切れない剣
次の日の早朝、アレスは武器屋に預けていた剣を取りに出かけた。ティリアはまだ時間に余裕がある、とまだ宿のベッドで眠っている。
「おやじ、昨日剣の手入れを頼んだ者だ」
「お、来たな。そこにあるからもってけ」
おやじは受付台に置かれた剣を調べている。立てかけてある自身の剣を腰に差し、おやじが見ている剣を覗き込む。黒い革製の鞘に収められたその剣の柄には細かな金装飾が施されている。高そうだ、とも思ったがアレスには妙な気配のようなものを感じていた。
「それ、なんか変な感じするけど…誰が持ってきたんだ?」
「なんだ兄ちゃん、分かるのか。コイツはどっかの馬鹿が洞窟に落ちてたのを拾って来たらしい。話によると岩に刺さっていたそうだ。だが、いざ使ってみればなんにも切れないなまくらさ」
おやじが持っている剣は見た目はいかにも切れそうな剣。
「…なまくらでも殴れば使えるだろ」
「お前さん…やっぱり馬鹿だろう。剣ってのは切れてこそ価値がある。料理で使う包丁だって切れなきゃ意味ないだろ」
「それは…そうだけどよ」
最もな言葉にアレスは言いよどむ。おやじは剣の刃に手を滑らせるが、その手は一切切れていない。見た目は普通の剣と同じで、触れれば切れそうな刃なのだが。
「見た目は切れそうな剣なんだが何故切れないのか分からなくてなぁ…下手やって変なことになったら剣に申し訳たたねぇし…」
「…持ち主は?」
「こんな使えない剣はいらんと俺に押し付けていった。見た目はいいから飾っておけば良い客寄せにはなるだろう」
「折角の剣が勿体無いだろ…」
「だが切れないんじゃ売れないだろ」
それもそうだが…と頷くがいい案は浮かばない。
「…そうだ、兄ちゃんこの剣貰ってくれねぇか」
「金とるのか?」
「いやいや、流石にいらねぇもんを押し付けるのに金は取らねぇよ。お前さんなら斬らないでも殴って倒すだろ。丁度いい」
断る理由もなく、押し付けられた剣を手に、アレスは宿へと戻った。
宿屋に戻ると、ようやく起きたティリアが瞼を擦っていた。普段は14歳の少女らしくない振る舞いが多いが、寝起きや油断した時は年相応の行動をしているティリアに、アレスは気付かれないように笑う。剣をふたつ持っている事に気付いたティリアが事情を聞き、訳を説明する。
「切れそうで切れない剣ですか」
「あぁ、なんか分かるか?なんとなく、変な感じがするんだけど」
切れない剣を渡されたティリアは首を傾げて隅々まで見るが、彼女には"変な感じ"は感じることはできずに首をかしげた。
「んー?いえ、別に変な感じとかはしませんが…」
「じゃあ俺の感覚が変なのか…?」
若干ショックを受けつつ、返された剣を撫でる。横目で見つつ、ティリアは腰に差してある剣を指差す。
「…そういえば、新しい剣を買うのではなく研いだのですね」
「ガキの頃から使ってるから今更手放したくなくてな」
「大切なんですね」
「…そう、なのかな。てか、いつから持ってるのか覚えてないんだよな。物心着いた時から持っていたってやつ」
アレスの腰にさがる剣に繋がる刀帯との接触部分が古びており、長い間使われていることが分かる。
「それより、その剣どうするんですか。私が持ちます?」
「いや、大丈夫だ。一応、予備の刀帯があるから」
ゴソゴソと自身のカバンからベルトを出したアレスは、切れない剣の鞘に留め具を付け、もとから腰に差している剣の下に取り付けた。知らない者が見れば、アレスは二刀流の剣士にも見える。
「意外と様になってますね。二刀流」
「実際に剣として使うのは片方だけどな。さて、俺の用事は終わったし、飯食ったら行くか」
「ですね」
すぐに出立できるように準備の済んだ二人は部屋を後にして階下の食堂に入れば、既に中は宿泊客や従業員で賑わっている。空いている席に着けば、二人に気がついた女性従業員が笑顔で歩み寄ってきた。
「おはようございます。ご注文はお決まりでしょうか」
「俺日替わりセットにするかな。何食う?」
「サンドイッチとドリンク…あとアップルパイで」
二人の注文を聞いた従業員は注文の品を復唱した後、スカートを翻してキッチンへと入っていった。
「ここに居たのは二日程だけど、長い時間いたようにも思えるな…」
「居心地の良い街ですものね。 食べ物も美味しいものばかりでしたし」
「お前食べ物のことばっかだな…」
「良い思い出で良いでしょう? さて、これからの事ですが、このエルスラを出てどうしようか迷っているんです」
「南に行けばいいんじゃないのか?」
「…アレスは地図を見ていないようで。 行き先であるブロクスト村は大陸の南を領地とするドラニクス国の南に位置しています。こう聞けば、ただ南に歩いていけばいいと考えがちですがそうはいきません」
マントの裏から出した地図をテーブルに広げるティリア。四人がけのテーブルいっぱいに広げられたそれはこのゴルテヌス大陸だけではなくほかの大陸も書かれている世界地図だ。その内のひとつ、ゴルテヌス大陸の南を指さしたティリアはアレスを見る。
「ゴルテヌスの南側…つまりドラニクス国とブロクスト村は山々に囲まれています。ただの山ではなく、魔物や山賊の居る険しい山。そんな山に囲まれ、簡単には入る事のできない国に入るにはいくつか手段があります。ひとつめは腕の立つ者達が集うギルドか、このエルスラを領地とするイースリア国の騎士団の者を雇い同行させる。ふたつめは道を戻りますが、港町リズールに行き船で山を迂回し、ドラニクス国付近まで流れている川を渡り入国する。みっつめは商団と共に山道を行く。よっつめは、どの手も使わずに私達だけで山に入りドラニクス国へ向かう」
ひとつずつ指を折り選択枝をあげるティリア。
「雇うとかになると金掛かるだろうな…。船の方も運賃がかかるし…」
「安全よりも金銭面ですか」
「まあな。 それに、雇うんだったら真っ直ぐ目的地に行かなきゃならねぇだろうし。そうなったらお前の友達を探す暇がなくなっちまうだろ」
「…そこまで考えてくださったんですか」
「まぁ…。 そういや、えーと…カルメンだっけか。そいつの手がかりはあったのか?」
アレスの質問にティリアは眉を下げ頭をふる。
「残念ながらこの村には立ち寄っていないようです。まぁ、1年前の事なので覚えてる方も殆どいないでしょうね」
「…ん?友達が行方不明になってから1年も経ってるのか?」
友人のカルメンが行方知れずになってからすぐに探し始めたのかと思っていたアレスは目を丸くしてティリアを見る。
「えぇ。本来ならばすぐに捜索すべきだったのでしょうね。国自体も混乱していたこともあって彼女が行方知れずになった事に気が付けませんでした。私の失態です」
ティリアは俯き、アレスからは表情が見えなくなるが彼女の腕かかすかに震えていることから、純粋な疑問として口にした言葉が彼女を追い詰めてしまった、と慌てる。
「わ、悪い。そういうつもりで言ったんじゃ…」
「いえ、大丈夫です。 …話を戻しますが、進み方は誰も雇わず、自分達で行くという方法でいいですか」
「あぁ。…本当に、悪い」
「お気になさらず。 それより、料理が来たようですよ。ちょうどいいですね」
顔を上げれば先程の従業員が二人が注文したものを運んでくるところだった。ティリアは手早くテーブルに広げた地図をマントの中にしまい、従業員に笑顔を向けていた。
その笑顔は先程の雰囲気とはまったく異なるが、笑顔も先程の雰囲気もどちらも偽物ではない、とアレスは感じていた。恐らく、彼女はスイッチが切り替わるかのように感情を操作しているのだろう。行方知れずの友人カルメンを思って見せた暗く怯えた雰囲気も、朝食を運んできてくれた従業員へ向ける笑顔も、どちらも本物。ティリアは大人でも難しい感情の操作を簡単にやってのけていた。
ティリアと過ごす時間が長くなれば長くなる程、彼女の事を知ることができる。それと同時に彼女に対する疑問や謎も増えていた。普段は年齢には相応しくない大人な振る舞い、大人顔負けの魔法の技術と知識量、先程見せた感情の変化…。彼女の事を知りたいと思う反面、自分が聞いてもいいのかと思いとどまるアレスがいた。
「…アレス、どうかしましたか。早く食べないと冷めちゃいますよ」
声をかけられ、ハッとしたアレスの鼻腔をくすぐるのは運ばれたばかりの朝食。少々硬そうだが焼きたてのパンに湯気の立つシチューと黒々としたコーヒーが目の前に並んでいた。
「あぁ、少し考え事をしていた。 美味そうだな」
「美味しいですよ。やはりパンは焼きたてが一番です」
焼きたてで中がアツアツのアップルパイを頬張るティリアは年相応の少女にも見える。
「…口の横に食べカスついてるぞ」
指差してやれば慌てて口についたカスをほろう姿にアレスは笑みが溢れる。
目の前にいる少女が誰であろうと関係ない。傷を治してもらった恩、食を教えてくれた恩、服を選んでくれた恩…これからも恩は積み重なっていくのだろう。せめて、親友が見つかるまでは彼女の力となろう、と心の中で誓いを立て焼きたてパンに歯をたてた。