表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おいしい料理のつくりかた  作者: 紅葉
おいしい料理のつくりかた本編
14/82

メニュー09 まどろみとおかゆ

『渡瀬美晴ちゃんが保育中にお熱を出しまして……ええ、38度ありますので、お迎えに来ていただけますか?』




 大好きだった副園長先生の声が聞こえる。

 父も母も働いていた私は、0歳から保育園に通っていた。

 朝からなんだか身体がいつもどおりじゃなくて、おかしいなぁと思っていた。

 大好きなブランコも楽しくなくて、涼子ちゃんとのお人形遊びも気分が乗らなかった。

 いつもなら美味しく感じるお給食も、美味しくなくて……。


 そんな私の異変に気付いてくれたのは副園長先生。

 担任の先生はイタズラっ子の男の子にかかりっきりで、私も迷惑を掛けたくなくて、体調の不良を訴える事もしなかった。

 

『あら、みはるちゃん、しんどい?』


 副園長先生が膝を折って、目線を合わせてくれる。

 この人になら言ってもいいんだ、そう安心できた。


 こくんと頷くと、副園長先生はにっこり微笑んで、『おうちのひとが迎えに来てくれるまで、先生のお部屋で待とうか』と言ってくれた。


 先生のお部屋にある簡易ベッドに横になりながら、お仕事をする先生たちを見るともなしに眺める。

 目を瞑れば、聞こえる電話の音。

 応対する副園長先生の声。園長先生が机に座って何かを書くボールペンの踊る音。

 先生のお部屋に用事で入ってくる先生たちも、一言『みはるちゃん、大丈夫?』と声を掛けてくれる。嬉しくて、余計に心細くて、涙が溢れた。



 おかあさん、来てくれるかな。



 お熱を測られるのは嫌い。だって、体温計を脇に挟んだら、じっとしていなさいって怒られるから。

 でも、副園長先生は体温計を挟んだ腕に優しく手を添えながら、むかしばなしをお話してくれた。お話に夢中になっている間に、ピピピと体温計が鳴って、あっという間に5分が過ぎる。

 

『みはるちゃん、お熱があるわね。しんどかったね』


 にこりと優しく微笑む副園長先生の笑顔が大好きで、恥ずかしくて、コクリとしか頷けなかった。



『みはる、おばあちゃんとお家に帰ろう』



 保育園に迎えに来たのは母ではなく、夏休みに電車を乗り継いで遊びに行くおばあちゃんだった。

 ……やっぱり、おかあさんは来てくれないんだ。

 

 通園カバンをおばあちゃんに持って貰って、靴を履く。

 副園長先生に頭を下げて挨拶をしているおばあちゃん。

 保育園のお庭の葉っぱが赤色や黄色や茶色に色づいて、今日はそれでお姫様ゴッコをするつもりだったのに……。


 駅から保育園までタクシーで来たのであろう。チカチカとライトを点滅させて待っていたタクシーに乗り込む。芳香剤と皮のシートの混ざった臭いが、より一層体調を悪くさせてくる。

 ぐったりとおばあちゃんに寄りかかって……気がつくと家に帰っていた。


 来年入学の為に調えられた子ども部屋の自分のベッドに、自分でパジャマに着替えて横になる。

 たまにしか来ないおばあちゃんには、迷惑を掛けられない。


 ――自分で出来る事はしないと。 もうお姉さんなんだから。


 おかあさんの声が聴こえた気がした。


 冷たいタオルが額に乗せられて、気持ちいい。


「おばあちゃん、ありがとう」


 布団から目だけを出してそう言うと、おばあちゃんはにっこり微笑んでくれた。



◆ ◆ ◆



 うっすらと目を開けると、見慣れない木目の天井があった。

 

「あ、美晴ちゃん。気分はどう?」


 南部長は6畳間の和室の壁際に置かれた低い卓袱台でノートやら参考書やらを広げていたようだった。

 部長がずっと付き添ってくれていたんだろうか?

 ということは、ここは南部長の家?


「ご迷惑おかけしてすみません……」

「いいのよ、それよりおうちの方に連絡が取れなくて」

「あ……両親働いていて。母は20時くらいには帰ってきますから」

「そうなの。それなら20時くらいにおじさんに送って貰うわね」


 おじさん? どこのおじさん?


「起きたのか」


 咲くんがいつもの不機嫌そうな表情で、ふすまを開けて入ってきた。

 布団の上に身体を起こして座っている私の横に膝立ちになると、熱を測るように額に手を当てた。その手が頬に当てられ、首筋に当てられる。

 はわわっ、熱がぶり返しそう。


「熱が下がってるか分かんねぇ」

「あのね、文明の利器を使いなさいよね」

「そんなものねぇよ」

「そんな訳ないでしょう? おばさんに聞いたら?」


 南部長が苦笑して咲くんに助言をしてくれる。


「あの、ご迷惑お掛けしました。少し楽になったので帰ります」


 起き上がろうとする肩を咲くんに掴まれて引き留められた。


「送っておくからそれまで寝とけ」

「車を出すのはおじさんでしょうが」

「俺もついていく」


 あの、あの……。


 蚊帳の外に出されて話が進んでいく。

 

 その時。


 クルルル……。


 小さな虫が鳴いた。


 プッと咲くんが吹き出して、私の顔は真っ赤になった。


「待ってろ。何か作って来てやる」


 立ち上がった咲くんは、ふすまを開けたままにして出て行ってしまった。

 和室の横はキッチンで、4人用のダイニングテーブルの向こうに彼は立った。




 一人用の土鍋に洗ったお米と水を入れて、火にかける。


 クツクツと小さな土鍋が音をたてて、お米の煮える甘い香りが漂ってきた。

 コトコトと炊かれ柔らかくなったお粥は、お米が潰れずにさらっとしている。

 梅干しと塩コンブ、ダシ巻き玉子が2切れ小皿に乗せられ、添えられていた。


 お茶碗にとったお粥をレンゲで掬い、ふうふうと息をかけ冷ます。

 ……と、ここまでの事をしているのは、咲くん。

 

 いや、この前も思ったけど、そのくらい自分で出来ますよ?

 私、ちっちゃい子じゃないし……。

 この前、お兄さんが自分を子ども扱いするって怒ってたのは誰ですか?

 3歳児扱いしてるのはどっちなのよ……。


「ほら」

「あ、ありがとう」


 手を伸ばしてレンゲと茶碗を受け取ろうとしたら、すいっとそれらは離れていった。

 再度、顔の前にレンゲが近づいてくる。


 うう~。 これはやっぱりアレですか?

 また“あーん”なのですか?


「私、お邪魔みたいなんで、した手伝ってこようかなっ」


 南部長がニヤニヤしながら広げていた教科書を鞄に仕舞い、そそくさと階段を降りて行った。

 ああーー!!

 部長行かないでぇ~!!


 クゥルルルル……。


 お米の甘い香りにダシ巻き玉子のダシの香りが鼻腔をくすぐる。催促をしてくる腹の虫にがっくりと項垂れながら、覚悟を決めて差し出されているレンゲに恐る恐る口を近づけた――。


 ーー美味しい。


 お米の甘さが優しい。とろりと飲み込みやすいのに、糊でどろどろしていない。


 お米とお水だけなのに、こんなに美味しいなんて、反則だよ。


「……美晴、俺のメシが旨すぎて感動したのか」


 にやりと偉そうに笑みを浮かべる咲くん。

 素直にはなれなくて、目に溢れた水を手のひらでゴシゴシと擦った。


「一口だけじゃ、わかんない」


 催促する鳥の雛のように口を開ければ、また吹き冷ましたお粥を口に運んでくれた。


 咲くんは優しい。でも、私にだけじゃなくて、みんなに優しい。

 それが苦しくて。


 どうしたいんだろう


 どうなりたいんだろう。


 ドキドキするのは、私だけなの?


 このドキドキする気持ちの名前は……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ