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おいしい料理のつくりかた  作者: 紅葉
おいしい料理のつくりかた本編
40/82

メニュー22 バレンタインの甘い罠

お兄ちゃん登場~。

 色とりどりの包装紙に包まれたチョコレートボックス。

 手作り用のキットに、製菓用と印刷されたチョコレートの大袋。

 可愛いアルミのカップや、ギフト用の箱。


 可愛いデザインのチョコやお洒落な箱を見ているだけで何だかワクワクする。


 デパートの店内は地下食品売場、化粧品売場、婦人服売場から紳士服売場までキュートなバレンタイン仕様に変化していた。もちろん催し物会場はいわずもがなバレンタインギフト一色に塗り替えられている。


 日曜日なのもあって、年齢層も様々な女性客で賑わっていた。キョロキョロしていると、背中のスッと伸びたスーツの男の人に声を掛けられた。


「何かお探しですか?」

「ええと。同級生に渡すチョコレートを……えっと、義理なんですけど」


 左胸に付けた金色のネームプレートに【フロアマネージャー 佐藤】と書かれたその男の人は、私のしどろもどろの返答に優しい笑みで軽く頷いた。


「どういったものをお探しですか?」

「ええと……美味しくて、……すみません、あまり高くないもので……」


 佐藤さんは、もうひとつ頷いてから思い当たるものがあったのか、にこりと笑みを見

せた。


「そうですね、……ご案内致します」


 佐藤さんの後ろについて店内を巡る。

 左耳に付けられたイヤホンからは何が聞こえているんだろう。でも働く男って感じだなぁ。


 佐藤さんの背中を追いかけつつ、やはり周りのショーケースに目がいっちゃう。


 艶々したほとんど黒に近い色のビターチョコレートから、ミルクたっぷりと見てとれるカフェオレ色のミルクチョコレートまでグラデーションのように並んでいる。


 これだけのグラデーションが並ぶと壮観だなぁ。形は四角くてカードみたいだけど、素朴で可愛いイラストとフランス語のメッセージがついたラッピングが可愛いと思う。


 でもなぁ、地味かなぁ。


 他にも薔薇やくまのぬいぐるみのような形に固めてあるもの、四角やオパール型のシンプルな形の上に繊細な飾りがしてあるもの、金色や鮮やかな色でチョコレートの上に直接印刷してあるもの……。


 どれも美味しそう。全部ちょっとずつ味見が出来ればいいのに。ショーケースに並んだ宝石のようなチョコのお値段には目を剥いた。一個で400円て、なにそれ!


「少量入りのお箱でしたらご予算的にもご安心ですが、学校でたくさん配られるということであれば、手作りもおすすめですよ。プロのショコラティエのチョコレートが美味しいのはもちろんですが、心のこもった手作りは相手様の心に届くと思われますよ」


 うーん、やっぱり手作りか……。それしかないのか。


 料理は咲くんのおかげで少しはマシになってきたけど、お菓子は未挑戦。

 女の子なら一度はお母さんとお菓子作りとかするものなんだろうけど、忙しく家事と仕事を両立させてる母にそれは言えなかった。母も苦手みたいだったから、時間を作ってまでお菓子作りをしようとも言ってくれなかったし。

 だから粘土でクッキーを作ってビーズをトッピングする一人遊びのままごとには熱中したっけ。


 とりあえず傍で優しい笑みを絶やさずに待っていてくれた店員さんにお礼を述べる。


「あ……ありがとうございました」

「ごゆっくりご覧下さいませ」


 佐藤さんはにこりと微笑んで立ち去った。



 手作りコーナーに近づくと、あれ?


 咲くんのお兄さん……。


 女の子ばかりの売場何やってるんでしょうか。


 少し離れたところから様子を伺う。


 もしかしてのりこ部長と来てるのかな。

 それにしては人待ち顔じゃないなぁ。


 お兄さんは真剣な顔で製菓用のチョコレートを検分している。板チョコにするか丸いタブレット型にするか悩んでいるみたいだ。


 ーー君子、危うきに近寄らず。


 そろりとその場から離れようと後ずさった時、後ろにいたお客さんとぶつかってしまった。


「すみませんっ!」


 相手は20代後半くらいの香水のキツイお姉さん。「大丈夫、気をつけてね」と爽やかに謝罪を受け入れ去っていった。


「……渡瀬(きみ)か、何やってるんだ」


 ああ、バレちゃった。


「何って、お買い物です。先輩こそ……」


 ひとりで手作りチョココーナーでにやにやして何してるんですか、とは聞けなかったけれど、言いたいことは伝わったのか、お兄さんはカアッと顔を赤らめて、強引に手首を掴んでバレンタイン会場から連れ出した。

 未だ掴まれたままの手首を見て言う。


「……のりこ部長に見られたら誤解されちゃいますよ」


 バッと慌てたように掴んでいた手首が離された。


「のりちゃんが来てるのか?」

「一緒に来たんじゃないんですか?」

「……」

「……違うんですか?」

「……」


 じゃあ、何だって男子がひとりでこんな売り場に……というのは、聞いてはいけないのだろう。

 睨んでくる咲くんのお兄さんの様子を見て、ゴクリと喉までせりあがって来ていた言葉を飲み込んだ。




◆◆◆



 何だかよく分からないが、【口止め料】なのだろうオペラという名の艶々したチョコレートがかけられたケーキをご馳走になっていた。

 

 デパートの紳士物売り場の片隅にあるティーラウンジには、女性客の姿は少なく、年配の夫婦が何組かいるだけの落ち着いた雰囲気だった。


 ティーポットから注ぎ分けた紅茶は、ディンブラというらしい。よく分からないけど、今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しいかも知れない。

 例えればそう、法事の時に出された玉露を飲んだときみたいな。ペットボトルの紅茶やティーバッグでは味わえない、しっかりした味と人工的ではない香りがする。


「美味しい……」

「オペラも食べてみろ」


 フォークを手に取り、角を削るように直角に突き立てた。プツリと艶々チョコレートに抵抗なくフォークの歯が刺さり、削り取ったケーキからはアーモンドの味のするスポンジ、チョコレートガナッシュ、スポンジ、コーヒークリームと何層にもなった断層が現れる。

 ぱくりと口に入れると、甘く、ほろ苦く、アーモンドの香ばしい香りとコクが複雑に組み合わされ、オペラが口の中で上演されているみたい。


「ふうん、舌だけはまともなようだな」


 うっとりと甘味に舌鼓を打っていたらお兄さんが面白くなさそうに呟いた。

 何気に失礼ですからね!

 ちびちび食べてやるぅ。


「で、君はバレンタインのチョコレートを手作りして咲に渡すつもりか?」


 思わずカァっと顔が火照った。


 上目遣いに様子を探ると、お兄さんは花柄模様のティーカップを持ち上げて一口啜り、ソーサーの上にカップを戻した。その澄まし顔でからかわれているのではないことは分かるんだけど。


「……正直なところ迷ってます」


 私は、フォークを握り締めたままぽつりと呟いた。


「ふうん。君はうちの咲が好きなんじゃなかったの」

「もちろん好きです! って何言ってるの私!! いや、悩んでいるのは、市販品にするか手作りにするかなんです」


 って、私どうしてお兄さんにそんなこと打ち明けてるんだろう。


 第一、チョコレートのお菓子の作り方なんて分からない。本を見たってさっぱり分からなかった。テンパリングってなに?


 でも、咲くんが喜んでくれるなら頑張ってみようか、なんて思っている私が心の中にいる。

 それは、咲くんが取り戻してくれた私の自尊心……それに応えたい。


「手作りなんてやめておけば」


 ソファに背中を預けて脚を組んだ格好のお兄さんが、あまりにもそっけなく言うので、元来負けず嫌いの私はカチンときた。


「どうしてですか?」

「咲に変なものを食わせられるのは困るからな」


 うっすらと笑みを浮かべながら挑戦的な目で睨んでくるので、私も睨み返した。


「失礼です! 変な物なんか入れません!」

「は~ん、どうだか」


 鼻で笑ったなぁ! 何だかムカつく!

 仕上がりはともかく、異物なんて入れるわけないじゃない!!

 ……仕上がりはともかく……。

 

「じゃあこうしようか。俺が君にチョコレートのお菓子作りを教えてやるよ」

「え!! お兄さんお菓子作れるんですか?」


 驚いてそう聞き返すと、お兄さんは顔を顰めて言った。


「……それは偏見だ。パティシエは男の方が多いと聞く。それにキミが僕に【お兄さん】と呼ぶことを許した覚えはないが?」

「すみません……」


 そりゃそうだよね。地元で一番美味しいケーキ屋さんの厨房でケーキ作っているのもオジサンだもん。


 

「ひとつ条件がある。僕がキミにお菓子作りを教えることは、誰にも言ってはいけない。咲にもだ」

「どうしてですか?」

「学校での僕のイメージが崩れる」


 ……。なんか矛盾してやいませんか? お兄さん。

 なんで咲くんにまで、とは思ったけれどビックリさせるためにいいかもね。


「わかりました。よろしくお願いします」


 お兄さんはニヤッと笑って、話は決まったとばかりに伝票を持ってお兄さんが立ち上がった。

 あれ? なんだか嫌な……予感?

 とにかく貸しは作っちゃいけないと思って鞄を手に立ち上がり、慌ててお兄さんの後を追った。


「え、あ! 自分の分は払いますっ!」

「……黙って奢られとけば? 僕が誘ったんだし」


 お兄さんはさっさとお会計を済ませてしまい、財布をポケットに戻してしまった。

 お金は結局受け取ってもらえなくて、レジの前でいつまでも問答しているのも迷惑かと思い、結局奢られてしまった。


「あ、の……ごちそうさまです」

「はい」


 やっぱりチョコレートは買ったものにしておけば良かったかなぁ。

 

作中の佐藤フロアマネージャーは、子猫夏様企画【鬼は外、チョコは内】に寄稿しました【告白@紅葉】http://ncode.syosetu.com/n7377by/40/に登場しています。

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