ねこまんま食堂のまかないメニュー おかわり3杯め
神ノ木柚子はラクロス部に所属している女子だった。
運動をしているとお腹がすく。
もともと食べることは好きだ。
とはいえ、体重の増加も気になるお年頃。
クラスの大半の女子のように小さくてかわいいお弁当と紙パックのミルクティでは、帰宅まで体力が持たない。
ラクロスは運動量の多い激しいスポーツなのだ。
ゆえに学食を常に利用し、ボリュームたっぷりのA定食を狙っている。
しかし、お昼のチャイムを聞いて、手早く教科書を片付け、礼ももどかしく現国の山田川先生が教室を出ると同時に学食目掛けて教室を飛び出したあの日、無人の廊下に飛び出した柚子があまりにも目立ちすぎたせいか、はたまた日直だったせいか、先生に呼び止められてしまった。
プリントの束をもたされ、無駄話を聞きながら職員室へお供する時間がもどかしくて仕方がない。
もう先生を追い越して、先に職員室の机の上に置いてきてはダメだろうか。
早くしないとA定食が売り切れてしまう。
焦る気持ちを奥歯を噛みしめながら耐え、なんとか山田川先生から解放されて、学食へと全力疾走した。
背の高い男子の後ろに並び、じりじりとしか進まない列を進みながら、売りきれてしまわないかハラハラしていた。
「ゆっず」
ポンと腕を軽く叩かれ、振り向くと友人の里紗が菫色の財布を握って後ろに並んでいた。
「柚子、珍しく遅かったね。いつもならとっくに食べてる頃じゃない?」
「山田川につかまっちゃってさぁ。職員室までプリント運ばされたんだよ~。もう一番に教室出ないことにする。目立ちすぎる」
里紗が柚子の制服の腕をつんつんと引っ張る。
「ね、ね、前にいるの、新田君じゃない?」
里紗はキャーと小さい声で興奮した声を出した。柚子はこてんと首をかしげる。
里紗は呆れたように柚子を見た。
「え、知らないの?」
「知らないよ? なに、有名人なの?」
「有名だよ~。【伝説の料理長】じゃん」
「なにそのイタい二つ名」
「言うな、柚子。あんたが去年の文化祭で貪るように食べてたチャパティロールを出店してた料理倶楽部の部長だよ。親が駅前の【Repos et la satiété】ってフランス料理のお店やってるの知らない?」
「そのお店なら知ってる。連れてってもらったことはないけど、うちの親、結婚記念日は必ずそこで二人で食事してるよ」
「でしょ? なのになんで知らないかな」
会話をしている内にもじりじりと列は進む。
A定食はあと何食残っているのか、気になって仕方がない。
今日は一ヶ月に一度のチーズチキンカツの日だ。なんともゲットしたい。
待っててチーズチキンカツ。
私を待ってて。
柚子は気づくと前の男子がA定食を注文する声にかぶせて、フライングで注文をしてしまっていた。
「フライングゲットってこういうことだよね」
幸せそうにチーズチキンカツをほおばる。里紗はそんな彼女を白い目で見ていた。
「信じられない柚子。あの新田くんから、なんてことを」
「だって、譲ってくれたんだもん。いいじゃん」
里紗は頭痛でもするのか、額に手をあてた。
「強引すぎ。一瞬柚子がデパートで値引きさせようとして店員さんにゴリ押ししてるおばちゃんに見えた」
「そうかなぁ」
「そうだよ。もう、恥ずかしかったんだからね」
「なんで里紗が恥ずかしがるのよ」
能天気に笑う柚子を見て、里紗は一瞬友達を辞めたくなったとのちに語る。
―――――
―――
柚子が食堂でチーズチキンカツを頬張ってから一週間後の週末。
「柚子、いい加減にしなよ。お姉ちゃん恥ずかしい」
柚子の姉、春子はココアの入ったマグカップを両手に持ってリビングに来た。
日本史の課題をしている柚子の前にマグカップをひとつ置くと、もうひとつのマグカップを片手に持ったままソファーに腰を降ろした。
春子は年の離れた姉で、調理師の資格をもっている。
女性のコックの働き口は門戸がせまく、今は学校給食に調理師を派遣している会社に勤めている。
そして、今は柚子の高校の食堂で調理責任者として働いていた。
春子は柚子がルール違反を犯して、ひとりの男子生徒から最後のチーズチキンカツ定食を奪った顛末を知ってたが、身内のしでかしたこととはいえ、あの場に出ていくことが出来なかった。
カウンターから調理室内で起こったトラブルは春子の責任範囲だが、食堂は教育の場。起こったトラブルは調理員ではなく、教師が対処しなくてはならない。
火災や震災などの緊急の場合は例外とはいえ、基本は不可侵だと会社からは言われている。
学校には一日の報告書に少しトラブルがあったことを報告したが、列を割り込んだ程度のトラブルは重要視されないだろう。
それでも度々、というよりいつも謀ったように彼と柚子がセットで現れるものだから、最初は春子は柚子がその男子と交際しているのかと疑った。
しかし、柚子の態度は好きな男性に対するそれではないし、彼も柚子に気があるようにみえない。
ただただ食欲魔人のわが妹、柚子に遠慮してラストワンのA定食を注文できない彼が不憫に思え、規格外で賄いにしようと取り分けていた惣菜を他の生徒にそれと知られぬようサービスしていた。
他のパートさんも同じような気持ちらしく、「神ノ木さん、あの男の子に唐揚げもつけてやってよ」なんて言われることもしばしばだった。
ただし、彼女たちに任せておくと、うどんやカレーが豪華になりすぎて、他の生徒の注目を浴びてしまいそうなので、ひっそり、こっそり増やしてあげようと気持ちを擦り合わせてある。
「とにかく、いくらA定食が食べたいからって意地汚い真似はしないでね」
「え~、だってお腹空くんだもん。それならお姉ちゃん、A定食、私のために取り置きしといてよ」
「そんな特別扱いはできません!」
春子はココアを持って立ち上がった。「お姉ちゃん、ここ教えて~」と騒ぐ妹の声は聞こえなかったふりを決め込んだ。
―――――
――――
ホームルームで今年の創立祭の内容が発表された。
クラブに行くために、すでに心ここにあらずな状態だった柚子は、その内容に驚き、ショックを受けた。
そのショックは柚子にダメージを与え、クラブ活動時間まで響き、数々の失態を犯し、さらにダメージを受けるという魔のスパイラルに入っていた。
「柚子がファウルとられるの久々に見た。珍しいね。どうした?」
里紗がタオルで首筋につたう汗を拭いながら、三角座りをして顔を伏せ、落ち込んでいる柚子に声をかけた。
二人はクラスは違うものの、同じ女子ラクロス部の仲間だ。里紗は気候が涼しくなってきたため、せっかく温まった身体を冷やさないよう、ポロシャツの上に揃いの女子ラクロス部パーカーを羽織っている。
柚子は半そでポロシャツにミニスカートのまま、コートの脇の芝生に座り込んでいた。
里紗は柚子のパーカーを少々乱暴に渡して、横に座る。スカートにしわが寄らないように気遣うしぐさに女子力の差を見せつけらる。柚子はいつも感心するもののなかなか真似はできないでいた。
「プレミアムプリンがさ、じゃんけん争奪戦になっちゃったんだ。わたし、じゃんけん弱いのに」
里紗は一瞬呆気にとられた顔をしたあと、心底呆れた顔をした。
「また食い気か。なーんだ、恋の悩みかと思ったのに」
今度は柚子がぽかんと里紗を見る。
「なんで、恋?」
「だからさ、柚子が食堂で毎度、新田君の近くに陣取っては絡みにいくのって、新田君にアプローチしてんじゃないかって思ってたんだけど? その様子じゃ違うみたいね」
「へ? たまたまじゃないの?」
「あんた、毎回しつこいほど新田くんからA定食奪ってるって自覚ある? ほかの人にはそんなことしてないんでしょ? なんで新田君だけなの? 新田君だからじゃないの?」
里紗は冷たい目で柚子を見据えた。その表情に柚子は少し狼狽してしまう。
「な、なんでそんなこと知ってるの?」
「あんた目立ってるのよ。柚子は知らないでしょうけど、新田君は有名人だから、その新田君を虐げてる女だって噂になってるのよ、反省しなさい、このおバカ」
「そ、そこまで言うことないじゃない」
柚子はすこし涙目になったが、里紗は構わず続けた。
「最初に私、柚子に言ったよね。恥ずかしいからやめろって。あの日から、あんたらのやり取りが面白おかしく噂になってんのよ」
「ショック……プリンの事でショック受けてたのに、さらに追い打ちかけるとか、里紗どんだけ鬼なの」
「うるさい。親友のためなら時には心を鬼にするのよ。で? なんで新田君なの?」
「なんでだろう? そういえばそうだよね」
「ほんとに偶然だったの?」
こくんと柚子は頷いた。里紗は急に瞳を輝かせ、柚子の手を握った。
「そりゃもう、運命だよ!」
「運命?」
「そう。運命のいたずらな神様がきっかけを作ってくれてるのよ」
「なんの?」
柚子の問いは里紗によって黙殺された。妄想で大いに盛り上がっているらしい里紗の機嫌をまた損ねてはいけないと、柚子は黙っていた。
「そうよ、柚子はその気がなくても新田君が柚子のことを気になっているのかも。考えてみればそうよね、柚子のことが好きだから、柚子にA定食を譲っているのよ、きっとそう。新田君は優しくてスマートな男子とはいえ、自分の食べたいモノを諦めてまで普通、その気のない女子に譲らないわ。柚子にしても気づいていないだけだと思うの。でなきゃ特定の男子ばかりに近寄っていくなんて、いままでそんなことなかったんだから。そうよ、あとはこの恋愛初心者天然食欲娘をどう自覚させるかよね。どうしたらいいの? そう、それしかない!」
ひとしきりぶつぶつと独り言を言っていた里紗は、柚子に視線をしっかり合わせてはっきり宣言した。
「柚子、前髪をつかみに行くのよ!!」
柚子は里紗の勢いに気圧され、よくわからないままコクコクと小さく頷いた。
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ーーー
ホームルームでプリン争奪戦のことを知らされてから柚子は里紗と仮装の相談をして、放課後に手芸店や100円ショップ、パーティーグッズのお店などを渡り歩き、その材料を買い込んできた。
今月のお小遣いをすべてつぎ込んだといっても過言ではない。
そのくらい柚子はこの仮装に賭けていた。
なにしろじゃんけんには自信がない。
プリン獲得券を手に入れられるとしたら、特別賞枠しかないのだ。
柚子の仮装は海賊だ。
里紗にはさんざんミニスカナースだの、ミニスカポリスだの、ティンカーベルだのを勧められたのだが、「一度海賊になってみたかったんだ」と柚子が言い切ると、里紗もしぶしぶ納得してくれた。
ただし、せっかく女の子なんだからタンクトップに二の腕に赤いバンダナ、マイクロミニな丈のショートパンツにしろと言われてしまった。
「里紗はああ言うけど、私のイメージする海賊はジャックスパロウなんだな~」
柚子が布を切ったり貼ったり悪戦苦闘していると、柚子よりも少し帰宅の遅い春子が帰って来た。
「柚子、はい」
春子は帰ってくるなり通勤に使っているバッグの中から、一通の封筒を取り出した。
「なにこれ」
柚子は危なっかしい手つきで、なんとか三つ編みにした黒い毛糸にビーズを縫い付けている手を止めて、姉を怪訝そうに見上げた。
春子はにやにやと口元を弛め、目は弓の形になっている。
「ラブレターじゃない? あんたに渡せなくて私の出てくるのを待ってたみたい」
くふふ、と春子は弛んだ口を片手で隠した。柚子はそれを手にし、表に裏にと観察した。
宛先は『神ノ木様』と書いてある。
差出人の名前はない。きっと中に書いてあるのだろう。
「え~、お姉ちゃんにじゃないの?」
「そんなわけないでしょ? それ渡してきたのは高校生よ? あんたたちに比べたら私なんてオバサンよ。恋愛対象になるわけないし。それに」
「はいはい。お姉ちゃんには旦那さんがいるものね」
「まだ婚約者です」
柚子はまだ膨らんでいない春子のお腹に目をやった。
高校生なのにもうすぐおばさんと呼ばれる日がくる。柚子は変な気持ちになった。
柚子は封筒を手に自分の部屋に入った。
苗字だけのラブレター。
本当に自分宛なのか疑わしいところだが、姉の言い分は一理ある。姉は高校の食堂で働いており、調理場の奥にいることから、めったに生徒と接触はないのだから。
これまで彼氏いない歴イコール年齢な柚子は、緊張しながらハサミでそっとそれを開封した。
白い薄紙の便箋を取り出し、それを開く。
文面を読み進めて、柚子はそれがやはり自分宛のものでないという気がしてきた。
日頃の気遣いに感謝しているだの、優しい笑顔に癒されただの、見に覚えのないことばかりが羅列されている。
しかし、こちらが意識していないことで、相手に感謝されていることもあるかもしれない。
内気な男子が物陰からひっそりと柚子を見て頬を染めていたのかもしれない。
が、男なら正々堂々と正面からぶつかってこいと柚子は言いたい。
「まあ、悪い気はしないけどね」
二枚目の便箋に目を落とし、そして、柚子は最後の署名を見てあんぐりと口を開けた。
頬がかあっと熱くなり、いつか無理やり聞かされてしまった里紗の独り言が脳裏によみがえる。
『新田君は柚子のことが好きだからA定食を譲っているんじゃないかしら』
『柚子はその気がなくても新田君が柚子のことを気になっているのかも』
そして恋文は気が動転した柚子によって通学鞄の底に突っ込まれた。




