ねこまんま食堂のまかないメニュー おかわり7杯め
五回戦初戦を敗退しても、次のじゃんけんで勝ち抜けばプリン獲得の可能性はある。だが逆を言えば、柚子は崖っぷちだった。
何か慰めの言葉をかけるか?
完全に運任せの勝負にアドバイスもかける言葉も見つからない。
そう思いながら、壁際で座り込む柚子に寿は近づいていった。
「神ノ木、お姉さんが倒れた」
慌てた様子で駆け寄ってきた学年主任の先生の声に、柚子は瞬時に顔を真っ青にして立ち上がった。
「今、救急車を呼んでる。来れるか?」
「はい」
真っ青な顔で走り出す柚子は、いつもより頼りなく感じた。
寿は柚子の後を追って走った。
正門前に救急車が停まっていた。
「お姉ちゃん」
駆け寄る柚子に、救急隊員は少しギョッとしたものの、すぐに任務を思い出し顔を引き締める。
そして、柚子に既往症やアレルギーなどを尋ねる。
「あ、姉は、妊娠中なんです。何週かまでは私は分からないんですけど」
寿がふらつく柚子を支えようと近くに寄ると、救急車の後ろからストレッチャーに乗せられた柚子のお姉さんが見えた。
蒼い顔をして、お腹を庇うように横たわっているのは、寿の想い人、その人だった。
その瞬間、寿はあの手紙が柚子に渡った顛末を理解した。
苗字しか知り得なかったあの人は、柚子の姉だった。
あの人を前にして、あり得ないほど緊張し、ただ「お願いします」とだけしか言えず、手紙を差し出した。
あの人は少し驚いた顔をしながらも受け取ってくれた。まさか妹宛の手紙の橋渡しだと思われていたなんて。
寿はそれ以上は何も考えられず、何も聞こえず、支えるつもりでいた柚子にしがみつくようにして立ち、ただ『神ノ木さん』を見つめていた。
「ーーーくん!、新田くん!」
柚子の叫び声にハッと現実に引き戻される。
柚子の顔は真っ青で、悲壮で、今にも泣き出しそうだった。
「お姉ちゃん、大丈夫かなっ、死んだりしないかな」
オロオロする柚子に寿は何も返せない。
救急隊員が柚子に声をかける。
「神ノ木さん、極楽寺総合病院に搬送しますので、早く乗ってください」
すがるような表情のまま、促されるままに柚子は救急車に乗った。
姉の手を泣きそうな顔で握る。
「僕も……」
行きましょうか、そう言いかけて、学年主任の先生に肩を掴まれた。
救急隊員はその間にもてきぱきと後ろのドアを閉め、赤色灯を回し走り去っていく。
寿は学年主任の先生の手を払い除け、自転車置き場に走った。
頭の中には蒼い顔をした柚子の姿が焼き付いていた。
ーーーー
ーーー
寿は極楽寺総合病院に着くと、救急処置室に向かった。
物語から抜け出したような王子様ルックをしている寿に、周囲の人はギョッとした顔になる。
ジャック・スパロウは、産婦人科外来の前の椅子に顔を俯かせて座り込んでいた。
寿が近づくと、柚子はゆっくりと顔を上げた。
「新田くん……」
ジャック・スパロウは涙で顔が真っ黒だった。
衝動に任せてここまで来たものの、寿は柚子にかける言葉を見つけられなかった。
ジャック・スパロウと王子様が並んで座る光景に、周囲の人はチラチラと視線を送ってくる。
「お姉さんは?」
「うん。今、診察中」
当たり前のことを聞いて、自分の間抜けさに寿が死にたくなっていた時、大人の男性が慌てて走ってきた。
途中、看護士さんに走らないように注意をされるも、それどころではない様子でやって来た。
「柚子ちゃん、はるちゃんは?」
「お義兄さん。お姉ちゃん、まだ診察中なの」
そういうやりとりをしていると、中から看護士さんが現れて、「旦那さんですか?」と声をかけた。
男性は頷き、柚子に目配せしてから、診察室へと入っていった。
「お姉さん、結婚してたんだ……」
こんな事態に場違いな質問だと思いながら、寿は訊ねずにはいられなかった。
「ううん。まだ婚約中。一月に結婚するけど」
「そう……なんだ」
寿が自分の気持ちにそっと蓋をした瞬間だった。
ーーーー
ーーー
その後、柚子と春子の両親、そして婚約者の両親が相次いで病院に到着した。
春子は流産の危機を脱したが、このまま臨月まで絶対安静を申し渡され、学食の仕事を辞めることになった。
柚子の両親は二人にタクシーを呼んでくれると言ってくれたが、寿は自転車で来たことを理由に断り、自転車で学校へと戻った。
柚子はドロドロ、ぐちゃぐちゃの顔が恥ずかしいと言って、そのまま家に帰ると言った。
どちらにしても途中で学校を飛び出してきた柚子は今さら戻っても不戦敗だろう。寿は柚子を乗せたタクシーを見送ってからペダルを踏み込んだ。
学校に戻ると、予想通りじゃんけん大会は終わっていた。
関本は学年主任から事情を聞いていたらしく、寿を見つけると駆け寄ってきた。
「神ノ木は?」
「早退するって」
関本は嘆息した。
「そうだろうな」
「もう結果は出たのか」
「ああ、これ、お前の分。引き換えは来週月曜日。学食のレジ」
必要事項を告げて、プリン引き換え券を寿の手に握らせた。
「柚子ちゃんは……」
「当然、不戦敗。まあ、事情が事情だから残念だけど」
うん、と寿は頷く。
「コスプレ賞は?」
「まだ協議中。ダンパの後に発表かもな」
そうか、と寿は頷いた。
「寿、一緒に踊ってやろうか?」
寿は笑って返す。
「関本、どんだけ俺と踊りたいんだよ」
関本もニヤリと笑った。
「バーカ、冗談だよ」
「バーカ、分かってるよ」
寿は関本の冗談に救われた気がした。
一時は目の前が暗くなるほど衝撃を受けたはずなのに、失恋の痛みはあまり感じていないことに気付く。
寿は自身の感情より、不安げな表情のままタクシーで家に帰らされた柚子が気にかかった。




