1-3 始まりと、出会いと
「出向……ですか」
「ああ。頼めるかね」
戸惑うミサキの前で、机に肘をつき体重を預けて座る初老の男性が口を開く。机の端で「社長」の半透明の立体が回っている。
アマツの管理するドームの一つにある、カナメ・セキュリティーの社長室。
任務から帰還し、報告書を書き終えたところでアイシャを通して呼ばれた社長室だ。
「知っての通り、わが社はアマツの傘下の警備会社だ。そのアマツのほうから、AZの操縦できる者を一人出してほしいといわれると、断ることが出来なんだ。
すると誰が、という話になるのだが、マイヤーは実働の隊長で経験も最も豊富だ。後輩の育成のためにもいてもらわねばならん。二番手のアイシャ・ユシアも分隊の指揮がある。となると、ここで三番手の実力を持つ君を推薦したいのだが」
「はあ……」
「わが社のような一傘下よりも、アマツ直属の部署ならば経歴に箔がつくし、給料も悪くはない。どうかね?」
幸い独り身で、今の住居も会社の寮だ。入社三年目で愛着はあるが、辞令を拒むほどでもない。――そう思い、ミサキは背筋を伸ばす。
「わかりました。転属、了承します」
「そうか。助かるよ」
安堵の息をつき、社長は机の引き出しから数枚の紙を束ねた書類を取り出す。
「詳細はこちらにある。頑張ってくれ」
そんなやり取りが、一週間ほど前。
ドームへの住民登録を終え、寮の部屋に私物を運び終えて数日、新しい仕事場から集合がかかった。
「まったく……無駄な広さをしているな、ここは」
ぼやきながら、ミサキは頭を掻いた。
長い廊下の角に設けられた踊り場のような休憩所に腰をつき、手にした空の缶をクズ入れに投げ込む。
硬質な音が無人の廊下に響いた。
「こいつは、困ったな……」
懐から鎖の付いた懐中時計を取り出す。時刻を示す以外の機能がない、長針と短針が文字盤で回る骨董品のような時計だ。
蓋をあけ、示す時間を見、ミサキは嘆息する。
「こんなところで座ってる場合じゃないんだがな」
ミサキがここ、「アマツ第三研究所」を訪れたのは、一時間と少し前のことだった。
ここのどこかに、ミサキの新たな仕事場となる「第六課」という部署があるはずだ。
鋼鉄の門扉をくぐり、身体検査と手荷物検査を受けて中へ入るまでに十分ほどの時間を取られ、それからの時間中、彼はこの建物の中をさ迷い歩いている。
曲がり角に設置されている標識をみてそれらしい部屋を探しているのだが、どうにも見つからない。各所に掲示されている地図も見たが、最後の確認は十分ほど前。最早どこにいるかどころか、その地図の場所すらわからない。端的にいって、迷ったのだ。
これは彼の三半器官に問題があるわけではない――と、ミサキ自身は思う――この建物の構造が特殊なのだ。
うろ覚えの地図を頭の中で広げる。同じ階にある部屋から部屋へ移動する場合、一度階段を上ってから廊下を渡り、元の階に降りなければならない箇所が幾つもある。また、建物の形は五角形をしており、対角線のように幾つもの廊下が伸びている。地図は、まるで蜘蛛の巣のような図形をかたどっていた。人工物とは思えないほどに機能性を排した複雑さであり、いくつかの廊下を曲がるとすぐ、自分がどこにいるのか分からなくなる。
そんなわけで、ミサキは延々と建物の中を歩き回っているのだった。
「せめて、誰か人がいればな……」
はあ、と再度のため息をついた時。
コツコツと廊下を靴が踏む音が耳に流れ込んだ。
音はだんだんと近づき、やがて音の持ち主が現れる。その影を確認すると同時、ミサキは声を投げた。
「ちょっといいですか――?」
疑問符が届くころ、ミサキは相手の姿を確認した。
「ああ、ちょうどよいところに――私も尋ねたいことがありまして」
ミサキと同じか多少年下か、そんな年齢の、ブロンドの髪を伸ばした少女だった。
一目で美人と断じても異論の出ないような顔立ちの中、意思の強い光をたたえた深海の色の瞳にこちらの顔が映る。
デザインに多少、それにズボンとスカートの差があるものの、着ている物はミサキと同じような制服だった。ほぼ間違いなくここの社員だろう。
「すみませんが、「第六課」という部署はどこにあるんですかね」
「は――い?」
秀麗な眉が一瞬上がり、逆ハの字になり、青の瞳が疑惑の目線でこちらを射抜いた。
「貴方、ここの社員じゃありませんの?」
「ああ、いや、今日からここに出向してきたんです。どうも迷ってしまって」
もしかすると、社員ならだれでも知っているような場所なのか。
そんな不安が一瞬よぎる。しかし。
「なんてこと」
女性は軽く額を抑え、落胆の感情をしぐさと目の色と言葉であらわす。
「私も、本日ここへ出向してきたのですわ。標識と地図を頼りに歩き回った挙句ここまでたどり着き、ようやく人がいたと思ったら貴方も新入りだとは。――私が思いますに、あの地図はどこか間違っているのですわ、そうでなければ貴方はともかくこの私がこんな施設で迷うことなどあり得ませんもの。まったく、初日からとんだ厄日ですわね」
大時代的な口調で長い独白のを放った後、女性はこちらを睨むような視線で見た。
その視線は決して心地良いものではなかったが、ミサキもまた天国への扉へ足をかけようかという時に地面が抜けたような落胆に襲われていたため、気にすることはなかった。
「ってことは、あんたも迷子か?」
「まさか」
腕を組み、ミサキよりもやや低い目線から自信に満ちた笑みを浮かべる少女。
「私が迷子などと。ただ、すこし寄り道が過ぎてしまっただけですわ。そろそろ「第六課」に向かいませんと」
大気を拡散するようにボリュームのある金髪を掻きあげ、では、と軽く礼をしてミサキに背を向ける。
その背に、声を投げつけてみる。
「ああ、あんた、そっちも訊きたいことがあるんじゃないのか?」
一瞬肩を小さく震わせて立ち止まった少女は、振り向かずに言い放った。
「なんでもなかったのですわ。貴方に尋ねても仕方のないことです」
「そうか、ならいいんだが――」
「では、失礼」
「ああ、ちょっと、待ってくれ」
やや足早気味に廊下を進もうとする少女を、再度呼びとめる。
「なんですの? 私、早く行きませんと、時間が……」
「あんた、「第六課」に行くんだろ? 俺も着いていっていいか?」
「はぁ? 貴方、「第六課」に用事でもありまして? それに――なぜ私が「第六課」に行くことをご存じですの?」
どうやらあまり人の話をきかない性格らしい。
そう思いながら、ミサキは立ちあがり、少女を追いかける。
「俺は最初に「第六課」はどこにあるか、ってあんたに訊いたし、あんたは自分で「第六課」に行くって言ってたじゃないか」
「そういえばそうでしたわね。貴方、搬入業者かなにかの方?
第六課は新設と聞きますし、ただでさえ迷いそうなのに色々とお荷物があって大変ですわね。私の私物があった時には丁重にお願いしますわ」
「なんでそうなるんだ……。さっき出向してきたって言わなかったか?」
「さあ。私、人ごとに聞き耳を立てるような真似はしませんの」
悪びれもせず胸を張って言いきる。どうにも唯我独尊な印象を受ける相手だ。
もしかしなくても、この少女の出向先は第六課のような気がするし、そうするとこの少女が同僚になるということか。
「俺は、第六課に出向してきたミサキ・トウザキ。本業はAZのパイロットだ」
「パイロットですって! それも、第六課の!?」
大げさなまでに驚いた声が長い廊下を駆け抜けていった。
目を見開いて口に手を当てた少女は、いぶかしむ目つきでミサキの足の端から頭の上の空間までを眺め、一言。
「驚きですわ」
「そうか?」
「ええ。わりと身体は鍛えてあるとみますが、その、なんというか……AZを動かすところがイメージ出来ない、というか……」
痛いところに細い針が十本単位で突き刺さった心を宥めながら、ミサキは女性に問うた。
「悪かったな。で、あんたは何者なんだよ?」
「当然――」
ばさ、と掻きあげた髪を広げるように降ろす。金糸が宙を舞い、ゆっくりと降りてくるのを待ち、少女は続けた。
「――AZのパイロットですわ。私、『ナイト・オブ・トリニティ』から第六課へ出向してきた、ナディア・メッテルニヒと申します」
「『ナイト・オブ・トリニティ』だって? トリニティ社の?」
『ナイト・オブ・トリニティ』。「トリニティ」の所有する軍事力の中核であり、他の傘下の警備会社とは格の違う扱いを受けている精鋭部隊だと聞く。存在は聞くが、実際に人目につくことはあまりなく、企業の宣伝のための虚構の部隊と言う話もあるが、この少女の話が本当ならば存在はするのだろう。
「ええ。あなたがどこから出向してきたのかは存じ上げませんし、興味もありませんが――それだけは心に刻み込んで置いてくださいな」
腕組みし胸を張るその姿が似合うのは、それだけの場所に所属していたという自尊心があふれ出ているからだろうか。
「ま、覚えておくよ。……ああ、もうこんな時間か。不味いな」
開いたままの時計を見れば、時刻は集合時間の十分前。流石に初日から遅刻するというのは戴けない。
「とりあえず、話は歩きながらでも出来る。今は急ぐぞ」
「あ、待ちなさい! 他に言うことはありませんの!?」
歩き出したミサキを、ナディアと名乗る女性が肩をあげて早足で追いかけてくる。
「あんたがどれだけ凄いパイロットかは知らんが、今は時間がない」
「まあ! 自分から質問をしてきておいて、なんて言い草!」
「そりゃすまないな。だが、今は時間がないんだ――見ろ」
眉を鋭角に立てるナディアに懐中時計を突き出す。文字盤を一瞥したナディアは、ぎっと唇を噛み、足を速めた。
「仕方ありませんわね。詮議はあとです。さあ、道はどちらです!?」
「俺が知るかよ!?」
「そんな、理不尽ですわ!」
ナディアは愕然とし、これ以上ないというほどに目を見開いた。
「知らないからあんたに聞こうとしたんじゃないか! あんた、さっき迷子じゃないって言ったろ!?」
「迷ってはいませんわ! ただ、そう、寄り道が過ぎて――現在地が把握できなくなっただけですわ!」
「充分に迷子じゃないか!」
理解した。ナディアもおそらくミサキが初めに投げた質問を抱えていたのだ。ただ、自分が迷っていると認めることが出来なかったのだろう。
――最悪だ。最悪の展開じゃないか
ミサキは片頭痛を患った気がして、こめかみを押さえた。




