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おいしい料理のつくりかた  作者: 紅葉
おいしい料理のつくりかた本編
43/82

メニュー25 少年よ大志を抱け

 商店街に平行しているように作られている裏通りに入る。ここは商店街のお店屋さんのプライベートな玄関が軒を連ねているから、裏通りとは言っても陰気な感じはない。

 むしろ生活感溢れた感じで、軒下に長椅子を置いて、どこかのご隠居さんたちが碁に興じているような雰囲気なのだ。


 【カフェ プリマヴェーラ】の裏側、蝶野さん家の軒下に自転車を停めさせてもらう。鍵をしてチェーンもしっかり掛ける!

 なにしろ駅前交番お巡りさんが巡回でそう指導していったばかりだし。


 鍵の付いてない自転車は、よく盗難に遇うんだって。その次はダブルロックしてない自転車と高級スポーツ自転車。

 私のは普通のママチャリだけどね。それでも無くなると困るんだから。


 お巡りさんの話だと、鍵ひとつだけなら知識がある人にはすぐに外せちゃうものらしい。

 前の家の時に自転車の鍵を無くしちゃって、後輪を持ち上げて自転車屋さんまで歩いたのになんたること!

 少しだけその知識欲しいと思ってしまったのは内緒なんだけどね。


 そして裏通りと商店街を繋ぐ脇道に入り、商店街側から店内に入った。


 夕方でランチも主婦の買い物タイムも過ぎているので、店内は少し閑散としている。

 この後少ししてから大学生や会社帰りの社会人で店内は埋まってしまうのだけれど。


「おはようございます」

「おはよう。待ってたのよ」


 春子さんが朗らかに迎えてくれるけれど、内心はどうなんだろうか。

 店員兼店長さんな春子さんは、これからがお昼ごはん。そして、子どもさんの幼稚園のお迎えをしなくちゃいけない。4歳の娘さんは春子さんそっくりなのだそうで、幼稚園の後、近所の春子さんの自宅で同居のお爺ちゃん、お婆ちゃんに相手してもらうのだそう。シングルマザーって大変だなぁ。だからなのか、玉野先輩は春子さんに色々と協力的なのだ。一度店が凄く混んでいた時には、春子さんの代わりにホールに出て接客もし、調理もしていた。

 幼稚園のお迎えは、ID登録してある保護者にしか子どもを引き渡して貰えないから、どうしても春子さんは店を離れなければならなかったからなんだけど、その玉野先輩の態度が私に対するものと180度違うっていうか。

 いや、でも今さらあんな態度を取られたら鳥肌立っちゃうからごめん被りたいけどね。



「遅くなってすみません」


 バックヤードに駆け込み、手早く着替えるとカウンターに立った。

 店内にはお食事中のお客様が一人だけか、うん、なんとかなるでしょ。


「良いのよ。じゃあ、少しだけよろしくね」


 切れ端を挟んだクラブハウスサンドが載った皿と珈琲の入ったマグカップを手に春子さんはプライベート空間に入った。


 珈琲を始め、紅茶、スパークリングドリンクの作り方は、バイトを初めて直ぐに春子さんに徹底的に仕込まれた。

 もともと暗記は得意だから珈琲、紅茶の銘柄を覚えるのは苦にならなかったし、紅茶も珈琲も一人分の量の目安は決まっているので軽量して手順をきちんと踏めば失敗はしなくなった。


 春子さんが不在になるこの時間は、軽食の注文はほぼ無くて、あってもケーキセットが出るくらい。玉野先輩が前日に仕込んだカット済みのケーキをお皿に乗せるだけなので、私でも十分お留守番は出来る。それに、春子さんが本当に不在なのは後半30分だけで、今なら奥にいてくれているという安心感もあるからね。


 私がバイトに入るまではどうしていたのか心配になって聞いてみると、ひと月前まで大学生のアルバイトがいたんだって。卒業が決まって辞めることになって、困っていた春子さんの為に玉野先輩がお手伝いしていたのだそう。だからホールも手慣れていたのかと納得した。だけど遼くんも受験生だからね、と春子さんが残念そうに話してくれた。


 近所のよしみだとか言っていたけど……。

 もし変な関係だったらのりこ先輩にチクってやるんだから。

 あ、玉野先輩というのは、「君に【お兄さん】と呼ばれたくない」って言われたからこう言うことにしたのでした。

 だって、何だかんだと毎日会うんだもの。

 呼び名がないと不便だし。のりこ先輩みたいに「遼ちゃん」とか「遼先輩」と呼ぶ勇気はない。

 ましてや「副会長」はないし。




 ウェイトレスの制服だと言って渡されたのは、白い半袖ブラウスに黒いパンツ。それに焦げ茶色のエプロンだった。

 どんな制服を着させられるのかと、文化祭のことを思い出しながら戦々恐々としていたから、ほっと安堵の息が漏れた。

 それを見て春子さんは、にこりと微笑んだ。


「メイドさんみたいなヒラヒラスカートも可愛いんだけど、下から盗撮とかされたら嫌じゃない? まあ、うちのお客さんでそんなことする人はいないって思いたいけどね。それに動きやすいのがいいと思うし」


 と、フフフッと悪戯っぽく笑っていた。


 確かにソファ席だとお客様の目線に合うように屈んだりするから、スカートの裾を気にしなくていいのはありがたい。


 そんなことを考えながらお店の番をしていると、玉野先輩が出勤してきた。

 挨拶を交わすとさっさと奥の厨房に籠ってしまう。


 咲くんの家では、プライベートな空間だった一階の3分の一のスペースは、ここ【プリマヴェーラ】では厨房になっている。

 サンドイッチを作ったり、日替りランチプレートを盛り付けたりといった簡単な調理は、このカウンターの中でも出来るんだけど、玉野先輩は奥の厨房でケーキを焼いているみたい。


「本日の珈琲が1点とチーズケーキ1点ですね。880円になります」


 レジに立ってお客様から1000円札を受け取る。レジを操作してお釣りとレシートを渡す。

 お客様を笑顔で見送ってから、テーブルを片付けていると、カラカララとドアの開閉する鐘の音が店内に響いた。


「いらっしゃいま……せ」

「美晴ちゃん、遼いるだろ。出してくれ」


 何だか機嫌の悪そうな表情の咲くんちのおじさんが入ってきた。それに続いて咲くんまで。


「咲くん……」

「ちは。悪い……」


 簡単な返事だけ残しておじさんの座るソファの横に椅子を持ってきて座った。


 2人ともこっち来ちゃって【ねこまんま食堂】大丈夫なのかな。


 内緒にしていたバイトが意外な形で咲くんにバレたというのに、私はまずそんなことを心配してしまった。


 おじさんが口を一文字に結んでソファに座っているので、奥の厨房にお兄さんを呼びに行くことにする。


 それしかないよね。





 ムスッとした表情のお兄さんが、おじさんの向かいに座る。

 どうしていいか分からなくて、とりあえずお冷やとおしぼりを恐る恐る3人の前に置いた。


 咲くんがそんな私にクスッと小さく笑う。


「美晴、そんなにビビんなくて大丈夫だから。いくら親父でも余所の店に迷惑かかるような暴れ方しないと思うし。とりあえず珈琲3つくれる?」

「はい。あの……珈琲、どれに致しますか」

「すっかり板についてるのな。うーんと、あ。本日のおすすめ珈琲でいいや」

「3つとも?」

「うん」

「かしこまりました」


 軽く礼をして伝票に注文を書くと、珈琲を淹れ始めた。

 挽いた珈琲粉を計量してフラスコにお湯を入れる。ランプでフラスコを加熱して沸騰させる……。


 ロートに上がっていったお湯が、珈琲粉を泳がせ周りに珈琲の香りが立ち昇る。






「お前、菓子屋になりたいのか」

「調理師専門学校の製菓コースに行きたいんだ」

「なに言ってんだ、今さら。店は継ぐ気はないのか」


 おじさんと玉野先輩の会話が聞こえる。

 おじさんは不機嫌そうな顔だけど、落ち着いている雰囲気。でも玉野先輩は、どこかイライラしているようにも見える。


 低い声って意外に通るのよね、と思いながら聞いていないふりで、再びフラスコに戻ってきた珈琲を温めたカップに注ぎ分けた。


「おまたせしました」

「ありがと」


 テーブルにコーヒーカップとミルク、砂糖壺を置いてカウンターの中に戻ると、咲くんが席を立ってコーヒーカップ片手にカウンターの近くのテーブルまで移動してきた。


 お客さん少ないから良いけどね。

 

「俺に定食屋は向いてない。親父だって本当はそう思っているんだろ。長男だからって店を継がなきゃいけないって法はない」

「確かにそうだ。定食屋の才能っていう点では咲に劣る」


 おじさんに面と向かって言われて、玉野先輩が傷付いた表情を浮かべた。


「菓子作りをやりたいならやればいい。だが全力でやり遂げろ。応援はしてやる、親だからな」

「……目指しているのはパティシエだって言ってるだろ」

「まあ、なんだ。遼は咲に遠慮しているところがあるからな。自分のやりたいことにもっと貪欲になってもいいと思う。だが、そのパティシエだって道は簡単じゃないぞ」

「分かってるよ」

「やっぱりなれませんでしたって帰って来ても、店は咲に継がせる。お前の居場所は無いぞ。それでいいんだな」


 おじさんが玉野先輩に真剣な表情で問う。


「良いって言ってるだろ」


 玉野先輩もおじさんをまっすぐに睨み返して返事をした。

 

 少し冷めたであろうコーヒーをおじさんは飲み干すと、どっこらしょと立ち上がった。


「美晴ちゃんごちそうさん。お会計いいかい?」

「あ、はいっ。ありがとうございました」


 おじさんはコーヒー3杯分のお会計を済ませて、急ぎ足で帰った模様。

 テーブルをひっくり返すような喧嘩になったらどうしようと思っていただけに拍子抜けした。


 咲くんは帰らなくていいのかな。なし崩しで玉野先輩がお菓子作りを趣味にしているってことは内緒じゃなくなったんだろうかとグルグル考えるけど、答えは出なかった。


「兄貴が碌に親父と将来のこと話合おうとしないからだよ。反対されると思ってたのか?」


 咲くんが玉野先輩に問いかけたけれど、玉野先輩は一瞬きゅっと唇を引き結んで無言でコーヒーを飲んだ。そして立ち上がって咲くんの横に立つと、咲くんをぎゅうっと羽交い絞めに抱き締めて力強くヨシヨシした。


「咲のくせに生意気。僕は僕の道を進む。だから【ねこまんま食堂】は咲に任せる。親父の顔に泥塗るなよ」

「……おう」


 ブスッとしながらも大人しくされるがままになっている咲くんの返事を聞いて、晴れやかに玉野先輩は笑顔を見せた。そして、奥の厨房に戻っていく。


 そして、【カフェ プリマヴェーラ】の店内には私と咲くんの二人きりになってしまった。


「で、美晴。こでバイトしてたんだ」?


 イジワルそうな笑みを浮かべてカウンターに寄りかかっている咲くんが初めて怖いと思った。


「う……う、ん」

「いつから」

「えーと、半月前から?」

「なんで疑問形」


 くすっと咲くんが愉快そうに笑う。


「どうして俺に内緒にしてたの?」

「内緒にするつもりはなかったんだ……よ?」


 どうしても真っ直ぐ目を合わせられなくて反らし気味になってしまう。

 普段不機嫌そうな顔が標準の咲くんがにこにこしている。非常に怖いです。


 早く春子さん帰ってきて~~!

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