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一輪の華

「さよならだけが人生だ」という言葉の、本当の残酷さを知った。


それは、ただの別れを指すのではない。自らの手で、最も愛する存在に終止符を打つ、その「決別」の重さを指すのだ。


萌音の体は、すでに限界をとうに超えていた。


切断された右足から流れる血は、彼女が這った軌跡を鮮やかな紅の道として描き出している。意識の端々で、懐かしい故郷の風景や、みらんと笑い合った記憶が、古い映画のフィルムのように焼けて消えていく。


(……これで、いいんだよね。みらん)


目の前では、灰色の死神と化した親友が、最後の一撃を振り下ろそうとしていた。意思を持たない髪の刃が、萌音の心臓を貫こうと真っ直ぐに突き出される。


萌音はその刃を避けなかった。


それどころか、自らその切っ先へと、残った力を振り絞って身体を突き出した。


「っ……!!」


鋭い衝撃が胸を貫く。


灰色の髪は萌音の細い体を容易く貫通し、背後へと突き抜けた。口から熱い血が溢れ、視界が急激に暗転していく。


けれど、これこそが萌音の狙いだった。


串刺しになることで、みらんとの距離はゼロになった。


髪を媒体にして繋がった今、人形は萌音の動きを止めることができない。


「……捕まえ、た……」


萌音は、血に濡れた手で、みらんの灰色の頬を包み込んだ。


冷たく、硬い、陶器のような肌。かつての体温はどこにもない。


萌音は最期の力を振り絞り、逆の手に握っていた短剣を、みらんの胸の中央――冷たく鈍く光る「瑠璃の心臓」へと突き立てた。


パキィ、と。


静寂の森に、何かが凍りつき、砕けるような音が響き渡った。


その瞬間、狂っていた世界の歯車が止まった。


萌音を貫いていた灰色の髪が力を失い、さらさらと砂のように崩れ落ちる。


そして、人形の瞳に宿っていた暗濁した色が、波が引くように消えていった。


がたっと崩れ落ちたみらんの身体を強く抱きしめた。


「さよならだけが………人生だ」


右足の喪失も、胸を貫く灰色の刃も、今の萌音にとっては遠い世界の出来事のようだった。


ただ、どくどくと溢れ出す熱い液体だけが、自分の「生」の在処を必死に主張している。


脳裏に響くのは、かつて聴いた旋律のような、静かな鼓動の音。


誰かの生きる理由になれたら――そんな、子供じみた、けれど切実な願いが、死の間際になって萌音の胸を埋め尽くした。


いじめられて、独りで、世界の隅っこで震えていた私を見つけてくれたのは、みらんだった。


彼女がくれた勇気が、私の止まっていた心臓を動かしてくれた。


空っぽだった私の胸に、温かな血を通わせてくれたのは、間違いなく彼女だった。


萌音は、自身の胸を貫く灰色の髪を、愛おしそうにその手で抱きしめた。


「……ねえ、みらん。明日も、生きたかったな。……君と一緒に、また馬鹿みたいに笑いたかった……」


口の端から溢れる血を、萌音は隠そうともしなかった。


それが自分の命の証であり、彼女を最後に人間でいさせるための「対価」であることを知っていたから。


「……でもね。みらんと出会えて……本当に、良かった。君が私を、人間にしてくれたんだよ」


もしも私の命が、形を変えて君の鼓動になれるなら。


私が流した血が、君の頬を濡らす涙となって、その呪いを洗い流せるなら。


私のこの、ちっぽけな「さよなら」は、決して無駄なんかじゃない。


「……一人で死ぬのは、さびしいもんな」


みらんが、同じ痛みを共有するように萌音を抱き寄せる。


二人の血が混ざり合い、土に溶け、一つの生命の終わりを告げる。


萌音は、最期の瞬間に、みらんの声を聴いた。気がした。



「ありがとう」



さよならだけが人生だというのなら。


私はこの人生を、君の鼓動になるための長いプロローグだったと思いたい。


上手くいかないことばかりだったけど。思い通りの日々じゃなかったけど。


こんな世界も君がいたから生きていたいって思えたんだよ。


いつまでも………いつまでも。来世でまた会えたら。


真っ白な光の中へ溶けていく意識の最後、萌音は満足げに瞳を閉じた。



───

積み上げてきた日常が砂の城のように崩れ去り、世界が瓦礫の山に変わったとしても。


私たちの魂だけは、決して消えない火のように、この暗闇のどこかで灯り続ける。そんな確信に近い予感があった。


縋るような想いで希望をその腕に引き寄せ、同時に、逃れようのない絶望を深い慈しみとともに抱きしめる。


「みらん………」


掠れた声が、夜の静寂に震えた。


「萌音っち!!」


弾かれたように飛び込んできた温もり。ぎゅっと抱きしめられた身体からは、不思議ともう、刺すような痛みも、凍えるような寒さも消えていた。


ただ、重なり合う鼓動だけが、互いの存在を証明している。


「ごめん!ごめんねぇ!!こんな友達でごめん、傷つけてごめん!!」


みらんの叫びは、堰を切ったように溢れ出し、夜露に濡れた頬を伝っていく。


「いいよ!いいの!!!」


萌音は、自分を責めるその震える背中に、優しく手を回した。


「みらんが居なきゃ歩けなかった。暗闇の中で、みらんが私の唯一の光だった。生きる理由だった。だから、だからさ……!!」


祈るような沈黙のあと、萌音は顔を上げ、涙の光る瞳で真っ直ぐに見つめた。




「笑って!!!!」




その言葉は、絶望の淵で咲いた一輪の華のように。


幸せってなんだろう?


形もなく、定義もできず、人によって色さえも違うけれど。


私の幸せは、残酷なほど美しいこの世界で、君と呼吸を重ねられたこと。


二人で、心の底から笑い合えたこと。


地上を縛る重力から解き放たれるように、二つの影は淡い光を纏い、どこまでも深い紺青の夜空へと舞い上がった。


二つの美しい蝶は夜空へと舞った。


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