nightlover-Circus (4)
「おや、お腹でも減ったのかい? 丁度フィレナントが夕飯作ってるよ」
「え? あ、えっと、」
アルヴィが羽織っていたシャツのボタンを絞めて、恐る恐るベッドのカーテンを開けると、思ったよりも広く快適そうな空間が広がっていた。黒と青を基調とした車内は、ソファやテーブルだけでなく、キッチンまである。しかし生活感や利便性よりは、デザイン重視のインテリアが目立っていた。
そこにはキッチンに立つフィレナントの他に、良く見えないが運転している男、そしてソファでノートパソコンを弄っているブロンドの幼い少女の隣に座っている先程の黒髪の少女が、厚い本から顔を上げてアルヴィに声をかけた。彼女たちの向かい側と、そのはす向かいの二人掛けのソファには誰も座っていない。四人しか居ないのに、ソファは何故か六人分もある。
ブロンドの少女はアルヴィに目を向けたが、すぐにぷいと素っ気なく逸らしてしまう。他人の冷淡な態度は慣れたものだが、十歳ちょっとに見える少女にまでそうされると、少しだけ心が痛んだ。
「ほら、座ったら? 狭いところだけれど」
黒髪の少女に促される。動くと傷が痛むが我慢して、戸惑いながらもゆっくり――迷ったが、彼女達の向かい側では無く、はす向かいにある一人掛けの黒いソファに座った。
「……団長が助けるなんて。 どういう風の吹き回しなのかしら?」
ブロンドの少女がパソコンに目を向けたままに、黒髪の少女に問いかけた。容姿の割に、口調も声も大人びているように感じる。
黒髪の少女は、おどける様に笑った。
「やだなぁ、僕を冷徹人間みたいに。 たまたには人助けくらいするさ」
「ついでに撃たれたんだがな」
「しつこい男は、嫌われるよ」
悪びれもしない少女にアルヴィがせめてもの意趣返しをすると、少女はクスリと笑って言う。その細められた瞳は、「どうせろくに女性経験も無いのだろう」とでも言いたげである。察しの通り、女性の知人さえロードくらいのものだったが、どうにもこの少女の、全て見透かしたような視線や物言いは苦手だ。
二人の会話を聞いてブロンドの少女が、エメラルドグリーンのビー玉のような丸い瞳でアルヴィを凝視した後、小さな唇を開く。
「そうね、多分■■■■■■■■■■■■■」
いかにも少女らしい、一切くすみのないブロンドのボブヘアーに、大きな瞳。ビスクドールを思わせるゴシックロリータの美少女が開いた薔薇色の唇から、信じられない言葉が次々と飛び出した。俄かには信じられず、アルヴィは口を開けたまま唖然として少女を見たが、当の本人は何事もなかったかのように、つんとすましてキーボードを叩いている。
「ま、僕にとっても論外だね」
しかし次々と飛び出した放送禁止用語を気にした様子もなく、黒髪の少女は、いかにも興味なさげにそう言い捨てる。アルヴィも、初対面で銃を撃つような女の子は嫌だと思ったが、口には出さなかった。自分は、この組織に入らなくてはいけないという。そして黒髪の少女は皆に「団長」と呼ばれていた。つまり、この少女に逆らってはいけないのだ。
沈黙。
(気まずい……)
少女二人は気にもかけずにそれぞれ読書とパソコンでの作業に勤しんでいるため、気まずいのはアルヴィだけなのだが。
普段ならばエスケープしているところだが、ここは車内。しかも、目的地に着いたとしても逃げ出せない。加えて、曲がりなりにも助けて貰った恩がある以上、「仲間に入れてくれ」とは中々言い出すことが出来なかった。
時の流れがこんなにも遅く感じるなんて。
しかしどうしたって、どうせ逃げられない。グッと我慢して少女を見る。
「あのっ、」
意を決して口を開く。
――ぐぎゅぅぅぅぅ。
と、同時に腹の虫。他でもない、アルヴィのである。
それも仕方がない。一日中寝ていたアルヴィは食事も摂っていないうえ、フィレナントのいるキッチンからは先程から美味しそうな香りが漂っているのだ。
それにしても漸く口を開いたタイミングで、何故。このまま話を続けることができる厚顔無恥な人間なんて、アサギくらいのものだ、と心の中で言い訳しながら、熱くなった顔を必死に隠そうと俯くことしかできなくなってしまう。
「ぷっ、お腹が喋ったね、『早く食わせろ』って、くく……ッ」
黒髪の少女が噴き出し、可笑しそうに肩を揺らして笑う。この少女のことだ、アルヴィの羞恥を煽ろうとしているだけのようにも感じる。
アルヴィは、益々赤面するのを感じ、ムッとしながら顔を逸らした。やっぱり苦手だ、と内心悪態を付く。
「あんまり虐めてやるなよ」
ため息混じりの、フィレナント声。救世主である。
その言葉に黒髪の少女は、わざとらしく、いかにも遺憾であるというように眉根を下げて見せる。
「僕なりの歓迎だよ」
「歓迎じゃなく奸悪だ」
「おっと、そりゃいけない」
クスクスと悪びれる様子もなく笑いながらも、フィレナントにそれ以上言うことはなく少女は黙る。
フィレナントは、アルヴィの前に皿を置いた。
「ほら、腹減ったんだろ、食いな」
皿の上には、カルボナーラがその姿を湯気に曇らせながら、チーズとベーコンの香りを漂わせている。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
これ以上このへんてこりんな一団に恩を売りつけられて良いものかと思ったが、そうは言っても手が勝手に皿を持っていた。空腹には抗えない。人間、最も残酷な死に方は餓死かもしれないとさえ思う。
「ちゃんと噛めよ」
――お母さん。
と、アルヴィに続いて食事を始めた少女たちも含めた三人は心の中で呟く。母と呼ぶには、ひげ面だが。
「運転代わるから飯にしな」
一同の思考を露知らず、フィレナントは続いて運転席に声を掛ける。返答らしいものは聞こえなかったが、暫くして車が停止し、運転席から風変わりな服装の男が移動してきた。布を羽織り、紐を巻いたような格好の、寡黙そうな若い少年。冷たい印象を与える色素の薄い瞳と目が合った。不
健康に色の白い肌に、鼻筋の通った、女性的にも見える端正な顔立ち。しかしグレーの長い前髪が片目を完全に隠してしまっている。
……おまけに、助手席にあったらしい、少女の人形を抱えていた。
「うわっ!?」
一見すると人を抱えているのかと思ったアルヴィは、食事の手を止めて驚きに声を上げるが、そのせいで傷が痛むし、男には心底迷惑そうな顔をされた。
「失礼な奴だな」
寡黙という訳でもないのか、アルヴィが逆鱗に触れたのか、そう言うと男は、不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。そんなにその人形が大切なのだろうか。確かに、男と同じ髪色をした綺麗な少女の人形だった。
「……えっと、その子の名前、は?」
「何を言っている、人形なんぞに名前を付ける訳無かろう」
「あ、はい」
まるで我が子のように人形を抱えているからてっきりそういう趣味なのかと思い、機嫌が直るだろうかと尋ねたアルヴィは帰ってきた辛辣な男の物言いに、そう返すことしか出来なかった。
男も、それきり黙ってしまう。
いよいよ不気味な集団だ。顔に十字模様の「団長」に、闇医者、変態幼女、人形男。しかも全員マイペースで、全く気を遣うことすらしない。加えて唯一話せそうな闇医者ことフィレナントは、既に運転席に移動してしまっていた。
正直言って、居た堪れない。
離れてみて初めて、アサギ達の事を良く思い出していることに気付く。育成学校でもアウェイであったことは変わらないが、授業以外、居心地の悪い場所からは離れてしまえばそれで良かったし、アサギ達が近くにいたのが、もしかすると本当は有難かったのかもしれない。実際、授業の一環でグループを作るというぼっちにとっての生き地獄は彼らのお陰で何とかなったし、馬鹿だが人当たりの良いアサギや面倒見の良いロードが周りにいると、表立って非難されることは少なかった。だからこそ、彼らを強くは拒絶しなかった。
どうだったとしても、あの場に戻りたいとは思わないけれど。
長い道のりと同じように、沈黙は続く。
◇◇◇◇◇
カーテンの隙間から差し込む光がやけに明るい。ソファの上でアルヴィが目を擦りながら外を見ると、日は出て来ているがまだ薄暗い。同時にズキリと脇腹が痛み、昨日の出来事を思い出す。
結局、アルヴィは「仲間に入れてくれ」という一言が言い出せないままに、ソファで眠ってしまったようだった。
まだ車が動いている。灰色の髪の男がはす向かいの二人掛けのソファで眠っていることから、フィレナントと呼ばれていた中年の男が運転しているのだろうか。気付かれないように、小さな動きで電子端末を取り出した。
午前6時。ベッドに寝ている筈の「団長」とブロンドの少女はまだ起きないのだろうか。アルヴィはそのままタッチパネル式の電子端末を操作し、レイモンドに渡された潜入先候補のデータを見返す。
(『サルヴァトーレ』、スラム街に拠点。『バッカニア』――海賊により拠点不明……?)
どれも不明瞭な情報ばかりで呆れてしまう。それもそうだ、不明瞭だから潜入する必要がある。しかし裏を返せば、不透明な組織ならどこでも構わないということ。スラム街なんてものがあるくらいだ、実質、不透明な組織は殆ど黒と言っても良いだろう。潜入先を選ぶより、より多くの組織で証拠を見つけられるかが重要。アルヴィの仕事内容は、アルヴィでさえ適当だと感じるものだった。
(国王の思い付きか。或いは――)
そこまで思考して瞳を閉じる。同時に思考もシャットダウンした。頭を使うのは自分の領分ではない。そういうのは、同期のロシュにでも任せてしまえば良いだろう。国王の意図なんてどうだっていい。そう一蹴した。それよりも、
(どこだって良いなら、此処じゃなくても良いはずだ)
黒髪の少女、恩人にして、アルヴィの腹部の傷をつくった少女。彼女にこれ以上借りをつくりたくないし、早々に返せない借りならば、もう関わりたくもない。何よりも、この場にはもういたくなかった。
クレスティア王国に着いたら、違う組織をゆっくり探せば良い。彼女といると、また痛い思いをすることになるかもしれないのだから。
少女のつくった傷を撫でる。綺麗に巻かれた包帯を、好奇心で外してみた。
(こんな、小さな傷だったのか)
腹部にあったのは、存外小さな弾丸だった。距離が遠かったからなのか、運が良かったのかは分からないが、動いても平気ということは内臓を損傷するようなことは無かったのだろうか。だとすれば、長らく眠っていたのは日々の寝不足というのもあったのかもしれない。
――居心地の悪いと感じたこの場所で「良く眠った」というのも、可笑しな話だが。
あんなところじゃ、満足に眠ることもままならない。同室のアサギは人が眠ろうとしている時にエロ本を進めてくるし、イビキは五月蠅いし。しかもそう言ったら「イビキ? 濡れタオルでも被せてくれ!」と言われたからその通りにしてやったら、危うく牢屋に入れられるところだった。アサギのお馬鹿エピソードを語りつくそうと思ったら本が書けそうだ。
血は止まっているが一日では治るわけもないので、腹部に包帯を巻きなおす。が、自分では中々上手く巻けない。撓むし、寄るし、苛々してきた。傷口さえ隠せれば良いのだ。アルヴィは半ば投げやりに巻きつけて、それを隠すようにシャツを戻した。
「傷の具合はどう?」
声に、振り向く。発音の良いアルト。目を向けると、少女の艶やかな黒髪が運転席から零れていた。
「あ……、っと」
運転しているのは中年の男――フィレナントだと思い込んでいたせいで、アルヴィはしどろもどろに答える。
「何とか」
「『名医だ』って言ったでしょ?」
またからかわれないかと身構えたアルヴィを他所に、少女は視線を進行方向に向けたまま、淡々と言う。
「助手席来ない?」
「え?」
「話さないか、って。 どうせ暇でしょ」
昨日と違い、柔らかい、歩み寄るかのような話し方――そう聞こえるのは、他のメンバーを起こさないよう小声であるせいかも知れないが。優しげな口調に戸惑いながらも、アルヴィは彼女の言う通り空いた助手席に移動した。
「脇腹、痛かった?」
「……そりゃ、撃たれたのは、初めてだし」
「撃たれたのは?」
「稽古で打ち身は慣れた」
視線が交わらないせいで少女の感情は読み取りにくい。ただ、何故か昨日感じた苦手意識はあまり感じない。
「そりゃ大変だね。 そんな思いしてお国を守ろうなんて、立派なもんだ」
少女は言った。アルヴィの頭にあの夢が過る。
「俺は、『国のため』なんて柄じゃない」
「じゃあ、国王のファン?」
思いもよらなかった少女の突飛な考えに、アルヴィは「まさか」と失笑してしまう。
「それは、寧ろ逆かもな」
「……じゃあ」
言って、少女は黙る。横目で、その海のように透き通った、しかし深く、濃い色の瞳にアルヴィを一瞬映して、すぐに視線を戻した。
「何でもない」
「おい、言いかけたなら最後まで――」
「ねぇ」
不満げなアルヴィの言葉を、少女が強引に遮る。
「撃っちゃったお詫びに、いいものあげるよ」
「い、イイモノ?」
何故か声が上擦る。恐る恐る少女を見ると、くすり、と蠱惑的に笑われた。まんまと体良く誤魔化された気もするが、その笑みには抗えまい。
「目、閉じて」
「め……ッ!?」
「ほら、はやく」
口調が柔らかくなっても、人の話を聞かないのは変わらない。アルヴィはドキドキと早鐘を打ち始める胸を鎮まらせるために、ゆっくりと言われた通りに目を閉じる。
アルヴィの気持ちを煽るかのような、間。
そこでゆっくりと、アルヴィの唇に何かが触れた。
つるつるで、
冷たくて、
――平べったい。
「…………」
その感触に目を開けると、目の前に何やら小さくカラフルな紙が見えた。顔を引くと、『Shrove Tuesday』の文字。
「今晩のチケット」
「…………」
「来てくれたら素敵な夜を約束するよ。 Stoop Boy」
キザな口説き文句のような事を言う少女を見るが、何事も無かったように運転に専念している。
――やっぱり苦手だ。
バツが悪くなったアルヴィはガシガシと頭を乱暴に掻いて、窓の外に顔を向けた。
今日から『Shrove Tuesday』らしい。確かに遠くの方に、色紙を散らしたような街が見えた。