ねこまんま食堂のまかないメニュー その11
【晃大side】
2年の春。
修学旅行先で成瀬晃大は、笹岡涼夏に恋をした。
4月に彼女を見つけたときの第一印象は背の高い女子。
ただそれだけ。
あの高さからみる景色はどんなだろう。
「晃大、ほらこっち」
「返せよっ」
クラスの感じ悪い級友に背の届かない高さに掲げられた俺の財布。
「こんなことしてバカじゃないの?」
その手からすっと財布を奪い取ったのは、女子の白くて柔らかそうな手。
「女子に助けられて情けねーの」
捨て台詞を残してその級友は友人を引き連れ離れて行った。
ああ、本当に情けない。
その視界にすっと差し出されたのは、花の香りのする白いハンカチ。ラベンダーの刺繍入り。きちんとアイロンがされている。
急に恥ずかしくなって、それを受け取らす、すんと鼻を啜りあげると笑顔を作った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ぐいっと袖で目許を拭った。それを見て、涼夏ちゃんは手に持っていたハンカチを何も言わず、そっとプリーツスカートの襞に隠れるポケットにしまい込んだ。
「情けないよな……ほんと」
笑ったつもりが、コントロールできない涙が溢れだす。
ちょっと待てよ俺、高校生にもなって恥ずかしすぎるだろ。
おもわず俯いてやり過ごそうとした。そのまま離れて行ってくれ、と心の中で祈る。
何を考えたか涼夏ちゃんは、俺の手首を握った。
「!?」
「骨が太い……骨格がしっかりしてる人って大きくなるんだって、ばあちゃん言ってたよ」
温かくて細い女子の指が自分の手首に巻き付いている。
それだけのことに動悸が早くなる。
「だから大丈夫。成瀬くんこれから身長伸びるよ、きっと」
身長を伸ばしたくて入ったバスケ部でも、晃大のコンプレックスを増大させるばかりで、身長は思ったように伸びてはくれなかった。
親からは「個人差があるから仕方がない」ってそればかり聞かされて、でも気だけは焦って……。
そんな俺に涼夏ちゃんは微笑んだ。
同情でもなく本心から「伸びる」と言ってくれたような気がした。
ただそれだけの事が嬉しくて……気付いたら涼夏ちゃんばかりを視線で追うようになっていた。
はじめての恋だった。
そして誓う。
彼女の背を追い越したら告白する。この気持ちを伝えるとーー。
そして、クリスマスイブの夜。
同じクラスで部活も同じのケンタから誘われたカラオケで、涼夏ちゃんと一緒になった。
最初はドキドキもしたけれど、気の置けない友人ばかりのカラオケは楽しく……涼夏ちゃんが隣に座っていたことが嬉しくてはしゃいだ。
「笹岡さん、送っていくよ」
「え?」
「もう暗くなってるから女の子一人じゃ危ないでしょ」
「あーー」
見下ろして何かを躊躇う俺の女神は、ややあってにこりと微笑むと頷いた。
「じゃあ、お願いしよっかな」
「うん、任せといて」
トンと軽く胸を叩く。
涼夏ちゃんの温かな笑みは、雪さえ溶かしそうだ。
「【くすのき団地】だっけ?」
「そう。逆方向じゃない? ごめんね、回り道させちゃって」
「大丈夫」
そして他愛ない話をしながら、くすのき団地に向かって歩く。ヒラヒラと舞う雪の花弁が涼夏ちゃんの髪に掛かる。
俺は身長の壁に阻まれてそれを自然に払うことさえ出来ない。
「?」
いつの間にか、じっと見つめていたんだろう。不思議そうな涼夏と目が合った。
「なんでもない」
「成瀬くんはお正月どうするの?」
「家族で毎年スキーに行ってるんだ。さすがに来年は行かないだろうけど」
「受験だもんね」
あっという間に【くすのき団地】に到着。
もう少し一緒に居たかったのに。
遠い街灯に照らされる人影を見て、涼夏ちゃんが僅かに身体を緊張させた。
遠目だけど、あれは秋生か。
「ここでいいよっ、ありがとう」
慌てたように別れの挨拶を交わして手を振られれば帰らざるを得ない。
スキー旅行のせいで「冬休み中にまた会えるかな」って訊けないのがもどかしい。
「また新学期に」
「うん。またね」
数段しかない階段に涼夏ちゃんが消えるのを見送ってから踵を返した。
路上で秋生とすれ違う。
「よう、晃大。おやすみ~」
「おやすみ」
ぼんやりとした照明が照らす【くすのき団地】の涼夏ちゃんとは別の階段に秋生くんは消えて行った。
そういえば、秋生が渡瀬さんの肩に手を置こうとしたり、渡瀬さんに顔を近付けて話し掛けてるときに涼夏ちゃんは渡瀬さんに話し掛けて注意をしていたっけ。
歯に衣を着せない言葉も中学、小学校と同じだと聞いていたから、その気安さかと思っていたけれど……。
ーーあまり考えたくない予感が、ざわりと心を騒がせた。




