野菜パスタ
アレスとティリアが宿泊した街の名は、エルスラ。
ここは世界樹のある神聖な森の近くに有ることから観光に来る家族連れや旅行客、そして森に入らずそのまま東へ向かえば他の大陸へと行ける港町リズールに続く道が有る事から、他大陸へ商売をしに行く業者達の立ち寄る事から朝から晩まで賑やかな街だ。
エルスラの中でも商店などが立ち並び最も賑やかな大通りに出たアレスは買ったばかりの新しい服を身にまとい、きょろきょろと辺りを見ていた。
「―ちょっとですがいい物を買えましたね。似合ってますよ」
黒一色だったアレスはティリアによって、ブラウンのズボンに白のシャツ、黒の上着というどこにでもいる青年風の格好へと変わった
「お、おう…ありがとうな。見立ててくれて」
「いえいえ、私も沢山の服を見れたので楽しめました」
ふふ、と口に手を当てて笑うティリアにはどこか気品のようなものが感じられる。
「…なぁ」
声をかければ彼女ははい、と小さく返事をしてアレスを見上げる。その瞳の色は相変わらず海よりも深い蒼をしていて、アレスは引き込まれそうな感覚に陥る。すぐに気を持ち直し、蒼を見る。
「お前は…。 いや、なんでもない」
「なんですか?聞きたいことがあるなら言ってください。答えるかどうかは別ですが」
「…じゃあ、ひとつだけいいか」
どうぞ、と頷くティリアにアレスは少し間を空け、口を開く。
「お前は、どうしてあの森に入ったんだ?あの森に入らずに迂回する道もあったっていうのに」
森からこの街にまでは回り道がある。観光客は森の不覚には入らずに、整備された場所のみを歩く。同様に、港に行く者たちの殆どは獣道の森ではなく、森を回り込む道を選ぶのだ。
森に入ったとしても、アレスが倒れていたのは森の深い部分。わざわざ森の中に入ったとしても、草木の生い茂った場所で倒れていたアレスを見つけるのは至難の業だ。
それを難なく見つけた彼女は一体何物なのだろうか。
「昨日の悪魔が言っていた通り、私は東の小さな島国から海を渡って来ました。 偶然船が港町ではなく森のそばに着いたのでそのまま入り、魔力を辿って…そして倒れているアレスを見つけたのです」
「魔力を?だが俺は魔法なんて使えないぞ」
「使えなくても、この世界で生きる者は皆、世界樹から生きる為に魔力を少なからず受け取っているのですよ。 ある程度魔法を学び習得した者はそれを感じ取る事が可能なのです。アレスからも魔力を感じ取ることができます。…でも、不思議な事に普通の人とは違うんですよね」
普通の人とは違う、という点にアレスは眉をピクリとさせる。
「まぁ、恐らくは呪いの所為で多少の変質をしている可能性があるからかもしれませんが。 とにかく、私が森の中に入ったのは、森の近くに船がつき、アレスの不思議な魔力を感じたからですよ。 納得頂けました?」
「…あぁ。ありがとな」
「いえいえ」
「ちなみに魔力を感じ取れるってんなら、探してる友人の魔力も探れば簡単なんじゃねぇのか?」
アレスの提案にティリアは首を横に振る。
「残念ながら、魔力を感じ取れるのは近くに対象の者が居る時だけなのです。アレスが森の深くに居てもすぐに分かったのは、貴方があの場に留まっていて呪いの気配もあいまってすぐに見つけられましたが、カルメンの場合は違います。 彼女は体内に保有する魔力が極端に低く、その場に留まっていないので魔力を辿って探すことができません」
「へぇ…魔力が高い奴は探しやすいのか」
「いくら魔力が高くても同じ街の中に居てくれないと場所は殆ど分かりませんがね。 後は聞きたいことあります?」
蒼い目がアレスの顔を覗き込む。
「あぁ、大丈夫だ」
「そうですか。 なら買い出しの前にお昼にでもしましょうか。この街の名産は森で採れる野草でそれで作ったパスタが美味しいそうですよ!」
目をキラキラと輝かせてアレスを見るティリアの頭の中は既にパスタでいっぱいだ。
「パスタ…?」
「はい!」
アレスの反応がイマイチな事に気づき、ティリアは首を傾げる。
「もしかしてパスタ、知りません?」
「…あぁ。初めて聞いた」
「え…。 …じゃあシチューは?カレーは?」
「し、知らない…。こっちでは有名な食べ物なのか」
アレスの言葉にショックを受け、ワナワナと震える。
「じゃ、じゃあ今まで何を食べてたんですか!?」
「野草とか…肉とか…後はパンだな」
「それだけ、ですか…?」
ゆっくりと頷いたアレスにティリアは信じられない…と小さく呟いた。
「美味しいものを食べないだなんて…人生損してますよ!」
詰め寄ってくるティリアにアレスは後ろに仰け反る。
「…決めました。アレスに美味しいものを食べさせることも旅の目的とします」
「え。いやいや、金かかるしそんな事しなくても…」
「勿体無いのですよ!食べることは生物の欲求の一つです。なのに…野草とパン、肉をそのままだなんて…」
「別に、そのままでも十分美味かったぞ」
「それを調理することで更に美味しく!バランスよく栄養を補えるのです! ホラ行きますよ!」
ぐい、と想像よりも強い力で腕を引かれたアレスはつんのめる。腕を引くティリアにぶつからないようすぐに体勢を整え、彼女を止める。
「待て待て、俺は別に美味いもの食べたくて旅をしてるんじゃない。俺は安いパンとかで十分だ。お前が美味いものを食べればいいだろう」
「私にだけ贅沢をしろと?相方が質素なもので十分だと言っているのに? まるで私が卑しい娘だと言っているように聞こえますね」
「そういうつもりじゃ…」
「それに、お金の心配はいりません。ちゃんと計画的にしていますから」
ほら、と再び腕を引かれ、アレスは観念したように彼女の後ろをついていく。
「はい、春野菜のパスタおふたつです」
ごとり、とパスタが乗った大皿と、それの取り皿が置かれる。
「話に聞いてた通り体に良さそうな野菜が沢山…! この紫のはなんですか?」
野菜だろうが、珍しい紫色の欠片がいくつか入っていることに気付いたティリアがウェイトレスに尋ねる。
「これはロッサビアンコというナスです。クリーミーでパスタによく合いますよ。ここの向かいの店ではロッサビアンコで染色されるスカーフも美しい紅白が特徴ですので是非見ていってくださいね」
「そうなんですか。お忙しい中教えてくださりありがとうございます」
「いえ、ごゆっくりおくつろぎ下さいね」
一礼したウェイトレスは厨房へと向かっていった。それを見届けたティリアはフォークを器用に使い、大皿から小皿へとパスタを分け始める。
「これがパスタか…。どう食べるんだ?」
初めて見るパスタにアレスはソワソワとしていていつもの落ち着いた雰囲気はない。
「ちょっと待ってくださいね。取り分けますから。 はい、どうぞ」
ティリアによって小分けされた皿には小麦色の麺と緑や紫の野菜で彩られたパスタが乗っている。
「フォーク、使って食べるんですよ。こうやって」
ティリアが実演して食べて見せればアレスも真似してフォークを使い、パスタを口へ運ぶ。
「…うまい。 野菜も、いつもよりも味が付いているような気がする」
「きっと胡椒でしょうね。スパイシーで飽きが来ませんね。んー、美味しい…」
「調理された物を食べるのは久しぶりだな…」
「あれ、調理された物も食べたことあるんですか?」
「ガキの頃のだけどな…。 おふくろが作ってくれたんだ。まぁ、何を食べたか覚えてないくらい昔の事だが…美味しかったというのは覚えている」
「そうですか。何を食べたか覚えていなくても、その記憶が残っているのですから。母の味とは、そういうものですよ」
「…そういうもんか?」
「そういうもんです。 早く食べましょう。こういう料理は暖かい内に食べるのが一番ですよ」
ティリアに言われ、頷き、黙々とパスタを口に運ぶアレス。
昼食を終えた二人は店を出た。
「そんなに急ぐ旅でもありませんし、今日一日はゆっくりしましょう。私は用事があるのですが、アレスはどうします?」
「俺も興味ある店があるし、そっち行くかな」
「では別行動ですね。んー…今はお昼過ぎだから、夕食の時間に宿屋の食堂。でいいですね?」
「おう。んじゃあ、後でな」
ティリアは街の北側にある教会へ、アレスは今いる場所から少し離れた場所にある武器屋へと歩を進めた。