ねこまんま食堂のまかないメニュー その13
【東 京子side】
それはまことしやかに流されていた噂だった。
「2組の南さん、妊娠してるらしいよ」
「え!? マジで?」
「西産婦人科に入ってくのを見た人がいるんだって!!」
「妊娠三ヶ月だからおろせなかったんだって!」
「ええーー? え、相手は誰ーー?」
「……の……とかいう噂~!!」
「ええーー? マジぃ?」
女子トイレの鏡の前で。
三年生の教室が並ぶ廊下で。
いやいや、22週未満なら出来るからとか、そういう知識はこの際置いといて、この根も葉もない噂、どうなってんのよ。何がどうなってそうなった!
私はのりこを探して2組の教室に飛び込んだ。
彼女は教室の自分の席にいた。おしゃべりしているグループを避けて彼女のところへと向かう。
「ちょっと、のりこ。あなたに関する面白い噂を聞いたんだけど」
机に参考書を並べてにらめっこをしていた親友に頭の上から言ってやった。
彼女は「んんー?」と顔を上げるやいなや、にやっと笑った。
「で、相手は誰なのよ」
追い討ちをかけて質問をする。
もっとも噂が本当だとは私は信じていない。
ただ親友として、よりによってこの時期の彼女の不名誉な噂に我慢がならないだけだ。
「誰になってるの?」
暢気にも彼女は愉しそうに質問を質問で返した。
「噂では金剛寺くんとか言ってるけど……」
「参ったなぁ」
彼女はからからと笑う。
「参ったなぁじゃないじゃん。どうすんのよ」
「うう~ん、放っといてもいいんじゃない?」
まるで他人事のようだ。
「南さん、ちょっと……」
生徒をかき分けて、担任が教室に入ってきた。
「ちょっと行ってくるね~」
のりこは担任の後ろについて、教室を出て行った。
ざわざわと教室が静かに、不気味にざわめく。
生徒指導室から帰ってきた彼女は相変わらず溌剌としていて、こちらが逆に不安になる。
「京子、考えすぎるの良くないよ」
「誰のことで心配してると思ってるのよ!」
ダメだ、興奮してきたら涙が溜まってきた。
「もう。他人の事で泣けるなんて、京子は優し過ぎるんだから」
親友はポケットから出したハンカチで、そっと涙を押さえてくれた。
「本当の本当にデマなんでしょ」
「もちろんよ」
本当のデマだなんて言葉が混乱している。でも親友はそれをからかうことなく、当然だと微笑んだ。
「火のないところには煙は立たないのよ。心当たりあるの?」
「あーー、あるにはある」
彼女はポリポリとこめかみを人差し指で掻いた。
「どういうこと。まさかこの前、ついに金剛寺くんに告られたって言ってたよね」
「あはは。あーー、でも彼はフラれた腹いせに悪い噂を流すような人じゃないよ。彼は真っ直ぐな男だから」
それにしても、とのりこは続ける。
「……遼ちゃんとは噂の一つも立たないんだよねぇ。まあいいけど」
少し落ち込んだ様子ののりこが小声になった。
「いや、実は、根と葉はあるんだよね。西産婦人科に受診したのは事実だしさ」
緊張してコクンと喉が鳴った。
反比例してのりこは声を潜めてはいるものの、通常モードのままだ。
「実はおかしな位置におできが出来ちゃってさ。さすがの私も加東皮膚科のイケメン先生にはみせられないっていうか」
たはは、と彼女は笑う。
「毛穴からバイ菌が入ったんだろうって。夏に水着の為に処理してたからさ。その後も何度か処理してたし。やりかたがまずったのかもね。京子も気を付けなよ」
「なあんだ……でも噂、そのままでいいの?」
「わざわざ一人ひとりに訂正しにいくわけにもいかないし、いいんじゃない? 七十五日も経ったらみんな忘れるよ」
人の噂も七十五日ってやつ……?
「暢気過ぎるよ、それじゃ卒業しちゃうじゃん」
いいの、いいのと彼女は、参考書の束から何故かフランス語会話のテキストを手に取り鞄に戻した。
その後、噂は急速に鎮火した。
みんな受験の追い込みで噂が長続きしなかったのと、のりこが余りにも堂々としていたこと。
そういったことが、色々と重なったのかもしれない。