ねこまんま食堂のまかないメニュー その10
【のりこside】
「のりこ、玉野くん来てるわよ」
それは12月25日の夕方のこと。
「はい、は~~い」
集中して問題集を解いていたら、もう夕方だった。冬の日の入りは早い。
母の声に「どちらの玉野くんかな」と首を傾げながら下りていくと、遼ちゃんの方だった。
「上がってく?」
気軽に声をかければ何の躊躇いもなく靴を脱ぐ幼馴染みに、やはり私達は「幼馴染み」でしかないのだと胸がチクンと痛むけれど、そんなことは今さらなので顔には出さない。
遼ちゃんの右手にケーキの箱があるのに気付いた。
「あれ? 買ってきてくれたの?」
「ああ……」
下がってもいない眼鏡を押し上げるのは嘘を吐いている証拠。
実はおばさんから遼ちゃんの手作り菓子は横流しされているのだが、遼ちゃんはそれを知らない。だから、遼ちゃんの趣味がお菓子作りだということを知らないふりをしている。
でもおばさんいわく、いつも家族にと作られているお菓子はひとつ数が多く、そしてそれはいつも家族用とは思えないラッピングを施されているのだそう。まるで誰かに渡すためにラッピングをしたかのように。
いつものように部屋へ通すと、毛足の長いオフホワイトのラグの上のピンクのハート形クッションの側に座る遼ちゃん。白い小さなテーブルにケーキの箱が乗せられる。
「紅茶淹れてくるから」
そう言い残して台所に立った。
ケーキの箱を開けると、ドーム型の白いムースがふたつ入っていた。
ますます素人離れしてきたな、と心のなかで思う。遼ちゃんはやっぱり食堂は継がないのかな。
お皿にケーキをそうっと移し、フォークを添えて遼ちゃんの前に置く。
カップに茶漉しを使ってポットから紅茶を注ぐ。カップには金色に輝くセイロン。
「これ【プリマヴェーラ】の新作?」
「ああ」
「いただきまーす!」
フォークで柔らかいムースを掬う。口に入れるとゼラチンが体温でほどけ、ムースが淡雪のように溶けていく。舌の上にクリームチーズとマスカットが混ざりあい爽やかに消えていった。
もう一口、ぱくり。
「美味しいよ、遼ちゃん」
食べずに反応を気にしている風の遼ちゃんににこりとして感想を言った。
ふっと柔らかく笑ったけれど、どこか変だ。
「……」
昔から家族にも友達にも話せないわだかまりがある時だけこうしてやってくる。
私だけが知ってる遼ちゃんの姿。
もぐもぐと口を動かしながら考える。
またおじさんと喧嘩したかなー。
それとも咲ちゃんと喧嘩したかなー。
「ごちそうさま」
遼ちゃんは紅茶だけを飲み干してそう言った。
「良かったらこれも食べるか?」
手付かずのケーキの皿を勧められても、さすがに二個は夕御飯前にキツい。
「後で食べる。ありがと」
話したがっているのかな?
遼ちゃんの様子になんとなくそう感じる。
「どうしたの?」
まどろっこしいことが苦手なので、直球を投げてみる。さあ、どうでるか。
遼ちゃんはしばらく口ごもり、そして言いにくそうに口を開いた。
「……咲に女ができた」
ぶっ!!(笑)
「……昨日、咲の帰りが遅かった」
「それで?」
「……それで【ブラン】まで迎えに行ったんだが」
夜道が心配で高校2年の弟を迎えに……!!
「駅前公園で咲が女と二人でベンチに座っていた」
お~!! やるじゃん咲ちゃん。
相手は当然美晴ちゃんでしょうね?
そうじゃなかったらお姉さん怒るよ?
新学期早々家庭科準備室連行で尋問だわこりゃ。
「で、見ていられなくて帰ってしまった」
「羨ましいなら遼ちゃんも彼女作れば?」
モテないわけじゃあるまいし。
遼ちゃんがムッとした顔になった。
「羨ましいわけじゃない。それに恋愛事にうつつを抜かすほど僕は暇じゃない」
やれやれ。
咲ちゃんと遼ちゃんは「違う」のよ。いつまでも遼ちゃんの後ろを付いて歩く小さな咲ちゃんじゃない。
「……咲に彼女が出来るのを邪魔したいわけじゃないんだが、なんというか……」
言っちゃっていいのかな。言っちゃうか。
「寂しいんでしょ」
「寂しい……?」
意外そうに目を見開く。
そのまま彫像のように考えこんでしまった。
仕方がないのでケーキを食べ紅茶を飲む。うん、我ながら美味しい。
もういい加減咲ちゃんも自分も解放してあげて。
もっと周りを見ればいいのに。
私はずっとここにいるのにーー。
【プリマヴェーラ】:商店街にあるカフェ。
【ブラン】:商店街にある洋菓子店。パティスリー・ブランの略。




