メニュー20 朔日餅
手を清めてから朱塗りの鳥居をくぐると、白い砂利を敷いた境内の一角に人だかりができていた。
あれはなんだろう。
人垣の隙間から見えるのは、大人の腰くらいまでの大きさの黒い岩とそれに寄り添うようなひとまわり小さな淡いピンク色の岩。その周りには結界のようにしめ縄が張られていて、白い御弊が垂れている。
その岩を列に並んでいた参詣者が次々と撫でていく。これが何年も続けられてきたのであろうと分かるくらいに岩のてっぺんはつるつると光っていた。
「あれは【夫婦岩】。恋人や夫婦が一緒に撫でるとずっと良い仲が続き、恋人が欲しい人が撫でれば良縁に恵まれるって謂われている岩なの」
彩子ちゃんが隣に立って疑問に答えてくれた。
「やだっ! 秋生との良縁なんか恵まれたくないっ!」
「往生際が悪い」
庄司くんが涼夏ちゃんの手首を掴んで夫婦岩に向かって引っ張っていった。
「美晴も咲と行ってくれば?」
からりと笑いながら言う彩子ちゃんの背後にケンタくんがにじり寄る。
「細木、一緒にその……夫婦岩、見に行かねぇ?」
「はあ? なんであんたと?」
嫌そうな顔を作った彩子がケンタくんを振り返る。
「ダメ?」
胸の前で両手を組んでカワイコぶりっこのポーズをしたケンタくんがうるうると上目遣いで彩子ちゃんを誘う。
「イ・ヤ!」
しかめっ面でくるりとケンタくんに背を向けて拝殿の方へひとり歩いて行った彩子ちゃん。振り返った後で意外にも楽しそうな顔をしていたのを一瞬見てしまった……。
「美晴、【夫婦岩】触ってみる?」
気付けばそこには私と咲くんだけになっていた。
咲くんの顔を見上げれば優しく微笑んでいる。ぼわんと頬が熱くなった気がした……。
夫婦という言葉が持つ意味に過剰に反応してしまう。どうして皆バラけちゃうかなぁ~。
「う、うん」
立っていたところから岩のところまで、少しの距離なのに手を繋ぐ。そんなことがこそばゆくて恥ずかしくて幸せ。
人垣の後ろに並んでいると、直前までギャアギャア騒いでいた涼夏ちゃんはやけに神妙な顔で岩に触れていた。
その次の大人のお姉さんは、ひとりで黒岩の方を撫で、そのあと手を合わせていた。
ケンタくんはひとりでピンク岩を切なそうに撫でさすり、抱き締め涙ぐんでいた。うわぁ、必死すぎて誰も声を掛けられない。
「彼女が欲しい人はピンク岩を、彼氏が欲しい人は黒岩を。良縁が続くことを願うなら男が黒岩を、女がピンク岩を触るんだってさ」
咲くんが解説してくれる。
あれ?
背が高くて美人顔の髪の長い男の人がケンタくんの肩を叩いて何かを言っている。
ようやくピンク岩から離れたケンタくんを連れて拝殿の方に歩いて行っちゃった。
「美晴?」
次だよ、と軽く背中を押されて前に進む。
小さなお賽銭箱に小銭を落とし、ピンク岩の前に立ってアイコンタクトで同時に岩に撫で撫でしながら願った。
ーー咲くんとこのままずっと一緒にいられますように。
◇◇◇
彩子ちゃんたちとははぐれたまま、拝殿の列に並ぶ。お賽銭を入れてお詣りをし、おみくじを引いた。
末吉。
願事。努力すれば叶う。
学問。全力を尽せ。
恋愛。ためらわず告白せよ。
旅行や転居はあまり善くないみたい。
神様、私ためらわず告白して良かったです。
袂の中で指を絡めるみたいに繋がれた手が現実。咲くんを見上げると優しい瞳とぶつかった。
「松田のおばさん、甘酒ちょうだい」
ストーブに乗せられた大きな鍋をかき混ぜている女性に咲くんが気さくに声をかけた。
松田のおばさんと呼ばれた女性は、笑顔で「暖まっていきな」と二つの湯呑みに甘酒を入れて差し出してくれた。
三方の上に賽銭を乗せ、お盆を受けとる。
「美晴、生姜入れる?」
「美味しい?」
「少しピリッとして美味いよ」
大鉢の中にはおろし生姜が入っていて、好みで入れるみたい。
湯呑みからほんのり甘い匂いが立ち上る。
少し黄色みがかった甘酒には、お粥みたいに粒々したものが浮かんでいる。
「松田のおばさんちは糀屋なんだ。商店街とは少し離れたところなんだけど、毎年正月にはこうして甘酒を作って奉納したあと配ってくれるんだ」
「咲坊の彼女かい?」
「うん、そう」
「あらやだ。婦人会のみんなに教えてあげなくちゃ。津田さん泣いちゃうねぇ」
咲くんの顔を見ると笑って返された。
「津田さんて87歳の駄菓子屋のお婆さん」
「咲坊のファンなんだよ」
「ガキの頃毎日通ってたから。婆さんに『将軍吉宗記』観たいからって時々店番させられてたんだ。おかげで暗算早くなった」
「そうなんだ」
おもわず笑みが零れる。
小さい頃の咲くんに会いたかったな。
絵馬に合格祈願を書いているうちにはぐれていた皆がいつのまにか再び集合していた。
「もう今年は受験生かぁーー」
涼夏ちゃんがため息にも似た声色で呟く。
「いつも通りに勉強していれば大丈夫だよ」
「「「いや、それ美晴だけだから!」」」
何故か全員にそう言い返される。
「そういうところが美晴ちゃん可愛いんだよな~」
庄司くんに残念な子を見る目で言われる。
「さ、朔日餠買って帰るかーー」
ケンタくんの号令でぞろぞろと参詣道を鳥居を向かって歩いていく。【夫婦岩】の回りにはまだ人垣が出来ていた。
一対の神狐の石像の間を抜け、まだこれから社殿へと向かう人とすれ違いながら、鎮守の杜の中の砂利道を朱塗りの鳥居に向かって戻る。
和菓子舗【桔梗庵】は鳥居の前に広がる大通り沿いにあった。
間口は広く藍染の暖簾がかかっている。歴史を感じさせる和風建築の店舗は、入ってみれば広く床は土間になっていてガラスのショーケースが置かれていた。カウンターの向こうには白い割烹着を来た和菓子職人さんたちがお饅頭を蒸したりしている様子が垣間見える。
アルバイトなのかな。白い割烹着姿の若い男の子と、えび茶色の着物姿の40代の女将さんが次々と訪れるお客さんの注文をテキパキとこなしていた。
「美晴、これこれ!」
ガラス窓にも流麗な筆跡で『朔日餠』とあったが、涼夏ちゃんの指差すショーケースの中にも貼られている。
今日訪れる殆どのお客さんの目的が朔日餠なのか、ショーケースの中には朔日餠とプレートが書かれた白いお餅が大量にしかも整然とディスプレイされていた。
他にも上生菓子や、串に刺さった白い団子も並んでいる。
「みたらし団子って書いてあるけど……」
「ああ、ここのみたらし団子は注文を受けてから炭火で焼いて蜜を掛けてくれるんだ」
咲くんの言葉に、香ばしく焼けた白い団子に琥珀色の蜜が絡む姿を想像してゴクンと生唾を飲み込んだ。
待ってて、みたらし団子。絶対今度買いに来る!!
「いらっしゃいませ」
「朔日餠を十お願いします」
「はい。ありがとうございます」
彩子ちゃんも涼夏ちゃんも10ずつ買うものだから、釣られて私も10個買ってしまった。
一個は税別90円。小ぶりの白くてつるんとした表面のお餅が箱に詰められる。
箱は一見お重に見えるような光沢のある黒に金で梅の枝にとまる鳥がプリントされていてオシャレ。
店を出て、みんな朔日餅の入った箱を抱えホクホク顔。
「それじゃ、また新学期!」
彩子ちゃんと涼夏ちゃん、そして庄司くんは帰る道が同じ方向なのか一緒に帰っていった。
「俺、すっごくアウェーなんだけど」
そういいながらケンタくんは、私と咲くんと一緒に帰る。
「ケンタくんもこっちなんだ?」
「そう」
「……彩子追いかけなくていいのかよ」
咲くんがからかうと、青菜に塩ってこういうことなのかって納得するくらいケンタくんが萎れた。
「今はそんな気分になれねーの。ほっといて」
「あそ」
「冷てぇ」
「どっちだよ」
軽口の応酬は、私の住むマンションまで続いた。ケンタくんはこのまま咲くんの家で遊んでいくつもりらしい。咲くんが苦笑しながら肯首していた。
「じゃあ、またな」
「うん、送ってくれてありがとう。ケンタくんもありがとう」
「どういたしまして」
去っていく二人を見送って家に戻ると、父はコタツで寝ており、母はみかんを食べながらイケメンアイドルが出ている正月番組を観ていた。
「あら、帰ったの?」
「うん、ただいま。朔日餅買ってきたよ」
「ありがとう。お茶淹れましょ」
興味深々の母に初詣の話をする。【夫婦岩】のこととか、朔日餅のこととか。
「それはありがたいわね。うふふ、それで美晴は撫でてきたの?」
ぼわっと顔が赤くなった気がして慌ててそっぽを向く。
「いいでしょ、そんなこと」
小皿に乗せられた朔日餅をひとつ摘まみ口に運んだ。
舌触りは予想通りつるっとしていて、歯を立てるともちっと沈むのにぷつんと噛み切れた。
中にはしっとりして上品な甘さのこしあんが赤飯を抱っこしている。
家族がいつまでも仲良く暮らせることを祈って残り半分の朔日餅をパクリと口に放りこんだ。




