ねこまんま食堂のまかないメニュー おかわり1杯め
同級生が食堂で座るハピエン小説を書いてください、という診断メーカーのお題から創作しました。
カフェ・プリマヴェーラで働いていた新田寿くん高校生の頃のエピソードです。
「すみません、A定食ひとつお願いします」
「おばちゃん、A定食!」
二人の叫び声が重なった。
お昼休みの英稜高等学校学生食堂はとても混雑している。
前々から食券方式にしてくれと生徒会を通して学校に申し入れをしているものの、いまだに導入されないため、レジ前から食堂の出入り口まで学生の長蛇の列ができていた。
メニューはボリュームたっぷりA定食、栄養バランス重視B定食、それに日替わりうどん、日替わりラーメン、日替わりカレーは惣菜の小鉢付き。
先に会計係のおばちゃんに大声でオーダーして、お金を払う。
おぼんを持って、並びながら左へスライドしていくうちに、品出し担当のおばちゃんがごはんをカウンターに出してくれるのを自分でトレイに乗せるのだ。
食堂はガヤガヤうるさいので、ちょっとやそっとの声では、注文を聞き取ってくれない。
重なる声に会計係のおばちゃんは脇に控えていた品出し係のおばちゃんと顔を見合せた。そして申し訳なさそうに、そしてちょっと可笑しそうな顔で寿たちを見た。
「ごめんなさいねぇ、A定食はあとひとつなの」
注文を待つ列から落胆の声が漏れる。
学生食堂はレストランではない。ゆえに食材になるべく無駄が出ないように、各メニューには数が決められている。
育ち盛りの高校生に人気のA定食は数が一番多く設定されているにも関わらず、一番先に売り切れてしまうのだ。そのため、ルールはひとつ、早い者勝ち。
新田寿は、気を取り直し、黒い折り畳み財布から五百円玉硬貨を会計トレイに乗せて、落ち着いた声色でもう一度繰り返した。
「すみません、A定食ひとつお願いします」
「あーーーー! ズルい!」
後ろの女子は寿の背中でぴょんぴょん跳ねながら抗議した。すると、寿は半身を女子の方へ向け、にこやかな表情を崩さず言った。
「ズルいって、キミの方が後に並んでるでしょ。ごめんね、俺、お腹減ってるんだ」
「あたしだってお腹空いてるのに。あんた男でしょう? レディーファースト、騎士道精神、知らないの? 女の子に譲りなさいよ」
男子の方が一日に定められている摂取カロリーが高いのだと寿は口に出さなかった。
「食堂のルールは早い者勝ちだから。明日はもうちょっと早く来なね」
「あたしだって早く来たかったけど、現国の山田川に捕まってたんだよ~」
なおもくらいつく女子に寿は、口角をひくつかせた。
「確かに無駄に話が長い山田川先生に昼飯前の時間に捕まっちゃったのは気の毒だけど、ルールだから」
「明日じゃダメなの、今日のチーズチキンカツが食べたいんだから~!」
混雑している食堂のレジ前で揉めていることから、周りからイライラとした空気が流れてくる。
レジ前で財布を手にしていた寿は、にこやかな仮面の裏で、ルール無視上等とばかりに、わがままを主張する彼女にふつふつと怒りを感じていた。
彼女と共に食堂に来ていた友達は、なおも寿に食い下がろうとする諦めの悪い友人の腕を引いている。
小声で「柚子、幼児かあんたは。もう、よしな」と諫めているが、柚子は聞く耳を持たないようだ。幼児の方がもっと聞き分けがいいと寿は思う。
レジのおばちゃんも品出し係のおばちゃんも、奥にいる調理係のおばちゃんたちも成り行きを困った顔で見守っている。
寿は、はぁとため息をひとつついた。
「すみません、やっぱり俺ラーメンにします」
レジ係のおばちゃんは、寿の後ろの柚子の様子を窺いながら、おそるおそる言った。
「本当に良いのかい?」
「ええ」
諦めきった顔の男子と、気まずげなおばちゃんがお金をやりとりしている後ろで、柚子は目をキラキラさせ、彼女の友人は額に手を当てていた。
その後受け取った寿の醤油ラーメンにはおばちゃんたちからの慰めの気持ちか、ねぎが大盛にされ、その下にチャーシューがひっそり一枚多く隠れていた。
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ーー
「おばちゃん、A定食!」
元気な声でオーダーする柚子の後ろに、寿がいた。
寿は見覚えのある女子の姿に嫌な予感を感じつつ、後ろに並ぶ。
柚子は会計を済ませ、左にずれた。
「すみません、A定食をお願いします」
寿が言うと、会計係のおばちゃんは、ちらちらと先の少女の姿を気にしながら、申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、A定食、さっきので終いなんだよ」
「そう……ですか」
その会話を聴いていたらしい柚子が、レジを挟んで立つ二人に慌てた視線を向ける。
「え! 譲らないよ? あたしだって煮込みハンバーグ食べたいんだもん。食堂のルールは早い者勝ちでしょ?」
寿は柚子のあいかわらずの食い意地に心底呆れ、レジ係のおばちゃんは頬をひくつかせた。
「別にそんなこと言わないよ」
キミと違って。その一言を寿はのみ込んだ。
寿の柚子に対する第一印象、第二印象は最悪だった。
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英稜高等学校は一学年八クラスもある。
私立高校ではあるがいわゆる進学校ではない。理事長は当初進学校として有名大学へ多くの生徒を進学させたかったようだが、所在地の特色か進学率と就職率が六対四の割合で落ち着いている。
ここいら一帯は隣街のベッドタウンになっており、適度に田舎。そして、三葉稲荷の参詣道から駅前までを繋ぐ商店街が賑わっていることもあって、親の自営業を継ぐ意志のある子どもが入学してきている。彼らの大多数は家の手伝いをしなくてはならず、部活への入部が強制でないことと、ある程度の成績を保っていればアルバイトを許されている校風が彼らを引き付けていた。
もっとも親が自営業であっても進学するものも多い。
三年生になると、進学クラスと就職クラスに別れるが、一、二年生の間は関係なくクラスを割り振られる。
八クラスもあるので、高校三年間一度も同じクラスにならずに卒業することも珍しくない。
新田寿は現在高校三年生、男子だが二年目の料理倶楽部部長を務めている。
家は駅前でフランス料理店をしているが、寿自身は進学希望だった。
手先はもともと器用だった。中でも料理に関しては"門前の小僧習わぬ経を読む"のように、料理倶楽部イチで、中でもフランス料理を始めとした洋食が得意だ。
一年生の時、文化祭で活躍し、売上は部内過去最高記録を叩きだし最優秀賞に貢献した。
一年生の三学期、卒業間近の部長【女将】から指名される形で、二年の先輩たちを差し置いて料理倶楽部部長に就任した。
渡されたのは伝統の割烹着ではなく、フランス料理のシェフが着ているようなコック服だった。
そして二年生の文化祭では期待に応え一年の頃をさらに凌ぐ売り上げを出した。
成績もよく、クイズ研究会の友人と夏休み高校生クイズ大会に出演し、優勝した。
某料理専門学校主宰の高校生お料理コンテストも優秀賞をもらった。
料理することは楽しい。食べることも好き。
三年生になった現在、誰ともなく、いつしか彼のことを【伝説の料理長】と呼ぶようになった。
そんな順風満帆なように見える寿だが、この頃ツイていないと感じることが多くなった。
悩むというほど深刻なものではないし、落ち込んでいるわけでもない。
ただ、神ノ木柚子という女子が、A定食を譲ったあの日から、狙ったようにタイミング悪く現れ、寿の狙い定める食事をさらっていくようになったのだ。
どういった運命のいたずらか毎度定食は売り切れ寸前で、毎度柚子とは前後に並んでおり、ことごとく食べたいメニューは重なり、寿は柚子にそのメニューを譲らされ、柚子は寿にA定食を譲ることはなかった。
まるで疫病神だと寿は頭を抱えた。
彼女のことは、これまで知らなかった。
同じクラスになったこともないし、クラブも違う。通学路でも会ったことがなかった。
寿のこの様子は目撃者も多く、彼女と同じ中学だったクラスメイトの女子が寿のあまりの不憫さに教えてくれたのだ。
寿が彼女の素性を知りたがったわけではない。
まるで悪夢を見ているようだと寿は思う。
どんなに時間をずらしても、柚子と並んでしまうのだから。
友人は寿をからかって、「運命の出会い」だと揶揄するが、こんな運命の出会いはいらないと寿は思う。
あんな女と付き合ったらこちらが餓死させられることが目に見えている。
昼のチャイムが鳴り、教室がざわついた。学食と購買に行くものは足早に教室を出て行く。弁当のものは机を付け合ったり、ランチボックスを手にゆっくりと教室を出ていく。
いつもは学食に行くために立ち上がる寿が着席したままなのに友人、関本がいぶかしんで声をかけた。
「あれ、寿、今日は学食行かねぇの?」
「今日は弁当持ってきたんだ」
「珍しいな」
「学食は疲れるから」
「ああ、寿、食い意地張った女に毎回A定食譲ってやってるんだろ」
寿は優しいよな、俺なら絶対譲らねぇ、と関本は同情する。
言葉は言いようだな、と寿は苦笑するしかなかった。
「優しい訳じゃないけど。食べ物の恨みは怖いっていうし」
彼女の押しの強い執念深そうな様子に、余計なもめ事を起こしたくないと心から恐れていた。わがままな姉と妹のおかげでその恐怖はしっかり寿に沁み込んでいる。
「まあなあ、後ろに並んでるのに列割り込んでまでA定食かっさらっていく女なんて怖いよな」
ははっ、と乾いた笑いが漏れた。
フラストレーションが溜まって、帰ってから自分で夕食にチーズチキンカツや煮込みハンバーグを作って慰めているが、食べたいときに食べたいものが食べられないのは辛い。
それが何回も続くと前世に因縁でもあるのかとさえ疑ってしまいそうになる。
「飲み物買いに自販機行ってくる」
「あ、俺も行くわ」
寿は友人と一緒に教室を出た。
――――
―――
自動販売機は購買の横と、学食に入る手前の廊下の二ヶ所にある。
三年生の教室からは購買が遠いはずなのに、どうして、と寿は額に手を当てた。
天敵ともいうべき神ノ木柚子が自動販売機の前にいるのだ。
「おい、アイツ」
関本が肘で注意を促すようにつついてくる。
「ああ、分かってる」
「なぁ、寿は何を買うつもりなんだ?」
そうだなぁ、と遠くから飲み物の見本を眺める。
「お茶は持ってきているから、デザートにいちご牛乳、かな」
柚子には聞こえないような声で話しながら、二人は柚子が何を買うのか見ていた。
柚子はいちご牛乳の購入ボタンを押した。
すると、ゴトンという落下音と同時に、いちご牛乳の購入ボタンに売り切れのランプが点灯した。
寿は呆気にとられた。こんな偶然があるのかと。
友人は肩を小刻みに震わせていた。寿は無性に腹が立って、笑うのを我慢している関本にひざかっくんを仕掛けた。




