メニュー30 先輩たちへ
「ねぇ、シェフ! 茶碗蒸しこれでいいの?」
「竹串で刺して透明のだし汁が上がってきてるか? おう! それならオッケー」
「お肉どのくらいの薄さに切る?」
「あー、天ぷら揚げたらそっちに行くから待ってて! 美晴!」
「は~い」
「エビの背ワタ取れた?」
「うん」
「じゃ、こっちに……」
「タマちゃ~~ん!!」
「うぉー! 今行く!!」
賑やかな声が飛び交う調理実習室に、三年生の姿はない。
エプロンと三角巾を付けた二年生と一年生がてんやわんやと大騒ぎをしながら料理をしていた。
今日は土曜日。卒業式を1週間後に控えた料理倶楽部の先輩達をお招きして、夕方から「三年生追い出し会」という名のお別れ食事会なのである。ちなみに先輩たちはすでに先月で倶楽部を引退している。これでも受験を控えた三年生にとっては遅すぎるくらいの引退だ。運動系の倶楽部は大体夏の大会がラストだし、文化系でも吹奏楽やコーラスなどはコンクールを最後に引退してしまうのだそうだ。
二年生みんなで考えた献立は和食御膳。野菜とエビ、キスの天ぷら盛り合わせ、牛肉のたたき山葵ソース添え、野菜の炊き合わせ、銀杏入りの茶わん蒸し、酢の物は紅白なます。食後のデザートは白玉だんごと黒糖ゼリー、バニラアイスで盛り付けたミニパフェと飲み物はコーヒーか紅茶。
どうですか! この豪華な献立!
顧問の先生からも材料費のカンパがあって、この日ばかりはちょっといい材料を奮発しました。もちろん先生の分もあるよ!
大きな御膳用のお弁当箱は、咲くんがねこまんま食堂から借りてきてくれたもの。たまに仕出しも頼まれるから、こういうのも店に置いてあるらしい。皆で手分けして盛り付けて、なんとか時間までに準備完了。
菜箸片手に盛り付けの修正をしている咲くんの横顔は、立派な料理人だよね。
「よし! できた!」
「はーい、お疲れ様~」
「美晴先輩はこっち、こっち」
「シェフはこっちですよ~」
一年女子に引きずられるようにして調理室を出ると、隣の空き教室に引っ張り込まれた。
なになに?
「はい♡ 美晴先輩の衣装ですよ~~」
と、手渡されたのはまたしてもメイド服。南先輩の私物のとはまた違うデザインで、わすれな草のような淡い青色をしたワンピースにふりふりレースのエプロン……。
「えっ! これ、襟ぐり大きくない?」
「やぁだ、もちろんこのブラウス着るんですよ」
「良かった……でもこれ……」
スカート短すぎないかなぁ……。
柔らかな素材の白いふんわりパフスリーブのブラウスには胸元に紺色のリボンが付いていて可愛いけど、ワンピースの大きく開いた襟ぐりに胸が乗っかって、なんだか胸が強調されるみたいで恥ずかしい。
「メイド服似合うーー!! 超可愛いですよ! 美晴先輩!!」
「そ、そう?」
「はい♡ ハイソとミニスカートの間の絶対領域が堪りません! こんなに似合うの美晴先輩だけですよ。ささ、このカチューシャ付けて~、髪はフワフワにしてぇ」
なんだかんだと乗せられて人生二度目のメイド服着用になってしまいました。
他の女子たちも思い思いのコスプレ……というか仮装を始めてしまって、まるでノリは文化祭。
だからまあ、いいかとも思う。
皆で楽しめば恥ずかしくないよね。
着替え終わって教室を出ると、ちょうど男子も着替え終わって戻ってきたところだった。
ぶぷっ!!
ダルメシアンの着ぐるみ着てるの隼人くん!?
「あー!! 美晴先輩可愛いっすね! 見て見て~♪ オレも似合うっしょ?」
隼人くんが短い尻尾のついたお尻をフルフルさせてから一回転くるりとやってみせた。
うん、可愛い。
「金剛寺。あんま見んな、減る」
ダルメシアンの顔をグイっと勢い良く後ろに引かれて、隼人くんがブリッジ状態になってますけど大丈夫かな。
咲くんは不機嫌そうな顔をしているけど、高級レストランのウェイターみたいに制服のシャツの上から臙脂色のベストを羽織って、カーキ色の長いギャルソンエプロンをしていた。その姿がとっても良く似合っていて、とってもカッコイイ!!
写真! 写真撮りたい!!
「あ! 美晴先輩! タマちゃん先輩と写真撮りましょ~♪ 撮ってあげますよ!!」
一年女子の皆さんが心の声を読んだかのようなタイミングで言ってくれた。
今日の追い出し会の会場は、いつもの倶楽部の後の試食会とは違い、中央学食を借り切る。
北側にはいつかの卒業生が卒業記念に贈ったレリーフが貼られている壁と、学食らしいカウンターと食器返却口がある。西側はただの木目を晒した壁なんだけど、東側と南側にはカトレアの花を模したステンドグラスが嵌め込まれていた。柔らかな光が彩色されて濃い色の床に模様を落とす。カトレアの花はうちの学校の校章にもデザインされている花なのだ。
そのステンドグラスの前に押し出された私達は、手にトレイを持たされた。
「えっと咲くん、どうかな」
「……また、そんな格好させられやがって……(可愛いに決まってる)」
「え? 何?」
「何でもない」
身長差があるから話す時は、私は咲くんを見上げて咲くんは下を見下ろす格好になるのがいつものスタイル。だけど、咲くんはさっき一度顔を合わせた途端、弾かれたように顔を上げてしまって、その後は目も合わせてくれない。
「どうしたの?」
「なんでもない。何も見てない」
「?」
チャイナ服とティンカーベルに扮した後輩たちがスマホを向けながら手を振った。
「タマちゃん先輩~!! こっち見て下さい~~!」
「……咲くん、呼ばれてるよ?」
「ああ……」
咲くんはますます不機嫌な表情で、心なしか頬が赤い。
そういう私もスカートの丈が気になってしまう。
「はーい! 撮りますよ~~」
パシャリ。
スマホのシャッター音が幾つか鳴る。
「美晴先輩のアドレスに送っておきますね~」
「うん、ありがとう」
そして、時間になって三年生たちが学食に入ってきた。
みんなが給仕になって席に案内したり、お冷を出したり仕事を分担して行なう。
「美晴ちゃ~~ん! 可愛いっ! 私の為に?」
「いえ、一年生達に着せられまして……」
「グッジョブ!!」
「イェ~~イ!」
のりこ先輩が入ってきた途端に抱きついてきた。そして一年生達に親指を立てて労う。そして通りがかった咲くんににやりと挑戦的に笑う。
「タマちゃん羨ましかろう」
「……別に」
もう、のりこ先輩ったら。咲くん不機嫌な目つきで出て行っちゃった。
ありゃ、西先輩は真っ赤な顔をして会釈すると隼人くんに案内されて行っちゃった。
「京子先輩」
「よ! ミツバ商店街公認カップルおめでとう!」
「やめてください~」
倶楽部を引退したら三年生とは本当に一緒の校舎にいるのかな、っていうくらい顔を合わさなくなるので、なんだか懐かしい。
二年の男子と咲くんが盛り付けたお弁当が乗ったワゴンを押して入ってきた。咲くんは室内にいる一年生にそのワゴンを任せて踵を返した。そうだ、お料理をこっちに運ばないと。
京子先輩をのりこ先輩の隣の席に案内してから、咲くんの後を追った。
「咲くん! 私も運ぶ」
廊下で追い付いたけど、こちらをチラとも見ようとしない。早足で歩いていた咲くんが私に合わせて少しゆっくりになってくれたので、並んで歩く。右手の中指と薬指だけを絡めて手を繋いでみた。
「……なにか怒ってる?」
顔を覗き込むように斜め上を見上げると、ちらりとだけ視線があった。ホッとしたのも束の間、ギョッとした表情を一瞬して進行方向を凝視する咲くん。変なの。
「別に」
「咲くんの格好、カッコイイね」
「……どうも」
機嫌が悪い訳じゃないならいいっか♪
さて、お給仕しますよ。カフェで働いている私の本領発揮です!!
◇◇◇◇◇
「美晴ちゃん、み・は・る・ちゃん! ケチャップで萌えお絵描きして~!」
「も、もえお絵描き、ですか?」
え? 今日のメニューにケチャップ塗りたくるようなのありましたっけ?
しかも『もえ』って書けばいいのかな。書くなら『のりこ』とか『♡』とかの方がいいんじゃないかなぁ。でも、どこへ?
「南先輩、俺がやりますよ」
「え? 咲くんが?」
後ろにいつの間にか来ていた咲くんは学食の備え付けのケチャップを手にしていた。そして、のりこ先輩の絶叫の中、のりこ先輩の牛肉のたたきはケチャップにまみれた。あーあ、そのままの方が絶対美味しいのに。
一通りの給仕が済むと私達も席に座り、お別れ会が始まる。
まずは顧問の先生の挨拶から。実は顧問の先生は家庭科の先生ではない。家庭科を教えている先生は昔ソフトボールに青春を賭けていたらしく、その熱意を買われてかソフトボール部の顧問なのだ。今日もグラウンドで生徒と一緒に少し大きめの白球を追いかけているはず。
料理倶楽部の顧問は、現国の林先生。まだ若い先生で生徒人気は高いんだけど、倶楽部活動の指導はあまり熱心ではない。だから普段は割と好きにさせて貰っている。出来たお料理を職員室に毎回運んでいるんだけど、それが独身の林先生の夕食代わりになってるとか、なってないとかいう噂だ。
「三年生のお前たちがこの一年間みんなを引っ張っていってくれたおかげで、二年生も一年生もここまでのことができるようになった。だからお前達は安心して来週卒業して欲しい。そして自分の思い描く将来の為に一歩一歩階段を上って行って欲しいと先生は思う。ここで身に付けた技術は、将来必ず自分の為に、そして自分にとって大事な人の為になると思う。三年間料理倶楽部に在籍したことをいつか誇りに思える日が来ると思う。先生はいつもお前らの作った美味しいご飯を食べてきたから、その成長が良く分かる……」
どんどん涙声になっていく林先生の挨拶が済んで、咲くんが二年、一年代表で言葉を贈る。
「ええと先輩方、これまでありがとうございました。先輩達のご指導を胸に留め、後輩の指導も励み、料理倶楽部をこれからも盛り上げていきたいと思います」
のりこ先輩がハンカチで目を押さえながら、部長として立ち上がる。目が真っ赤で鼻をすすり上げながら笑おうとしている先輩に、釣られたように目頭が熱くなる。のりこ先輩の声は涙で濡れて震えていた。京子先輩がのりこ先輩の手を握る。
「林先生、二年、一年のみなさん。今日は私達三年生の為にこんなに立派なお別れ会を用意してくれて、ほんっとうにありがとうございました。私達は時に頼りない先輩だったかもしれないけど、みんなと一緒に駆け抜けたこの三年間の事、忘れられません。今年は文化祭で一位も獲れて、改めてみんなのチームワークの良さと、頑張りを見せて貰って、最後に良い思い出プレゼントして貰って……本当にありがとう! 一年生のみなさんは一年間しか一緒に出来なかったけど、4月に入部したときは包丁も握れない子もいたのにって、その成長に驚かせられました。二年生のみなさんとは二年間一緒だったね。みんな本当にお料理を作ることが好きで、食べることが好きで……へへっ。私達三年生を負かしそうなほど熱意を持って頑張ってくれてました。安心して後を任せられます。そこで、みんなで話し合ったんだけど次の部長は玉野咲くんを任命します。みんなもそれでいいかな?」
意義なーし! という声がみんなから返ってくる。
のりこ先輩はその声に嬉しそうに笑ってひとつ頷いた。
「だよね。玉野くん以外にはいないと思うので、どうぞ来年度から部長として料理倶楽部を引っ張っていって下さい」
「はい。頑張ります」
力強く咲くんが頷いた、誰もが賛成で、拍手が沸き起こる。
「そして、副部長なんだけど……タマちゃんの女房役は彼女しかいないよね!」
のりこ先輩と目が合う。
三年生全員と目が合う。
二年生全員と目が合う。
一年生全員と目が合う。
隼人くんは親指を立てたコブシを突き出している。
そして、咲くんとも目が合った。
「渡瀬さんの努力する姿は、みんなのいい刺激になると思うの。お願いできるかな」
みんなが温かい笑顔で見てくれている。だから。
「料理もまだまだ下手で、みなさんに教えて貰うことの方が多いかも知れませんが、やるからには咲く……玉野部長をしっかり補佐できるように頑張りたいと思います……よろしくお願いします」
部員みんなに向かって深々とお辞儀した。温かい笑顔と同じ温度の拍手で迎えられた。
「頑張ってね! じゃあ来年度からのうちの『女将』は美晴ちゃんってことで、代々女将に受け継がれてきた割烹着を譲ります」
清潔な匂いのする畳まれた白い割烹着が、のりこ先輩から手渡された。
そして一週間後、のりこ先輩たちは卒業していった。
まだ硬い桜の蕾の下を校門までアーチを作ってのお見送りする中、誇らしげに胸を張って通り過ぎる先輩たち。
目が赤く潤んでいる先輩もたくさんいたけれど、その笑顔には高校生活が充実していたことが表れていた。
そして卒業式から一週間後には、玉野先輩……咲くんのお兄さんは日本を発つのだそうだ。




