迷子とクレープ
「この剣随分錆び付いてるが、ちゃんと手入れしてんのかい兄ちゃん?」
エルスラの商店街の一角にある古びた鍛冶屋。アレスはここ剣を研ぎに来ていた。
「してない。道具がなくてな…。刃で斬れなくてもぶん殴れば気絶させれたし」
アレスの言葉に、武器やのおやじは盛大にため息をついた。それでも剣を使う者かと小言を言うがアレスは聞こえぬふり。
「これじゃあ身を守るのは難しいだろうに…仕方がねぇ。研いでやるよ。折角良い剣がもったいねぇや」
「悪いなおやっさん。頼む」
「金は先払いだ。ついでに手入れ道具もつけとくよ」
「悪い、頼むわ」
武器屋のおやじに剣と金を託したアレスは店を出て辺りを見回す。剣は明日までに研ぎ終わるらしく、朝一で取りに来ればここを出る時には間に合うだろう。先程離れたティリアの姿を探してみるが、既に姿はどこにもなくアレスは小さくため息をついた。
「…そりゃあ用事あるつってたもんな。しゃあねぇ、一人で時間潰すか」
人で賑わう店前の通り道をゆっくりと踏み出した。
「―…分かりました。この件はよろしくお願いいたします」
「はい、私共も尽力いたします。ティリア殿、お気をつけて」
「ありがとうございます」
ティリアは街の北側…街唯一の教会へと訪れていた。彼女の前に居るのは使い込まれた剣を腰に差した騎士。彼もティリアと同じ国の出身なのか、短めの黒髪に蒼い目。瞳の色は彼の方が青く、藍色に近い色をしている。
「…まだ、旅を続けるのですか?」
「当然です。彼女を見つけ、原因を突き止める。これが私の役目ですから」
蒼い瞳の奥に見える覚悟の色を見た騎士はそうですか、と小さく呟いた。
「一人くらい護衛を付けた方がいいのでは?レナード殿やフィーダ殿も心配しておりますよ」
「私に護衛が必要ない事もあの二人も重々承知でしょうに。まったく心配性というか…過保護というか」
「それほど大事にされているのですよ。 いくらティリア殿が実力者といっても、外の世界は危険です」
「…リオン、もう同行者が居るので心配ご無用と二人に伝えてくれますか?」
名を呼ばれた騎士・リオンは首をひねり、自身と同じ蒼い瞳を見る。
「同行者?用心棒か傭兵でも雇ったのですか?」
「そんな仰々しいものではないですよ。 目的が少し似ているので着いていくことにしたんです。それに、世界にある美味しいものを食べさせる為にもね」
「前者はまぁ…分かりますが、後者は必要ですか?」
「必要です!」
語尾を強め、いつもよりも意思をはっきりさせる彼女にリオンは後退る。
「彼、調理された物を食べたことが無いそうなのです!パスタを食べたどころか知りもしなかったのですよ!勿体無いとは思いませんか!?」
「そんな事で興奮しないでください…」
「興奮はしていません!怒っているのです!」
「同じですよ。 …まぁ、相方も居るという事なら多少は安心できるでしょうね。 くれぐれも無茶はしないでください」
「…私のことは別に心配する必要はありません。個人行動ですし。 むしろそちらの方が心配ですよ。皆はどうですか」
「その点は騎士団と魔道士団が対処しておりますので心配ご無用です。…一番の不安要素は国王と女王の不在という点ですよ」
本当に不安なのだろう、リオンは蒼い目を伏せ表情を歪める。ティリアは安心させるように彼の肩に手を置き、微笑む。
「分かっています。レナードが代理で勤めているということも知っています。 でも、不安はすぐに消えますよ。あのレナードですから上手くやってくれる筈ですし。 ですから、私は心置きなくこうして旅ができるのです」
「あなたがすべき事でもないのですよ…?」
「いえ、私がすべき事なのです。カルメンを捕らえることは、私の義務ですから」
「っあなたが苦しむ事になるのですよ!?いくらカルメン殿が大罪人といえど、あなたの親友です! 今からでも俺が代わりに…!!」
「やめなさい」
先程まで優しく微笑んでいたティリアの表情が消える。例えるならば氷のような冷たさに豹変した蒼い瞳にリオンは怯む。
「彼女をあそこまで苦しめたのも、あのような行為に走らせたのも、それを止められなかったのも私の責任です。これは私がやるべきことです。それを苦しいから等との理由で逃げるわけにはいきません」
「…覚悟を、しているのですか」
「当然です。 犯した罪は償わなければいけません。 彼女によって失われた命は、少なくないのですから。消して、奪われていいものではないのですよ」
「…分かりました。 無茶はしないでください」
「あなたも気をつけて戻ってくださいね」
元の優しい微笑みを向けたティリアはリオンの腰に下がる剣に触れる。
「道中お気をつけて」
「あなた様も、水精霊が守ってくださいますよう…」
別れの挨拶を交わし、それぞれの道へと踵を返した。ティリアが通りに戻り、一番に視界に捉えたのは出店。溶いた卵と小麦粉で出来た皮に包まれた生クリームにバナナ、チョコレートソースが甘い香りを漂わせるクレープの出店。それを見たティリアは目を輝かせた。
「―アレスの手土産にでもしましょうかね」
クレープを二つ購入したティリアは鼻歌交じりに宿へと通じる商店街を歩いていた。どこからか子供達の歌声が聞こえ、そちらに目を向けると楽しげに歌う10歳にも満たなそうな幼い少年少女達が噴水のある公園で遊んでいた。どこか穏やかでどこにでもある風景にティリアは目を細めて眺める。
「…いいなぁ」
じぃっと見て、ある事に気付いたティリアは ん?と目を凝らして子供達が集まっている中心を見る。そこには見慣れた男の姿…アレスが囲まれていた。嫌な顔ひとつせず彼等の相手をしている事から子供は苦手ではないらしい。
「いででででで!!髪引っ張るな!ハゲる!」
「きゃはは!おもしろーい!」
「人の髪引っ張って面白がるな!」
遊び相手をしている…というよりも、遊び道具にされている気もするが。
「おにーちゃん!次だっこ私ー!」
「順番だ!もう少し待て!」
四苦八苦しながらも子供達の相手をするアレスは、兄のような雰囲気を持っている。珍しい、と思いつつ彼等に近づく。
「お兄ちゃん!次はぼく!」
「私は肩車して欲しいなー」
「だから順ば…」
振り返ったアレスは、男の子の後ろで笑っているティリアを見て固まった。
「おま…いつからそこに…」
「ちょっと前から。どこかで暇を潰しているとは思っていましたが、まさか子供達の遊び相手とは思っていませんでしたね」
「商店を見てたらこの迷子に会ってな…。親探ししてて、今は休憩中だ。コイツ等はいつの間にか集まってきた」
アレスの隣でおとなしく座っていた三つ編みの少女がその迷子らしい。構ってくれるアレスと子供達のおかげで親とはぐれた心細さを紛らわせているが、やはり寂しいらしい。少女の眉が八の字に下がっている。
「はじめまして、私はティリアっていいます。あなたのお名前おきかせ願えますか?」
「…イリア」
「イリアちゃん。 おうちはこの近くじゃないの?」
「うん。お隣のレキア村から…馬車で来たから帰り道も分からないの…。お母さんと会えなかったらどうしよう…っ!」
イリアがポロポロと涙を零すと、彼女の服に涙の染みができる。ティリアはクレープ2つをアレスに押し付け、イリアの頬を両手で包み安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。お姉さんが見つけてあげます。ちょっと、じっとしていてくださいね」
こつん、と額を合わせるティリアとイリア。ティリアは神経を集中させる為目を閉じ、イリアの魔力を探る。そこからこのエルスラ内に存在する数多の魔力と比較していく。彼女と似ている魔力をいくつか見つけ、額を離した。
「似た気配を見つけました。ここからは歩いてそこに行くことになりますが…イリアちゃん、行けますか?」
「う、うん!」
「今ので分かったのか」
「はい。イリアちゃんの魔力と似ている魔力をこのエルスラ内を対象に探りました。 ここから分かるのは、その魔力の持ち主がどこら辺に居るくらいしかですが」
「はー…すげぇな、魔法ってのは」
「そうですか?場所が分かっても姿形が分からないので行ってみないと分からないので骨折り損になる事もあるんですよ」
イリアの手を取って立ち上がるティリアは苦笑いをする。アレスも同じように立ち上がる。その手には、クレープが二つ残っている。
周囲にいた子供たちは3人が居なくなることに気付き、自分たちも他の場所で遊ぼうと話している。
「お前等は迷子になるなよ」
「なんないよーだ!」
「じゃーね、イリアちゃん!」
「ばいばーい」
「う、うん!みんな、ありがとう!」
子供達は3人を残してほかの場所へと遊びに行くらしく駆けっこをしながら公園から出て行った。
「さて、私達も行きましょうか」
「そうだな。 というか、これは…?」
アレスの視線は自身が持っている2つのクレープ。やはりこれも食べたことがないらしく、興味津々といった様子でクレープを見ている。年上なのにどこか子供のような彼にティリアはクスリと笑った。
「クレープですよ。卵と小麦粉、砂糖と牛乳で出来た生地に生クリームやチョコソース、後は果物を盛り付けたデザートです。甘くて美味しいんですよ」
「お兄ちゃん、クレープ食べたことないの?」
「…あぁ。初めて見る」
「食べてみてください。美味しいですよ。 イリアちゃん、私と半分こしましょ」
「うん!」
一つクレープを受け取りイリアと分け合う姿を見てアレスも一口食べてみる。口の中に果物の甘酸っぱさと舌に残るチョコの甘さ、それぞれ主張しすぎない甘さが広がる。
「うまい…」
「でしょう!」
アレスの感想にティリアは自慢気に胸を張る。
「なんでお前がそんなえばるんだ」
「すいません、つい」
「お姉ちゃん、面白いね!」
子供の素直な感想にティリアは苦笑いをこぼした。
「なんとお礼を言えば良いか…ありがとうございます!」
太陽が傾き始める頃、ようやくイリアの母を見つけ出すことができた。彼女自身も必死にイリアを探していたらしく、中々会えずにいたのだ。娘を抱きしめ、ティリアとアレスに頭を下げる母。
「イリアちゃんは良い子でしたよ。きっと良い女性に育つでしょうね」
「えぇ、普段から進んで家事を手伝ってくれる子で助かります…。そろそろ夕飯の支度がありますので、失礼します。 私達はこのエルスラから西に進んだ所にあるレキア村に住んでいます。もしお困りのことがあれば是非寄ってください。できる限りお力添えを致します」
「ありがとうございます。 レキア村なら私も知り合いがいますので、またいつかお会いできるかもしれませんね」
軽い世間話をして、親子と別れた2人は一息つく。
「意外と時間かかったな…」
「あのお母さんもイリアちゃんを探して動き回っていた事もあって中々見つけられませんでしたからねぇ。 もう夕方ですし、そろそろ宿に戻りますか」
「そうだな。 明日、ここを出る前に鍛冶屋に行きたいんだけど、いいか?」
「構いませんよ。なら明日は少し遅めに出ますか」
「悪いな」
「いえいえ」
2人は宿で夕食をとるために歩を進めた。