ねこまんま食堂のまかないメニュー その15
それぞれのバレンタイン。
【健太side】
彼女が笑う。
ちょっと拗ねた顔も可愛い。
泣き顔がブサイクじゃない女の子なんて珍しいんじゃないか。彼女の泣き顔はとても綺麗で……まあ、気丈な彼女はあまり見せてくれないわけだけど……。
ああ、どこでそれを見たかって?
俺の前で彼女が泣くわけないじゃんか。偶然だよ、偶然。
無人の教室で……ひとり肩を震わせて静かに泣いていた。
胸を貸してあげれたら、と思った。ハンカチ代わりにならいくらでもなるのに。でも彼女は人の気配に気付くと俯いて長い髪で顔を隠しながら足早に去ってしまったけど。
俺が自分のロッカーからスポーツタオルを出した後見れば、彼女の席には涙の跡がにじりつけられたように濡れていた。
「彩子ちゃ~~ん、チョコちょうだい!」
彼女の姿を見つけて犬よろしく思わず飛び付いた。
彼女の前にいた渡瀬の存在をすっかり忘れていて、ドシンとぶつかった。
彼女がよろめいた渡瀬に手を貸しながら俺を睨みつける。
「ちょっとケンタ! 美晴大丈夫?」
「ごめん渡瀬」
「ううん、大丈夫」
ああ、睨んだ顔も可愛いよ。
その視線を全部独り占めしてしまいたい。
「ったく、しようがないわね。義理よ、義理、義理!」
分かってらい。ぐっすん。
そんなに歯ぎしりみたいにギリ、ギリ言わなくてもいいだろ。
義理でもいい。俺にチョコを用意してくれていたことが嬉しい。しかもこんな立派なチョコ!
チロルでも5円玉チョコでも貰えればラッキーって思っていたのに。
これは誰にもやらん。
誰かに見つかる前に隠してしまわなくては。そして後でゆっくり食べるんだ♪
「お! 咲おっはよ!」
「おっはよ」
「なあ、見て見て! 彩子ちゃんが貰ったんだ♪」
あ。内緒にしようと思っていたのにすっかり忘れていきなり暴露しちまった!!
「良かったな、くっそー、羨ましいっ!」
首に技をかけながら親友は自分のことのように喜んでくれた。
少しの悲哀の色を声に滲ませながら。
おろ?
咲は渡瀬から貰えるだろ?
さっきぶつかった時に、自分より鞄を守る渡瀬をみた。
だから大丈夫だろ?
でもまあ、不安な気持ちはよく分かるぜ。
貰ったやつの優越感に浸っていたら、咲が消えた。
あれ? 咲どこ行った?
家に帰って自分の部屋の中央で正座をし、彩子姫から賜った封印されし伝説の宝箱の緒を細心の注意を払って解放する。
ドキドキワクワクしながらこっそり開けた箱の中には……チロルチョコが整然と6粒納まっていた。
ヌガー、ジャム、ビスケット、ミルク、モチ入り……右端下段のはバレンタイン限定のメッセージが書けるやつだった。
そこには彩子ちゃんの筆跡で『義理!』とある。
このツンツンがたまらねぇ~。
自筆のチロルに頬擦りをする。
手が届かない高嶺の花だと分かっていても、会うたびに好きだという気持ちがつのるんだ。
きっと何回生まれ変わっても、俺は彩子ちゃんに恋するよ。
「兄貴、キモ! 重いし!」
いつの間にか声に出ていたのだろう。中二の妹が汚いものを見るような目で一瞥して自分の部屋に入っていった。
【涼夏side】
「成瀬くん、今日誕生日なんだってね。おめでとう」
「ありがとう……!」
「どうして知ってるの? って顔してる」
「うん。どうして知ってるの?」
成瀬くんが恥ずかしそうに笑った。その手にちいさなギフトボックスを渡す。
中身は普通の義理チョコなんだけどね。
それにスキー旅行のお土産を貰ったお返しにリストバンドも付けてみた。
「クリスマスの時に交換したアドレスに0214って入ってたから、もしかしてと思って。間違えてなくて良かった」
「教えてないのにって俺もビックリした。バレンタインの日が誕生日なんてちょっと恥ずかしいと思ってたんだけど、そっか、アドレスか」
成瀬くんの腕が箱を受け取った時のままフリーズしている。
「あのさ、涼夏、ちゃんって呼んでもいいかな」
やけに真剣な顔の晃大くん。そんなに緊張しなくてもいいのに。私達友達でしょう?
「もちろん。じゃあ私も晃大くんって呼ぶね」
「うん! あ、プレゼントありがとう」
晃大くんがパタパタと教室に駆け込んだ。その後に続いて私も教室に入ろうとした時、背後から声が掛かった。
「あーあ、晃大かわいそう。期待しちゃったよね~」
「……秋生。そんなんじゃないったら」
腕を組んで背中を柱に凭れかけながら、けだるそうな雰囲気を醸しつつ、秋生は薄く笑っている。
これを色気があるとか騒いでるヤツ出てこい。
アンタだよ、教室の窓からチラチラ様子見るの止めてください。
「涼夏ちゃんは残酷なことするよね~」
そう言いながら、右手をすっと私の方に伸ばした。
「……その手はなに?」
「俺の分。もちろん本命だよね」
にっこり笑って、当然貰えると疑ってない表情が憎らしい。
男子バスケ部でスタメンの秋生は、女の子に人気がある。
デートだけ、とかそんなフザケた付き合い方しかしてないのに、デートの相手は事欠かないらしい。
ほら、女の子がたむろしてきた。
違いますよ、私は秋生にチョコなんか渡しませんから後ろに並ばないでください。
「ない。……他の娘に貰ったら?」
ニヤついている秋生を意識して冷たく一瞥すると教室に逃げ込んだ。
ほら、追いかけてもこないじゃない。女の子に囲まれてデレデレしちゃってさ。
秋生宛てのチョコは今年も渡せず、鞄のなかに取り残されていた――――。
【のりこside】
「遼ちゃん、はい」
「ありがとう、のりちゃん」
にっこり笑顔を作った遼ちゃんは、私の手から可愛くラッピングされたチョコレートを受け取り、鞄にしまった。
外部受験組は殆ど登校しない3学期も、この日だけは浮かれたように騒がしく登校していた。
予防のための白いマスクが真剣でどこか滑稽だね。
そんな2月14日。私は職員室から出てきた遼ちゃんを捉まえ、人が少ない廊下まで引っ張って行ってからチョコレートを手渡した。
料理倶楽部部長としては結構頑張ったブラウニー。ナッツかたくさん入っていて美味しいよ?
「のりちゃん、ちょっとこっち」
遼ちゃんは私の手首を握って、手近な無人の薄暗い社会科準備室に連れ込んだ。
まさか、遼ちゃんがそんな大胆なことするなんて!
私の心臓は無責任にドキドキと早鐘を打つ。
ちょっと期待したシチュエーションはなかなか訪れず、遼ちゃんは自分の鞄に手を突っ込み、何かを取り出した。
「これ貰ってくれ。プリマヴェーラの茶菓子だけど」
「あ、ありがと」
差し出された物にはつい手が前にでちゃうんだけど、その両手に乗せられたのは私が遼ちゃんに渡した物よりさらに女子力の高そうなラッピングを施された箱。
「咲がいつも世話になってるから」
私が世話してるのはむしろ遼ちゃんだと思うんだけど……。
そしてこの中にはきっと、私が焼いたブラウニーよりも絶品の遼ちゃんお手製のお菓子が入ってるんだろうな。
部屋が薄暗いおかげで笑顔が引き攣ってしまったのを、遼ちゃんには気付かれなくて良かった。




