ねこまんま食堂のまかないメニュー おかわり、その後。
本日は二話更新となっております。8杯めをおかわりしていない方はひとつお戻りくださいませ。
「で、その後、どうしたんですか?」
プリマヴェーラは営業時間中。なのにどうしてかお客さんは一人も居なかった。
掃除も消耗品の追加も終えて、私と新田さんは暇をもて余していた。
前に咲くんが新田さんのことを、【伝説の料理長】と呼んでいたのが気になって、私は新田さんの高校時代の話をせがんだ。
そうしたら思わぬ、甘々なのろけ話を聞かされるはめになってしまった。
「ん? その後って?」
新田さんは無駄に甘い笑顔で聞き返す。
天然ジゴロは健在のようです。
「だって、その終わり方だと、柚子さんと新田さんがお付き合いしたのか、してないのか、はっきりしなくて」
「ああ、そうだよね」
新田さんはグラスを磨きながら頷いた。
「その時点ではまだ僕たちは付き合ってなかったんだけど、なんとなくそれらしいことになって」
あはは、と新田さんが笑って誤魔化した。
何を言いかけて、止めたのか想像がついて、私は頬が熱くなった。
「ごめん、セクハラだよね」
「いえ、大丈夫ですけど。そんなものですか」
「えーと、僕も若かったし? まあ、色々ね。これ以上は美晴ちゃんには刺激が強そうだからやめとくね。で、柚子とはその後、別れたり、くっついたりしながら現在進行形、かな」
「くっついたり、離れたり……」
「うん、まあ。柚子は気が短くて、気も強いし、僕は反対にぼやんとしてるから、怒らせたり、不安にさせたりしちゃうみたいだね」
新田さんが色気を振り撒きながら、アンニュイな苦笑を見せた。
うーん、不安にさせているのは、ぼやんとしているからじゃなくて、無駄にフェロモン出してるからじゃないでしょうか。
「柚子さんのどんなところを好きになったんですか?」
「え……」
新田さんが珍しく言葉に詰まった。私も一緒に動揺してしまう。
「だって、柚子さんのこと、好きになったんですよね?」
それはそれは見事に新田さんの肌が紅潮していく。大きな手が両目を覆い隠した。
「あー、うん。どんなところか。えっとねぇ、そうだなぁ。美味しそうにたくさん食べるところ、かな。他にも色々あるんだけどね、って、うわぁ、俺、なんでこんなこと喋っちゃってるんだろう」
自分で言って自分で照れている。こんな新田さん、初めてみました。
「ええと、その、春子さんには失恋したわけじゃないですか。お店で働くのって、その、辛くないですか」
ドキドキしながらそれを聞いた。
かなりプライベートな質問だし、失礼かもしれないんだけど、話を聞いているうちに気になって仕方がなかった。
復活した新田さんは、私の心の葛藤に気付いているよ、というようにふふっと笑った。
「うーん、正直もう終わった恋だしねぇ。食堂のおばちゃんたちが呼び合ってる苗字しか知らなくて手紙渡したけど、意識もされずに柚子宛だと思われた時点で脈はなかったんだよね。気持ちだけ伝えられたら、なんてカッコいいこと言ってるようで、口で伝えることから僕も逃げてたわけだし」
新田さんは後ろの台に手をついて、「それでも直接渡したんだけどなぁ」と、過去を思い出すように遠い目をした。
「あ……、手紙。結局、お姉さん宛だったって柚子さん知ってるんですか?」
新田さんは、ちょっと罰が悪そうな顔になった。
「結局言ってない。なんだか今さら言えなくて。そういうところは成長できてないんだよな、俺」
ふう、とため息をつく。
「そのままで良いんですか?」
「良くはないよね。でも知らせて傷つけるのが怖いんだ」
「私だったらですけど、素直に白状して謝って欲しいと思いますけど」
「謝られて……美晴ちゃんなら許せる?」
私は咲くんが他の女の子宛に書いたラブレターが間違って自分の手元に回ってきて、自分宛だと勘違いして喜んでしまう自分を想像してみた。
「すごくがっかりすると思います。でもそれって咲くんばかりが悪いわけじゃないですよね。自分宛の手紙だって勘違いした私とか、自分宛のラブレターを橋渡しを頼まれたと勘違いして、私に渡した人のほうがうっかりだったのかも」
「美晴ちゃんは優しいね」
「優しくはないと思うんです。はっきり誰宛か伝わるように書かなかった新田さんにも少しは責任あります。でも、直接受け取っておいて橋渡し頼まれたと勘違いするなんて、ちょっと新田さんが不憫というか。ただの同級生の間柄だったらがっかりだし、好きな人からだったらすごくがっかりですけど、もし今の咲くんが他の女の子にラブレター書いたりしたら制裁! ですよ。もちろん」
ボクシングの真似をした私を見て、あはは、と新田さんが笑う。
「あのとき春子さんはすでに婚約者がいて、妊娠していて、土俵にすらあげてもらえないまままに終わってしまって、それより春子さんが救急車で運ばれるのを見ていた柚子の動揺が凄くて、どうしたら元気づけられるだろうってそればかり考えていたから不思議とショックが後を引かなかったんだよね。恋というより憧れれだったのかも」
遠い目をして話す新田さんを見て、せつない気持ちになってしまった。
窓の外では塾の鞄を背負った少女たちが楽しそうに語らいながら横切っていく。
「春子さんは結局、最後まで僕の気持ちに気付いていないんだよ。柚子も僕の手紙を読んで変だなと思っているところもあるかも知れないけど気にしていないみたいだし、今さらほじくり返す気にはなれないかな。だから気まずいというよりも、今はひとりで頑張ってる春子さんを助けてあげたい気持ちのほうが大きいかな。それにもしかすると将来のお義姉さんになるかもだし」
「へえ、柚子さんと結婚する気はあるんですね」
「ちょっと美晴ちゃん? なにげにひどくない?」
「そういえば、春子さんの旦那さんは、今どこにいらっしゃるのでしょう?」
「おーい、美晴ちゃーん……」
「去年はお正月に帰ってきたそうですよ。家族で箱根に行ったとか」
「へー。まあ聞きたければ直接春子さんに聞けばいいよ。聞いたら教えてくれると思う。ハガキが時々届くらしいし」
「戦場カメラマンなんでしょうか」
「いや、珍しい花とか風景を追ってるらしい。ところで、美晴ちゃんはプレミアムプリン食べた?」
「あ、さっきの創立祭の? いえ、私はプリンの話は聞いたことがないですよ」
「あれ? おかしいな」
そういって、新田さんは指折り、私との年の差を計算し始めた。
「美晴ちゃんが一年生のときに、ちょうどプレミアムプリンの年だったと思うんだけど」
「ああ、それなら、私はここにいなかったです。私、二年生の時に転校してきたので」
「そうなんだ。残念だね」
「どんな味でしたか?」
そう問うと、新田さんはまた過去を思い出すように、ちょっと天井を見上げた。
質問しておいてなんだけど、ひとさじだけのプリンの味、覚えてるのかな、と私も釣られて一緒に天井を見上げる。
和紙でできている薔薇の花のシェードがオレンジ色に染まっている。
新田さんは視線を下ろすと、キラキラとした笑みを見せた。
「とっても甘かったよ」
その笑顔に不覚にもまた頬が熱くなった。
「あ、はい。ごちそうさまです」
「実はこの後、柚子と待ち合わせしてるんだ」
「へえ、ここにいらっしゃるんですか?」
「いや、【ねこまんま食堂】で待ち合わせしてる」
新田さんはおかしそうに笑いながら、次のグラスを手に取った。
いつも楽しそうに笑うなぁと感心しながら、私もおしぼりを畳む。
「こちらで待っててもらえばいいのに」
「だよね。でも柚子はさ、僕の職場には来ない主義らしいよ。ムカついてケンカになるから見たくないとかってさ。ちょっとひどくない?」
新田さんを見たOLさんや主婦さんが頬を染めていたり、通りすがりの女子高生にさえ告白されているような新田さんをいつも見ているので、柚子さんの気持ちが分かるような気がした。
相手のことを信じていても、見たくないものは見たくない。
そんなのを見たら心にさざ波が立ってしまう。
「すみませんが、前言撤回します。柚子さんに賛成です」
「ええ~、美晴ちゃんも?」
同意が得られなくて残念そうな声を新田さんが上げたけれど、ちょうどお客さんが入ってきたので、この話題はここでおしまいになった。
(おかわり、その後。 おしまい)




