命日
あの人は、寂しそうだ。
ニコニコして友達と話しているのに、どこか遠い目をして、違う場所を見てる。
周りはそれに気づかない。
だって自分中心だもん。
自分の事には過敏で、他人にはほぼ無関心。
それが人間だから、子供だから仕方ない。
それに、あの人は気づかれたくないと思ってる。
普通を装っていながら見えない壁を作って、自分の内心を隠している。
上手く作られてるよ。
「んじゃ、坂倉と松林は居残り補習。検定までそんなに時間はないぞ」
授業後の報告。
私の名字は坂倉で、あの人は松林。
この教科だけはどうしても苦手。
あの人もきっとそうなのだろう。
友達と話ながら嫌そうにしている。
私も居残りは嫌だ。
先生の善意なのかもしれないが、さっさと帰りたかった。
あの人は部活に行きたかったのだろう。
部活をしている時は無我夢中で、何も考えられないくらい集中しているから。
それにしても、私は憶測でしか物事を考えられない。
つまらない人間だ。
補習の前に気休めの予習くらいはしておこう。
検定は明後日。
間に合うかな。
「先生は部活の方もみなくちゃいけないから、そのプリントが終わったら体育館に来てくれ」
放課後に課題教室に入ると、先生はそそくさと飛び出してしまった。
もうすぐ女子バレーの大会を控えているらしい。
後から入って来たあの人に軽く説明してからプリントに取り組む。
あの人は私の二つ隣の席に座り、同じようにプリントに向かい合った。
無言の空間。
シャーペンが滑る音がハッキリする。
掛け時計の秒針が耳障り。
消しゴムのカスを払う。
全くわからない。
気休めの予習は残念ながら意味をなさなかった。
貴重な休み時間を返してほしい。
「っあー、わっかんねー」
あの人もわからないらしい。
頭をガシガシし始めた。
始めてから二十分以上経過したが、半分以上が空欄。
これは落ちるな。
そう悟った瞬間、あの人から声をかけられた。
「なぁ、坂倉。お前わかる?」
「半分以上が空欄です」
「俺は三分の一書けた。なあなあ、ちょっと見比べねぇ?」
「構いませんよ」
お互い考えるのを諦めた。
あの人は席を立つと私の隣の机を動かし、私の机とくっつけた。
先程よりも近い距離になるが、あの人は気にした様子はない。
それぞれの解答と見合わせるが、似たような箇所だけ埋まっていた。
あまり意味がない。
話を持ち掛けたあの人の方が、私よりも書けてなかった。
仕方ない、このまま提出するか。
あの人は書けていなかった空欄を、私のプリントを見ながら写している。
くぁ、と欠伸が漏れた。
もう検定は玉砕決定だから、半分以上は睡眠に使うだろう。
だったら休んだ方がマシかな。
でも、後が面倒臭い。
素直に行くしか道はないか。
他事を考えていると不意に、まだ写しているあの人が喋りだした。
「坂倉ってさー、意外と勉強苦手だったんだな」
「この科目だけは無理です」
「真面目そうなのにな。予習もしてたし」
「気休めでしたが」
「明後日は俺達死亡フラグだな」
「当たって砕けましょう」
「だな!ヘへヘッ」
楽しそうに笑う。
けれど、やっぱ違う場所を見てる。
間近だとわかりにくいけど、ふとした瞬間を見逃さなければ気付ける。
寂しそうな横顔。
笑ってるのに悲しそうで。
私がいるのに私を見ていない。
その眼差しの理由は、このプリントのようにわからない。
私はただのクラスメート。
線から踏み入らない、ただの背景の人間。
あの人との接点はとても少ない。
そういう立ち位置だから、私はその現実を黙って受け入れる。
「この問題、松林さんはわかりますか?」
もう少しだけ、この距離を味わいたい。
数秒でいいから、あの人の記憶に残りたかった。
たった数回繰り返された会話を、一言でも覚えてほしいと願いを込めて。
笑えないあの人の代わりに、私が笑ってあげた。
検定当日。
試験会場に私とあの人はいた。
私達は別々の場所で試験が始まるのを待つ。
今日のあの人は、目が腫れていた。
それに周りは気づかないフリをしているようだ。
面倒事に関わりたくないのだろう。
指摘して泣かれたら困るのだろう。
だって、そこまで親しくないからだろう。
上辺だけの付き合い。
冷めた関係。
試験開始のチャイムが鳴った。
「坂倉」
試験終了後、担任に呼び止められた。
焦った様子で、副委員長も呼び集める。
何となく、予想していた。
こうなる事を。
だから席に座って待っていた。
先生の後ろにあの人が俯いて立っていた。
表情はとても暗い。
先生は意を決した顔で、私達に告げた。
「松林のお母さんが昨夜亡くなられた。クラス代表として、委員長と副委員長にはお通夜に出てもらう。いいな?」
「「はい」」
「……」
あの人は、泣いていた。
入院していたお母さんを思ってるのかは定さではない。
ただただ涙を流しているあの人に、私達はかける言葉が見つからなかった。