの同室コンビは、ソフィアから頼まれた“少女失踪事件”を調べるため、王宮から“アナスタシア通り”を東に5キロ離れた地点にいた。ここには、王立裁判所がある。ハシリウスは、もし誰かがいなくなるとしたらこの場所だと思い、アマデウスと張り込みをしていたのである。

闇の月だから、まだ冬の真っただ中、二人とも防寒着を着てはいたが、それでも雪がちらちら舞う天候だから、寒くて仕方ない。

「ハシリウス、もう10時近いぞ。寮の門限に遅れるぞ」

「そうだな、もう5時間もここに立っているけど、何も起こらないなあ……」

ハシリウスもそう言って、かじかんだ手には~っと息を吹きかける。

「わりぃ、ハシリウス。俺もう限界……」

アマデウスはそう言うと、大きなくしゃみを立て続けにした。

「悪いな、つき合わせて……。もう帰っていいぞ、アマデウス。僕は念のためもう少しここで見張っておくから、部屋を暖めといてくれないかな」

「おう、それじゃーな」

アマデウスはくしゃみをしつつ、ホーキで東の方へと飛び去った。

雪はしんしんと降ってくる。もう、人通りも途絶えてしまい、寮に帰ろうかと思っていた時、“アナスタシア通り”を王宮の方から歩いてくる少女の姿が見えた。少女は、雪が積もって滑りやすくなった道を、転ばないように気を付けながらゆっくりと歩いている。

「誰だ? 今頃」

ハシリウスは耳を澄ます。何か、聞こえる……。

少女が、交差点にさしかかろうとした時、ハシリウスは少女に大声で叫んだ。

「危ない! 交差点に入るな!」

ハシリウスがそう叫んだとたん、少女はビクッとして一歩後ろに下がった。そのまま滑って転倒する。しかし、それが彼女を救うことになった。

ズザザザザザザザ……。

「きゃっ!」

一種言いようのない音を立てて、交差点の地面から何かが飛び出した。ソイツの歯は危なく少女をかみ砕くところであった。

「何あれ!? 助けて!」

少女の叫び声が聞こえる。ハシリウスは、闇の中にうごめくソイツに向けて、

「ブリッツストーム・ウム・ルフト!」

と、得意の光魔法を使って攻撃した。

キシャアアアアアアア!

ソイツは、ハシリウスの攻撃をまともに受け、姿を現した。バカでかいヒルのようなモンスターだ。ソイツはゆっくりと体を揺らし、辺りを見ているようだ。

「きゃああ!」

交差点に入らずに、辛くも難を逃れた少女は、モンスターの姿を見てひと声叫んで腰を抜かした。

「ちっ! こっちまで逃げてきてから腰を抜かしゃいいのに」

ハシリウスはそう言って、少女を助けに行こうとする。そのハシリウスの姿が目に入ったのか、モンスターは眼にもとまらぬ速さでハシリウスに襲い掛かって来た。

「しまった! コイツってば、姿のわりには素早いじゃん!」

ハシリウスがそう言って観念しかけた時、

「ハシリウス!」

長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスが顕現し、モンスターを蛇矛で切り払う。

グバアアアアアア! キシャアアアアア!

モンスターは、ハシリウスと女の子を捨てて、地中に潜り込んだ。下から攻撃してくるつもりだな。

ハシリウスは、目を閉じ、右手を高く天に掲げ、左手は地面を指し、ゆっくりと呪文を唱え始めた。

「光の精霊リヒトよ! 地中にうごめく怪しき影を撃砕し、地下において人身御供となっている少女たちを救うため……」

ハシリウスには呪文の途中から月の光が凝縮され始め、その身体を銀色に輝かせていた。

「……女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる。“月の波動”ナーハ・ラント!」

その途端、ハシリウスの身体に溜め込まれていた光の力は、強力な光を放つ球体となって広がっていく。それらの波動は、地中でハシリウスのすきを狙っていたモンスターを直撃した。

ゴバアアアアアア!

モンスターはたまらず地上に這い出てきた。ハシリウスはそれにとどめを刺すため、

「シリウス!」

と叫んだ。すると、シリウスは

「ハシリウス、この程度の敵は、自分で始末できるようになっとけよ!」

そうハシリウスに言いつつ、無造作に蛇矛を振り下ろした。

ドシュッ!

蛇矛は見事、モンスターを両断した。


ハシリウスは、シリウスに手を振ると、腰を抜かしている少女のもとにゆっくりと歩いた。あれ? この子は、見覚えがある……。少女は雪の中に座り込んだまま、ハシリウスに言う。

「ありがとう、助かったわ……ハシリウスくん」

「な~んだ、アンナ女史だったのか。しかし女史、どうしてこんな門限ギリギリの時間に、こんなところを歩いていたんだ?」

ハシリウスは、モンスターに襲われた少女が、ギムナジウムの同じクラスメイトと知って驚いた。アンナ・ソールズベリーは、優秀だがそれを鼻にかけたりはしない。しかし、普段は誰とも話をしないので、とっつきにくく見える。彼女は長い漆黒の髪から雪を払って、

「別に今の時間、歩きたくて歩いていたんじゃないわ。町に出て買い物をしていたら、雪が降ってきて、ホーキで帰れなくなったのよ。それに、雪が積もって凍ったから歩きづらくって……で、こんな時間になっちゃったってわけ」

つっけんどんに言うアンナは、散らばった荷物を拾い集めようと立ち上がりかけたが、

「あ、痛っ!」

そう言って座り込んでしまう。右足の足首をねん挫したらしい。

「だ、大丈夫かい?」

「平気」

気丈なアンナは、そう言って立とうとするが、足場も悪くなっているので、危ないことこの上ない。

「困ったなあ……荷物をほっとくわけにもいかないし……」

雪の中、立ち往生したハシリウスに、アンナが言う。

「ハシリウスくん、もう門限過ぎてるわよ」

「げっ! 寮監のおばさんに怒られちゃうなあ……でもどうする? アンナ女史」

「……実は、私んち、この近くなのよ。今日みたいに遅くなったときは、いつも実家に泊まっているわ。ハシリウスくん、私を家まで送ってくれないかしら? もちろん、お礼はするわよ」

「お礼なんかいいよ。じゃ、アンナ女史、失礼するよ」

ハシリウスは、アンナの荷物をひとまとめにすると、よいしょと右肩に担いだ。そして、アンナを自分の左肩につかまらせ、ゆっくりと立たせる。

「きゃっ!」

「おおっと!」

途中でアンナが体勢を崩したが、ハシリウスがかろうじてカバーした。そのはずみでハシリウスの左手がアンナの左胸にさわってしまった。

「は……ハシリウスくん……悪いけど、そこ、胸……」

「あ、ご、ゴメン……」

ハシリウスは赤くなって謝る。アンナも頬を赤くして答える。

「い、いいわよ……わざとじゃないんだから……」


アンナの家は、“アナスタシア通り”から南にしばらく行った裏通りにあった。古びたアパルトメントだ。古いが、しかしその路地の情景にふさわしく、まるで隠れ家のような感じがした。

3階建てのアパルトメントを、ハシリウスは苦労してアンナを3階まで送り届けた。

「ここよ、ありがとうハシリウスくん……お姉ちゃん? 帰ってる?」

アンナが玄関のドアを叩くと、部屋の中から

「は~い、アンナなの? どうしたの? 雪が積もって大変だったでしょう?」

という声とともに、カギを開ける音がした。

ガチャッ

ドアが開くと、そこにはアンナによく似た茶色の瞳の、長い黒髪を後ろで無造作に束ねた女性が姿を現した。

「お帰り、アンナ。あら? お客様?」

「あ、こ、こんばんは」

アンナを支えているハシリウスがあいさつすると、アンナが顔をしかめて言う。

「私のクラスメイトのハシリウス・ペンドラゴンくん。さっき、“アナスタシア通り”でモンスターに襲われたのを助けてもらったの。その時、足をくじいたから送ってもらったの」

「え! 大丈夫だったの? ハシリウスさん、それはどうもありがとう。その上わざわざ家までアンナを送り届けてくれるなんて……。とにかく、上がったら?」

「い、いえ、僕はこれで失礼しますから……」

そう言うハシリウスに、アンナは、

「あいたたた……。ごめん、ハシリウスくん。悪いけど私を、このまま台所の椅子まで連れて行ってくれないかしら?」

そう言う。ハシリウスはうなずいた。

「分かったよ……足、大丈夫か?」

アンナの姉は、二人が台所へ進むのを見て、微笑んで玄関を締め、カギをかけた。


「あ~寒かった。ハシリウスくん、ありがとう♪」

アンナは暖炉の前で足を伸ばして、う~んと背伸びをしながら言う。コートを脱いでいるから、そうすると薄いセーターごしにアンナの胸のふくらみがよく見えた。アンナって、けっこういいスタイルしている。ジョゼとどっこいどっこいだな……ハシリウスは、ちょっと顔を赤らめて言う。

「どういたしまして。じゃ、僕、もう寮に帰るから」

「待って、そんなに急がなくてもいいじゃない。せっかくこうしてあなたとお近づきになれたんだから、私、もっとあなたのことが知りたいな❤」

「で、でも、アマデウスが心配するし……」

そう言うハシリウスに、アンナは意地悪~い目を向けて訊く。

「アマデウスだけ? 心配するのは」

「え?」

きょとんとするハシリウスに、アンナは突っ込んで訊く。

「ソフィア姫やジョゼは、あなたのこと心配しないのかしら?」

「あ、アンナ女史……いやだなあ、からかうなんてひどいぞ」

「ところで、さっきはありがとう。あなたがいなければ、私は今頃あのモンスターのお腹の中ね。でも、間がよかったわね? なんであんな所にいたの?」

アンナが首を傾げる。その豊かな黒髪が揺れる様は、とてもかわいかった。アンナはあまり人としゃべらないから、とっつきにくいし、何を考えているのか分からない。だから、同級生の中でもアンナのことをよく言う者はあまりいない。特に男子からは、その頭の良さもさることながら、人を見下したような態度が気に食わないってことで、一種独特な噂も流れていた。『アンナは、男に不幸を呼び寄せる魔女だ』という……。でも、ハシリウスは彼女の今までのしぐさや、この家の雰囲気から、彼女が噂ほど悪い人間ではなく、とっつきにくい女の子でもないと思った。惜しいなあ、こんなに可愛いのに……ハシリウスはそう考えていた。

「い、いや……なんというか……」

ハシリウスは、モンスターの件は秘密であることから、しどろもどろにならざるを得ない。そんなハシリウスを見て、アンナの姉が台所から出てきて言う。

「そんなことはどうでもいいでしょ? だから早く戻りなさいって言っていたのに……。ありがとう、ハシリウスさん、あなたのおかげで妹も助かったわ」

アンナの姉はそう言うと、二人に温かいミルクを差し出した。

「凍えちゃったでしょ? これでも飲んで温まって。もうちょっとしたら、夕飯をお出しするわね。ちょっと遅いけど、アンナが帰ってくるのを待ってたらこんな時間になっちゃった。アンナ、ミルク飲んだら、お風呂を済ませてよ」

「は~い」

アンナはミルクのカップを手のひらで挟み、その温かさを楽しんでいたが、こくこくと飲み干すと、

「じゃ、ハシリウスくん、私がお風呂に入っている間に帰っちゃ、いやだからね」

そう言うと、片足を引きずりながらお風呂へと向かった。

「あ、あの、アンナのお姉さん、僕はもう寮に帰らないと……」

ハシリウスの言葉に、アンナの姉は笑って言う。

「ハシリウスさん、私の名はアンジェラ・ソールズベリーよ。私も3年前までは王立ギムナジウムにいたから、あの寮のことはよく知っているわよ。もう門限過ぎているでしょ? 大丈夫、明日は土曜日だし、私が寮監さんに知らせておいてあげるから、今夜はここに泊まって行って」

「え? で、でも、アンナのお父さんやお母さんに断りもなくそんなことは……」

慌てるハシリウスに、アンジェラはにこっと笑って言う。

「私たちの父母は、3年前に亡くなったわ。今は私がアンナの親代わりよ」

「え?……す、すみません。知らなかったものですから……」

謝るハシリウスをしげしげと眺めて、アンジェラはハシリウスに問いかけた。

「あなた、本当に『大君主』?」

「え?」

「妹がよくあなたのことを話してくれるのよ。とってもすごい魔法を使うんですってね。今夜も、あなたでなければ、たぶん妹はああして無事に帰ってこなかったのかもしれないわね」

「そ、そんなことは……」

「でも、妹は変わり者だから、みんなからあんまりよく言われていないんじゃないかしら? どう、ハシリウスさん?」

「え、え~と、アンナ女史はすごく成績がいいから、やっかみもあるんじゃないかと思いますが」

「あの子は一生懸命なのよ。私はギムナジウムを中退しなければならなかったから、あの子だけはせめてギムナジウムを卒業してほしいの。でないと、今のご時世、生きて行くだけでも大変だわ」

「は、はあ……」

世の中の厳しさを知らないハシリウスには、そう言うしか言葉はない。しかし、アンジェラのかさかさした手を見ていると、本当に大変そうなことだけは想像できた。

「あの子の夢は、魔法博士になることと、能力のある素敵なお婿さんを見つけることって、いつか話してくれたわ。そうして、私に楽をさせてくれるんですって」

「……アンナ女史って、優しい子ですね」

「そうね……あなたみたいな男の子、きっとあの子の好みよ」

「え?……そ、そうなんですか?」

ハシリウスは、今までそんなこと面と向かって言われたことがないので、舞い上がってしまいそうになる。いかんいかん、落ち着け、僕――ハシリウスはそう言ってにやけそうになる顔を引き締める。

「あの子はあんな性格だから、男の子の話って今まで全然なかったのよ。でも、近頃はあなたのことを毎日、私に話してくれるわ」

「うわ~、恥ずかしいなあ」

「そんなことはないわよ。確かにあなたって、人はいいみたいね。惜しいわね、あなたがもう3つか4つ年上だったら、私が交際を申し込むところだけど」

「アンジェラお姉さんには、好きな人はいないんですか?」

失礼と思いつつ、ハシリウスが聞く。その時、お風呂から上がってきたアンナが、ハシリウスとアンジェラに、少~し冷ややかな声で話しかけた。

「あら、ハシリウスくん、デートのお邪魔だったかしら?」

アンジェラは笑って言う。

「ふふふ、アンナったら焼きもち焼かないの。あなたの恋路を邪魔はしないわよ」

「お、お姉ちゃん! 怒るわよ、もう!」

そう言うアンナは、大胆にもバスタオルを巻いたままの姿だ。ハシリウスは目のやり場に困って言う。

「あの~アンナ女史、ひょっとして僕がいることを忘れてた?」

「あ! や、やだ、ハシリウスくん、ごめん」

アンナは顔を真っ赤にして風呂場に戻る。そして、ハシリウスに言い訳した。

「い、いつもこんなじゃないんだからねっ!」


くしゃん! ハシリウスはくしゃみで目覚めた。窓の外はうっすらと夜が明けかけている。こんなに早く目覚めるのって、生まれて初めてかもしれない。

――ん、ここは?

ボーっとする頭の中で、昨日のことを思い出す。“アナスタシア通り”でモンスターをやっつけて、それからアンナ女史を実家に送り届けて……そうか! そのまま泊ったんだ!

「アマデウスに何て言おうかな……」

ハシリウスは、居間のソファに寝ていた。暖炉の火はもうすっかりなくなっている。起き上がったハシリウスは、部屋の寒さに思わず身震いした。このままじゃ風邪をひく、といって、勝手に人んちの暖炉を点けるわけにもいかないので、ハシリウスは自分のコートをごそごそと着込んだ。

「あら、ハシリウスくん。早いのね」

台所にいたアンナがそう言ってハシリウスに声をかける。

「ああ、おはよう、アンナ女史。昨夜はすっかりごちそうになっちゃったね」

ハシリウスが言うと、アンナは暖炉の横の薪を指差して、

「ごめんなさい、悪いけど、暖炉に火を熾しておいてもらってもいいかしら? お姉ちゃんが起きるまでに、部屋を暖めておきたいんだけど」

「オッケー」

ハシリウスはそう言うと、暖炉の灰をかき、そこに薪を組んで、火を点けた。パチパチ……火は明るく燃え盛り始める。

「アリガト、ハシリウスくん」

いつの間にか、アンナがハシリウスの隣に来ていた。じっと暖炉の火を見つめている。

ハシリウスはアンナの手を見つめた。ジョゼの手やソフィアの手とは違い、細くはあるが白くはない。指先もカサカサしているし、よく見ると親指の先はひび割れて赤くなっている。

「な、なに?」

アンナが言うのに、ハシリウスは黙ってアンナの手を取った。

「え……ハシリウスくん……」

「痛くないかい?」

アンナは珍しく顔を真っ赤にしている。真っ赤にしながらも、俯いて少しうなずく。

「……そうだろうね……昨日、お姉さんも同じ手をしていた。アンナは働き者なんだね」

「ハズカシイよ……ハシリウスくん、離して」

本当に小さな声で言うアンナ。ハシリウスはアンナの手をきゅっと両手で握りしめ、少し温めてから離した。

「恥ずかしがることなんてないよ。僕の母上もこんな手をしている。母上は、女の人でカサカサしている手の人は働き者だっていつも言っていた」

「優しいんだね、ハシリウスくんは……私はあんまりみんなとは仲良くしていないのに、昨夜は助けてくれたし、今朝は私が一番気にしていたことをほめてくれた」

「みんなそれぞれ、いいところがあるんだよ。いいところもあるし、悪いところもある。それが人間だから、そんな人間が寄り集まっているのがこの世だから、最終的には落ち着くところに落ち着くのさ……って、これはおじい様の受け売りだけれど」

ハシリウスのおじい様は、セントリウスと言い、今年62歳になる。ヘルヴェティア王国の存命魔法使いの序列第1位の筆頭賢者であり、かつ、ヘルヴェティア王国建国の祖・オクタヴィア女王の軍師であった星読師・ヴィクトリウスの直系の子孫でもある。セントリウスは現在、ヘルヴェティカ城の北にある『蒼の湖』の畔で隠棲しているが、星の力をまとった戦神・12星将を自在に操り、星々の運行すら変えてしまうと言われるほどの力のある魔術師であった。ハシリウスはその祖父に気に入られ、幼いころからいろいろなことを教えてもらっている。

「ハシリウスくん……私、あなたのことが好きになっちゃったみたい……」

「なっ!」

突然、頬を染めてマジメな顔で言うアンナに、ハシリウスは慌ててしまった。慌て方が可愛かったのか、アンナは急に笑い出す。

「あは❤ ハシリウスくんってかわいい~。冗談よ、冗談。あなたにはジョゼもソフィア姫もいるからね。冗談ってことにしておいてあげる」

そこにアンジェラが笑いながら声をかける。どうやら二人のことをずっと見ていたらしい。

「ふふ、二人とも可愛いわね。さて、アンナ、お姉ちゃんはおなかペコペコよ」

「あ、ごめんなさい。すぐ準備するね。ハシリウスくんも座っててよ」

アンナはそう言うと、少しさびしげな顔で笑った。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「じゃ、ハシリウスはとうとう昨夜は帰ってこなかったっておっしゃるんですね?」

ギムナジウムの寮では、アマデウスがジョゼとソフィアに詰め寄られていた。

「すまん、昨夜は俺、風邪気味で具合が悪かったんだ。で、帰ってきちゃったんだ。ハシリウスは気になるからもう少し見張ってるって言ったけど、部屋を暖めていとくれって言ったからてっきり帰ってくるものと思っていた。で、今朝起きたらまだ帰ってなかったんだ」

「アマデウス、ハシリウスから事件の詳細は聞いていたろう? ひょっとしたら『闇の使徒』が絡んでいるかもしれないってのに、ハシリウスを一人にするかあ? 友達甲斐のねーヤツだなあ」

ジョゼの額には、明らかに『怒』の字が見える。

「と、とにかく、寮監のおばさんに何か連絡が入っていないか、聞いて来るよ」

アマデウスはそう言うと、そそくさとジョゼの側から離れた。さわらぬ神にたたりなしだ。

「ジョゼ、ハシリウスに何かあったらどうしましょう? 私が余計なことを頼んだばっかりに……」

青くなって目に涙を浮かべているソフィアに、ジョゼは真剣な顔で言った。

「大丈夫さ……あいつに何かあったら、星将たちが知らせてくれるはずだもの。それに、ボクたちだって何かしら嫌な夢を見そうなもんじゃないか。でも、何も知らせはないし、夢も見ていない。だから、ハシリウスは元気でいるんだ」

「でも、何で帰ってこなかったのかしら?」

「……それは……門限過ぎていたし……」

「でも、門限が過ぎていても、消灯前だったらいつものように私たちの部屋の窓から入って来るか、アマデウスくんに窓を開けてもらえばいいじゃない?」

ソフィアの言うことももっともだ。ハシリウスは大体、門限までには寮に帰っているヤツだ。たまに門限を過ぎたら、寮監のおばさんに叱られるのを覚悟で、あの人のいい笑顔で門を開けてもらうか、自分たちの部屋の窓からご帰宅するか、どちらかだった。

「帰れないわけでもあったのかもしれない。『闇の使徒』を追いかけているとか……」

二人が黙ってしまった時、アマデウスがフクザツな表情で寮監のおばさんの所から戻って来た。

「アマデウスくん、どうでした?」

ソフィアが訊くのに、アマデウスはちょっと口ごもって

「あ、ああ……昨夜はハシリウス、俺の友だちん所に泊まったって。寮監のおばさんに連絡が来ていた。よかったな、何もなかったみたいで。じゃ、俺、用があるから……」

そう言うとその場から立ち去ろうとする。それを見て、女の勘でピーンと来たジョゼが静かに言う。

「アマデウスくん、ちょっと待ちたまへ」

「へ? な、何ですかジョゼフィンちゃん? 俺は何も隠してなんかいないぞ」

呼び止められて、あやうく跳び上がろうとしたアマデウスは、そう言う。ジョゼはにた~りと笑うと、両手の指をポキポキと鳴らしながら、

「……語るに落ちたな……アマデウスくん、知ってることは残らず白状しなさい。でないと、ボクのフレーメンヴェルファーが炸裂するよ?」

という。アマデウスはさーっと顔から血が引いた。

「な、何をおっしゃいますのかな? 俺が何を白状しなきゃいけないのかな?」

「ウツクシイ友情だね……それは認めるけど、ボクやソフィアはあいつのことを心配しているんだ。さ、知っていることを白状しなさい。でないと、寮監のおばさんにボクが直接確かめるよ?」

ううっ……ハシリウス、すまん! これでお前の運命は決まったな……何とか隠してやろうと思ったんだが、残念だ――。

「そ、それは……分かった、話すよ。実は、寮監のおばさんに聞いたところ、昨夜ハシリウスはアンナ・ソールズベリー女史の家に泊まったらしいんだ」

「へ?」「まあ……」

ジョゼとソフィアが固まる。アンナは2年生トップの秀才だ。あまり人と話をしないので、誰とでも友だちになるジョゼですら、彼女のことはあまりよく知らなかった。それに……。

「俺もびっくりしたけど、アンナのお姉さんから寮監さんに連絡が入ったらしい。でも驚いたよなあ。あまり大きな声じゃ言えないけれど、アンナって男子生徒の間じゃ“男を不幸にする魔女”って呼ばれて、敬遠されているんだ。どこをどう間違って、アンナとハシリウスが仲良くなっちゃったかな?」

「ま、まだ仲良くなったって決まっちゃいないさ」

ジョゼが腕を組んで言う。ジョゼにしても、ここでアンナの名が出てくるとは意外だった。

「でも、アマデウスは昨夜10時前まではハシリウスと一緒にいたんでしょ? ハシリウスとアンナが会ったのは、それ以降ってことになるわよね。そんな遅くまで、アンナは何をしていたのかしら?」

三人が額を寄せて話しているところに、当のハシリウスが現れた。都合よく、アンナも一緒である。

「やあ、ジョゼ、ソフィア、アマデウス、おっは~♪ どうした? 三人で難しい顔して?」

「あ、は、ハシリウス……昨夜は寮に帰っても来ずに、どうしたのさ!? ソフィアがとっても心配していたんだぞ! 自分が余計なことを頼んだから、ハシリウスに何かあったんじゃないかって!」

ジョゼがさっそくハシリウスに噛み付く。そんなジョゼに、アンナが言う。

「ちょっと! ハシリウスくんは昨夜、私をモンスターから助けてくれたのよ。私が足をくじいて動けなくなったんで、家まで抱きかかえて送ってくれたの。そんな騎士道精神あふれる男性を、そのまま帰すわけにはいかないじゃない? ちゃ~んと女性としてお礼をしてあげただけよ」

アンナは『抱きかかえて』ってところと『女性として』ってところで、少し語気を強めた。そして、言い終わると右手で髪をかき上げ、あからさまにジョゼを勝ち誇った目で見つめる。

「じょ、女性として……?」

ソフィアが銀色の目を丸くし、口に両手を当てて言う。ジョゼは話の途中から顔が青くなり、ハシリウスを見つめる目が据わって来た。うわ~、二人とも何か勘違いしているな。

「……ふ~ん、ハシリウス。キミは知らない女性の家でも、『お礼をしたい』って言われたら、のこのこ上がり込んで泊まってくるくらいの人間薄焼きせんべいなんだ?」

「そ、そうですよ。ハシリウス、アンナさんからナニをしていただいたんですか? 返答によっては、私も覚悟を決めないと……」

ジョゼとソフィアに詰め寄られるハシリウスは、慌てて言う。

「ジョ、ジョゼ、ソフィア、君たちはな~にを勘違いしているんだよ! ただ遅くなったし寒かったから、ご飯を頂いて泊まっただけで、何もしていないよ」

「ハシリウスくんの言う通りです。特別なことは何もしていません。ただ、私と姉とで心を込めてご奉仕させていただいただけで……」

そして頬をポッと桜色に染めるアンナである。

「あの~、アンナ女史、さっきから聞いていたら、ビミョーに僕の立場を誤解させる言い回しをしていないか?」

ハシリウスが慌てて言う。そんなハシリウスを見て、今まで黙っていたアマデウスがあきれて言う。

「ハシリウス~、本当にお前ってやつはうらやましい限りだな~。あ~あ、俺も雪の夜、自宅に泊めてくれて『心を込めたご奉仕』ってものをしてくれる彼女が欲しいぜ」

この言葉で、ジョゼの堪忍袋の緒が切れた。

「フレーメンヴェルファー!」

ジョゼの灼熱の火焔放射が、ハシリウスめがけて繰り出される。ハシリウスは辛くもそれをよけた。

「うわっ! よせ、ジョゼ!」

「うるさいうるさいうるさ――――――――――い! このスケベ!」

ジョゼは逆上して、火焔放射の大安売り状態になっている。それを見て、アンナはくすくすと笑いだした。

「あ、アンナさん! こんな時に笑うなんて非常識です! ジョゼがこうなったのも、半分はあなたにも責任があるんですよ!?」

ソフィアが眉を寄せて、笑い続けるアンナを非難する。アンナは涼しい目をソフィアに向けて言う。

「だって、ジョゼったらいつも『ハシリウスのことは何でも分かっているよ』って顔しているくせに、私とハシリウスくんの間には何もなかったって、どんなに言っても信じられないなんて……それで幼なじみなんて、笑わせるわ。ソフィア姫だってそう思うでしょう?」

「え?」

ソフィアは虚を突かれた感じだった。そうだった! 私たちは最初っからハシリウスとアンナの間に“何かあった”ことを前提にしていた。だから、思わせぶりなアンナの言葉に引っかかったのだ。

「私だって、常識の範囲内でお礼させてもらったつもりよ。ハシリウスくんにはあなたやジョゼがいることくらい分かってるから。確かに、寮に帰さなかったのは私の落ち度かもしれないけど、ご飯が終わったのがもう12時近かったから、それは仕方ないんじゃない?」

いつものちょっと冷たい、怜悧な話し方をするアンナの声は、逆上してのぼせ上っているジョゼの耳にも届いた。

「え? そうなの?」

ジョゼが火焔放射を止める。アンナはジョゼを見つめてうなずく。

「私だってまだ学生だし、私のために苦労してくれているお姉ちゃんがいるから、どんなにハシリウスくんが素敵な男性でも、身を任せるっていう勇気はまだないわ。言っておくけど……」

「み、身を任せるって……」

アンナの直截な言い方に、ジョゼやソフィアが思わず顔を赤くする。そんな二人に、アンナは表情一つ変えずに言って立ち去った。

「ま、あなたたちがこんな調子じゃ、私にも彼をいただくチャンスがあるってことね。お二人さん、これは宣戦布告よ。私は彼と一緒にアカデミーに行って、彼を私のものにしてみせるわ。だって彼は、もろ、私好みですもの。じゃあね❤ ハシリウスくん、昨夜は助けてくれてありがとう❤」

目を丸くしているハシリウスに、アンナはそう手を振って女子寮へと入って行った。

「……すげえオンナ……」

アマデウスがぽつりとそう言う。

「……ふ、ふん! な、何が宣戦布告さ! ハシリウスが好きなら、さっさと持ってけばいいんだ。熨しつけてくれてやるよ!」

強がるジョゼの肩に、ソフィアはそっと手を乗せて言う。

「今回は、私たちの負けです。ハシリウスが本当に浮気な心で泊まれるわけがないことくらい、私たちだって分かっていたでしょう? 彼女はそれを言っているんです。そして、ハシリウスを信じる心がないと、私たちのゾンネやルナも発現しません。気を付けておかないと、私たちの心に忍び入った影がハシリウスや私たちを危機に追い込むかもしれません」

「……でも、ボク、ひどく傷ついちゃった」

そう言うジョゼの頭を胸に引き寄せながら、ソフィアも言う。

「ええ、分かります。私だってひどく傷つきましたから……」

そう言うと二人は、ハシリウスをじ~っと見つめる。そのキラキラした目が何かを言っている。さすがハシリウスというべきか、二人の幼なじみの言いたいことを、アイコンタクトで的確に見抜いた。

は~っとふか~いため息……

「分かったよ、何か甘いもんでも食べに行こう」

「やったあ! とーぜん、ハシリウスのおごりだよね?」

「へいへい」

「私は、久しぶりに葛餅が食べたい気分ですけど……」

「へいへい、何でも食べてくれ」

「じゃあ、ボクはパフェとあんみつと塩豆大福と、えと、えと……」

「おお~い、僕の財布のことも考慮してくれたまえ~」

慌てるハシリウスの隣に、アマデウスが駆け寄ってきて、

「わりぃなハシリウス、俺までおごってもらえるなんて」

突然、アマデウスが話に割り込む。

「だーっ! お前は関係ないだろ!」

ハシリウスが言うのに、ジョゼがニコニコとしてアマデウスに言う。

「そうか! アマデウスもボクたちにおごってくれるんだね?」

「なに、それなら一緒に来ていいぞアマデウス。特別におごらせてやる。助かったぜ」

アマデウスはがっくりとしたが、ジョゼやソフィアを見て、ハシリウスに小声で言って笑った。

「まあ、仕方ないさね。これ、お前への貸しな」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「これでよかったかしら……?」

四人の姿を見つめながら、アンナが隣にいる男にそう言う。男は緋色のマントに緋色の服を着て、長剣を腰に佩いていた。そのマントの留め金は『上級魔導士』のバッジだ。

「上等でした、お嬢さん。これで『日月の乙女たち』と大君主のつながりが、もっと深く、強くなるというものです。お疲れ様でした」

男はクリムゾン・グローリィだった。クリムゾンは、ハシリウスの祖父であるセントリウスの弟子で、将来を嘱望されている魔剣士だ。20歳の時から5年間、ずっと辺境で暮らし、その剣技の確かさと魔力の高さから『辺境の勇者』とまで言われている。一時、黒魔術師の国の王・クロイツェンの罠にはまり、ハシリウスと戦ったが、今はすっかり元に戻り、セントリウスの紹介もあり女王直属の隠密として活躍していたのだ。

クリムゾンは、アンナにずっしりとした袋を手渡しながら言った。

「これは、些少ですがお礼です。これからも、ハシリウス殿たちに何かあったときはすぐに知らせてください。お礼はさせていただきます」


承の章 火竜の封印


ハシリウスが“アナスタシア通り”でモンスターをやっつけた日、闇の月の7日を最後に、乙女が失踪することはなくなった。その意味では、ハシリウスの活躍が役に立ったということになるが、しかし、モンスターにさらわれた10人の乙女たちは、まだ見つからなかった。

首都防衛の責任を持っているマスター・アキレウスは、最初、乙女たちはモンスターに食われてしまったものと考えていた。しかし、ハシリウスがやっつけたモンスターは、人間を消化できるだけの消化器官を持っていないことが分かったのである。

「とすると、乙女たちはどこに行ったのか?」

マスター・アキレウスは、ハシリウスがモンスターを倒した『王立裁判所』前の辻に来ていた。

アキレウス・オストラコンは、今年26歳。ヘルヴェティア王国史上最年少の22歳でマスターとなった。魔術師としての階級は『魔導士』であるが、その卓越した剣技や体技は、他の追随を許さぬほどであり、剣、刀、槍、矛、薙刀、弓、弩弓、手裏剣など、彼に扱えぬ武器は何一つとしてなかった。

「やはりあなたも、ここに来ていましたか」

たたずむアキレウスに、そう声をかけて近寄ってくる者がいる。彼は赤い服に長剣を佩き、緋色のマントをひるがえしていた。クリムゾン・グローリィである。

「やあ、クリムゾンか」

アキレウスは、振り返ってクリムゾンを見ると、そう笑って声をかけた。二人は親友であり、どちらも互いに相手の力量を認め合っている。

「ハシリウスがやっつけたモンスターは、ツチノコといい、本来は人間を食べない。人間を食べても、消化しきれないんだ。とすれば、どこかに10人の乙女がいるはずだ」

アキレウスが言うのに、クリムゾンはうなずいて付け加える。

「私は、誰かがツチノコを使って、乙女たちを誘拐しているものと考えている。乙女たちの何かが必要なのだ。だから、殺さず生け捕りにできるモンスターを選んだ――そう考えた方が、つじつまが合う」

「私も、それに賛成だ。しかし、そうだとすると、まだ乙女たちがいなくなる可能性もあるわけだ」

アキレウスが言うのに、クリムゾンは、

「乙女たちの数が足りない場合、あるいは、乙女たちが持つ何かの総量が足りない場合はな」

そう言うと一瞬口をつぐむ。そして、アキレウスに

「アキレウス、乙女たちが持っているという伝承があるもので、それが集まった場合にこの国に災厄をもたらすようなものは知らないか?」

と訊く。アキレウスは少し考えていたが、首を振った。

「いや、知らぬ……。そういうものは、おぬしの師匠であるセントリウス猊下に訊いてみたらどうだ」

「ふむ……。そうだな、気になる部分はセントリウス様のお知恵をお借りしよう」


「よく来たの、クリムゾン」

ここは、王宮の北にある『蒼の湖』の畔。希代の星読師であるセントリウス・ペンドラゴンは、この地に小屋を構え、隠棲生活を送っていた。

「はい、今日は、師匠にお聞きしたいことがあってまかり越しました」

クリムゾンは、あいさつもそこそこに本題に入った。

「ふむう……ハシリウスが“ツチノコ”を倒して以降は、乙女の失踪はないのじゃな?」

「はい。しかし、ハシリウスの話では、最後の夜にも、ツチノコは乙女を狙ったそうですから、乙女たちがまだ必要であると思われます。いったい、誰が、何のためにこのようなことを行うのか、それが分からないのです」

クリムゾンが話している間、セントリウスはその銀色の髪をかき上げながら、黒い瞳で遠くの空を見つめていた。それは、まるで、今現在の星の運行をとらえるかのようであった。

「今は闇の月じゃな……」

セントリウスがつぶやく。クリムゾンはうなずいて言う。

「はい、そして、25日は新月です」

「うむ……クリムゾン、しばし待て」

セントリウスは、そう言うと小屋の奥の図書室に入り、うずたかく積まれた書籍をあさっていたが、ほどなくして1冊の本を持って居間に戻って来た。

「これじゃ、クリムゾン、これを読んでみい」

クリムゾンは、セントリウスが手渡した本を改めた。表紙には『谷の伝承』と書かれている。

「それは、今から120年ほど前、わしの曾祖父であるマトリウス・ファン・ペンドラゴン卿が書いたもので、ヘルヴェティア王国各地の伝承を集めたものじゃ。大体が神話的なものや民俗的なもので、星読師としての注意を引くような記述はあまりない。しかし……」

「しかし?」

クリムゾンは、本をぱらぱらとめくりながら訊く。と、その手が止まった。

「……『風の谷』の火竜伝説……これは、『風の丘』の封印のことですね!」

クリムゾンがたまたま開いたページが、セントリウスが気にしていた伝説を記したページであった。セントリウスは無言でうなずき、先を読むように促す。

「『大いなる災い』が近くなった時、アフロがマールの軌道を上に横切り、その時その時刻にマールがゾンネの軌道を下に横切るとき、アルテースの顔が隠れる夜に『火竜の丘』に純潔の乙女11人を並べ贄に捧げよ、さすれば『火竜・サランドラ』が目覚め、『風の谷』は大シュピルナールの怒りに呑まれん……」

「知ってのとおり、このヘルヴェティア王国建国に際して、ヴィクトリウス猊下は四つの竜を国土の礎として封印している。『ウーリヴァルデン』に風竜・エレロウ、『オップヴァルデン』に水竜・サムエラ、『ウンターヴァルデン』に土竜・エクタール、そして『風の谷』に火竜・サランドラじゃ。建国から800年、いまだこれらの竜たちの力は衰えておらず、この国を守り続けている」

クリムゾンはうなずく。彼自身、これらの聖地で修業し、その力を肌で感じているのである。

「しかし、もともとこれらの竜は、オクタヴィア女王陛下に楯突いた者ども、何かの折には折伏の封印が解け、その本性を現さないとも限らぬ」

「が、今までもこの国には『大いなる災い』が襲ってきたことはございます。その時に新月が重なることもあったでしょう。何故、今、こんなことを行おうというのでしょうか?」

クリムゾンが言うのに、セントリウスは真剣な目をして答える。

「よいか、クリムゾン。火竜を目覚めさせるために11人の処女を準備するだけではダメじゃ。それにはいくつかの条件がある。一つは、『大いなる災い』が近いこと、二つは『アフロがマールの軌道を上に横切り』かつ『マールがゾンネの軌道を下に横切り』かつ『それが同時に起こる』こと、三つは『アルテースの顔が隠れる』こと、つまり新月ではなく、月食じゃ。実はな、この三つが揃うのが今年なのじゃ」

「何ですって?」

「うむ、二つ目と三つ目の条件は、それぞれなら二つ目はほぼ160年ごとに、三つ目はほぼ2年ごとに起きている。しかし、三つともが揃うのはほぼ320年に1回じゃ。闇の月の14日に月食が起こる。奴らはこの機会を逃さんじゃろう」

「それは、この間の『年月日の調整』のようですね」

『年月日の調整』とは、ヘルヴェティア王国で建国以来使用されていたヴィクトリウス暦の調整のことである。ヴィクトリウス暦は希代の星読師・ヴィクトリウスが編み出したものであり、非常に精確であったが、800年に1日だけ誤差があった。そのため、ちょうどハシリウスが生まれた年、いつもは31日ある闇の月を30日とし、いつもは28日で4年に1回だけ29日ある光の月を30日とし、暦と星の運行のずれを調整した。

ハシリウスは光の月30日生まれであり、ちょうどこの『年月日の調整日』に生まれた少年である。しかも、この日に生まれた子どもはハシリウスただ一人であったため、その点でもハシリウスは生まれながらに特異な運命を背負っていたと言えよう。

「では、乙女をさらったやつらは……」

クリムゾンが言うのに、セントリウスは目に力を込めて答えた。

「おそらく、いつでも封印を解けるように、乙女たちを『風の丘』のどこかに閉じ込めておるのじゃろう。あそこは普段は誰も寄り付かない聖地じゃからのう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「くそっ! あと一人というところを、またもや『大君主』の奴に邪魔されたか!」

ここは、『風の丘』の近くにある岩山の中腹。その洞窟の中で、モンスターたちが騒いでいた。

これらのモンスターを率いているのは、闇の王国の復活をもくろむ、クロイツェンの手下である『闇の使徒』・夜叉大将オルトスであった。

「次の金曜日は月食です。それまでに、乙女があと一人必要ですが、ツチノコをあそこで討たれたのは少し誤算でした」

オルトスの周りで飛び回っている、見張り役でもあり、伝令役でもあるコウモリたちがそう言う。

夜叉大将オルトスは、その黒い巻き毛をいじりながら考えている。今回、『火竜・サランドラ』を復活させることができれば、この白魔術の国であるヘルヴェティア王国の心臓部・シュビーツは大シュピルナール山の噴火によって壊滅する。そのとき、大君主やこの国の女王が命を落とせば、もう言うことはない。そのまま黒の王国、闇の帝王クロイツェン様の復活と治世が始まるのだ。

それでなくても、シュビーツが二度と再建できぬ程に破壊されてしまえば、女王の魔力は辺境に届かなくなり、それだけでもクロイツェン様の復活に寄与することができる。さらに、シュビーツの壊滅時の混乱に乗じて、大君主を始末すればいい……この剣士としても有能なオルトスは、自分とハシリウスの剣の能力や魔力を比べた場合、勝利への絶対の自信があった。相手が星将シリウスであってもやっつけてやるぞ。

「『大君主』を始末するのは、あとでもいい。まずは火竜・サランドラを復活させることだ。そのためには、とにかく、乙女が一人必要だ。今度はワラキア、お前が行ってみろ」

オルトスは側に控えていた漆黒の髪を持つ女性に、そう命令する。ワラキアと呼ばれた女性は、妖艶な微笑みを見せて、

「分かりました。私は、せっかくですからこの国の王女を狙ってみます」

そう言うと、洞窟から消えて行った。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「ハシリウス」

闇の月の10日、帰り支度を整えていたハシリウスに、そう言って話しかけてきた女の子がいる。

「ああ、なんだ、ソフィアか。どうしたんだい?」

ハシリウスに話しかけてきたのは、ソフィアだった。ソフィアは少し言いづらそうにしていたが、

「あの……ちょっとハシリウスに相談があるんです。お時間頂いていいですか?」

そう、勇を鼓したようにして言った。ハシリウスは笑って答える。

「ああ、いいよ。ソフィアのお願いだったら、授業を抜け出してでも聞いてやる」

「よかった……ジョゼにも相談したのですが、一応ハシリウスの意見も聞いておいた方がいいって言うもんですから」

「な~んだ、ジョゼには相談済みか。だったら、わざわざ僕の意見なんか聞かなくてもいいじゃないか。ソフィアとジョゼが話し合った通りにすればいい」

ハシリウスはそう意地悪く言って笑う。ソフィアは手を胸の前で組んで真剣な表情で言う。

「そんなイジワルしないでください。私とジョゼの意見が対立しているので、あなたに話を聞いてもらいたいんです」

「そりゃ珍しい。どういうことだい?」

ハシリウスが言うと、ソフィアは辺りを気にして、小さな声で言う。

「ここじゃちょっと……中庭にでも行きませんか?」


「さて、話を聞こう」

ハシリウスとソフィアは、学園の中庭にあるベンチに腰かけていた。もう放課後であり、ほとんどの生徒は下校している。いま学園に残っているのは、クラブ活動をしている生徒たちだけだ。

「あのですね……今、私とジョゼが学年委員をしているのは、ご存知ですよね?」

「ああ、ジョゼが委員長で、ソフィアが副委員長だよね。お世話になってるね」

「ハシリウスも、学園寮の委員をしていますよね?」

「……あまり委員会には出ていないけど、一応、運営委員だ。それがどうかしたのかい?」

ソフィアは、ふうっとため息をつくと、ハシリウスの方を向いて言った。

「今日、生徒会長のパリス先輩から、来年の生徒会長をやらないかって言われました。そして、付き合ってほしいとも言われました」

「へ?」

ハシリウスは思わずそう言ってしまった。そして、顔を赤くしているソフィアを見つめて、言葉を探した。

「え~と、公的な部分と私的な部分を切り分けて話をしようか……まず、来年の生徒会長をどうするかっていうことから話をしよう。ジョゼはどう言っている?」

「ジョゼは、どうせ将来、私は女王となるのだから、今、生徒会でいろいろ経験を積むのもいいんじゃないかって言ってくれました。それと、私が会長になるのなら、自分が会計をやってもいいと言ってくれました。でも、私には自信がありません」

「……ソフィアはどう思うか知らないけれど、僕個人の意見としては、ジョゼの意見に賛成だ。でも、ジョゼは副会長じゃないのかい?」

「ジョゼは、私が会長になった場合、ハシリウスを副会長に指名すればいいと言っています。いずれはハシリウスも王宮で補佐官的な仕事に就くのだろうから、私とのコンビネーションを確かめていた方がいいと……」

そう言って、なぜかソフィアは顔を赤くした。

「う~ん、僕が副会長は似合わないかもな~。そうだ、いやかもしれないが、副会長は冷静で怜悧なアンナなんかどうだい?」

「ハシリウスはそう言うだろうと、ジョゼが言っていました。アンナを副会長にするなら、ジョゼは生徒会に入らないって言っています。私は、やるとすればジョゼとあなたの補佐がどうしても必要です。お願いできませんか? ハシリウス・ペンドラゴン様」

ソフィアの伝家の宝刀が抜かれた。ソフィアからフルネームでお願いされると、ハシリウスはどうも断れない気分になる。

「わかった、とりあえず考えておくよ。次は私的な部分の相談だね。パリス先輩にどういって断るか、だろ?」

ソフィアはくすっと笑って言う。

「私が断ることが前提なんですね」

「え? じゃあ、お付き合いするのかい?」

「そう言ったら、ハシリウスはなんて言ってくれますか?」

ソフィアはハシリウスを見つめて訊く。ハシリウスは少し考えて……

「おめでとう……かなあ? でも、なんか寂しい気がするなあ……」

そう言うと、ソフィアは首を振って言う。

「ありがとうございます。私も寂しいです。ですから、お付き合いはお断りしたいと思っています」

「なんだ、結局断るのか。だったらさっきみたいに思わせぶりなこと言うなよ」

「くすっ、ごめんなさい。でも、私が断ることを前提に話をしてくれたのがとてもうれしかったんです。ハシリウスに必要とされているって思って」

「まあな……でも、付き合いたい奴が出てきたら、僕なんかに遠慮するなよ。ソフィアの人生だから、ソフィアには幸せになってもらいたい」

「ええ、そうさせていただきます。ハシリウス・ペンドラゴン様❤」

「じゃ、どう断るかだけど……」

「それは大丈夫です。私が明日、自分でお断りしてきます。ジョゼが代わりに言おうかって言ってくれましたけど、こればかりは自分で言わないと失礼ですから」


寮は、午後6時から8時までが夕食時間で、午後5時から10時30分までお風呂に入れる。門限は10時で、消灯時間は11時となっている。

闇の月の11日、ハシリウスは、自分の部屋でご飯を食べた後のまったりした時間を過ごしていた。

と、コンコン……コンコン……とドアをノックする音がする。

「どちら様ですか?」

ハシリウスが言うと、

「私です、ハシリウスくん」

という声がした。ハシリウスはベッドから起き上がって、ドアを開ける。

ガチャッ……ドアが開くと同時に、廊下にいた誰かが部屋の中に滑り込んでくる。

「へぇ~、ハシリウスくんの部屋って、思ったより片付いているのね」

「あ、アンナ女史。どうしたの? アンナ女史が訪ねてくるのってすっごくめっずらしいんだけど」

訪れてきたのはアンナだった。アンナはあの日以来、あまりハシリウスとも話をしなかったし、ハシリウスの方もしいて話しかけようとはしなかったのだが、今日はどうしたことだろう?

「……別に、近頃ハシリウスくんが私を無視するから、寂しくなっただけ……」

アンナは豊かな黒髪を揺らして、その整った顔をハシリウスに向ける。ハシリウスはわけもなく赤面して言う。

「べ、別に無視しているわけじゃないよ。ただ、話しかける話題もないし……」

「あら、じゃあジョゼやソフィア姫には、そんなに話しかける話題があるとでもいうのかしら?」

言ってることは言いがかりに近いが、アンナの少し冷たい、ツンとした話し方で言われると、不思議に怒る気にはならない。

「幼なじみだからね」

「それだけ?」

ハシリウスの答えに、アンナは斬り込むように問いかけてくる。

「そ、それだけって、どういうこと?」

ハシリウスはしどろもどろになってきている。大体ハシリウスは、今までジョゼやソフィア以外の女子と二人きりでこんな話題について話すなんてことがなかった。女性への免疫ができていないのだろう。

「ハシリウスくんは、ジョゼやソフィアのこと、女性としてどう見ているのかしらってこと」

アンナは、勝手にハシリウスのベッドに座って、これ見よがしに脚を組んで聞く。

「う~ん、難しい質問だなあ」

ハシリウスは腕を組んで考える。

「ジョゼはずっと一緒に暮らしてきた仲だし、どっちかって言うと姉みたいなもんだし、ソフィアはソフィアでかわいい妹みたいな感じが強いし……」

手を組んであごをその上に乗せたカッコで、アンナがさらに聞く。

「二人とも、恋愛の対象にはならないってふうに理解していいのかしら?」

その時ハシリウスは、ラベンダーの香りを思い出した。ジョゼの気持ちを軽くしてあげたくて、僕が冗談で言ったのに、ジョゼは……。

『だめ、ハシリウスのニブチンはゆるさない』

そして、一瞬、ほんの一瞬、ジョゼの唇が……僕の唇にふれた。

『ばか……』

あの時の、ジョゼの顔……ジョゼは何を言いたかったのかな……。

「ハシリウスくん?」

アンナの声ではっと意識が戻る。ハシリウスは慌てて言う。

「ジョゼやソフィアは、僕の大事な人ではある。恋愛って、僕はまだよく分からないけれど……」

「私じゃだめ? 私が男の子たちから『男に不幸を呼ぶ魔女』って言われているから?」

アンナは打ちひしがれた目でハシリウスを見つめながら言った。

「それは違うよ。君はそんな女の子じゃない。少なくとも僕はそう信じている」

ハシリウスは眼をそむけないようにして言う。アンナが自分の噂を知っていた。どんなにアンナはその噂に傷ついているだろうか。

「答えて……ハシリウスくん……私じゃだめ?……私じゃだめなの?」

アンナはそう言いながら、ゆっくりとブラウスのボタンをはずし始める。ブラウスの下から、まぶしいくらいの肌がのぞいてくる……。


「ハシリウス!」

ジョゼの声で、ハシリウスははっと目覚めた。心配そうに自分をのぞきこむジョゼとソフィアの顔が見える。いや、アマデウスの顔もある。

「ぼ、僕は……?」

「気が付いたか? びっくりしたぞ。俺が帰って来たとき、床に倒れ込んでて、いくら名前を呼んでも目覚めないもんだから……。どうしたんだ?」

アマデウスがそう言う。ハシリウスはゆっくりと起き上がって、

「アンナは?……い、いや、誰か僕のほかにいなかったか?」

とつぶやくように訊く。

「いや、俺が帰って来たときはお前が一人、床に崩れるように寝ていた。誰かと話をしていたのか?」

「アマデウスさんが私たちを呼びに来てくださいましたが、私たちがこの部屋に来たときもハシリウスは一人でしたよ?」

ソフィアがそう言ってほほ笑む。その微笑みを見て、ハシリウスの中の何かがはじけた。

「ぐおっ!」

ハシリウスは頭を押さえて倒れ込む。

「ハシリウス!」

「ハシリウス、どうしたのさ!」

ソフィアとジョゼが同時に叫ぶ。ハシリウスの頭の中では、例えようもない甲高い音が響いていた。

――襲え! お前なら許される。アイツラハオマエノニエダ。

「く、くそっ……ぐあっ!」

ハシリウスは、頭の中に響いてくるその声に、必死に抗おうとしていた。襲え? 誰を? ジョゼ? それともソフィア? そんなこと、できるわけがないじゃないか!

「ハシリウス! しっかりしてください!」

ソフィアは少しでもハシリウスが楽になるようにと、ハシリウスの背中をなでていた。ハシリウスは依然として頭痛にのた打ち回りながらも、

「ジョ、ジョゼ、ソ、ソフィア……僕を、僕を殴れ!」

そう言う。

「そんなことできるわけないじゃないか! アマデウス、ジェンナー先生を呼んで!」

「お、おう! 任しとけ!」

ジョゼの叫びに応じてアマデウスが駈け出したとたん、ハシリウスが豹変した。

「あっ! ハシリウス、な、何をするんですか!?」

ソフィアの悲鳴に、ジョゼが振り返ると、ハシリウスがソフィアの腕をつかんで自分のベッドに押し倒そうとしていた。

「!」

ジョゼが口を手で覆って固まった。ハシリウスの顔じゃない! いつもの優しそうなハシリウスの顔ではなく、何かに憑りつかれたような眼をしている。そうか! だからハシリウスは『僕を殴れ』と言ったのか。

ハシリウスの手がソフィアのスカートの中に入ろうとしているのを見て、一瞬固まっていたジョゼがカッとなった。手近にあるものを探し、ハシリウスのホーキを握ると、

「ハシリウスのっ、バカ――――――――――っ!!!!!!!!」

ジョゼは思いっきりハシリウスの頭にホーキを振り下ろした。

バコッ!

派手な音を立てて、ハシリウスのホーキが折れる。ハシリウスはビクンと跳び上がると、ジョゼの方を向き直った。

ジョゼは目に力を込めると、精神を集中させた。『日月の乙女たち』は、純潔でないといけない。ハシリウス自身によってジョゼなりソフィアなりの純潔を奪えば、大君主としてのハシリウスの力も弱くなる。そんな一石二鳥を狙った『闇の使徒』たちの罠だろう。ハシリウスがそんな罠にかかるとは珍しいが、それでも、ボクがハシリウスを取り戻さなきゃ!

ジョゼに『太陽の乙女』ゾンネが発現した。ゾンネは、ジョゼを襲おうとよろめきながら歩いてくるハシリウスに、魔法を放った。

「女神アンナ・プルナよ、大君主がその心を乱しています。大君主の心を乱すものを取り除くため、女神の名において『太陽の乙女』ゾンネが命じる! ゾンネスト・ヒール!」

「うぐうえええ!」

ハシリウスは、いつものハシリウスとは似ても似つかない、絞り出すような声を上げ、その場に昏倒した。しかし、ゾンネは見た。ハシリウスの身体から瘴気の渦が湧き出て、それがゾンネスト・ヒールによって浄化されていくのを。

「ソフィア、ソフィア、大丈夫?」

ジョゼのゾンネは、そう言って床に倒れ込んだソフィアを立ちあがらせる。

「び、びっくりしました。こんなことがあると、ハシリウスが怖くなります」

ソフィアは胸に手を当てて、頭から血を流しながら床に昏倒しているハシリウスをこわごわ眺める。

そこに、アマデウスがジェンナー医師を連れて戻って来た。

「おっ、これはどうしたんだ。ひどい怪我じゃないか」

ジェンナー医師はそう言うと、さっそくハシリウスの怪我を診始めた。しばらくして、ジェンナー医師はハシリウスの怪我を処置すると、ジョゼとソフィアに向かって言った。

「二人とも、ハシリウス君の幼なじみだったね。ハシリウス君の今回のこの怪我のことで、少し話がある。ちょっと来てもらっていいかな?」


「『ワラキアの媚薬』?」

聞いたことがない薬の名前に、ジョゼとソフィアは思わず声を上げた。

ここは、ジェンナー医師の詰所である。ジョゼとソフィアは、ジェンナー医師からハシリウスの怪我のことを聞かれ、ハシリウスの豹変をこと細かく話した。

「ハシリウス君の怪我は、君たちどちらかが殴ったからだろう?」

詰所に入って開口一番、ジェンナー医師にそう言われ、二人ともびっくりしてしまった。

「というのは、おそらくハシリウス君がどちらかを襲おうとした。だから、もう片方のお嬢さんが、自分の幼なじみの純潔を救うため、ハシリウス君の頭にえいっと何か鈍器を振り下ろした……そう考えるのが妥当なんだ」

「な、なぜ分かるんですか? ハシリウスを殴ったのはボクです。ソフィアがハシリウスから襲われると思ったので……」

ジョゼがそう言うと、ジェンナー医師は微笑んで続けた。

「ハシリウス君の髪の毛から、『ワラキアの媚薬』という薬のにおいがしたのでね」

「ワラキアの媚薬?」

「うん、これは黒魔術で造られる薬で、お嬢さん方には失礼だが、これを振りかけられた者は、異性への性的欲求を押さえられなくなる。男なら手当たり次第に女性を襲うし、女性なら道の真ん中に裸で寝て、通行人とことに及ぶ……という例すらある」

「うへえ……」「ま……」

ジョゼとソフィアが顔をしかめる。

「この媚薬の効果は即効性で、しかも長く続く。しかし、ハシリウス君は大した精神力だよ。話を聞くと、ハシリウス君に媚薬の効果が表れるまで1時間はかかっているし、効果が表れてからでもしばらくは君たちを襲いもしなかった。普通、媚薬が効けば見境がなくなるはずだが……」

ジェンナーの話を聞いて、ソフィアは少し胸のつかえが下りた。ハシリウスはやっぱり私たちのことを大事に思ってくれてたのね。

「ハシリウス君の心を無防備にした女性がいる。たぶん、君たちのほかにね。この『ワラキアの媚薬』を使った黒魔術師は、ハシリウス君が性的欲求を素直に出せる女性の姿でハシリウス君の心に忍び込んだと思う」

「なんか、それっていやだな。ボクたちに魅力がないみたいじゃないか」

ジョゼが言うのに、ジェンナーは笑って、

「何を色気づいたことを言っている? 逆だよ、ハシリウス君にとって君たちは守ってあげたい存在なんだ。君たちはハシリウス君から最高に素敵な女性だと思われているんだよ」

という。ジョゼもソフィアも、そう聞いてぱっと顔を輝かせた。

「ハシリウスが本当にそう考えていてくれるのなら、襲われそうになったことは忘れてあげます」

ソフィアはそう言って、あらためてハシリウスの寝顔をしげしげと見つめた。


朝、と言っても、もう昼に近いころ、ハシリウスは目が覚めた。

「う、いたたた……」

ハシリウスは起きようとして、頭の痛みで声を上げる。さすがに昨日の今日で、アマデウスは僕を起こさずに学校に行ったらしい。ま、この怪我なら休んでも不思議はないしな……。そう思いながら、ハシリウスはまた眠りに引き込まれそうになる。

その時、コンコン……、コンコン……ドアをノックする音が聞こえた。ハシリウスは無意識に言う。

「アンナ、鍵は開いているよ」

ガチャッ……ドアが開き、渋い表情でジョゼとソフィアが入って来た。

「アンナ……だったんですね」

ソフィアがジョゼに言う。ジョゼはうなずいて、

「これからアンナをとっちめる。ソフィア、あんたはハシリウスについていて」


「『ワラキアの媚薬』?」

ジョゼは、アンナを女子寮の裏手に呼び出した。ジョゼから「ハシリウスに媚薬を使ったろう」と言われたアンナは、さも心外そうに言う。

「冗談言わないで。私はそんな媚薬なんて造れないわ。そもそも、このヘルヴェティア王国で黒魔術を使えるのは賢者級の方々だけよ。私みたいな見習がそんなすごいもの、造れるわけないじゃない」

「造れなくても、もらうことはできるよね? アンナ、昨夜はハシリウスがソフィアを襲おうとしたんだ、その媚薬のせいで」

「えっ?」

「ソフィアも傷ついたし、ハシリウスもボクが叩きのめしたから災難だった。ねえ、アンナ、ホントのこと教えてよ。キミがハシリウスに媚薬を使ったんだろう?」

アンナは少し考えていた。そして、

「ごめんなさい、私は媚薬を造ったことも、貰ったこともないし、買ったこともないわ。確かに、昨夜7時ごろに彼の部屋に行ったのは認めるわ。でも、あなたやソフィアのこと、どう考えているのって聞いたら、ハシリウスは『大事な人だ』って答えたから、悔しくなって帰っちゃった。それだけよ」

そう言うと、さらに付け加える。

「この間は、あんなこと言ってごめんね。でも、私から見るとハシリウスが最も気に入っている女の子ってジョゼよ。だから私もうらやましくて、あんな事言わざるを得ない気持ち、分かるでしょ?」


ソフィアはハシリウスの寝顔を見つめていた。ハシリウスはすやすやと眠っている。まるで昨夜のことがウソみたいに。

手を引っ張られた時は、びっくりした。でも、ハシリウスの何かに憑りつかれたような顔を見た時ほど、驚いたことはなかった。怖かった。

これが、ハシリウスが自分の意志で同じことをしたのなら、ひょっとしたら私は彼の好きにされていたかもしれない。それを待ち望んでいないと言えばウソになる。私だって、王女ではあるが女の子でもある。好きな人に愛されたいって言う気持ちがあってもいいじゃないと思ったりもする。

「ハシリウス……」

ぽつりとソフィアがつぶやく。すると、その声に応えるように、ハシリウスの目が覚めた。

「ああ……ソフィアかい?」

「はい、ハシリウス、おはようございます……と言ってももう放課後ですけど」

「……昨日は、すまなかったね。驚かせたし、怖がらせた」

ハシリウスがそう言って謝る。ソフィアは首を振って言う。

「まだ少し怖いです。でも、あなたに訊きたいことがあって、ずっとあなたが目覚めるのを待っていました」

「何だろうか……王女様を襲ったから、処罰されるのかい? その覚悟はできてるよ」

「私を襲った時のこと、覚えていますか?」

「その直前までは覚えている。ジョゼもソフィアも大切な女の子だ。襲えという声にずっと抵抗していた。あの声は何だったんだろう?」

「あなたは媚薬によって、自分の心の欲求のまま行動するようになっていたのです。その意味では、私はあなたを許したい。でも、あなたを許す前に、一つ確認しておきたいのです」

「……なに?」

ハシリウスにソフィアが訊く。

「私のこと、大切にしてくれますか?」

「……もちろんさ。君もジョゼも、大切な幼なじみだ」

「幼なじみ……だけですか?」

「え?」

ハシリウスは、思わずソフィアを見つめた。ソフィアは頬を染めている。しかし、今日はいつもと違い、凛とした表情で訊いてきた。

「ハシリウス・ペンドラゴン様、私がキスしてって言ったら、してくれますか?」

ハシリウスは、真剣な表情で考える。ソフィアはどうしたのだろう? なぜ、そんなことを訊くのだろう?僕は昨夜、いったいソフィアに何をしたんだろう?

ハシリウスは無言でうなずいた。ソフィアは頬をさらに赤くして、目を閉じる。

ハシリウスはゆっくりと唇を近づけ、ソフィアの額にキスした。

「え?」

ソフィアは眼を開ける。そのソフィアの右手を取って、ハシリウスは手の甲に口づけた。

「未来の女王様に……僕の忠誠を込めて……」

ハシリウスはそう言うと、片目をつぶって見せる。ソフィアは笑い出した。

「ハシリウスにはかないません。でも、私、あれからハシリウスの側によるのが怖かったんです」

「それは悪かった。でも、あれって案外、僕の本心だったりして」

「? 何がですか?」

「君を襲おうとしたこと。僕の心のどこかに、君に対してあんな気持ちがあるのかもしれない」

ハシリウスが言うと、ソフィアが聞き咎める。

「『あんな気持ちがある』という現在形ですか?」

「そうだね。僕だって男だし、ソフィアのことは可愛い妹みたいに思っているつもりでも、君に対して女を感じる時もあるさ。正直言って、近頃はそういうことが多い」

「そ……そんなこと聞くと、また、ハシリウスの側にいるのが怖くなります」

ハシリウスはニコリとして言う。

「僕はまだ学生だ。人間としても、魔導士としても、星読師としても、大君主としても未熟だ。何もかも未熟な僕が、恋にうつつを抜かしていていいはずがない。恋人を作るとかはまだ先の話さ」

「まあ、お勉強嫌いのハシリウスから、そんな言葉が聞けるなんて」

「少しは成長しないとね。大君主が『月の乙女』に叱られている図なんてカッコ悪いよ」

二人が笑い合っているところに、ジョゼとアンナが入って来た。

「ああ、ジョゼ、それからアンナ女史。お見舞いに来てくれたのかい?」

ハシリウスがそう言うと、アンナは心配そうに眉を寄せて言う。

「ハシリウスくん、大丈夫? 痛くない? 腕力だけは強い幼なじみからやられたって聞いたけど」

「あん? アンナ、ボクにケンカ売ってるのかい? だったら買うよ」

ジョゼが腕まくりをしてみせる。

「まあ、野蛮ね」

そう言うアンナの顔も、ジョゼの目も笑っている。いつの間にか、二人とも友だちになったらしい。

「いつの間に、二人とも仲良くなったのかな?」

ハシリウスが不思議そうに聞くと、アンナが答えた。

「ジョゼと仲良くしていると、何か、楽しいのよ。パワーを分けてもらえるような気がするわ」

「確かに、ジョゼはそんな気を起こさせるよなあ」

ハシリウスが笑顔でうなずく。ジョゼは少し照れて、

「いや~そんなふうに言ってもらうと照れちゃうよ」

と、頭をかく。

「それじゃ、ジョゼ、私は先に部屋に戻っていますから」

ソフィアがそう言って立ちあがると、アンナも、

「そうですね。二人の邪魔しちゃ悪いから」

と言って立ちあがる。ジョゼは慌てて、

「ちょ、ちょっと、ボクも行くよ!」

というのを、ソフィアが押しとどめる。

「ハシリウスはまだ完調じゃありません。しばらくあなたがついていてあげてください。ジョゼ」

そう言うと、ソフィアはアンナとともに出て行った。


「あなたが媚薬を使ったわけではなさそうですね」

並んで歩くアンナに、ソフィアがズバリと訊く。アンナはうなずいて言う。

「もちろんよ。私は、私そのものをハシリウスくんに好きになってもらいたいもの。媚薬なんて邪道だわ」

ソフィアもうなずいて言う。

「確かに、アンナならばそう言うと思っていました。しかし、ハシリウスの心は、あなたのおかげで無防備になったようです」

「?……どういうこと?」

アンナは立ち止まって聞く。ソフィアはそんなアンナに向き直って言う。

「ハシリウスは、あなたに何か特別な感情を抱いている……ということです」

アンナは頬を染めて否定する。

「そ、そんなことはないわよ。だって、私の目から見てもハシリウスくんはあなたやジョゼと特別仲がいいわ。幼なじみって以上の何かを感じるわ」

ソフィアは首を振って言う。

「これは、恋愛感情とはまた別のものかもしれません。とにかく、私たちにない何かを、ハシリウスはあなたに感じているのです。だから、『ワラキアの媚薬』を使った者は、あなたという存在を隠れ蓑にしてハシリウスの心に入り込んだ……私はそう思っています」

「私を隠れ蓑に?」

アンナがそう言った時、虚空からおどろおどろしい声がした。

「ほほう、さすがは大君主の知恵たる『月の乙女』だねぇ。そこまでばれていたのかい」

「誰!?」「誰ですか!?」

アンナとソフィアが同時に言う。すると、二人の前に、凄絶なほど美しい女性が現れた。

「私は『闇の使徒』ワラキア。王女様にちょっと来てほしいのよ。あなたは結構な魔力を持っていそうだから……」

「あなたがハシリウスに媚薬を使ったんですね?」

ソフィアが怒った声で言う。そんなソフィアに、ワラキアは笑って言う。

「あら、王女様だって、大君主から求められたら嬉しいでしょう? 私はあのハシリウスって子の後押しをしてあげただけよ。でも、してもらえなくて残念ね?」

「ハシリウスには、大切な使命があるのです。私だって、彼を助けてあげたい……それを、それを」

ソフィアが珍しく怒っている。そんなソフィアを嘲るようにワラキアは言う。

「そのハシリウスの使命ってやつが、私たちにとっては邪魔なのさ。王女様だって、カマトトぶるんじゃないよ。男と女は結局身体をつなぐかどうかがすべてなんだよ。それなしに、アンタだって一生を過ごせるわけ、ないだろう?」

「許せません! 大君主の補佐たる『月の乙女』ルナよ、私に女神アンナ・プルナ様の力を与え……」

ソフィアが『月の乙女』を召喚しようとする。それをワラキアは

「そうはさせないよ!」

と斬りかかった。

「ソフィア姫!」

アンナが叫ぶ。しかし、斬りかかったワラキアの刃は、途中で阻まれた。

「くっ!」

ワラキアも、ソフィアも、そしてアンナも見た。ソフィアを狙ったワラキアの刃を、全身緋色の装束で身を包んだ男が、その長剣で受け止めている。

「き、貴様は、『緋色ローテン・悪魔トイフェル』!」

ワラキアが叫ぶ。それを無視するように、男――クリムゾン・グローリィはソフィアに言った。

「殿下、早く『月の乙女』を!」

男は叫ぶ。ソフィアは眼を閉じて呪文を続けた。

「……私に女神アンナ・プルナ様の力を与え、この魔性のモノノケを退けさせ給え!」

ソフィアに、月の乙女ルナが発現した。白い衣に銀のチェインメイルを付け、金の髪に銀の宝冠をつけたルナは、虚空に手を挙げ、

「ワラキア、あなたは許せません! 出でよ、クレッセント・ソード!」

そう叫ぶと、ルナの右手には半月刀が、左手には鏡のような盾が握られていた。

「やっ!」

ルナが斬りかかる、それをワラキアは軽々とかわすと、

「仕方ない、アンタでいい、一緒に来るんだ!」

と、ボーっと突っ立っていたアンナの手を取る。

「え? いやっ!」

「アンナ!」

「じゃあね、『月の乙女』。この子は貰って行くよ。なあに、殺しはしないよ。14日の月食まで預かるだけさ」

そう言うと、ワラキアはアンナをつかんだまま虚空に消えて行った。

「アンナ!」「待てっ!」

ルナとクリムゾンがそう言ったが、二人のその姿は消えてしまった。

「14日の月食……」

元に戻ったソフィアがつぶやき、そしてはっと我に返った。

「あ、あなたはいつぞやハシリウスを刺した……」

そして身構える。そんなソフィアを見て、クリムゾンは剣を外し、恭しく礼をした。

「その節は失礼いたしました。改めて自己紹介いたします。私は女王陛下直属の御林軍に所属しているクリムゾン・グローリィと言います」

ヘルヴェティア王国には、各地のロード率いる『ヨーマンリー』と呼ばれる地方軍が12万と、王国の正規軍であるマスター率いる『レギオン』が12万ある。そのほかに、女王陛下を直接守護する5000の『親衛隊』と、女王の最後の盾であり、隠密的な仕事もする『御林軍』500があった。

御林軍所属の勇士は、親衛隊の中から厳選され、その力量・経歴・教養とどれをとっても超一流のものしか選ばれない。しかも、隊員はすべて『魔導士』以上の魔力を持っている。誰が御林軍に所属しているかは、女王と大賢人しか知らない、というほどの『影の軍団』であり、『最後の切り札』だった。

「御林軍に所属しているということは、あなたは正道に戻ってくれたのですね、クリムゾン卿」

ソフィアはそう丁寧に聞いた。御林軍所属の勇士は、立場上正規軍のマスターより上位にあり、各地のロードに匹敵する。

「はい。今は、女王陛下のご命令により、王女様の陰の護衛を承っています」

「そうでしたか、それで……。助かりました、お礼を申し上げます、クリムゾン卿」

「痛み入ります……ところで殿下、今、ハシリウス閣下と話ができますか?」


「……話は分かりました。クリムゾン様」

ハシリウスは、沈痛な面持ちで言う。

クリムゾンは、アンナがさらわれたことから話をし始め、『火竜の封印』の話、その封印を解くためには11人の乙女が必要で、今月の14日の月食に『火竜の封印』が解かれることを話したのである。

「すみません閣下。殿下をご無事にお守りすることに気を奪われ、閣下のご友人まで気が届きませんでした」

クリムゾンが謝るのに、ハシリウスは顔を赤くして、

「い、いやだなあ、クリムゾン様。僕は『閣下』って柄じゃないですよ」

と言った後、真顔で続ける。

「おじい様は、どこに11人の乙女がいるかをご存じないのでしょうか?」

クリムゾンは首を横に振った。

「そこまではお聞きしませんでした」

「今日が闇の月12日……月食は14日の午後9時から始まる」

ハシリウスが言うと、ジョゼがつぶやく。

「あと2日しかない」

「……まだ2日あるんだ。ワラキアが今日、アンナをさらって、自分たちの目的をしゃべってくれたから、物事がよく見えるようになったし、今後の行動も計画が立てやすくなった」

ハシリウスが快活に言う。そんなハシリウスを見て、ジョゼもソフィアも、とても頼もしく思えた。

――さすが、私の大君主様だわ。

二人は同時にそう思った。

「計画は立てやすくなった……けど、何すればいいんだ?」

――前言撤回……。

二人は同時に思い、

「アンナを救う手だてを考えなさいよ!」「『火竜の封印』を守るべきです!」

ジョゼとソフィアが同時に叫んだ。

「わかってるよ!」

ハシリウスが何か言おうとした時、

「私が思うに……」

クリムゾンがハシリウスに助け舟を出す。途端に三人とも黙り込んだ。

「今、アキレウスの首都防衛隊が乙女たちを探しています。その探索が早ければ、その時に奴らのところに斬り込めばよいですし、いずれにしても14日には奴らは『風の丘』に現れることは分かり切っています」

「その時を狙えばいいのか……しかし、それは失敗したら目も当てられないなあ」

ハシリウスがつぶやく。その時、星将シリウスが顕現した。

「ハシリウス、乙女たちの居場所が分かった」


転の章 火竜の復活


闇の月の13日、ギムナジウムの授業が終わるや否や、ハシリウスはジョゼ、ソフィアとともにセントリウスの小屋に向かった。昨夜、星将シリウスが、

『ハシリウス、乙女たちの居場所が分かった』

と顕現した時、すぐにでも斬り込もうとするハシリウスたちを押さえて、星将シリウスが言ったからである。

『今度は、11人の乙女たちを無事に取り戻すだけでなく、火竜の復活を阻止することが目的だ。もし、火竜が復活してしまったら、ハシリウス、お前がそれを封印しなければならない。今のお前に、それができるか?』

ハシリウスは少し考えて、

『いや、僕には無理だ。火竜をどうやって封印するかなんて、見当もつかない』

そう正直に言った。星将シリウスはニコリと笑って言う。

『ハシリウス、正直はお前の最高の美徳だ。だから、セントリウスの意見を聞いて行ったがよい。いずれにしても14日の月食が始まらないと、奴らも手は出せない』

『おじい様の……』

『そうだ。セントリウスは以前、クロイツェンと戦い、それを封印している。お前も知らない出来事だが、私もその当時セントリウスと共に戦った。セントリウスの意見をぜひ聞いて行け』

星将シリウスはそう言うと虚空に消えた。


「よくやって来たな、ハシリウス」

『蒼の湖』の畔の小屋で、ハシリウスたちはセントリウスと向かい合っていた。セントリウスはハシリウスだけでなく、ジョゼやソフィア、クリムゾンにも話を聞かせようというように、『火竜の封印』についてこと細かく説明した。

「そもそも、ハシリウスよ、竜とは何じゃ?」

セントリウスが訊く。ハシリウスは首を傾げた。ハシリウスの代わりに、クリムゾンが答える。

「竜とは、精霊の一種ではないのですか? 精霊の中で特に力が強く、特に能力が優れたものが竜となるのでは?」

「その通りじゃ。一口に精霊と言っても、いろいろな種類がある。しかし、精霊とはモノの始まりであり、モノの意志でもある。その精霊が強大な力を持って『鬼』となり、高い能力を持って『竜』となる。精霊であるから、『鬼』も『竜』も、人間に憑依することすらできる」

セントリウスはそう言って言葉を切った。愛用のパイプを一口二口吹かす。

「ヴィクトリウス猊下が国の礎として封印した四竜、風のエレロウ、火のサランドラ、土のエクタール、水のサムエラも、それぞれの精霊が強大な力を持ったモノに違いはない」

「……では、おじい様、今、いろんな所にいる妖精たちや精霊たちも、そのような竜に変化する場合があるのですか? あるとすれば、なぜ変化するのですか?」

ハシリウスはセントリウスにそう訊いた。セントリウスはニコリとして言う。

「ハシリウス、いつぞや言ったぞ。物事の始まりは闇だと。その闇の中に光の核ができ、光と闇の二元論が生まれたと。光はいつまでも光じゃ、闇がいつまでも闇であるように。さすれば、竜はいつまでも竜で、精霊たちはいつまでも精霊たちじゃ。精霊が変化したというより、精霊が進化したもの、不可逆的に変化したものが『鬼』や『竜』じゃ」

「とすれば、竜たちはそれぞれの特徴があり、その特徴によって対応の仕方も変わるということになりますね?」

ソフィアが言う。セントリウスは目を細めて言う。

「ははっ、王女様は確かに頭がよろしい。その通りですじゃ。竜は精霊であれば、精霊と同じ対処の仕方がございます。しかし、竜が竜たるゆえんは、単に精霊と同じ対処の仕方をしただけではどうしようもない、という点にございます」

「強大な魔力が必要ということでしょうか?」

ジョゼが訊く。セントリウスはニコニコしながら言う。

「ハシリウス、そなたの左右にいる『日月の乙女たち』が、これほど素晴らしい方々とは知らなんだ。そなたも『日月の乙女たち』に負けぬよう、精進が必要じゃな」

「は、はい……」

ハシリウスは顔を赤くしてそう答える。『大君主』が『日月の乙女たち』に食われるという、ハシリウスが畏れたことが、さっそく起こっている……。

「しかし、セントリウス様、肝心の竜の封印はどのように行うのでしょうか?」

クリムゾンが訊く。セントリウスはそれには答えずに、

「クリムゾン、竜の封印が破られぬようにするのが、そなたら『御林軍』の者たちの務めじゃ。破られた場合、竜を封印するのは、星読師の仕事じゃ」

と言って、ハシリウスに向き直る。

「ハシリウス、これから先はそなたとのみ話をしたい。他の者はしばらく、席を外してくれんか?」

「分かりました。時間がかかりますか?」

クリムゾンが言うのに、セントリウスは黙ってうなずく。クリムゾンはジョゼとソフィアに言う。

「では、王女様とご学友は私が責任もって寮まで送り届けます」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「やっと11人そろったな」

夜叉大将オルトスは、アンナをさらってきたワラキアに向かってそう言い、

「しかも、最後の乙女はかなりの魔力を持っている。これならばアンカーとして使えそうだ」

とご満悦であった。

「すみません。この国の王女はさらに魔力が高かったのですが、まさか王女が『日月の乙女』の一人だったとは……」

そう謝るワラキアに、オルトスは言う。

「仕方ないことだ。しかし、『大君主』たちは必ず我らの企てを邪魔しに来よう。その時のために、あの『風の丘』全体に結界を張っておく必要がある。ワラキアよ、そなたの『鏡面結界』を張ってもらいたい。そして、結界の中に全軍を入れておくのだ」

「かしこまりました。乙女たちはいかがしましょう?」

「アンカーの乙女を除き、全員を『風の丘』のストーンヘンジに座らせておくように。乙女たちは裸にして相互につなぎ、それぞれの乙女の胸元をストーンヘンジ中心の『封印石』へ向けておくようにな」

「かしこまりました。では、さっそく参ります」

ワラキアはニヤッと笑うと、

「オルトス様直属軍を除く全軍、私とともに『風の丘』に行くぞ!」

そう魔軍に命令した。

「ふっふっふっ……明日の月食が楽しみだ」

オルトスは、ワラキア軍の出発を見送った後、笑って剣を抜き、とらわれているアンナのもとに歩み寄った。

「娘、しばらく辛抱しろ。明日、『火竜サランドラ』が無事目覚めたら、自由の身にしてやるからな」

そう言うオルトスに、アンナはいつもの冷たい声で言い返す。

「ふ、ふん、どうせアンタたちの約束なんて信じられないわ。いっそのことここで私を殺しなさい!そしたら、ハシリウスが私の仇を討ってくれるから!」

「お嬢さん、分からないことを言ってはいけませんな。私はこれでも紳士です、約束は守りますよ。あんまり跳ねっ返ってばかりだと、妖鬼たちの中に放り込みますよ。そして、純潔でなくなった身体で戻っていただかざるを得なくなりますが……」

アンナは黙ってオルトスを睨みつけている。オルトスは笑って、手に持っていた剣でアンナに斬りつけた。

「!」

アンナは思わず目を閉じたが、別に痛みは感じない。オルトスはアンナの胸元を剣で切り裂き、白い胸元をあらわにした。

「さて、あなたには『火竜サランドラ』を呼び出すアンカーになっていただきます。少し痛いですが、我慢してください」

そう言うと、アンナの胸元に剣先で何かのマークを刻み付けた。

「わが主君たるクロイツェン王よ、あなたの力でもって、この乙女をサランドラの竜玉への架け橋となし給え」

「ううっ!」

オルトスの呪文に激しく反応したアンナは、そのまま気を失ってしまった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「星読師は、ただ星を読むだけが仕事ではない。星読師は森羅万象に通じ、地上のあらゆる出来事を知り、人の心を豊かにすることは、最も大切な仕事じゃ」

セントリウスはパイプを吹かしながら言う。

「おじい様、星々の運行は決定されているものなのでしょうか? それとも、私たちの手で変えられるものでしょうか?」

ハシリウスが訊くと、セントリウスは笑って言う。

「ハシリウス、宇宙は広大だ。それに比べると我らが星はちっぽけなもので、そのちっぽけなものの上に、一喜一憂しながら暮らしている人間は、さらに小さい存在でしかない。しかし、そんな人間がこの世界に君臨しているわけはなんだと思う?」

「言葉ですか?」

「そうじゃな、言葉は非常に大切な要因じゃ。その言葉によって我々の社会は成り立っている。しかしハシリウス、我ら星読師にとって、言葉は一つの記号体系でしかない。星々の運行は、言葉や理論で読むものではなく、コスモスの中の人間の大意識の感知でなければならない。そなたが幼いころから、何度も聞かせているとおり、人間の意識はコスモスの中でつながっている。その意識の動きこそが星々の動きじゃ」

ハシリウスは、目を閉じて、頭の中に星々の運行図を思い浮かべてみた。幼い時から、本当に物心ついたときから、ハシリウスは星々の動きを見ていた。そしてこのおじい様から運行図を見せてもらった時の喜び、まだ覚えている。

「しかし、おじい様。僕が星を見るところ、星々の中には運行図に合わない動きをする星たちがあります。あれはどのように判じたらよいのでしょうか? あれこそ、大意識の動きと考えていいのでしょうか?」

ハシリウスが訊く、セントリウスは鋭い目をして、この利発な孫を見つめて言う。

「ほほう……ヴィクトリウス猊下が作図した運行図に間違いがあるというか?」

「い、いえ、間違いだとは思いません。ただ、ポルクスとかファルマーとかの星が、たまに逆行したりするのです。あれの判じ方が、僕にはまだわかりません」

ハシリウスの言葉に、今度はセントリウスは破顔一笑した。

「はっはっはっ、ハシリウス、その言葉で、わしはそなたが星を見ることを怠っていないことが分かった。確かにそうじゃ。あの星々の動きはわしにもよく分からんところがあった。しかし、28神人との話の中で、逆行する星は何らかの災いを知らせる星ということが分かった。ハシリウス、12星将を使えるだけでは、星読師は務まらん。むしろ、28神人の声が聞こえる方が、そして28神人に依頼し、乾坤の動きを変化させる法を知っていた方が役に立つ。神剣『ガイアス』は、もとはと言えば星読師の魔力と精神力、集中力を高めるための道具じゃ。だから神剣『ガイアス』は、刃挽きなのじゃからな」

「そうだったんですか」

「うむ、星自体にも意識がある、とわしは思っている。わしは、いつも大意識と星の意識、そして自分自身の意識の三者が、どのような高みで接しているのかを読み取りたいと心がけながら星を読むことにしている。大意識はわしらが星を読むときに漠然と心の中に入って来るあの不思議な感じじゃ。星の意識はもっと鮮明に感じる。それは28神人の声でもあるからのう。そして自分自身の意識、これが最も感じやすいが、同時に星を読むときに最も邪魔になるものでもある。自意識をどれだけ押さえながら大意識を感じるか……これは星読師の終生のテーマではなかろうかとも思うのじゃ」

「そんなこと、僕にできるでしょうか?」

ハシリウスが自信なさげに言うと、セントリウスは哄笑した。

「はっはっはっ……ハシリウス、そなたは生まれた時から女神アンナ・プルナ様のお気に入りじゃ。でなければどうして女神の神剣である『ガイアス』をお前に授けるものか。『ガイアス』――大地の剣は、そのセットである聖剣『コスモス』と響きあうことができる。それでこそ『オーヴァーロードの剣――大君主の剣』じゃ。女神様は、そなたならそれができると見込まれている。精進するんじゃな」

「おじい様、教えてください。精進するにしても、方向が違った努力は時に大いなる間違いに導きます。僕に、正しい方向を指し示してください」

ハシリウスがそうお願いすると、セントリウスは眼を閉じて何かを感じていた。

「――む……」

セントリウスは眼を開けると、ハシリウスに言う。

「ハシリウス、そなた、風を感じることができるか?」

ハシリウスはうなずく。

「日の光の暖かさや闇の静けさはどうじゃ?」

「……何となく、分かります」

ハシリウスが言うと、セントリウスは斬り込むような口ぶりで訊く。

「ハシリウス、日の光や風や闇は見えるか?」

「いいえ」

「ではなぜ感じるのじゃ?」

「そ、それは……」

ハシリウスは答えに詰まる。確かに、見えもしないものをどうして感じるのだろう?

「ハシリウス、見えなくても、そこにあることを感じることはできる。それがわれらの知覚じゃ。そして、我らの知覚は人の心も感じることができる」

セントリウスはそう言うと、一口パイプを吹かす。

「星読師は、星の心を感じるのじゃ。風の息吹を感じ、日の暖かさを感じ、闇の静けさを感じるように、人の心の動きを見るように。大して難しいわけではない。心を素直に、透明にできるかじゃ」

ハシリウスはじっとセントリウスの言葉を聞いている。ハシリウスの心の中に、セントリウスの言葉がしみ込んでくる。

「それができれば、そなたは本物の『大君主』として踏み出すことじゃろう。ハシリウス、慌てんでも良い、じっくりと考えるのじゃ。まだ時間はある」

セントリウスはそう言った後、ハシリウスに優しい目を当てて言う。

「ハシリウス、今回は女王陛下をはじめ、このシュビーツに住む人々の安否に関わる問題じゃ。しかし、あまり早くみんなに知らせてもパニックが起こる。わしは今夜にでも大賢人殿にこのことを知らせに行くつもりじゃが、今後の対応はそなたとクリムゾンとレギオンがどう連携するかにかかっておる。レギオンからの呼び出しがあったら、しっかり話し合ってことに当たりなさい。そして、最悪の場合でも自分を信じて頑張るしかないのう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

ハシリウスが寮に戻ったとき、寮ではちょっとした騒ぎが起こっていた。

「おお、ハシリウス、遅かったな」

自分の部屋に戻ったハシリウスに、同室のアマデウスがそう言う。

「ああ、ちょっとおじい様と話し込んでしまって……何だ、アマデウス?」

ハシリウスは、自分を見つめるアマデウスにそう訊いた。アマデウスは、

「おれ、聞いたんだけど、アンナが誘拐されたって本当か?」

と訊く。ハシリウスは唇をきゅっと結んでいう。

「もう、みんな知っているのか?」

「えっ! じゃあ、本当なのか!?」

ハシリウスはうなずいて言う。

「本当のことだ。でも、アマデウス、お前は知らない振りをしておく方がいい。それから、もし、明日の月食が過ぎても僕が戻って来なかったら、早いとこシュビーツを脱出して、オップヴァルデンに逃げることだ」

アマデウスは目を丸くして言う。

「ハシリウス、それって、どういうことだ? 何かまた事件に関わっているのか?」

「そうだ。あまり詳しくは言えないけれど、大変なことが起こる可能性があるんだ。だから、月食の夜まで気を抜かずにいてほしい」

ハシリウスが言うと、アマデウスはそれ以上は何も聞かなかった。ただ、

「分かったよハシリウス。だが、逃げるならお前も一緒だ。俺は一人じゃ逃げないぞ。だから、何があっても無事で帰ってこい」

そう言って笑った。そこに、当直のアクア教諭がやって来た。

「ああ、ハシリウス君、ちょうどよかった。校長室まで来てくれるかしら?」

「僕に何か用ですか?」

ハシリウスが言うと、アクア教諭は、

「アンナさんのお姉さまが見えているのよ。それで、あなたにどうしても会いたいっておっしゃっているの。来てもらえるかしら、ハシリウス君?」

そう言う。ハシリウスはうなずいた。


「ハシリウス・ペンドラゴン君が入ります」

アクア教諭は、校長室の分厚いドアを叩いて言う。室内からは、ポッター校長の声で

「お待ちしていました。早くお入り、ハシリウス君」

と返事がある。ハシリウスは、アクア教諭の後について校長室に入った。

「ハシリウスくん……」

校長室のソファには、目を真っ赤にはらしたアンジェラがいた。

「アンジェラお姉さん……」

ハシリウスは何と言っていいか分からなかった。ポッター校長が言う。

「ハシリウス君、このアンジェラ・ソールズベリーさんは、君にお願いがあって来られた。アンナ・ソールズベリーさんが行方不明になっていることは、もう君も知っているね?」

ハシリウスはうなずく。

「ハシリウスくん、アンナを助けて。私、あなたしかこんなことお願いできる人がいないの。お願い、アンナは私の可愛い妹なの。アンナのために生きてきたのに、アンナがいなくなるのは嫌なの」

アンジェラはそう言って取り乱す。ハシリウスはアンジェラの手を握り、力強く言った。

「アンジェラお姉さん、大丈夫です。アンナ女史は、僕が必ず救い出します。だから、お姉さんは家でアンナの好きなものでも作ってあげといてください」

「ハシリウスくん……」

アンジェラが少し落ち着きを取り戻した時、別の来客があった。

「校長先生、クリムゾン・グローリィという方が見えられていますが」

「何、クリムゾン君が? すぐお通ししなさい」

校長は、クリムゾンを呼び込んだが、その前に、アンジェラがクリムゾンの名を聞いてはっと顔を上げた。

「すみません、ポッター校長先生、こちらにハシリウス殿がいると聞きましたので……」

クリムゾンはそう言いながら校長室に入り、ソファに腰かけるアンジェラを見て絶句した。

「アンジェラ……」

「クリムゾン……」

二人は互いにそう言い合って、そのあとは続かない。クリムゾンが、

「アンジェラ、久しぶりだ。元気にしていたか?」

そう訊くと、アンジェラは

「3年前、父と母が亡くなりました」

という。クリムゾンは表情を曇らせて言う。

「そうか……知らなかった。苦労したな、アンジェラ……しかし、どうしてここに?」

「私の妹がさらわれました。それで、何とか助けていただこうと、ハシリウスくんを訪ねてきたのです」

アンジェラがハシリウスの方に顔を向けて言う。クリムゾンは明るい表情でアンジェラを励ました。

「そうか、私もハシリウス殿と一緒に今回の事件の解決に当たることにしている。君の妹さんは必ず助け出すから、あまり心配せずにいるといい」

「ありがとうございます。ハシリウスくんからもそう言ってもらいました。少し心が軽くなりました」


闇の月の13日、セントリウスは、王宮にエスメラルダ女王を訪ねていた。この国いちばんの賢者であるセントリウスは、エスメラルダ女王から篤い信頼を得ている。女王はセントリウスと話をすることを好んだ。それは、彼の知識が豊富で、女王自身教えられることが多かったこともあるが、セントリウスの孫であるハシリウスの活躍とも無縁ではない。

エスメラルダ女王は、彼女の愛娘・ソフィア内親王のハシリウスに対する恋心に気付いていた。ハシリウスという若者の出自、才能、性格は、ソフィアやお付きの者から聞く限りでは、内親王の婿として相応しいと感じている。女王自身は、ハシリウスをアカデミーで修業させ、王宮魔術師として採用したのち、ソフィアと結婚させて――魔力の消去を行わず――大賢人補佐としてこの国の運営に当たってもらおうという夢を描いていた。

「本日はどのような要件ですか? セントリウス猊下。ひょっとしたら、猊下のお孫さんと内親王の婚儀に関係することではないでしょうか?」

女王はセントリウスと話をするのに、正規の『謁見の間』ではなく、女王の私的空間にも近い『薔薇の間』を使った。こんなところにも、女王のセントリウスに対する好意が感じられる。

「ハシリウスが関係する話ではありますが……。もっと差し迫ったお話でございます」

セントリウスの答えに、女王は首を傾げる。

「私は私の娘の婿として、猊下のお孫さんであるハシリウス殿を所望いたしました。その話は立ち消えにはなっていないはずですね? ハシリウス殿が関係した話ではあるが、内親王との婚儀ではないというのですね? それも差し迫った……。猊下がそのような物言いをするということは、この国の安否に関係することですね?」

「御意。ペンドラゴン一族が陛下とお話しするとき、いつもこのような話ばかりで恐縮ですが、王都シュビーツの壊滅をたくらんでいる輩が跋扈しているとなれば、私も動かざるを得ません」

セントリウスの言葉に、女王は表情を固くする。

「王都シュビーツの壊滅……どのようなことでしょうか?」

「はい、陛下は『風の谷の火竜伝説』はご存知でしょうか?」

セントリウスの言葉に、女王はうなずく。

「知っています。火竜サランドラと大シュピルナール山の話でしたね?」

セントリウスもうなずいて言う。

「あの話を、実際のことにしようと『闇の使徒』たちが動いております。ここ何日かの乙女たちの失踪は、火竜の封印を解くためのものでした」

「なんと申します! では、火竜の封印を破るものが現れたと申すのですか?」

女王は驚きのあまり立ちあがって叫んだ。セントリウスは、そんな女王を落ち着かせるように、あくまで静かな声で続ける。

「残念ながら、『闇の使徒』たちは11人の乙女を手に入れました。こちらとしては11人の乙女たちという人質を取られたも同然です。しかし、彼らは明日の月食までは何もできません。月食の中で乙女たちの力を解放しなければ、封印は解けないからです」

「では、レギオンを月食前に差し向けましょう。乙女たちを救わなければなりません」

女王が言うのに、セントリウスはにこやかに言う。

「レギオンは、シュビーツの防衛にあてねばなりません。火竜が復活したら、市民を『風の谷』の外に逃がさねばなりませんから。それも整然とです。そのためには、レギオンが市民を守りつつ、風の谷からの退去を手助けしなければなりません」

「しかし、それでは火竜が復活してしまうし、乙女たちも救えません」

女王が言うのに、セントリウスは決然として言う。

「『闇の使徒』たちを撃破し、乙女たちを救い出すのは、御林軍の役目です。陛下、クリムゾン・グローリィに100ほどの手勢を率いらせれば、そちらは彼がやってのけるでしょう」

「……そうかもしれません。しかし、火竜が復活したら、なんとします?」

その言葉に、セントリウスはさらりと言ってのけた。

「陛下、火竜サランドラが復活しても、ハシリウスがおります。ハシリウスならば、きっとサランドラを封印するでしょう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

闇の月14日の夜が明けた。王都シュビーツはいつもの夜明けを迎えたが、いつもと違った部分もいくつかあった。

前日、『火竜の封印』についてセントリウスから話を聞いたエスメラルダ女王は、すぐさま極秘で緊急閣議を開いた。そして14日正午までに、『風の谷』の全住民を一斉に谷の外へ誘導する計画のもと、レギオンの緊急配置が行われた。

首都防衛の司令官であるマスター・アキレウスは、指揮下のレギオン1万人を、50人ずつの200分隊に分け、首都から各地域に延びる道路や首都の中の枢要な地域に配備し、住民の速やかな誘導にあてる準備をした。こちらは、レギオンの副司令であるバイスマスター・パトロクロスに任せていた。

マスター・アキレウスは、レギオンから選抜した勇士50名とともに、これも御林軍から選抜した50名を引き連れたクリムゾン・グローリィとともに、『風の丘』の近くに秘かに布陣していた。

アキレウスとクリムゾンは、秘かに自陣から偵察隊を出して、『風の丘』を探索しようとしたが、偵察隊は『風の丘』に入ることができないということが分かった。

「ある地点まで来ると、足を踏み出しても先に進まず、かえって後ろ向きになってしまうのです」

将校斥候に出された伍長がそう言って報告する。不思議に思ったアキレウスは、クリムゾンに相談することにした。

「不思議なこともあるもんだ。これでは敵の様子が分からん」

「おそらく、敵が『鏡面魔法』を使って結界を張っているのだろう。それにしても、その結界を破らんことには乙女たちを救い出すことはおろか、『風の丘』に行くことすらかなわんな」

アキレウスが嘆くように言うのに、クリムゾンはそう言った後続ける。

「しかし、最悪、『大君主』ハシリウス殿が丘への道を開いてくれるだろう。俺たちの出番は、その後だ。アキレウス、今日はお互い50ずつ同人数を率いている。どちらが先にストーンヘンジに行きつくか、競争だな」

「『大君主』ハシリウス?……ああ、あの少年か……」

アキレウスは、『ジョゼの平原』で、夜叉大将マルスルの軍2万を一瞬に消滅させたハシリウスの姿を思い出した。あの少年は、まだ子ども子どもしていたが、どこにあのような魔力を秘めているのだろうか?

「ところでクリムゾン……」

アキレウスが訊く。

「何だ? マスターシェフ・アキレウス」

クリムゾンの方が位は上と言っても、二人は親友であるし、アキレウスの方が年上でもある。クリムゾンは、丁寧に呼ぶときは、筆頭マスターであるアキレウスへの敬意を込めて、非公式な呼称ではあるが“マスターシェフ”と呼んでいた。

「話によると、伝説の火竜・サランドラが復活するかもしれないと聞く。もし復活してしまった場合、どうするのだ? 俺たちの手には負えまい」

「そのことか……」

クリムゾンは笑って、そして、

「そのためのハシリウス殿だ……」

そう言うと、丘の上を見つめた。


「ハシリウス、『風の丘』には鏡面結界が張ってあるぞ。このままではレギオンや御林軍が突入できない」

ギムナジウムの寮で軍装を整えていたハシリウスに、星将シリウスが顕現して言う。ハシリウスはにこやかに笑って、

「それくらいの備えがないと、かえってこちらは戸惑ってしまう。しかし、相手がそこまでしているのであれば、アンナたちは必ず『風の丘』にいる」

そう言うと、

「シリウス、みんなを寮の屋上に集めてくれ。作戦会議だ」

と言い、自分は空飛ぶマットと自分のホーキを持って屋上に向かった。

屋上に、ハシリウス、ジョゼ、ソフィア、そして星将シリウス、星将デネブ、星将トゥバン、星将アークトゥルス、星将ベテルギウス、星将プロキオンが勢ぞろいした。今回は、星将ベテルギウスとプロキオンが初顔合わせとなる。

「まず、作戦をアークトゥルスから聞く前に、ジョゼとソフィアに確認したい。今回の戦いは、ひょっとしたら帰れないかもしれない。そんな戦いに、君たちを連れて行っていいものかどうか、僕は正直、迷っている。だから、君たちが行きたくないというのであれば、来なくていい」

ハシリウスがそう言うと、ジョゼが怒ったような声で言う。いや、ジョゼにはすでに『太陽の乙女』ゾンネが発現していた。

「あのね、この子の気持ちは、ハシリウスの側にいて、ハシリウスの役に立ちたい――それだけよ。行くななんて言われる方が、この子は傷つくわ」

「それは私も同様です。しかも、アンナは私たちのクラスメイトじゃありませんか。私たちも作戦に加えてください。ハシリウス」

ソフィアにも『月の乙女』ルナが発現し、そう言う。

ハシリウスは二人を見つめて、笑って言う。

「分かった、ありがとう『日月の乙女たち』。僕は君たちを必ず守る」

ハシリウスの言葉に、ゾンネもルナも、頬を赤くする。

「さて、作戦だが」

星将アークトゥルスが、一同を見回して言った。


闇の月14日、午後8時。月はすっかり東の空に昇っている。

夜叉大将オルトスは、『風の丘』のストーンヘンジまでやって来た。ストーンヘンジは、中央に円錐形の要石があり、その周囲を円形に10本の柱が囲んでいる。

柱と柱の間には、巨石が積まれ、円陣を組んでいた。

その柱に、麗しき乙女たちが一人ずつ、裸にされて縛り付けられていた。彼女らは要石まで緩やかに傾斜してつながった石組にまたがらせられている。

オルトスは、円陣の様子を見て、満足そうにうなずくと、火竜の封印石と乙女たちをつなぐ『アンカー』であるアンナを振り返った。アンナはボーっとした表情でオルトスの後について円陣の中に入る。他の乙女たちと同様、アンナも一糸まとわぬ姿で、その胸には毒々しい模様が刻み付けられていた。

「アンカーの乙女よ、ここに座れ」

オルトスは、要石の大シュピルナール山側にあるでっぱりを指差す。ちょうど人一人が座れるだけの大きさに出っ張った部分は、不思議にも真ん中がくぼみ、そのくぼみから要石にかけて一筋の溝が掘られている。アンナはそこに素直に座った。すぐにオルトスがアンナを縛り付ける。

準備が終わると、オルトスは円陣から出て、ワラキアを呼んだ。

「ワラキア、人間たちの動きはどうだ?」

「ひっそりとしています。しかし、この岡はすでに囲まれているでしょう」

「そうか、しかし、結界の中には入れないであろう。人間風情がどれだけ頑張っても無駄なことだ」

あざ笑うオルトスに、ワラキアが言う。

「オルトス様、敵には『大君主』がいることをお忘れなく」

「分かっている。『大君主』が出てくれば、この剣の錆にしてくれるだけよ。それよりワラキア、ここから先はお前しかできぬ。女の力でないと目覚めないとは、少し悔しいが、頼んだぞ」

オルトスからそう言われたワラキアは、その整った顔を少し赤らめ、双眸に媚態を込めて言う。

「オルトス様……見事火竜が復活した暁には、その……」

「はっはっはっ、ワラキア、皆まで言わんでよい。私もそなたほどの美人であれば拒みはしない。見事火竜を復活させよ。さすればそなたの気のすむまで可愛がって進ぜるわ」

「は、はい……ありがたき幸せです」

顔を赤らめるワラキアを円陣の前に置き捨て、自軍へ向かうオルトスは、笑いを収めて月を見つめ、つぶやいた。

「よし、準備はできた。あとは月食を待つだけだ」


「ハシリウス、敵さんは準備が整ったようだ」

星将シリウスが、蛇矛を肩に担ぎながら言う。

「よし、では攻撃に入ろう。月食が始まったら、取り返しがつかないことになる。星将トゥバン、頼んだぞ」

ハシリウスが言うと、星将トゥバンは

「任してぇな、これくらいの結界、わてが破砕してやるからによって!」

そう言うと、自らの背より長い弓を肩から外し、長大な矢をつがえながら呪文を唱える。

「火の精霊フェンよ、女神アンナ・プルナのみ名において星将トゥバンが命じる。わがつがえし矢にその力を集結し、破魔の力となりて魔の結界を破砕せんことを……行けっ! “煉獄の猛火”!」

呪文の途中で、トゥバンが引き絞った弓と矢が白き炎を上げて燃え上がり始め、トゥバンの矢声とともに、破魔の力を込めた矢は、ビューンと唸りを挙げて飛んで行った。

「おおっ!」「凄い!」

麓で突撃態勢を作っていたアキレウスとクリムゾンの勇士たちは、口々にそうつぶやきを漏らした。

トゥバンの矢は、ワラキアの鏡面結界にぶち当たった。そのまま弾かれもせずに鏡面結界の中に侵透し、物凄い焔と光を挙げて弾け飛ぶ。ワラキアの鏡面結界はその衝撃で粉々に砕け散った。

「よし、突撃だ! 勇士たちよ、わが乙女たちを救えっ!」

おおーっ! 100人の勇士たちは、口々にそう言うと、『風の丘』へと突進して行った。


「くそっ! 鏡面結界が壊されたか……奴らを甘く見ていたな」

オルトスは、星将トゥバンの破魔矢により結界が破れたのを目の当たりにし、そうつぶやいたが、

「とにかく、月食が始まるまでは乙女たちは渡せん。全軍、迎え撃てっ! 奴らは弱い人間どもだ!」

オルトスの周囲に固まっていた2000の魔軍は、その言葉に奮い立った。

「フォイエル!」

アキレウスは全軍の先頭に立って突撃しながら、迫りくる魔軍に先制のフォイエルを放った。魔軍の中央で炸裂する。

「フレーメンヴェルファー!」

すぐ左を突撃するクリムゾンの軍から、クリムゾンの火焔放射が繰り出されている。こちらでも、魔軍に損害を与えつつあるようだ。

「ええい、踏ん張れ! 人間どもは100人内外だ。わが軍は2000もいる。包み込んで殲滅しろ!」

オルトスは剣を振って指揮する。その姿を見て、

「良き敵、推参!」

と、星将デネブが双刀を回して斬りつける。

「くっ!」

オルトスは辛うじてその刀を弾いた。

「待て、デネブ、そいつは俺にくれ!」

魔軍のど真ん中をぶち割って、星将シリウスと星将ベテルギウスが姿を現した。シリウスはいつもどおり蛇矛を回して雑魚をブッ飛ばしているし、ベテルギウスは自慢の『氷の剣』による目にも止まらぬ突き技を繰り出している。

「ハシリウス、早く乙女たちのもとへ行け!」

星将ベテルギウスがオルトスに突き掛かりながら言う。ハシリウスは星将トゥバンとともにやっと魔軍の海から抜け出してきた。

「分かった! 頼んだぞ、星将ベテルギウス」

ストーンヘンジへと駆け出すハシリウスに、そうはさせじと魔軍のモンスターたちが襲いかかる。それを、星将トゥバンが長弓で弾き倒し、突き倒し、隙を見ては矢を速射して援護する。

「へん! この星将トゥバン様の矢を止められるもんなら止めてみろ!」

「く、くそっ! ワラキア、少し早いが、火竜を召喚しろ! 早くしろ!」

オルトスは、月を見て月食が始まりかけていることを知ると、火竜召喚の儀式を早めることとした。どうせあと数時間で皆既月食となる。今からやっても火竜に声は届くだろう。

ワラキアはオルトスの声を聞くと、表情を引き締めた。そして、何やら呪文を唱えだす。呪文詠唱とともに彼女の身体は赤く燃え盛り始めた。

「火竜召喚! 『アンカーの乙女』よ、成すことを成せ! アンゾンネンフェンデン! トロイメライアンゾンネンイーバスリーネン! ウム・サランドラ!」

そう言うと、自らの右手をアンナの胸元に、左手を要石の頂点に向けた。


星将アークトゥルスは、星将プロキオンと『日月の乙女』たちを連れて、ハシリウスたちが突撃した場所とは反対側――大シュピルナール山側――の稜線にいた。ここからストーンヘンジまで約100メートルで、ハシリウスたちと魔軍の衝突はさらにそこから500メートルは下で起こっている。

「日月の乙女たちよ、ストーンヘンジの要石に延びる、乙女たちがまたがっているあの石組みが見えるか?」

星将アークトゥルスは、ゾンネとルナに、ストーンヘンジを指差しながら言う。

「ああ、よく見えるよ」

ゾンネが答える。

「あの石組みの上には、細い溝が掘ってある。奴らが火竜召喚を始めると、乙女たちの身体から処女の経血が絞り出される。その経血が溝を伝って要石にいたり、火竜を封印している要石の力を無効にする――そういうことだ」

星将アークトゥルスはこともなげに言うが、ジョゼのゾンネやソフィアのルナは、顔を赤くして聞いている。

「そこで、ルナは『アルテミスの弓』により石組の溝を矢で塞いでほしい。ゾンネは、『太陽のバリスタ』で要石の頂点にある丸い石――少し小さいが火竜の玉を弾き落としてほしい。経血が途絶え、火竜の玉がなければ、火竜の封印は破れない」

「分かった、やってみるよ」

「私もです」

太陽の乙女・ゾンネは、虚空から長大な弩弓を取り出し、これも長弓を取り出した月の乙女・ルナを見て言う。

「じゃ、やってみよう。準備はいいね? ソフィア」

「ええ、ジョゼ。大丈夫よ」

その時、ストーンヘンジの方で異変が起こった。ワラキアの身体が赤く燃え始め、その両手からアンナと要石へと火箭が伸びた。

星将アークトゥルスは、月を見てみた。端が少し欠け始めている。

「しまった! 奴らは少し召喚を早めたらしい。皆既月食はしていないが、火竜に声が届く可能性は高い。日月の乙女たちよ、急ぎ矢を放て! 血の流れを止めれば、あとはハシリウスと星将シリウスが何とかするだろう」

星将アークトゥルスの言葉で、ゾンネとルナは月を見て、次にストーンヘンジの向こう側を見た。ハシリウスが軍装を月の光にきらめかせてストーンヘンジへと走ってくる。あと400メートルはあるから、いかに俊足のハシリウスでも到着まで1分はかかるだろう。

「いくよっ! ソフィア」

「はい! ジョゼ」

二人はそれぞれの弓をぎりぎりまで引き絞り、ひょうと放った。

月の乙女・ルナが『アルテミスの弓』から放った矢は、10本の矢に分かれ、銀色の軌跡を引いて飛んでいく。

太陽の乙女・ゾンネが『太陽のバリスタ』で放った矢は、一条の金色の軌跡を引いて、まっすぐに要石を狙って飛んで行った。


「火竜サランドラよ、長きの眠りから目覚め、ここにその姿を顕現せよ!」

ワラキアの両手から、火箭がほとばしり、それはアンナの胸と要石の頂点にある『火竜の玉』に突き刺さった。

「うっ! うう~っ!」

火箭に刺されたアンナが、苦悶の声を上げたその途端、要石が禍々しく光り始め、その光がストーンヘンジの中に満ちる。光にふれた乙女たちは、

「あっ、ああ~っ!」

「えっ、う、う~ん!」

と、身が引き裂かれるような苦悶の表情を浮かべ、身もだえし始めた。すると、要石へとつながる組石の溝の中に、トロトロと何かが流れ始めた。

「く、うう~~~っ!」

その流れは、乙女の苦悶の声が大きくなればなるほど、大きくなっていく。

「きゃ~~~~っ! く、苦しい!」

最も強い苦しみを受けたのが、アンカーとして要石につながれたアンナである。アンナは、焦点が定まらない目で虚空を見つめ、その豊かな黒髪を乱しながら、苦痛にあえいでいる。

と、要石に、乙女たちの血の流れが到達した。とたん、要石はドクン、ドクンと鼓動をうち始める。要石から輝く光が、鼓動とともに大きく明るくなっていく。

「うう~~~~っ! い、いたあ~~~~い!」

乙女たちの声の中でも、アンナの苦悶の声が最も大きく響く。

「アンナ、今助けてやるぞ!」

ようやくストーンヘンジに到達したハシリウスが、神剣『ガイアス』を引き抜いて言う。それに、

「おっと、邪魔はさせないよ。可愛い『大君主』様」

と、ワラキアが斬りかかってきた。

「くっ!」

ハシリウスが『ガイアス』でワラキアの剣を防ぐ、しかし、ワラキアはなかなか剣がうまく、ハシリウスの方が少し押され気味だ。

「ハシリウス、そいつは俺に任せろ!」

星将シリウスがワラキアに突き掛かる。ワラキアはそれをよけた。

「アンナ、大丈夫か?」

ハシリウスがストーンヘンジに入ろうとしたが、

バチッ! 「うわっ!」

ハシリウスはストーンヘンジに満ちた禍々しい光に弾き飛ばされる。

「ハシリウス!」

星将シリウスが叫ぶ、ハシリウスは剣を振り上げて襲い掛かってきたワラキアを何とかよけた。

「ふっふっふっ……火竜サランドラの覚醒は、誰にも邪魔させないよ」

ワラキアがハシリウスと星将シリウスの前に立ちふさがって、そう言い放った時である。

ガキッ! ガキッ!

何かが石に食い込む鈍い音が連続して響き、そして、

カキーン!

低いが、澄んだ音が響き渡った。途端に、乙女たちの苦悶の声がぱたりとやみ、禍々しい光の輪がしぼんだ。『太陽のバリスタ』の矢が火竜の玉を突き刺し、『アルテミスの弓』の矢が10本の溝すべてに食い込んでいたのだ。

「なにっ!」

ワラキアがその変化に気づき、動揺した一瞬の隙を突き、星将シリウスの蛇矛が奔った。

「もらった!」

「ぐうええええ~~~っ!」

ワラキアは星将シリウスの蛇矛に心臓を刺し貫かれ、そのまま要石に縫い付けられた。星将シリウスが蛇矛を抜くと、おびただしい血を吹きだしながらゆっくりと頽れる。

「アンナ、大丈夫か、アンナ!」

ハシリウスは、要石につながれていたアンナの縄を切り離した。

「あ……」

アンナはゆっくりと目を開ける。そして、ニコリと笑った。

「ハシリウスくん……助けに来てくれると思っていました」

ハシリウスはアンナをゆっくりと立ちあがらせる。その太ももにさっと血が流れた。かなりの出血だ。本来の体調を変調させてまで、ワラキアは乙女たちの血を搾り取ろうとしたのだろう。

「ハシリウスくん……恥ずかしい……」

そう言えば、気が張っていたからそうでもなかったが、アンナは一糸まとわぬ姿だったのだ。ハシリウスは顔を赤くして、マントを脱ぎ、アンナに着せた。

「ハシリウス、早くお嬢さんたちを麓まで運べ。残りの夜叉大将は俺が料理する」

シリウスは、残り10人の乙女たちを解放すると、ハシリウスに向かって言う。ハシリウスはアンナを担いでサークルから出た、その時である。

「オルトス様! ワラキアは命を懸けて、ご命令に従います!」

地面に倒れていたワラキアが起き上がり、要石に寄りかかったまま、自らの首を刎ねた。

「!」「!」「ワラキア!」

オルトスが、星将デネブと星将ベテルギウスを相手に斬り結びながら叫ぶ。ワラキアの首を失った胴体は、ゆらゆらと揺れ、要石に鮮血を吹きつけながら地面に倒れた。

その時である、

『わが眠りを覚ますものは誰か!』

『風の丘』全体が激しい地響きに襲われた。かなり長い間、縦揺れが続き、大シュピルナール山の中腹にある大岩が、轟音と共に崩れ落ち、そこにぽっかりと穴が開いた。

声はその穴から聞こえる。

『わが眠りを覚ますものは誰か!』

「いかん、サランドラが目覚めた!」

星将アークトゥルスは、星将プロキオンとともに、ゾンネとルナの乙女たちを抱え、ハシリウスのところまで跳躍してきた。

「ハシリウス、あれは?」

ソフィアのルナが尋ねる。ハシリウスはアンナをジョゼのゾンネに任せ、神剣『ガイアス』を握り直した。

「ふははははは! ついに目覚めた! 人間どもよ、覚悟しろ! これでヘルヴェティア王国も終わりだ! はーっはっはっは!」

火竜サランドラの覚醒を見て、夜叉大将オルトスは哄笑した。しかし、

「黙れっ! “風の刃”!」

「ぐふっ!」

夜叉大将オルトスは、星将デネブの必殺技をもろに腹に食らい、くずおれたところを、

「死ねっ! “遁甲剣”!」

「ふげっ!」

星将ベテルギウスの必殺技を食らい、首と胴を離れ離れにされてしまった。

「ハシリウス、厄介なことになったな……」

星将シリウスは、大シュピルナール山の中腹から吹き出す妖気と、恐ろしく熱い火焔を見つめ、そうつぶやく。ハシリウスは目を細めて言った。少しずつ地面が揺れる間隔が短くなっていく。

「とにかく、レギオンと御林軍に、乙女たちを麓まで連れて行ってもらわないと。アイツの相手は、それからだ。シリウス、デネブ、クリムゾン様とアキレウス様に伝えてくれ。乙女たちを連れて町まで逃げてほしいと」

「分かった、しかしハシリウス、先に言っておく。アイツは倒せるモノではない。まず、封印することを考えるべきだ」

星将シリウスはそう言い、その場から消えた。


決の章 猛る火竜を眠らせろ


大シュピルナール山の鳴動が激しくなってきた。

『おお、800年ぶりだ! わが力は消えず。天空を翔け、コスモスへ飛翔せん!』

ずず……ずず……。

地の底をはいずるような音が響き渡る。それとともに、大シュピルナール山の中腹の穴が崩れ、大きくなっていく。

「ハシリウス……」「あれが……火竜ですか?」

神剣『ガイアス』を握りしめるハシリウスの後ろに、不安そうな顔で太陽の乙女・ゾンネと月の乙女・ルナが立っている。

「おお、もうすぐ地上だ」

火竜サランドラの声が響く。『闇の使徒』ワラキアは、自分の命と引き換えに火竜サランドラを目覚めさせてしまった。その火竜は、800年の眠りから覚め、今、その身を地上へと現わそうとしていた。

「ハシリウス、あれに飛び立たれたら最後だ。この地上どこにでも火の雨を降らし、すべての国々は燃え尽きてしまうだろう。あの穴から出る前に、釘付けにしなければならない。まずはそこから始めよう。封印はその後だ」

星将アークトゥルスが言う。ハシリウスはうなずいて、星将トゥバンに訊く。

「星将トゥバン、火竜をその弓であの穴に縫い付けることができるか?」

トゥバンは、少し考えて言った。

「竜も精霊の一種や。できへんことはないかもしれへんなあ。ただ、相手は物凄い力と魔力を持っているから、こちらの弓の力が勝てるかどうかは約束できへんよ」

「まずはやってみよう。やってみて無理なら、他の方法を考えればいい」

その言葉を聞いて、星将トゥバンはうなずいた。すぐさま場所を移動し、火竜が現れたら射るのに絶好の場所へと陣取った。ただし、こちらから好都合ということは、あちらにとっても好都合ということでもある。トゥバンはそう自分に言い聞かせ、弓に矢をつがえながら気を引き締める。

穴の中に、竜の頭が見え始めた。そして、竜はゆらゆらと穴から顔を出し、手を穴の縁にかけると、ゆっくりと上半身を穴から出した。大きい、想像はしていたが、その大きさは想像を超えていた。頭の角の先まで優に50メートルはあるだろう。

「ハシリウス!」

ゾンネとルナが恐怖の叫びをあげる。二人とも中身はジョゼとソフィアだ、それは仕方ない。

「トゥバン、頼む!」

「今やっ! “煉獄の猛火”!」

トゥバンは満月のように引き絞っていた弓を放った。トゥバンの魔力を乗せた矢は、一筋の閃光を引きながら火竜の左足太ももに突き刺さり、そのまま洞窟の壁に深く縫い付けた。

「ぐうえええ!」

火竜は突然の痛手に激昂し、トゥバンを見つけるとその口から火焔を吹きだした。トゥバンはあまりに素早い攻撃に、よける暇もなく、灼熱の火焔放射をもろに浴びてしまった。

「ぐわっ!」

火焔将であるトゥバンだったので消滅しないですんだが、それでもかなりのダメージを受けたのだろう、地面に叩きつけられるように落ちてきて、そのまま動かなくなった。

「トゥバン!」

星将シリウスたちがくすぶっているトゥバンに駆け寄る。幸い、まだ息はあるようだ。

「アークトゥルス、トゥバンを連れて天界に行ってくれ。ここは俺たちが何とかする」

星将シリウスが言うとアークトゥルスは首を振って言う。

「それは同じ火焔将であるお前の役目だ。火は水に弱い。幸い、私とベテルギウスとプロキオンは三人とも水将だ。私たちのヴェッサー・ストームが効くか試してみよう」

そう言うと、アークトゥルスたちは三手に分かれて、三方から同時に“ヴェッサー・ストーム”でサランドラを攻撃した。

「おおっ! 貴様らは12星将の水将たちか……。笑わせるな、その程度の攻撃ではわしの鱗一枚落とせるものか!」

火竜サランドラはせせら笑うと、灼熱の焔を辺り一面にまき散らした。

「ぐおっ!」

不幸にも星将プロキオンにその火球が当たり、プロキオンを火だるまにしてしまった。

「いかん、プロキオン! ヴェッサー・ヒール!」

すぐさまベテルギウスが“癒しの水魔法”を使って火を消しにかかる。何とか火を消し、プロキオンは一命を取り留めた。

「くそっ、アークトゥルスとデネブ、すぐにプロキオンとトゥバンを連れて逃げろ!」

星将シリウスが蛇矛で火球を跳ね飛ばしながら言う。

「きゃっ!」

月の乙女・ルナに火球が当たりそうになったが、

「ルナ! 危ない! 出でよゾンネンツヴァイヘンダー!」

太陽の乙女・ゾンネが、大野太刀のような剣を取り出すと、それで火球を跳ね飛ばす。

「くそっ! 光の精霊リヒトよ、国土の礎として封印せし火竜を再び眠りにつかしめるため、女神アンナ・プルナの名においてハシリウスが命じる。“光の剣”イム・ルフト!」

ハシリウスの“光の剣”が火竜サランドラを捉えた。しかし、サランドラは少し動きが鈍くなっただけで、ハシリウスの光の呪縛をやすやすと外した。

「くふぁははは! この程度ではわしに勝てぬぞ! おととい来い」

そう言うと、サランドラはハシリウス目がけて火焔を吹きだした。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

御林軍とレギオンは、無事に乙女たちを連れて町まで退避した。

「アンナ! アンナ! よかった、無事で」

アンジェラ・ソールズベリーが、御林軍の隊列の中にアンナを見つけて駆け寄る。

「アンジェラ、アンナ嬢はかなり体力を消耗している。早く連れて帰って、温かい食べ物を食べさせることだ」

クリムゾンがそう言うと、アンジェラは目を潤ませて言う。

「ありがとうございます。アンナを救っていただいて……そして、またあなたと会えるなんて……」

クリムゾンは目を細めて言う。

「お礼は、ハシリウス殿に言ってほしい。我々はただ雑魚のモンスターたちと戯れていただけだ」

「ハシリウスくんたちは、どうしましたか?」

アンジェラがそう言ったその時、ズズーンという地響きがして、激しい地震が王都シュビーツを襲った。アンジェラは思わずアンナを抱きしめて地面に伏せた。

激しい縦揺れで、大きな地鳴りとともに建物が崩壊する音も聞こえる。地面はひび割れて、あちらこちらが隆起する。

縦揺れが収まった後、アンジェラが気が付くと、二人を守ってくれていたのだろう、クリムゾンはあの激しい揺れの中、体勢も崩さずに二人を見守るようにして立っていた。

「何でしょう、すごい揺れでした……」

アンジェラがそう言った。長い時間が過ぎたと思われたが、実際はそうでもないらしい。しかし、あちらこちらでは建物が崩壊し、多くの市民たちが道路に飛び出して騒いでいた。

クリムゾンがゆっくりと大シュピルナール山の中腹を指差す。アンジェラが見てみると、ちょうど大岩が崩落していくところだった。遠目で見ると、音が後から聞こえてくるだけに映画のスローモーションみたいに見える。

転がり落ちた大岩は、湖に大きな飛沫を挙げて落ちた。ドドドド……ドバシャーンという音は、あとから圧倒的な質量で二人の耳に届いた。

「大シュピルナール山が噴火するぞ!」

市民の中から、そんな声がした。すると、その噂はたちまち市内を駆け巡り、市民たちにパニックを巻き起こし始めた。

「いかん、このままではパニックになる」

クリムゾンはそう思い、アンジェラとアンナを連れて、御林軍の宿営に戻ると、

「いいかアンジェラ、ここならば大丈夫だ。私を信じて、私の帰りをここで待て。私はレギオン司令に市内の統制をお願いしに行く。御林軍の当番が何か聞いたら、この証明書を見せろ。何も言わずにここにおいていてくれるはずだ」


「噴火するぞ!」「シュビーツが溶岩に埋まる!」

そう言う噂とともに、

「火竜サランドラの復活だ! この世は“火と闇の13日間”を繰り返すのじゃ!」

という声も、市民の中に広がり始めた。

「このままでは、王都は収拾し難い混乱に陥ってしまいます。大賢人殿、何とかしなければ」

緊急閣議の間で、筆頭ロードであるネストルがそう、口を開いた。大賢人ゼイウスはその隻眼に力を込めて、大元帥カイザリオンを見る。カイザリオンはうなずいて発言した。

「全レギオンには緊急事態を伝えています。辺境の守りを固くし、王都からの命令のあるなしに関わらず、不穏な動きには軍団長の独断で行動してよい旨を通達しました。また、王都を守護している軍団については、軍団長のアキレウスがすでに市民を安全に避難させるために手を打っています。先ほど、避難開始勧告を出すように指令しました」

「魔術寮には、全王宮魔術師を挙げて、王宮と首都を守護する結界魔法を発動するように命令していますが、万一の場合は『蒼の湖』へと避難されるよう、セントリウス猊下から要請が来ています」

大賢人ゼイウスがエスメラルダ女王に言う。女王は微笑んで、

「大賢人よ、まずは王都の住民を無事に保護するように。私の身を心配するのは、王宮魔術師たちの結界が破れてからでも遅くはない」

そう毅然として言うと、さらに、動揺している臣下に向かって言う。

「皆の者、今、『風の谷』は古今未曾有の危機に直面しています。しかし、『風の丘』では『大君主』ハシリウス殿が、火竜サランドラを封印すべく戦ってくれています。ハシリウス殿はまだ16歳、ギムナジウムで青春を謳歌していていい年頃なのに、このような危険な目に率先して当たってくれていることに感謝しています。私は、彼の力と働きを信じたい……。皆も、ハシリウス殿に負けぬ忠誠と能力の持ち主ばかりです。それぞれの任務をしっかりと果たし、国民を守り抜くために最後まで努力してくれることを期待しています」

エスメラルダ女王の言葉が終わると、大賢人・大元帥をはじめとする臣下たちの表情が変わった。それまでどことなくおどおどしていた者にも、どのようにして逃げ出そうかと内心考えていた者にも、女王陛下の期待に背くまいとする決意が顔に表れた。

「皆、陛下の期待に背くまいぞ! それぞれの任務をしっかりと果たせ!」

大賢人ゼイウスの号令一下、ヘルヴェティア王国の中枢機能が復活し、『国民を守る』という目的に向かって回転し始めた。


「生徒たちは、中庭に集合!」

王立ギムナジウムの学生寮では、ポッター校長とポピンズ副校長がそう生徒たちに号令を下した。

「生徒会長! 生徒隊を集合させなさい!」

3年担任のイェーガー教諭が号令すると、パリス・フグ生徒会長がみんなの前に立ち、

「各学年委員長、生徒隊を区分通りに並べろ!」

と言い、それからハッと気付いて、

「2年生は、アマデウス・シューバートが学年委員長代理として学年を統括しろ!」

と付け加えた。

パリスは、2年生の中に学年委員長であるジョゼも、副委員長であるソフィアもいないことを見て取ったのだ。寮運営委員会の2年生幹事であるハシリウスは、こんな場合は当然いない。だから、寮委員会の2年生副幹事のアマデウスに白羽の矢が立つのは、ある意味当然だった。

生徒隊が集合したところで、ポッター校長が全員に驚くべきことを告げた。

「生徒諸君、知ってのとおり、国は非常事態宣言を出した。『風の丘』に封印してあった火竜が、何者かの手によって封印を解かれた」

ざわざわざわ……生徒たちに驚きのざわめきが広がる。

「……火竜サランドラは、この国が出来上がる前には、“火と闇の13日間”に象徴されるように、世界全土を灼熱の焔で焼き尽くした怪物だ。それを、ヴィクトリウス猊下が封印された……おとぎ話と思っていたことが、実際に起こってしまったのだ」

校長は皆の顔を見つめながら言う。

「わがギムナジウム所属のハシリウス・ペンドラゴン君が、今現在、火竜サランドラを封印すべく戦っているとの知らせが、王宮から届いた」

生徒たちのざわめきがひどくなる。女子の中には、早くもハシリウスを心配して涙を流す生徒も現れた。ハシリウスの“大親友”をもって任ずるアマデウスにしても、

――相手が悪い。ハシリウス、無事でいろよ……。

そう祈るのが精いっぱいだった。

「しかし、ハシリウスくんは別として、私は君たち生徒諸君の安全を、国から託されている立場にある。したがって、君たち一人一人の安全を確保するため、生徒隊単位ですぐに王都から避難することを命じます。避難先はフローラルヴァルデンの王立ギムナジウム附属シュールとします。今からすぐ、避難経路を生徒隊単位で話し合い、魔法を使える生徒は使えない生徒を助けて、迅速に避難するように。以上です」

ざわざわざわ……生徒たちのざわめきは収まらない。生徒会長のパリスも、何か言いたげである。アマデウスは手を挙げて言った。

「こーちょー!」

「何ですか、アマデウスくん」

担任のアクア教諭が言う。全員がアマデウスを注目した。

「先生、俺、確かにハシリウスから、早く逃げろと言われました。でも、俺、ハシリウスを置いて逃げることなんてできません。俺たち、確かにまだ魔法は十分に使えないけれど、王都の住民たちを避難させる役目とか、魔法が得意な奴は結界を張る役目とか、何かできると思うんです。ハシリウスが頑張っているのに、俺は、それに胡坐をかいて自分だけの安全を図ることなんてできません。先生、俺たちにも何かやらせてください!」

アマデウスがそう言う。アクア教諭が何か言おうとした時、

「僕も、アマデウスくんの意見に賛成です」

と、パリス生徒会長が手を挙げてつづけた。

「私たち王立ギムナジウムの修習生は、将来、この国の政治や経済、軍事を背負って立つエリートになることを期待されています。だからこそ、州立ギムナジウムと違って授業料が免除されています。私たちは学生ですが、並みの学生ではありません。国民の皆さんから期待されているのです。先生、魔法ができない生徒はレギオンの指揮下で避難民の誘導を、魔法が得意な生徒は結界魔法への参加を許可してください」

「そうだよ、何かやらせてください」

「校長先生、お願いします!」

他の生徒たちが口々にそう叫ぶのを、ポッター校長は感激の面持ちで眺めていた。そして、

「……分かりました。それでは私が校長としての責任において命じます。魔法ができる生徒は、私とともに王宮に来なさい。魔法ができない生徒は、ポピンズ副校長、イェーガー教諭、クラウゼ教諭、アクア教諭他担任教諭の引率により、避難民の誘導を行ってください。ただし、避難民誘導はレギオンが行っていない場所で、『風の谷』の出口に当たるところで行うように。レギオンの邪魔になりますから市内では行ってはいけません。いいですね?」

はーいと生徒たちが喜びの声を上げる。ポッター校長はさらに続けた。

「身の安全を第一に考えて、くれぐれも無茶しないように。それから避難命令が出たら、必ずそれに従って、フローラルヴァルデンに避難してください」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

『王都の皆さんにお知らせします。政府は、皆さんに王都からの避難勧告を出しました。皆さん、最寄りのレギオン部隊の指示に従って、整然と退避してください……繰り返します、王都の皆さんに……』

シュビーツの町の上を、拡声器を持ってホーキに乗った政府の役人が告げて回っている。

「B1区画の皆さんは、A26ブロックまで退避します。A26区画に到着したら、次の命令を待ってください。大丈夫、まだ間に合います。慌てずに移動してください」

各地区では、アキレウス軍団の兵士たちが、群衆に移動先を段階的に明示することによって統制を保っていた。さすがに事前に計画を練っていただけあって、退避は整然と行われ、今のところパニックが起こった形跡はない。

「赤ちゃんがいるお母さんや、お年寄りを先に退避させてください。赤ちゃんがミルクを欲しがった場合は、遠慮せずにレギオンの隊長に申し出てください」

「各分隊長は、現状を遅滞なく中隊長に伝達せよ。分隊で判断に迷った場合は、レギオン命令に従って中隊長が独断専行せよ」

「混乱に乗じて窃盗を行うものがいれば、現行犯の場合はその場で処断してよろしい。ただし、分隊長の判断によること」

アキレウス軍団長は、空飛ぶマットで空中から避難民の流れを見ており、何か混乱が起きている場所には直ちに着地して、自身でその処理を即決した。おかげで避難は整然と行われ、100万を超える人口を抱える王都シュビーツからの退避は、あと1日もあれば完了しそうだった。

「さすがアキレウスだな」

王宮では大賢人が大元帥にそう言って感嘆していた。

「そうですね。あとは、ハシリウス殿の力に期待しましょう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

ハシリウスの“光の剣”の呪縛を破った火竜サランドラは、

「その程度の力でわしを封印できるか!」

と、ハシリウスに向かって火焔を吹きだした。

「ハシリウス! 危ない! ゾンネンブルーメ!」

ハシリウスの前に太陽の乙女・ゾンネが立ちふさがり、ゾンネンブルーメのシールドを張った。

ドドン!

大きな音と火焔、そして煙を噴き上げて、サランドラの火球はゾンネンブルーメにぶつかって破砕される。しかし、その衝撃までは受け止められなかった。

「うわっ!」

ジョゼのゾンネは、ものの見事に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられて気を失ってしまった。気を失ったため、太陽の乙女とのシンクロが切れ、もとのジョゼに戻ってしまう。

「人間どもめ、覚悟しろ!」

サランドラが火球をジョゼに向かって放った。

「ジョゼ!」「ジョゼ! ソフィア!」

ジョゼをかばった月の乙女・ルナの前に、ハシリウスが立ちふさがった。そして、

「神剣『ガイアス』よ、かの悪しき火球を破砕せよ!」

ハシリウスはサランドラの火球を神剣『ガイアス』で受け止める。

「くおお……でいっ!」

ハシリウスは見事に火球を斬り払った。しかし、それだけでかなりの魔力を使っている。ハシリウスの息が上がって来た。

「ふん、小僧。なかなかやるな……しかし、これで最後だ」

ハシリウスは、サランドラが特大の火球を胸の前で作るのを見て、月の乙女・ルナに叫んだ。

「ソフィア、ジョゼを連れて逃げろ!」

「えっ!? で、でも……」

「でももくそもない! 早く逃げろ! でないと、俺、あいつの火球をまともに受けてやるぞ!」

「そ、そんな……。分かりました」

ルナは、気絶しているジョゼを抱えると、ふわりと地面を蹴った。

その挙動があと1秒遅れていれば、ジョゼの命はなかったろう。いや、ルナの命もどうだったか怪しい。なにしろ、ルナが飛び上がった次の瞬間、ハシリウス目がけて放たれた火球が、そこで爆発したのだから……。

「うわ――――――っ!」

「きゃっ!」

ルナは、爆発に足を取られ、もんどりうって地面に叩きつけられ、そのまま気絶してしまった。ルナもシンクロが切れ、ジョゼとソフィアは折り重なって倒れている。

ハシリウスの方は、神剣『ガイアス』で火球を辛うじて受け止めた。そのため直撃は免れたが、その後の爆風をもろにかぶってしまい、10メートルほどふっとばされて地面に叩きつけられた。

「ぐっ……」

「ハシリウス! ベテルギウス、デネブ、『日月の乙女たち』を頼む!」

星将シリウスは、サランドラが止めの火球をハシリウスに放とうとしているのを見て、仲間の星将にそう叫んだ。すでに星将もトゥバンとプロキオンが傷つき、アークトゥルスは彼らを連れて天界へ去った。ベテルギウスとデネブも連戦に疲れが見え始めている。ここは俺が踏ん張るしかない。大君主よ、俺たちが踏ん張らないといけないぞ!

「死ねっ、小僧!」

サランドラが放った特大の火球を、

「そうはいくか!」

と、星将シリウスが受け止めた。その蛇矛を水車のように回し、火球をズタズタに切り刻む。

「シリウス……」

ようやく気が付いたハシリウスが、ぼんやりとそう言う。星将シリウスは、そんなハシリウスにはっぱをかけた。

「『大君主』よ、よく見ろ。アイツの左足を縫い付けているトゥバンの矢が外れそうだ。あれが外れると、俺たちも手が出せなくなる。俺がしばらく、アイツを足止めしておくから、その間にアイツを封印しろ」

「ふ、封印しろって言ったって……」

ハシリウスが戸惑いながら言う。そんなハシリウスを見て、星将シリウスは怒った声で言う。

「ハシリウス、俺はお前を小さい時から見ていた。お前の魔力はアイツ程度が封印できないほどのチャチなものではない! セントリウスの言葉を想い出せ! お前はセントリウスの後を継ぐ、本物の星読師だろうが! いいか、ハシリウス、5分が限度だ。5分の間は、俺がたとえ消滅しようが責任もってアイツを足止めしてやる。いいか!」

星将シリウスはそう言うと、キッとサランドラを睨みつけた。そして、

「サランドラ、貴様とオレ様の火焔、どちらが上物か、調べてやろう」

そう言うと、蛇矛を虚空に投げ上げた。蛇矛は吸い込まれるように消え、その瞬間、星将シリウスの身体はまぶしいくらいの青白き光を放ち始めた。

「ぐおっ! せ、星将シリウス、き、貴様、またもわしに楯突くか!」

サランドラも赤き光を放ち始める。その赤き光が弾けようとした瞬間、星将シリウスの青白き炎が炸裂した。

「食らえっ!“煉獄の業火”!」

「ぐわあああああ!……ま、負けぬぞ、星将如き人間の下風に立つ神の出来損ないに、わしが負けるはずがない! おおおおお!」

サランドラは渾身の魔力を振り絞って対抗する。それを見て星将シリウスはニヤリと笑った。

「ふん、そう来なくちゃ面白くない。では、これでどうだ!“滅亡の業火”!」

「きゅわわわ……ぐ、ぐばっ……」

サランドラがその目を白黒し始めた。これは効いている。星将シリウスの光が、透き通るくらいの白に変わる。シリウスも最高の魔力を振り絞り始めたのだ。

「シリウス!」

星将デネブが叫ぶ。そして、ハシリウスに向かって言う。

「ハシリウス、アイツは、シリウスの奴は、ここで消滅するつもりだよ! “滅亡の業火”は、アイツの命をギリギリまで削る技だ。アイツは3分しか持たないよ!」

ハシリウスは、神剣『ガイアス』につかまり、やっとその身を持ち上げた。目の前では星将シリウスが悲壮な決意で火竜サランドラを火焔の磔にかけている。何とかやつを封じないと!

その時、ハシリウスの意識が拡散し始めた。いけない、ここで気を失っては……ハシリウスはそう思ったが、その時、ハシリウスの脳裏にセントリウスの言葉が響いた。

――うむ、星自体にも意識がある、とわしは思っている。わしは、いつも大意識と星の意識、そして自分自身の意識の三者が、どのような高みで接しているのかを読み取りたいと心がけながら星を読むことにしている。大意識はわしらが星を読むときに漠然と心の中に入って来るあの不思議な感じじゃ。星の意識はもっと鮮明に感じる。それは28神人の声でもあるからのう。そして自分自身の意識、これが最も感じやすいが、同時に星を読むときに最も邪魔になるものでもある。自意識をどれだけ押さえながら大意識を感じるか……これは星読師の終生のテーマではなかろうかとも思うのじゃ。

――ハシリウス、見えなくても、そこにあることを感じることはできる。それがわれらの知覚じゃ。

――星の心を感じるのじゃ。風の息吹を感じ、日の暖かさを感じ、闇の静けさを感じるように、人の心の動きを見るように。大して難しいわけではない。心を素直に、透明にできるかじゃ。それができれば、そなたは本物の『大君主』として踏み出すことじゃろう。

「心を素直に……透明に……」

ハシリウスは眼を閉じた。星将シリウスの雄叫びも、サランドラのうめき声も、そして星将デネブの声も聞こえなくなる。その脳裏には、故郷ウーリヴァルデンの野原や、星将シリウスの笑い顔、ソフィアとジョゼの笑顔が浮かんで消えた。

「ハシリウス……」

星将デネブは、ハシリウスの顔に豊かな静けさが浮かんでいるのを見て、それ以上話しかけるのをためらった。ハシリウスは、今、本物の星読師として覚醒しようとしている! デネブはその瞬間に賭けたのだ。

――シリウス、もう少し頑張れよ。あんたのハシリウスが、もうすぐ目覚めるよ。

「ふっふっふっ……星将シリウスよ、貴様の小僧は手も足も出ないようだの……ぐわっ!」

サランドラが言うのに、シリウスは不敵な笑みを浮かべて言う。

「へっ、貴様の節穴ではそう見えるか……それじゃ、俺たちの勝ちだな」


「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

ハシリウスは、呪文を唱える。唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動……。

「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しき災いを封じさせ給え……」

ハシリウスは、神剣『ガイアス』を抜いた。『ガイアス』には星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神が北へ動きたまえ!」

ハシリウスが神剣『ガイアス』を北に振る。それに伴い、夜空の星の配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

ハシリウスが目を開ける。目の前に、火竜サランドラの姿が見える。サランドラはすでに、28神人の網の中だ。

「星々の意志を受けて、我、ここにあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、“星の呪縛”!」

ハシリウスの声が天空に響く、すると、28神人が寄る星々から金の鎖が伸び、火竜サランドラをからめ取り始めた。

「ぐっ! な、何だこれは?……こ、小僧、きさま……」

サランドラは身体の自由を完全に失った、それを見て、星将シリウスはニヤリと笑い、

「ふっ……星読師よ……目覚めたな」

そうつぶやくと地面へと落下した。

「シリウス!」

落ちてくるシリウスを、星将デネブが受け止める。そして、気を失ったシリウスに顔をすりつけて言う。

「シリウス、あんた、バカだよ。こうまでしなくたって、アイツは目覚めたのに……。あんた、バカだよ……」

火竜サランドラは見た、神剣『ガイアス』を立て、自分を見つめる小僧――しかし、それはすでに先ほどまでの小僧ではなかった。サランドラはその顔に見覚えがあった。アイツは、アイツは……。

「き、貴様、星読師ヴィクトリウス!」

サランドラが叫んだ瞬間、ハシリウスの澄んだ声が響いた。

「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣……”」

その声に応じたように、星々から神剣『ガイアス』に光が伸びた。

「や、やめてくれ!」

火竜サランドラの声を無視するように、ハシリウスの声が響いた。

「“星々の剣、大地の刃”!」

その声とともに、ハシリウスは『ガイアス』を振り下ろした。神剣『ガイアス』は、星々の光をまとい、火竜サランドラを脳天から唐竹割にした。

「ぐへえっ!」

その瞬間、大シュピルナール山の麓は、目もくらむような光に覆われた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

「ふう……」

ジョゼは、ギムナジウムの中庭で、ベンチに座ってため息をついた。せっかくのお弁当にもあまり箸をつけていない。

「ジョゼ、どうしたの? 元気ないじゃない?」

隣に座った長い黒髪の少女が、少し冷たい声で訊く。ジョゼは我に返って言う。

「うん、元気だよ。大丈夫。ありがと、アンナ」

「嘘、さっきからため息ばかりついて、全然ご飯も食べてないじゃない」

「ジョゼが元気がないと、私たちもつまらないのですぅ↓」

くりくりとした瞳を潤ませて、もう一人の友だち、ライム・グリーンが言う。

「今日はハシリウスくんのめでたい叙任式なんだから、そんなしけた顔していちゃだめよ」

アンナが言うのに、ジョゼがつぶやく。

「それが嫌なんだよ……ハシリウスが貴族だなんて、もう、ボクたちと一緒に学校に来られないじゃないか……」

ハシリウスは、『火竜・サランドラ』封印に多大な貢献があったとして、闇の月17日の月曜日を期して、貴族に列せられることになったのである。階級は『リッター』で、準男爵ということらしい。貴族としては下級ではあるが、その後は『フライヘル(男爵)』『マルクグラーフ(辺境伯・子爵)』『グラーフ(伯爵)』……と、ハシリウスの能力なら順調に昇進していくだろうと噂されている。

しかし、貴族になったら、何かとうるさい規則もあり、王立ギムナジウムの学生寮も今の一般棟ではなく、貴族専用の棟に移らねばならない。そうなったら、今までのようにジョゼが気軽に遊びに行けるものではないし、ハシリウスも気軽に夜遅くに遊びに来ることもできないだろう。

それどころか、アカデミーがハシリウスを欲しがっており、貴族叙任を機に正式にハシリウスをアカデミー学生に受け入れたい旨、ポッター校長にアカデミーのセネカ学長から申し入れがあったという噂も流れていた。セネカ学長は魔術師一覧では第3位の賢者であり、ポッター校長の先生でもあるので、これは受け入れられるだろうとの観測が支配的だった。

「何言っているのよ、ジョゼったら……私は嬉しいわ。私を助けてくれたハシリウスくんが、貴族に叙任されるなんて。彼と結婚する子がいたら、その子はもう一生左団扇よ。こ~んなまたとないチャンスないじゃない!」

「だ、誰がアイツと結婚するんだよ! そ、そんな、結婚だなんて……順番飛ばしすぎだよ」

ジョゼが赤くなって言うのに、アンナは意地悪く突っ込む。

「あら? ジョゼフィンさんはハシリウスくんのことアウト・オブ・眼中? じゃ、私がお嫁にもらってもらおうかしら。だって、彼にはヌードも見られたし……」

「アンナみたいにスタイル良ければ、私だってハシリウスくんにはヌード見せてもいいのですぅ❤」

ライムがまぜっかえすのに、ジョゼははあっとため息をつき、

「今回は、ボクはハシリウスの足を引っ張ってばかりだった。ハシリウスに危ない目も遭わせたし……。ハシリウスのことを考えたら、アカデミーに行った方がいいってことは分かっているんだけど……」

そう言うと、後ろから声がした。

「分かっているんだけど……?」

アンナとライムは、はっと後ろを見た。ここにはいないはずのハシリウスが笑っているのを見てびっくりする。ハシリウスは人差し指を唇に当てる。アンナとライムは目で笑って了解した。ジョゼは気づかずに続ける。

「分かっているんだけど……寂しいんだ。今までアイツとソフィアと一緒にいたのに、アイツだけどんどん先に行っちゃって……ボクが一人置いて行かれるみたいで……」

「ジョゼはハシリウスくんのこと、どう思っているの?」

アンナが訊く。ジョゼは顔を赤くして言う。

「い、言えないよ……ボクにも解らない」

「ハシリウスくんのこと、愛しちゃってるんじゃないの?」

アンナの言葉に、ジョゼはふるふると首を振る。

「わかんないよ……でも、そうかな……だからアイツのこと、こんなに気になるのかな? でも、あ、愛してるってアイツに伝えても、きっとアイツ、困るだけだろうね……。アイツにはソフィアがいるし……」

「そうか、ジョゼは僕のこと、愛しちゃってるんだ……」

ハシリウスが思わずそう言った。それを聞いて、ジョゼははっとして振り返る。

「よっ♪ ジョゼ、具合はどうだい?」

ハシリウスがにこやかにジョゼに笑いかけている。ジョゼはみるみる真っ赤になりながら言う。

「は、ハシリウス! どうしたの? 叙任式は? こんなとこいていいの?」

「ああ、あれ……」

ハシリウスはイタズラっぽく笑って、

「断った」

「断ったあ!?」「えー!?」「もったいなーい!」

ジョゼとアンナとライムが同時に叫ぶ。ハシリウスはニコニコして言う。

「……正確な言い方をすれば、僕がアカデミーに入った時点でリッターとして叙任していただくことにした。まだ僕はギムナジウムの修習生だから、そんな堅苦しい肩書はいらないよ。今だって『王宮魔術師補』って肩書き持ってんだから。あまり役立たないけど」

「そ、そうなんだ……キミって変わっているねえ。せっかく女王様やソフィアが待ちかねているのに、貴族の称号を後回しにするなんて」

ジョゼが少し安心したように言う。ハシリウスはニコニコして、

「だって、貴族になっちゃったら、ジョゼの寝顔を見に女子寮に忍んで行くなんてことができないじゃんか」

「なっ!」「え? そうなんだあ❤」「ひゅーひゅー❤」

赤くなるジョゼを、アンナとライムが冷やかす。ハシリウスは調子に乗って言う。

「と、言うことで、僕はまだ、王立ギムナジウム所属で、ジョゼフィンちゃんの恋人、ハシリウス・ペンドラゴンくんです。よろしく❤」

「だ、誰が恋人かぁ~っ!(汗)」

ジョゼが叫ぶのに、ハシリウスはにこやかに言う。アンナとライムはジョゼの顔を見て、互いに頷くとゆっくりと席を立った。

「え? ジョゼは僕のこと愛しちゃってるって言ってたじゃん」

「うぅぅ~~~フォイエル!」

「ぐわっ!」

くすぶってるハシリウスに、ジョゼは、

「だ、だ、誰が『愛しちゃってる』よ! ぼ、ぼ、ボクは別にキミがいてもいなくても……やっぱり構うけど……と、とにかくっ! そんなんじゃないんだからねっ!」

そう言うと、すたすたと歩いていく。10歩ほど歩いて立ち止まり、ゆっくりハシリウスを振り返って、笑って言った。

「キミとの腐れ縁がまだまだ続くなんて気が重いけど、でも、ありがとハシリウス、残ってくれて」

そう言うと、足取りも軽く校舎へと消えて行った。

ハシリウスはやっと身体を起こして、縮れた栗色の毛を気にしながらぼやく。

「何だってンだよ、もう……アイツの気持ちこそ、さっぱりわからないじゃんか」

それを聞いて、アンナとライムはくすくす笑って言う。

「ねえ、ハシリウスくん、これでジョゼの気持ちが分からないなんて、やっぱりあなた、『ニブチン小僧』だわ」

「そうですよ、や~い、『ニブチン小僧』~❤」

ハシリウスは、笑いながらジョゼの後を追っていく二人の背中につぶやいた。

「僕だって、ジョゼはひょっとしたら僕のこと好きかもしれないって思ってるんだ……だから『ジョゼの恋人』って言ってあげたのに……オンナノコの心って、やっぱり不思議だ……」

そう言いながら、ずっと首をひねっているハシリウスだった。

【第3巻 終了】

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