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月影の舞姫  作者: asaghi
2/2

後 編

 ぐい、と、晴明は、杯の中身を飲み干した。中身は宴席よりの賜り物、黒酒くろきである。黒酒も白酒も、“き”は、“貴”に通じると言う。要はお神酒なのだ。

「全く、宮中の歴史など、改めて勉強し直す羽目に陥るとは、思わなんだ。」

「はあ!?何で、そんな事をしたんだ、一体?!」

「事実関係を確かめたくてな。」

 杯から離した顔が、真剣身を帯びているので、<彼>は却ってほっとした。話してくれる気が有るらしい。上手く名人上手に軽くいなされるのではないかと、内心怯えていたのだ、さっきまでは。

「事実関係。で、何か解ったのか?」

「おお、解ったとも。例えば。」

 いつ注がれたものか、また、ぐいと一口。

「例えば?」

「俺の、知らない、俺の親戚が、昨日いたか、とかな。宴の席にさ。」

 頭の上に、いきなり、流星が降って来たとしたら、その人間の心理状態は、今の<彼>のそれに匹敵するだろう。つまり、ぐわーーーーーんんんん、と言う訳だ。

 真面目に表現すれば、これを、『寝耳に水』と言う。

 気を取り直して、友に向き直り、体ごと、詰め寄った。

「ど、ど、ど、ど、・ん、な・・・・。」

 顔を、と言おうとしたところで、持っていた白木の扇で頭を叩かれた。それも、したたか。

「まあ、落ち着け。」

「落ち着けって。お前。そんな事は、俺には一言も。」

「だから、『俺の知らない』と言ったんだ。」

「有り得ないだろう?」

「そりゃ、お前ならな。」

「ぐっ。」

 扇の陰から意味有りげにのぞいた視線に、流石に言葉を詰まらせる。

「そりゃ、まあ、な。」

 敷物の上に、もぞもぞと、腰を落ち着かせる。鯛の焼き物に、少し箸を付けただけであったのを思い出す。六丸はと言えば、全身を耳にした如く、一言も聞き逃すまい、と言った風である。

「って、お前の家だって、野獣みたいに、ぼろぼろと増えて来たわけでは有るまいが。晴明。正式な家系図も無いと言う訳では有るまいに。」

 何となく、情けない思いに駆られながら、<彼>は言った。獣扱いされているのかも知れないと言うのに、晴明は平気な顔で、

「安倍家か。天智天皇時代から既に、宮中で卜辞や天文、暦の作成、つまり、甲骨占いや星占い、宮中の行事における、吉日を選び出すなどの仕事でもって、仕えていたものよ。我がご先祖は。」

「うん。そうも、聞いている。」

 その顔が、誇らしげに見えるのが好きだ、と、<彼>は思った。友が、このような顔で、仕事に励んでいるのならば、また、それが、多くの人々に喜ばれる仕事ならば、

(退屈な、宮中行事にも、少しは身を入れられる、と言うものだ。)

 そう、彼は思う。何のかんの言って、この若き公達、実は将来性豊か、と、周りの大人達からは非常に楽しみにされていると、今は知らぬ、<彼>も少しばかり、変わった人間だと言えば言えるのかも知れない。

「で、何処にいたんだ。」

 胸を撫でさすって隠忍自重の面持ちで、慎重に質問すれば、

「二杯目の白酒を、ちょうど、注いで貰った目の前に。今のように。」

 と、答えた。ぎょっとして、

「女官か?!」

「違う。」

 安倍晴明は、ぐい、と、杯の中身を飲み干した。一口である。そして、話し出す。その目が、何かを見据えるように、或いは記憶を手繰りだすようにして、前方を見ているのを、これまた、既視感デ・ジャ・ヴュを憶えながら、<彼>は話の内容に耳を傾けた。

「“豊明の節会”のみならず、節会には、“五節の舞”が必須、肝要だ。この“五節の舞”と言う奴だが。」

 言葉を切って、じろり、と、<彼>を、見遣る。若いながら、この道の博士の持つ威厳が、その視線には宿っている。

「どういうものか、知っているな?!」

「邪気祓いの舞だとは。い、いや、待て。少なくとも四人から五人で舞うもので、人数構成は、公卿の家から二人、受領ずりょう(≒国司。荘園などの持ち主が多い。)から、一人。殿上人から一人。えー、女御(天皇の奥方と思って置けば良い。複数形。)から選ばれる場合がありますよ、と。」

「ふん。それから?」

「選ばれた家は、大変に名誉であり、練習は大変。本番(節会)前日には、なな何と、帝ご本人の目の前で、練習の総仕上げを舞わなければならず(御前試おんまえのこころみ)、しかも、その場にいられる人間は、ごくごく、限られた人数、だとしか。」

「来歴は?」

「ええい。良いか?そのかみ、天武天皇が、吉野離宮において、琴を弾じていると、ふいに現れた天女が舞踊ったと言う。その故事に因んで、節会によって、踊られるようになった。これで良いか?」

「ま、良いだろう。」

 晴明が、ふい、と、畳まれた扇の先を、畳に付いているのを見て、<彼>は、胸を撫で下ろした。

「昨日は、何人だった?」

 いきなり、意外なことを言い出すので、お神酒で舌を湿すのも早々に、

「五人だろう?見れば解る。」

「ほうほう。」

 ばん。音を立てて、扇が拡がる。その意匠が好きなのか、今日も梅だった。

「間違い。実は、四人だった。」

「・・・・嘘だろう・・・・?」

「本当だ。昨日の今日だぞ。確かめて来た。良いか?」

 右手の掌を、<彼>の前に差し出し、

「まず、播磨の国司の娘。」

 親指から一本ずつ、上品な仕草で折り始めた。

「多治比家の姫君。これはお前も知っている、惟兼のぶかねの妹君でもあられる。」

「うん。」

 幼馴染の陽気な笑顔を思いやって、より一層真剣身を、<彼>の表情は帯びて来た。

 

「公卿の二人目は、北畠家の姫君。えっと、こちらが、確か最年少ではなかったかな?」

 形良く伸びた、薬指にそれとなく、注目する。気のせいか、震えを帯びている。確認しようとした途端、

「殿上人からは、若草の間の内侍ないし。これで、四人目。以上。」

 ぱたん、と折られるのであった。

「以上って。。。。?」

「だから、これで、全部だ。昨日、我々の前で踊ったのは。この四人の女人で全員と、そう言った。」

「その通りです。旦那様。」

 六丸が、口を挟んだ。

「六丸。お前。」

 宴の間にいたっけ?と、言う前に、

「都大路で評判になっておりましたから、私も存じ上げております。ですが、この御四方、上臈様方以外の名前は、私も、存じません。」

「成る程。」

 晴明が肯いた。

「選ばれた家は、大変な名誉、か。」

<彼>は呟いた。どしり、と、敷物の上に、腰を落とす。

「じゃ、あの、五人目は?」

「それよ。実はな。」

「うん。」

「俺も初めは、祓おうと思ったのさ。」

「もう、驚かん。」

「生者に混じって踊っているだけで、悪いものではない、とも、思ったからな。」

「何か、お前らしいな。」

 皮肉に聞こえないように気を遣いながら、<彼>は言った。それには構わず。

「他の四人に囲まれた、中心部で踊っているのを、見たな?」

「うん。」

<彼>の目に、ありありと、昨日の綺羅綺羅しい衣装と冠をつけて踊った少女たちの姿が映った。

「その顔を見ている内に、はっと、思い当たった。」

「何と?」

「何処かで見たことがある、あの、つまり、何だ、霊気を、自分は何処かで確かに見た、と。」

 静まり返った室内で、六丸の咳払いが響いた。

「おっと。六丸。」

 我に返った晴明が命じた。

「もう、夜に近いではないか。灯りを点けてくれるか。一つで良い。他は要らない。助かる。有難う。」

 六丸は、<彼>の家の雑色なのだが、晴明に対しても、並々ならぬ尊敬の念を抱いているのが解る。<彼>にとっては、気の置けない相手であった。

 灯りが一つ点いただけで、家全体が明るくなったように、<彼>には思えた。

「ひょっとして、雪が止んだのか?この明るさは、雪明りか?おお、すまん、この晴明にしても気になる事は沢山有ってな。」

「解った。解った。晴明。・・・何だ?」

 立烏帽子の女官が、<彼>の目の前に、物問いた気に佇んでいるのを見て、<彼>は問いかける。先程と逆である。

「客が来た、と、今、聞こえたが?」

「じゃ、そうだろう。」

 心なしか、いや、酒の邪魔をされたと思ったか、ぶすり、と、晴明は応じた。

 

真霧まぎり。」

 杯を、部屋の隅に投げつける様にした後、安倍晴明は立ち上がった。その動作には、深酒の名残も無い。

真霧まぎりとは?」

「お前が我が家の式神と呼んだ、あれだ。」

 気が付くと、立烏帽子の姿が、消えている。

「へえ。真霧と言うのか。」

「うん。行く。」

「あ。俺も行く。お前の家に、今頃、客かよ。」

 前を行く陰陽師の背中が、やはり、不機嫌だった。

 玄関まで行って、驚いた。いや、客が本当にいたので驚いたのでは無く、

「ろ、六丸が、二人?」

 玄関先に立っている六丸と、今の今まで自分達と一緒に膳を囲んでいた六丸を見比べる。

 その、最前からいた六丸の方は、必死で頭をともすれば混乱しそうになるのを働かせ、自分に、良く似た年恰好の従兄弟兄弟はいたかと、考えている様子に他ならない。

 二人は衣装装束から髪型から、首筋の小さな黒子の位置まで瓜二つであった。

 違いと言えば、玄関先に立っている方は、にこやかに笑って、其処には此処まで単身遣って来た疲れの影さえ無い。

 玄関先の六丸が、口を開いて、今にも『旦那様』と言おうとするのへ、

「急急如律令。」

 容赦の無い、晴明の声がりん、と響いた。

 ぎゃわん、と、しか形容の仕様の無い音、或いは声、が、辺りに響き渡り、六丸の姿をしていたものは、初め、黒い水のように、次に、灰色の煙のように、最後に、白を帯びた湯気となって、消えた。

「うんうん。」

 思わず、肯いて、何かを確かに得た思いのする、<彼>であった。

「あ、おい、晴明。」

「飲み直すぞ。」

 くるり、と踵を返す、晴明の後姿からは、特に特別な事をした、と言う感慨も感じられぬ。それでも、大変だったな、とか何とか、労いの声を掛けようとした所へ、意外や、六丸が追いついたのであった。

「も、申し訳がありませぬ。晴明様。」

「何だ、六丸。何を謝っている。・・・まさか、自分の責任だと思っているのか?」

「違うんだろう?晴明?」

 眼を丸くしている友に、<彼>は尋ねて聞いて見た。晴明は再び歩き出しながら、

「当たり前だろう。」

 何を言っているんだ、と、晴明が小声で呟いたのが、<彼>は聞こえた気がした。珍しく、それが何故なのか、<彼>には解る気がするのであった。

 

「先刻の話なのだがな。」

 客間に全員が落ち着いた後に、晴明の方から、話の続きを切り出した。何処で温めているのか、料理は、温かい物が、膳の上でいい匂いを届けている。

「何処で、五番目の少女を見た覚えが有ったのだって?」

 例え、本当に、神仙世界に所属する天女であっても、と、<彼>は胸の中で付け加えた。先程の『あれ』を見れば、それも、ごく普通に有りそうな事に思える。

「此処だった。」

 ぱん、と、柔らかな音が、一回だけした。思わず、そちらを<彼>は見遣る。

「此処って・・・・お前の顔?!」

「うん。」

 白い顔が、長く細い掌の指の五本ともに覆われていた。

「お前の顔。」

「そっくりだった。」

「さっきのあれとは?!」

 六丸も、眼を丸くしている。

「全然、違う。」

「違うのか?!」

「解る。俺を誰だと思っている。」

 晴明は、杯を飲み干した。

「そこで、調べた訳さ。」

 話が漸く、今日の問題になって来たのに、<彼>は気付いた。

「そも、彼女は、何者かってな。」

「それで?!」

 先を促しながら、半ば以上<彼>は、『五里霧中』と言う友の言葉を予期していた。だが。

「いた。」

「いた?!」

「居た。まあ、聞け。」

 障子の向こうで一回だけ、鶫が鳴いた。雪は止んだな、と、<彼>は思った。

 

「昔々の出来事だ。からかっている訳ではないぞ。」

 珍しく、客二人の顔色を伺いながら、晴明は切り出した。

「淡路の国司の娘が、“五節の舞”の舞い手に選ばれた。」

「うん。」

「はい。」

「おお、聞き手は素直だな。で。・・・・だ。」

 

 勿論、周囲は大喜び。

 当然、一番嬉しいのは当人に決まっている。衣装(この場合は、舞の装束ではなく、言う所の十二単さ)その他の支度を整えるやら、牛車を新しくするやら。いや、まずは、都に上らなくてはならないと言うので、伝手を辿って、情報を集めるやら、大騒ぎだ。

 何処も同じだな、未だにどの家でもそうであろうよ。

 淡路の国司の娘は、こう言っては何だが、当時の基準からしても、絵に描いた様な箱入り娘、つまりは、世間知らずでな。親は勿論、それが一番心配であった。

 それと見かねた親族の一人が、幸い自分は、帝の傍近く仕えている安倍家の人間を知っている。彼に頼んで、協力を得よう、と、言い出したものだった。

 安倍家は、周囲はどう考えていようと、卜辞、占いを良くし、宮中の行事を滞りなく進めるのが役目。

 喜んで引き受けたとも、幸いに、当主の一人息子が、ちょうど、朴訥で無口ながら(占い師の癖にな)、役に立ちそうな、屈強の若者に育っている頃合いにも思えたし。何をって?何を引き受けたかだって?

 京の都に上る淡路の姫様の、乗っておられる御輿やら牛車やらの周囲を、弓矢と剣で護りながら、送り届ける事。衛士の役目をさ。

 偶然だが、安倍家の若者と、淡路の姫君は、年の頃も近く、さしもの朴念仁も、都に遥々近くなる頃には、淡路の姫君を歳の近い友人か、妹のように、思えていたものさ。

 節会はどうなったって?いや、淡路の姫君は、見事に、大役を果たし終えた。滞りなく、な。

 あんまり、嬉しかったので、安倍家の息子と、文を取り交わす約束さえ、整えた。姫君が淡路に帰っても、尚。

 また、普通なら接点の無い、安倍家と淡路の国司の子供同士が親しく語り合っているのを見て、不思議に思った女房が居た。その方に宛てて、連名で事情を打ち明けた文も、残っている。

 

「で、それが。。。。」

<彼>は言った。いや、答えは解っていたのだが、言った。

「稀代の陰陽師、安倍晴明の両親の馴れ初め、と言う、一幕。信じろ、事実だ。」

 言いながら、悪戯っぽく、晴明は笑った。

 

<彼>が答えようとした刹那、篳篥が鳴った。

 瞬時に、晴明が動いた。外庭に面した障子を一気に開け放つ。

 眩しい。<彼>らは全員、目を瞬いた。月明かりが、夜の雪が積もった庭に溢れている。

「そうか。今宵は満月だ。」

 月を見上げると、月影の中で、花の如き、影が、花が咲くように現れた。冷たい空気の中で、周囲に芳香が溢れる。

 庭に対する位置としては、丁度、野茨の繁みの上で。

 月明かりの中で、“五節の舞姫”が踊っていた。ただ、一人だけで。

 吉野の伝説、

 

 おとめごがおとめさびしも 唐玉緒(羽衣)たもとにまきて おとめさびしも <大海人皇子>

 

 の詩が伝えるように。月明かりに照らされた、天女が踊っていた。

 金と唐紅の十二単。手には振鈴と袙扇、髪型はおすべらかし。回転し、逆回転し、両掌を振り上げ、蝶が舞い降りるように、また、下げる。うつむき、顔を上げ、横を向き、足を少しだけ上げ、下げる。

 それこそ、羽衣と見紛う袖を、振る。一回、二回、三回、四回、五回。

 伝説の通りに、或いは正しい振り付けの通りに。

 楽しそうだ、と、<彼>は思った。

 

 月明かりの中で、誰が歌うのか、大歌が聞こえていた。

 細枝しもと結ふ  葛城山に降る雪の  間なく 時なく  思ほゆるかな

 歌に合わせて、“五節の舞姫”が踊っていた。安倍晴明に良く似た、”五節の舞姫”が。

 

 その姿が消えても尚、少女の姿を、己は永遠に忘れるまい、<彼>は思った。安倍晴明の両親が、彼が烏帽子を頭に乗せる年齢になる前に、他界しているのを、勿論<彼>は忘れた事は無かった。

 

 いつの間にだか、客間に居た全員が、客間に戻っていた。

「何で、現れたのかな?」

<彼>は呟いた。

「霜月は、万物の生気が弱まる、と、聞いた憶えは無いか?」

「ふん。それでか。」

<彼>はそう言って、にやりと、晴明を見遣った。珍しく、<彼>の勝利らしかった。晴明の頬が少しばかり、赤く染まっている。それでも悪びれずに、晴明が言った。

「気が付いていたのか。」

「昨日ぶたれた時に、な。熱っぽかったぞ。」

「ひょっとして、今日来たのは見舞いの積りか?お前、病人に飲ませるのか。」

「いや、何なら、自分で全部、飲もうかと。」

 ひょこ、と音がして、また、梅の扇が、額の辺りを叩くのであった。誰有ろう、<彼>の。

 

「御母君は、心配なされた、と。」

 こちらもいつの間にやら、真霧が現れ、水やら薬やらと、晴明の枕元に届けている。今日は泊まって行こうと心に決めながら、彼は最前から、気になっていたことを口にした。

「しかし、何も、戸外で踊られる事は有るまいに。」

「月光。月明かりが身体に良い、と、思っていたのかも知らぬ。」

 ぼそ、と、額の布に手をあてながら、布団の中の、夜着にくるまった晴明が言う。

「はい?そんな、物忌み、有ったっけ?」

「物忌み。ある意味な。」

 くすり、と、稀代の陰陽師が笑った。そう言えば、晴明の得意な楽器は篳篥であったと、<彼>は今更ながらに思い当たった。そのかみ、安倍家の若者も、或いは、篳篥を、小さな淡路から遣って来た、大役を負った少女の無聊を慰めんと、御前で吹いて見せたかも知れぬ。

「記紀においては、月の神は、当然、月読命つくよみのみことだ。三貴子の一柱であり、天照大御神あまてらすのおおみかみの弟、須佐之男命すさのおのみことの兄とされる。」

「それは知っている。」

「で、此処で、我等の仏教のご入来だ。仏教の世界では全てが仏弟子。三貴子とても、例外では無い。月読命は、すると、月光菩薩と言う仏に、姿を変えるのさ。」

 声も無く、聞き入っている彼らに、安倍晴明は言ったのであった。

「月光菩薩。当然、相方は日光菩薩。この二体の仏は、そう、我等が医薬と医者(時には安産祈願まで)に関する信仰の拠り所、“薬師如来”の、脇侍に当たるのさ。」

 


屋敷中が静まり返ったかのように思えた暫しの沈黙の後、この屋敷の主本人としては、その沈黙を苦にしていないと見えたがしかし、<彼>は口を開いた。

無限の労わりと親愛の情を込めて、言った。

「晴明。お前。・・・・長生きしろよ。」

「言うにや及ぶ。」

稀代の陰陽師は、僅かに唇を曲げて、そう、返事をしたのだった。

その、瞳は、見間違えようも無く、笑っていたのだが。




     “天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ 


           乙女の姿 しばし とどめむ”



                 僧正  遍照




            * The End *

〔抄伝 安倍晴明〕第二夜 その後編。

ここまで、読んで下さって、どうも、有難う御座いました。

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