白夜に咲く、二度目の約束
これで同じだ。陽翠だけを先に死なせることがなくなった。
淡く耀く光を見つめる。
「あれ?さっきよりも動きが遅いね。どうしたの?」
にやりと、三日月のような笑みを唇に刻む。
手にした刀を無造作に振り下ろすと、真空を裂く鋭い風鳴りが響いた。
肉を断つ鈍い感触と共に、魔物の片腕が重力に従って地面へと落ちる。断面から噴き出した鮮血が、夜の帳を斑に染め上げた。
「終焉具……綺麗だね。この時代の人間から、二人目」
欠損した痛みなど忘れたかのように、魔物は恍惚とした表情を浮かべていた。
その瞳は、血に濡れながらも神々しく終焉具の美しさに魅入られている。
「氷桜冷華」
静かな呟きと共に、周囲の温度が急速に奪われていく。花が咲き、僕に絡みつこうとする。それすらも全てなぎ払って叩き割る。
「何? もう同じ手にはかからないよ?」
魔物の歪んだ顔を置き去りに、地を蹴る。爆ぜるような踏み込み。
跳ねた泥が静止して見えるほどの超加速の中、長い髪は夜風に乗り、透明な共鳴を残して夜空の闇へ溶けていく。
「速いね。でも、速いだけじゃ心臓は突けない」
魔物は残された腕を掲げ、防壁となる花を練り上げる。氷の華が舞い散る戦場を、一筋の閃光となって駆け抜ける。
「あっはは!」
鈴の音を転がすような笑い声が、凍てついた空気に反響した。
「……貴様、何笑ってるんだ?」
魔物の声に困惑が混じる。絶対的な死の予感に直面しながら笑い続けるその狂気に、人知を超えた化け物が初めて戦慄した。
「やっぱり魔物は馬鹿だなぁ」
すれ違いざま、僕は刀を鞘へと滑り込ませた。金属音が高い残響を残す。
「今度は君の負けだよ」
その言葉が、引き金だった。
「……は」
魔物の瑠璃色の瞳が驚愕に見開かれる。
僕の背後、かつて何もなかった空間から、音もなく現れた一つの影。
月明かりの下、黒髪が揺れる。その身体には僕と同じ終焉具。
「玲瓏ノ雨」
記憶の中の声と、今、紡がれた声が重なる。
背後から、横から、上空から。避ける隙間など存在しないほど密な、光の斬撃が降り注ぐ。
それは雨のように優雅で、太陽のように温かい。
人形のの核である瑠璃は、その暴力的なまでの光の奔流に飲み込まれた。真後ろから、内側から、結晶が砕け散る硬質な音が響き渡る。
砕けた魔石の破片が、氷の華と共に夜の虚空へと舞い上がり、月光を反射してキラキラと輝いた。
「さよなら。地獄でその綺麗な瞳を、ゆっくり休ませてあげなよ」
血と氷と光が混ざり合う幻想的な静寂の中で、僕はただ、納刀の音を冷たく響かせた。
「出帆!!大丈夫?怪我して……っ!」
悲鳴に近いその声が、静まり返った世界の中心で震えていた。
駆け寄る足音。視界に飛び込んでくる、朱に染まった陽翠の姿。
その瞬間、せき止めていたダムが決壊するように、音を立てて気持ちが溢れ出した。
何よりも強く、その細い身体を抱きしめた。
腕の中に伝わる体温、微かな呼吸の震え。そのすべてが、凍りついていた僕の心を溶かしていく。
世界で一番大切な人。誰より深く愛していた人。
それなのに、僕は忘れてしまっていた。
どこまでも、救いようのないほどに僕は愚かだった。
僕は二回君に恋に落ちたんだ。
一回目はあの花紺青の9歳で。
もう一回は君の全てに。
「陽翠」
その名を呼ぶだけで、喉の奥が熱く焼ける。
言葉のひとつひとつが、失われていた八年間の歳月を埋めるための祈りだった。
「全部、思い出した。忘れてたこと、全部。……ごめん、本当にごめん」
胸元に顔を埋める陽翠の肩が、びくりと跳ねる。
僕は彼女の頬を濡らす涙を、壊れ物を扱うような手つきでそっと拭った。
「僕は、陽翠が、好きだ」
その告白は、夜の帳を切り裂く一筋の光のように響いた。
彼女の大きな黒曜石の瞳が、驚きに見開かれる。
長い睫毛が震え、一度、重たげに瞼が閉じられた。
静寂。風の音さえも消えたような空白の時間の後、再び開かれたその瞳には、濁りのない透明な光が宿っていた。
悲しげな光はどこかへ飛んでいった。二匹の蝶が祝福するかのように舞う。
潤んだ瞳に溜まった涙が、光を反射して星のように瞬く。
震える薄い唇、赤みを帯びた鼻先。
目の前にあるそのすべてが、この世の何よりも美しく、何よりも愛おしく、命を賭してでも守り抜かなければならない聖域だった。
僕は彼女の耳元で、かつて幼い日に交わした、けれど今の僕たちにとっては新しく重い約束を、慈しむように紡ぎ出した。
「大人になったら、結婚しよう」
それは子供じみた戯言じゃない。失われた時間を取り戻し、これからの未来をすべて彼女に捧げるという誓約だ。
「今度は絶対、忘れない。君の隣に、いつまでも。」
「……っ、私もっ……」
陽翠の声が、堪えきれない嗚咽とともに溢れ出す。
「私も……出帆のことっ、ずっと、ずっと……大好きだよっ……!」
抱きしめ合う二人の影が、石畳の上にひとつに溶け合う。
欠け落ちていた八年間という空白のピースが、今、カチリと音を立ててはまった。
吹き抜ける風は冷たいはずなのに、重なり合う鼓動が、驚くほどに熱い。
夕焼けは綺麗で。目の前で笑う君は可愛くて。花火は綺麗で夕飯は美味しくて。駄作の小説を紐解いて。寿命に泣いて、今に笑って。
記憶を無くしてからの幸せには全部全部、陽翠がいた。
こんな世界も君がいたから生きてこれた。
君が全てを支えてくれた。
だから。どうか。
どんなときでも、傍にいさせて。




